日日是好日

ふっても てっても

日日是好日

泣いてもわらっても

きょうが一番いい日

私の一生の中の

大事な一日だから






「日日是好日」この言葉への思い

「日日是好日」この言葉を耳にしたとき

人には、それぞれの 受け止め方をするでしょう。

「悠悠自適」という趣もあり、そう感じる方も。。。いらっしゃるでしょうね

相田みつを氏の言う「日日是好日」は

今生きている一瞬こそ、一生懸命に生き抜くんだという

強い心が彩られてるように思います。

自分のいる場所に、環境に逆らわずに、その中で、

出来ることを 考えられることを まっすぐに見ることが、出来れば

どんなに 生きてることが、楽しいだろう そう思っています。

これからも ずっと ずっと そう思って 歳を重ねたい。

私をとりまく家族の為に知人のために何よりも私自身のために

不自由でなかった頃の「生きる事への価値観」を、変えてくれた

私の大好きな言葉
                  
ゆうこ (*^_^*)


人間だものから 抜粋してみました。 相田氏の言葉聞いてみて下さい。
日日是好日・・・・・自分の都合で変わる


○日日是好日(にちにちこれこうにち)

広い世界には、雨で困る人もいれば、雨で助かる人もいるんですね。
ところで、この『日日是好日』というのは、本当は、そういう意味ではないんです。
人間の考え方、人間の思い方というのは、いつでも自分中心なんですね。
好い日とか悪い日とかいっても、それはどこまでも、
 自分にとって都合の好い日であり 自分にとって都合の悪い日 なんですね。
つまり、すべて自分の都合(・・・・・)という〈物差し〉に合うか、合わないかの話なんです。
 だから、雨具屋さんにとっては、雨の日は好い日なんです。
反対に、夏の氷屋さんにとっては、雨の日は悪い日になるわけです。
『日日是好日』の本来の意味は、そんな自分中心の〈物差し〉とは全く関係ない話なんです。


○好い悪いを越えた話

日常の生活の中では、いや(・・)なことがいっぱい起こりますね。
日日好日どころか、毎日が悪日の連続。
「なんの悪いこともしないのに、私だけがなんでこんなに苦しまなければならないのか。
神も仏もあったものではない」と、自分の不幸を嘆く日もあるでしょう。
それでも雲門禅師は『日日是好日』というのです。
 雲門禅師のいう好日とは、好い日、悪い日という比べっこ(・・・)をやめた話なんです。
つまり、好悪を越えた話です。自分の都合という〈物差し〉を捨てた時の話です



○どう受け止めるか

自分にとって、どんなに都合の悪いことが起きても、そのことを、どう受け止めていくか、
それが一番大事だと思います。自分の都合、自分の〈そんとく〉勘定の物差しを離れて、
あるがままに受け止めていく、
つまり、貴重な体験、貴重な反省の機会として受け止められたら、
悪い日がそのままで、好い日に転換するのではないでしょうか? 
病気をしたおかげで健康のありがたさが身にしみてわかるようなものです。
病気になってからでは遅いんですが、
しかし、『わかっちゃいるけどやめられない』のが人間の愚かさです。
病気の時は病気を、いのちいっぱいに生きることです。
病気の時を、健康の時と比べたらばそれは悪い日になります。
病気の時は、病気と自分といっしょに生きることです。
受験に落ちたら、正々堂々たる浪人になることです。
だれかが落ちなければ合格する者はいないんです。
縁がなくて、自分が落ちる側にまわっただけの話です。
病気の時は病気になりきる、浪人の時は浪人になりきる、
それが病気や浪人という災難(なやみ)から
解放される妙法だというわけです。
それが日日是好日ということです。
 そして、おかしい時には腹の底から笑い、
泣きたい時には手放しで泣く―それが日日好日の生き方だと思います。





 相田みつを氏のことを 少しだけ         
書家・詩人 相田みつを
1924年(大正13) 栃木県足利市家富町に生まれる。
1942年(昭和17)  旧制栃木県立足利中学校卒業。
同年、生涯の師となる曹洞宗高福寺の
禅僧・武井哲応老師(故人)と出逢い、
在家のまま師事し仏法を学ぶ。
1954年(昭和29) 第一回個展を足利市で開催。
以後各地で「自分の言葉・自分の書」による
作品展を開催する。
第六回毎日書道展入選。
以後第11回まで連続して入選を果たす。
1984年(昭和59)  『にんげんだもの』出版
1991年(平成3)  12月17日、足利市にて逝去。享年67歳。