プチレポ
〜 会津探訪編 〜
そろそろ気がつきましたが、このプチレポシリーズ、さっぱり「プチ」じゃないですよね(^^;) ・・・などと、出だしから自分にツッコミを入れつつ、今回も会津の旅のレポをしたいと思います! 今回の旅は同行者なしの一人旅で、二泊三日で行ってきました。 まあ突発的にとった休みだったので、ほんの1、2週間前まで奈良に行くか、金沢にいくか、会津に行くかで悩んでいたというギリギリっぷり。 で、どこで明暗を分けたかというと、直前に神戸に行くことになっていたので「幕末!幕末のスポットに行きたい!」と言う気になったからでした。 まあ、会津と言えば言わずとしれた『幕末恋華新撰組』のヒロイン鈴花ちゃんの出身地! もうすぐDS版も出ると言うし、行ってみるか〜! と、気合いを入れて出発したわけです。 <1日目> 東北方面の旅にはまだまだ不慣れなため父親に出発前、「お父さ〜ん、MAXやまびこってどんな特急?」などと聞き、「それは新幹線だよ!」と突っ込まれるという初歩的なミスをおかしつつもなんとか出発。 今回はさすがにネオロマなCDをお供にはしなかったので新幹線の中で怪しげな行動をとることもなく、まずは無事に郡山まで行きます。 会津若松までは郡山から磐越西線に乗り換え途中、会津磐梯山などが見える車窓の景色が綺麗な所をコトコトと1時間ほど乗ると到着します。 で、会津若松の駅に着くと出迎えてくれるのはこれ(↓) |
「・・・そっか。会津と言えばあかべこか。」 と、こいつに出会って思い出しました(^^;) しかもこのべこ君、何かしゃべるんですよ。 多分近づくと反応するんですけど、何を言っているのかよく聞き取れなかったのが若干の心残り。 |
あかべこ君に驚かされつつ私が真っ先に向かったのは駅の観光案内所。 数名の観光客に混ざって案内のお姉さんに「すいません!鶴ヶ城に行くにはどうしたら!!」 ・・・いきなり人頼み(^^;) いや、だって下手にウダウダしているとバス逃したりしますし(<過去の旅の教訓) ちなみに、今回もちょうど周遊バスが出るところだと教えてもらい、とりあえず飛び乗りました。 あ、ちなみに会津若松市内の観光はこの周遊バスがとっても便利♪ 「ハイカラさん」号と「あかべえ」号と「ピカリン」号というのがあるんですけど、後者の2本は1時間に一本程度なのであまり当てにはせず、「ハイカラさん」号を活用する事をお勧めします。 「ハイカラさん」号は市内の主な観光地を回ってくれる上に30分に1本というわりと回転の速い路線なので、上手く時間をあわせればとっても効率的v さて、「ハイカラさん」号で一路鶴ヶ城へ向かった私は駅から20分程度で鶴ヶ城へ到着。 この時点でちょうどお昼だったので、お城の近くの売店で会津ラーメンを頂きお城へ。 |
そして、やってきました、鶴ヶ城!!(→) この天守閣は再建だそうですが、かつて戊辰戦争で戦禍に巻かれた時も、鶴ヶ城の天守閣は落ちなかったんだそうです。 ちなみに、今は中はとっても綺麗な資料館になっているという事で、受付でチケットを買い中へ。 すると、何やら入り口を入ってすぐこの(→)写真で言うと、下の石垣にあたる所の中らへんが、妙に暗い。 「え・・・?ここ、入っていいの・・・・?」と不安になりつつ入っていくと・・・暗闇に突然ボヤッと光る人影が!! しかも直後にどこからともなく人の声!! 「ぎゃあっ!?」と一瞬叫びかかってよく見てみたら、石垣の土台を利用した兵糧庫の説明と、その担当役人の人形でした。 いや、もう、腰抜かすかと思いました。 皆さん、要注意(^^;) ちなみに、中の展示は保科正之様と戊辰戦争前後がメインです。 ちょこっと新撰組も出番がありました。 |
でもこの鶴ヶ城の見所が結構あってずーっと見ていたら思ったより時間がかかりました。 で、結局鶴ヶ城だけで2時間ぐらい楽しんで、今度は会津若松の中心地付近にある七日町通りへ。 たまたまホテルがこの辺だったので荷物だけ預けて、七日町通りをぶらぶら七日町駅に向かって歩きます。 漆器のお店とか会津の絵ろうそくのお店なんかを見ながら通りを歩いていたんですが、ふっと目に入った看板が。 会津若松市内には歴史に関係があるような場所には解説の看板が立っていて、その一つだったのですがそれがこれ(↓) |
え〜、真ん中に副長がいるのがわかりますでしょうか? 実はここは副長や松陰先生も泊まったという有名な旅館が合った場所らしいのです。 ・・・ん?副長が泊まった? つーことは、あれかい?恋華で鈴花ちゃんが副長の怪我の手当をするイベントの舞台かい!? と、道ばたで急にあわあわしてみたり(^^;) 余談ですが、会津若松からすぐの東山温泉には副長が傷を癒した温泉があるらしいです。 ガイドブックには旅館の外壁に副長の顔がペイントされているというとんでもない写真が出てました。 |
と、意外な場所も発見しつつ歩くことしばし。 七日町通りの端っこまでくると、七日町駅と阿弥陀寺というお寺にぶつかります。 この阿弥陀寺こそ、幕末ファンならずともすっかり有名人な「斉藤一」のお墓のあるお寺なのです。 というわけで、いそいそと入ってみると、入り口から駐車場があり、本堂のすぐ脇にありました! |
こちらが藤田家つまり斉藤さんのお墓! 「わ〜・・・」とお墓の前まで行き、とりあえず手を合わせて・・・ (えーっと・・・えーっと・・・・・色々勝手に妄想してごめんなさいm(_ _)m) ・・・チーン。 後で考えると斉藤さんより時尾さんに謝れって感じですよね(^^;) |
懺悔(?)もすんだことだし、すっきりしてお寺の向かいの七日町駅にある駅カフェへ。 ここは駅舎にあるカフェなんですが、こぢんまりした可愛らしい駅舎で、中に入ると大正モダンって感じの落ち着いた雰囲気のお店です。 「そばマフィン」というなんとも気になるスイーツをいただき(美味しかったですよvv)ゆっくりお茶を飲む贅沢タイムを過ごさせていただきました。 そしてまだ時間も早いので七日町通りを逆に戻って今度は七日町通りとクロスしている通りに入ります。 その名も「野口英世青春通り」! ・・・最初素直にネーミングにびっくりしました(^^;) で、その通りにある野口英世青春館で知ったのですが、このあたりでちょうど野口秀夫は19歳ぐらいの青春時代をすごしたんだとか。 が、しかしどこへ行っても何故か散々な初恋のエピソードばっかり強調されているのは野口英世的にどうなのだろうか(^^;) そんな感じで野口英世の青春を見て回り、一日目の行動は終了です。 <2日目> さて、2日目。 この日はガッツリ幕末ポイント巡りをするぞ!!と飯盛山に行く気まんまんで前日ガイドブックとにらめっこして計画を立ててみたのですが、周遊バスの「ハイカラさん」号を活用するとなるとどうしても飯盛山が最後になってしまうんですよ。 というわけで、やむなく飯盛山を最後に回して、朝は県立博物館からスタートしてみることに。 よっしゃ〜!と宿を出て「ハイカラさん」号に飛び乗り・・・県立博物館に着く2停留所前の事。 車窓の風景にふっと気になるものが。 蔵作りのお店で「会津酒造歴史館」というのが道筋にあったんですね。 先に告白しておくと、東条は日本酒大好きっ子です(^^;) たいして飲めないけど日本酒大好きvv というわけで、フラフラ〜っと吸い寄せられるようにバスを降り、気がつけば「会津酒造歴史館」に足は向かっておりました。 この時点で時刻はまだ朝9時を過ぎたぐらい。 さすがにこんな午前中も早いうちから酒造に来る奴もあまりいないのか、私が入った時、他のお客さんはいませんでした。 そのせいで案内のお姉さんとかすごく親切でチケット買った私にいきなり。 「途中までご案内いたしますが、お客様はお酒は大丈夫ですか?」 「は、はい、まあ・・・(<大好きとはさすがに言えない)」 「では一杯いかがでしょう?」 「えっ( ̄□ ̄;)Σ!!」 時刻はまだ朝です。繰り返すようですが、2日目の会津観光第一歩目の9時過ぎです。 ・・・でも、小さなお猪口をにっこり笑って差し出されたら受け取らないわけにいくかーーーー!(><) というわけで、早々に日本酒お猪口に3杯ほどいただき(これがまた美味しいのvv)上機嫌で酒蔵の見学をさせてもらいました。 まあ、そんなわけで一歩目から何か踏み違いつつ、大変得した気分で再び「ハイカラさん」号に乗り今度こそ県立博物館へ。 この県立博物館は鶴ヶ城のすぐわきにあるんですが、とにかくすごく大きいです。 しかも綺麗。 なのに、どういうわけかその時の観覧者は私一人(^^;) ズラーッと展示品が並ぶ常設展の部屋を何か言いたげな学芸員さん達の視線に晒されながら、ずっと見て回るのは若干気まずい物がありました。 でも中世〜近世あたりの会津藩関係の展示は充実してました。 欲を言えば自然史のフタバスズキリュウ(<福島県内で出土)の部分をもっと掘り下げてあると面白かったかな?なんて思ったり。 広い県立博物館をちょっとドキドキしながら見学し、お次は「ハイカラさん」号に乗って院内というところへ。 ここに何があるかというと、会津藩代々の藩主のお墓が在るというのです。 「やっぱり、会津に来たんだから容保様に挨拶せねば〜」と軽い気持ちでバスを降り、案内板に従って歩いていくと、次第に家がなくなり行く手には・・・山。 いや、きっと麓だよ、麓に違いないよ、と自分に言い聞かせながら歩いていくととうとう舗装された道が途切れたところに「御陵案内」の看板があり、簡単な図と共に書かれていた文章は「3代目の御陵まで徒歩20〜30分」。 20〜30分!?( ̄□ ̄;)Σ!! と思ったものの、ここで引き下がるわけにはいきません。 上りましたよ〜 |
ちなみに道はこんな(→) うっすらと階段があるのが見えますでしょうか。 こんな感じの限りなく山道に近い道を上りっぱなしで20分ほどで容保様の御陵までやっとこさたどり着きました。 そしてお墓に手を合わせて 「色々ご苦労様でした・・・でもお墓はもう少し下がよかったです。」 ・・・大きなお世話(^^;) |
下りもハアハア言いながら下ってからバスも走る大通り沿いに歩いていくと、会津藩の武家屋敷を移築している「会津武家屋敷」という資料館に出ます。 ここはとても面白いのでお勧め〜。 戊辰戦争の時の家老の家を移築しているので大変立派な建物が見られます。 またその武家屋敷の中の要所要所に配された人形がすごくて(^^;) 特に戊辰戦争で鶴ヶ城が籠城に入った時、城下に残った家老の家族が足手まといになるまいと自刃した、という逸話の残る部屋があるんですが、そこのドールが怖いのなんの。 臨場感たっぷりですので、行って見るべし。 続いて向かったのは「会津武家屋敷」からバスで1停留所ぐらいの所にある天寧寺。 なんとここには「近藤勇の墓」があるのです! 板橋で近藤が斬首された時、知らせを聞いた土方が会津藩に頼んでたててもらったのだとか。 真偽のほどはわかりませんが、京都で晒されて行方不明になったはずの首が納められているという話もあるそうです。 とくれば新撰組ファンの端くれとしては行かずばなるまい!! というわけで、向かったわけですが、道路に出ていた案内板に従って歩いていくと、次第に家がなくなり行く手には・・・山。 あれ!?この展開はさっきもあったよ( ̄□ ̄;)Σ!! と気がついた時にはすでに時遅し。 局長のお墓は天寧寺の墓地の奥の奥。 それはもう見晴らしのいい山の中でございました(- -;) |
ちなみに、こちらがそう。 隣にあるのは土方さんの慰霊碑です。 この写真撮ってる横あたりに解説板が立っているんですが、それを読むとこのお墓は土方さんの局長への愛だな〜、と思います。 ちなみに、板橋にある方は永倉さんの愛、日野の方は多摩の人達の愛。 局長、愛されてるなあ(笑) でもこれで、日野、板橋、壬生とあわせてやっと局長のお墓巡りができました。 |
さて、局長のお墓参りもすんだことだし、いよいよ大本命の飯盛山へ向かいます。 局長のお墓のある天寧寺から「ハイカラさん」号で4つほど乗ると飯盛山です。 さすがにここは人が一杯いました(容保様の御陵とか誰もいなかったのに〜) まずは飯盛山に上がる前に麓にある白虎隊記念館に。 ここには白虎隊を中心に戊辰戦争関係の資料がずら〜っと並べてあります。 新撰組好き的には、「局長の額金」と「島田魁の腕章」が必見かな。 白虎隊関係はとにかく数がすごくて、写真やら衣類やら武器やらが一杯あります。 そして二階では「10分でわかる白虎隊アニメ」がエンドレスで流れています(^^;) これがなんというか・・・声がすごくて。 二階の展示を見ながら何度「・・・あー、棒読みだ・・・」と思ったことか。 ちなみにアニメ自体もすごいです。 どうすごいかは、いっそ自分の目で確かめてほしい(<投げた) 白虎隊記念館を一回りして、いよいよ飯盛山に上ります。 ちなみに飯盛山に登るには、階段を使って徒歩で上がるという手段と、その横にあるスロープコンベアーに乗るという手段があるんですが、私は迷わずスロープコンベアー。 容保様のお墓までの道のりと局長のお墓までの道のりのダブルパンチが私に選択肢を与えませんでした(^^;) ところでこのスロープコンベアー、乗り口の所でアナウンスがかかっているんですが、それが妙におかしい。 だって。ちょっと文句は曖昧なんですが。 「こちらは飯盛山スロープコンベアーです。どうぞお使いください。階段で上がると本当に大変です。」 と繰り返していたような。 一見普通ですがあえて「階段で上がると本当に大変です」と忠告している所が商売上手。 そんなスロープコンベアーを2つ乗り継ぐと飯盛山頂上付近にある白虎隊の墓と自刃の地に出ます。 お墓と自刃の地の場所はちょっと離れているんですけど、自刃の地の方からは確かに鶴ヶ城が見えました。 ただ小さいんですよ〜、ここから見た鶴ヶ城。 白虎隊が自刃したのは城下の町が燃えている火を見て、お城が燃えていると勘違いしてしまったと聞いていたんですがなるほど納得。 手前の町が燃えていたら、たぶん当時はもっと木があって視界も良くなかっただろうしお城が燃えているように見えたかもしれません。 でも、ハイティーンの少年達がそこまで思い詰めるほどに戦局が厳しかったんだな、と思えばなんとも切ない限りです。 と、自刃の地で感慨にふけり、お墓に手を合わせ、栄螺堂なども見て回って降りてくると、今度は白虎隊記念館を挟んでスロープコンベアーの反対側の方へつきます。 こっちがわにも白虎隊関係の記念館があって、「白虎隊伝承史学館」というのがあるんですが、ここは白虎隊記念館よりは一回り小さいぐらい。 ところがやってくれました。 |
入り口にこんなVOW的看板が! もう、これを見つけた時、どこからどう突っ込めばいいのか困りましたよ(^^;) るろ剣・・・そうか、時代はまだるろ剣なのか・・・。 さすがにここで「幕末恋華 斉藤一の写真あります」とか書いてあったら悲鳴上げただろうけどさあ。 ちなみにこの斉藤一の写真、実は東条はかつて見たことあったんですがはっきり言って人相がわからないぐらい写りが悪いです(^^;) 東京で警官をやってた頃なので中年なんでしょうけど、年齢すらわからぬほどに写りが悪い。 でも他に斉藤さんの写真ってないんだとか。 う〜ん、美形とは言い難いですが、寡黙そうではあるかも。 |
「旧滝沢本陣」。 かつて会津の殿様が参勤交代の際に休憩した建物だそうですが、戊辰戦争の時はここを本拠地に、白虎隊や新撰組が出撃していったという場所です。 戊辰戦争末期にはこのあたりは西軍に攻め込まれて、この滝沢本陣も攻撃を受けたようで中はこんな感じ(↓) |
立っている立て札は大体弾痕です。 それにしても並べすぎなような気も・・・。 まあ、戦闘が激しかったっていうのはとってもよくわかりますけどね。 他にも刀傷の跡とか何カ所にも傷が生々しく残る建物です。 観光ルートからはちょっと外れるようなので、幕末ファンの方は見逃さないように要注意! |
ここまでで飯盛山周辺は一通り攻略〜! というわけで、とりあえずは「ハイカラさん」号で一路会津若松駅へ。 この時点で時刻は2時45分ごろ。 まだもう少し観光できるな、と思った私が考えた場所は2カ所ありました。 1つは旧藩校の後で今は資料館にもなっている「日新館」。 もう1つは会津に残った新撰組が最後まで戦った地、如来堂。 このどっちかだな〜、と思って再び観光案内所に駆け込む私。 「すみません!日新館までってどのぐらいでいけますか!?」 「タクシーで15分ぐらいですね。」 「(タクシー・・・タクシーはちょっとなあ)じゃあ、如来堂は?」 「3時半ぐらいのバスはあるんですが・・・」 「( ̄□ ̄;)Σ!!」 たぶん、まさにこういう↑顔をしたと思います、私。 地方の交通網を甘く見ていたよ・・・。 というわけで、日新館の資料館が4時までだったので今回はそちらは諦めてひたすらバスを待つことに。 そして待つこと40分ほど。 やっとやってきたバスで20分ぐらいで、観光案内所で教えてもらった黒川というバス停で下車。 ここから徒歩で20分(!)と来ていたので、いっちょ歩くか〜、とバス停の在る道を離れるとそこには一面の田んぼが。 |
この今から太陽が沈むぞ〜って感じの光景の中を必死になってテクテク歩きましたよ。 道は一本道だけど、どこが目標地点!?みたいな感じで。 でも歩きながら色々妄想しましたとも。 だってここは幕末恋華新撰組の斉鈴スポットだし!! イベントで出ていた二人で寝っ転がって星を見た場所は多分この写真のずっと右手の方なんですけどね。 ちなみに鶴ヶ城はこの方向を向くと背中側。 鶴ヶ城と飯盛山ぐらいの距離はありそうな感じでした。 |
で、頑張ってたどり着いた如来堂がこんな感じ(→) 戊辰戦争当時はここで戦った新撰組は全滅したと言われていたんだそうです。 この後、バス停まで戻ったら戻りのバスの時間まで30分以上あったんですが、その間私が何をしていたかと言うとひたすら携帯で斉鈴創作の断片を書き綴っていたという(^^;) だってねえ!? このギリギリの戦場を生き抜ききって斉藤さんと鈴花ちゃんは幸せになるのか〜、とか妄想しちゃったんですもの(><) でもきっと仲間はたくさん死んだだろうし悲しかっただろうなあ、とか。 無事に完成したら後日UPしま〜す。 |
<3日目> そして最終日の三日目。 この日は喜多方に行くか、南会津鉄道に乗るか最後の最後まで迷いましたが結局、喜多方へ行きました。 しかし恐ろしいのは、喜多方と言えばラーメンといい、蔵の町といい有名な場所なのに会津若松から喜多方までの電車が2時間に1本ぐらいしかないって事でしょうか。 地元の方は皆さん車を使っていらっしゃるから不便じゃないんですかね。 超過密ダイヤ上等!な帝都育ちの東条はついついどこでも電車に頼りがちで、旅先でしょっちゅう時刻表をみて「( ̄□ ̄;)Σ!!」となってますが。 ま、それはともかく、数少ない喜多方行きの電車を捕まえて喜多方についたのが、11時ごろ。 この一本前だと9時頃に着いちゃう計算で早すぎたんですよね(^^;) 喜多方駅で地図をもらうべし、とガイドブックに書いてあったのでその通りに駅に置いてあるマップをもらったんですが、なるほどこれは便利でした。 公開している蔵とか、お店の案内とか全部乗っていて。 それによると、蔵の多い通りは2本あって、一本が「ふれあい通り」もう一本が「おたつき蔵通り」。 地図的に駅に近い「ふれあい通り」を目指して出発します。 だいたいこの「ふれあい通り」まで駅から徒歩で10分弱ってところですかね。 そして通りにそって歩きながら、にわかに首をかしげます。 だって・・・蔵、見あたらないんだもん(^^;) というか、「ふれあい通り」って普通に車も行き交う中ぐらいの幅の商店街って感じでいたって普通の町並みに見えたんですね。 で、駅でもらった地図をにらめっこすることしばし。 ・・・後でわかったんですけど、喜多方の蔵って普通に想像する荷物保存用の蔵とはちょっと趣が違うんですよ。 人が住んでいる座敷とか、店とかも蔵作りになっているので、今現在も人が住んでいたり店になっている所も多いんです。 加えて「ふれあい通り」にはアーケードがあったものだから建物の全体像が見えない場所が多くて(^^;) おかげで蔵らしい蔵をなかなか発見できなかったんですが、最初に発見できたのは今でも蔵でやっている喫茶店でした。 その名も「喫茶くら」。 まんまやん!!とツッコミながら、よらせていただきました。 |
コーヒーが自慢の店だったので、コーヒーと言えばチーズケーキ!と何故かポリシーのある東条は炭火焼きコーヒーとチーズケーキを注文。 とっても落ち着いた雰囲気でコーヒーも美味しかったですv |
「喫茶くら」をでてしばらく歩くと公開している蔵の一つ、甲斐本家蔵屋敷に行き当たります。 ここは資料館と蔵の内部を見学できるので、喜多方観光には是非入れておきたいところ。 しかしここの甲斐家というのは商人だったそうなんですが「うそだろ!?」と突っ込みたくなるほどこの蔵はゴージャスです。 座敷蔵というその名の通り座敷として使った蔵なんて、大名の屋敷にだって全然ひけをとらない感じ。 「は〜・・・」と思って見ていたものですから、後で売店の所まで行った時、売り子のおばさんに話しかけられた時「すごいお金持ちだったんですねえ」などと言ってしまい失笑をかいました(^^;) あ、ちなみにここはお酒の卸売りをしているので、売店では喜多方のお酒がそろってます。 そして再びあのパターンが・・・。 だから・・・小さなお猪口をにっこり笑って差し出されたら受け取らないわけにいかないでしょーーーー!(><) ・・・ってなわけで、ここでも喜多方のお酒を2種類ほどいただきました。 お店の人もとっても気さくで「日本酒はお飲みになりますか?」と聞かれてウッカリ「大好きですv」などと答えたアホな旅人にも楽しげに笑ってくれました。 さて、甲斐本家蔵屋敷を出て今度はもう一本の通りの方へ向かいます。 こちらにも数カ所公開している酒蔵や蔵屋敷があります。 そこで最初に立ち寄ったのが小原酒造。 ここの名前はもしかして日本酒好きの人なら知っているかもしれないですが、ここの醸造したお酒はなんとクラシック(つってもモーツァルト限定らしいけど)を聞かせているんだとか。 なのでお酒の名前が「交響曲」とか「協奏曲」とかなんですよ。 ここには完全に酒目当てで来てますので、販売のお姉さんの顔色をうかがいつつ「あの〜・・・ちょっと飲ませていただいてもいいですか?」などと自ら試飲を要求します(笑) 「どれにいたしますか?」「じゃあ・・・協奏曲いいですか?」などと愉快な会話をしつつ、試飲させていただいているとふと目に映ったものが。 それは見本の酒瓶の中でも一段と華々しく飾られた一本。 その名も「マエストロ」! しかも試飲が一杯200円!! し、試飲で!?( ̄□ ̄;)Σ!!・・・と思ったものの、気がつけば私の手が勝手にお財布から200円を!! |
で、これ(→)が200円分の「マエストロ」。 え〜っと、美味しかったですよ?さすがに大吟醸だったし。 でもね〜、何が問題かってね〜 ・・・肴がほしくなるんだよね(- -;) 「お刺身とか和総菜とかほしい・・・いや、贅沢は言わない。この際、炙ったイカでもいい・・・・・・」と演歌ばりの心の囁きを聞きつつ頂きました。 |
が、しかし肴がほしい衝動が抑えきれなかったのか、小原酒造から出て私が直行したのは喜多方ラーメンのお店でした(^^;) ちょうど近くにあった物だから思わず・・・。 |
それで食べた一杯(←) 喜多方ラーメンって意外とさっぱりしてるんですね〜。 ちょっと太めの麺が特徴的でとっても美味しかったですv |
ラーメンも食べた・・・お酒も呑んだ・・・あ、蔵も見た(<おまけ!?)ということで、お土産にラーメンを買い込んで駅へ急ぎます。 だってこの時点で戻りの電車の時間ギリギリだったものですから(^^;) 逃したら二時間後ーーーー!!と必死に競歩ばりに歩きつつ、なんとか予定の電車を捕まえて、そのまま帰路につきました。 後日談ですが、会津に行ったせいか、斉藤さんのお墓参りをしたせいか、猛烈に幕末モノがやりたくなって帰ってきた翌日に「薄桜鬼」を探し回りました(^^;) 会津は幕末好きの人であれば、西軍派でも幕軍派の人でも楽しめる土地だと思います。 妄想ポイントは満載だし、お勧めですよ♪ |