プチレポ
〜 九州(薩摩)探訪編 〜
東条瞠:年に一度、少し長旅をするという習性がある。 ・・・と、My生物事典にも書いてあるんです(<どういう事典だよ) ところが今年は少しばかり忙しかった。 正確に言うと昨年末からだったんですけど、今年は「長い」に相当する休みがとれないかも知れないという忙しさだったんですね。 まあ、私の「長い」は7〜10日ぐらいとるので社会人としてはかなり我が儘なお休みになるのでしょうが。 が、しかし今年の4月ぐらいにあまりの忙しさに目が回りそうになりながら、社長に「今年の11月ぐらいになったら旅に出てもいいですか!?」と訴えた所、「11月ぐらいなら」と承諾をもらえたんですね。 こうなったら口約束だろうとなんだろうと東条は忘れません。 暑さと忙しさで体重減るかと思われるほどの夏を通り越し(・・・実際には体重は減らなかったけど・泣)無事に迎えた11月。 意気揚々と休暇届を叩き付け旅に出て参りました! 行く先は九州! ・・・なんですが、10日にわたる休暇届を出したらみんな「海外?」って聞くんですよね。 別に国内でもいいじゃーん(単に海外は言葉に自信がないというだけだったりしますけど) まあ、ともかく、九州です。 理由は高千穂に行ってみたかったっていうのが1つ。 あと東条は「乗りテツ」(電車に乗るのが好きな鉄道オタク)の気があるので、九州の観光列車「いさぶろう」と夜行特急「はやぶさ」に乗ってみたかったっていうのが理由です。 ちなみに、「はやぶさ」の方はもうすぐ廃線になってしまうそうなので、今回乗っておけて本当に良かった〜(- -;) 日程表はこんな感じ↓ 一日目:夜行特急「はやぶさ」で博多へ 二日目:博多から太宰府へ 三日目:博多から吉野ヶ里遺跡へ 四日目:熊本から高千穂へ 五日目:観光列車「九州横断特急」〜「いさぶろう」〜「はやとの風」で鹿児島へ 六日目:糸目一族&倫ちゃんと行く!鹿児島市内観光と桜島 七日目:知覧へ 上の各リンクからピンポイントで飛べるようにしておきます(無駄に長いので) ので、これから行く予定のある方に少しでも参考にして頂ければ幸いです。 ・・・いらん先入観をあたえたらすいません(^^;) あと六日目だけちょっと二次創作仕様なのでご注意を(笑) スクロールすれば一日目から日程順に見られます。 あ、ちなみに同行者はいません。 一人旅にこだわりがある訳じゃないんですけど、今回も同行者がいたらできなかったな、というような無茶をしたので、一人で良かった(^^;) ではでは、出発!! <一日目:夜行特急「はやぶさ」で博多へ> 正確には夜からなんですけど(^^;) この日は昼間は普通通り仕事してました。 以前に出雲へ行く為に「サンライズ出雲」に乗った時もそうだったんですが、夜行は日中は仕事していられるのがいいです。 ま、もっとも「はやぶさ」は18:00東京発なので早めに上がって行かないと間に合わないんですが。 最近、夜行列車は空いているともっぱらの噂なんですが、この日の「はやぶさ」は比較的混んでいたように思います。 私がとったのはB寝台。 ちなみにソロじゃありません。 ソロというのはB寝台と同じ値段で個室がとれるという切符なんですが、そっちはなんと満室。 というわけで、今回も4人で1つのボックスのB寝台だったんですが、今回は全部のベッドが埋まりましたからね〜。 しかし東京駅出発が18:00なんですけど、横浜ぐらいまではよかったんですよ。 景色も見えるし、夕飯とか食べながらなんとなく音楽聞いたりして。 ちなみに、この時点では私のボックスは向かいの寝台にサラリーマンらしきおじさんが一人。 ロング缶のビールとか買っていて、きっと仕事帰りの寝台でのんびりビールでも呑んでくつろごうと思っていたんだろうなあ、というのがヒシヒシと伝わる姿でした。 ・・・・きっとおじさんもまさか空いていると評判の寝台の向かいに若い(一応まだ20代に見えますので、私)女の子が一人でいるとは思ってなかっただろうなあ。 なんとも居心地の悪そうなおじさんに内心謝りつつ、ちゃっかり窓際を確保した私はお弁当食べてみたり景色を見たりして過ごしてました。 が、当たり前ですけど電車の中でやる事なんて限られてるわけですよ。 乗り物酔いをする方なので本は読まないようにしていたし、音楽聞いてるだけでぼけーっとしているとまだ19:00をまわったばかりでも人間眠くなってくるもので。 それでも迷惑メールばりに色んな人にメールしまくって21:00まで頑張ったところで撃沈。 浜松すぎた頃にはうとうとしてました。 何となく夢うつつに、名古屋を過ぎたのは覚えているんですが、後は爆睡で気がついたら翌朝でした。 <二日目:博多から太宰府へ> この日の起床は6:00。 うわ〜、健康的と言われそうですがほとんど勝手に起きるんですって。 明るくなるし、一度意識が浮上すると電車が揺れるんで自然と目が覚めちゃうんですよ。 でも起きた時点でまだ新山口の手前です。 「一晩走ってこのぐらいなのか〜」としみじみと距離を感じつつ、車内販売の朝ご飯など頂いて、またも音楽を聴きながらボーーーーーーっとすること2時間ほど。 やっと下関に到着。 このぐらいになると降りていく人が増えるので、だんだんB寝台車も静かになってきます。 私のボックスも2人のサラリーマンらしき人々は降りて、残ったおばさんと「寒いですね」「どこまで行くの?」なんて会話をしながら、残りの乗車時間を乗りきります。 そして10:15分。 約16時間近くかけて博多駅に到着! いつも言われることですが夜行はとにかく時間がかかります。 かかるんだけど、この「やっとついたー!」って感じを味わってしまうとやみつきになるんですよね(^^;) さて、博多に着いて最初の目的地太宰府へ向かいます。 ここでめちゃくちゃ役に立ってくれたのは携帯の乗り替え案内でした。 当たり前だけど、あれって全国版なんですよね。 次、どの電車に乗ればいいか一発検索できて大変便利v 太宰府へは電車で1時間かからないぐらいだったでしょうか。 太宰府はそれはそれはにぎわっておりました(^^;) つーか、学生とかサラリーマンっぽい人とか、七五三とかでごったがえしてて正直、びっくりしましたよ。 ほとんどが太宰府天満宮〜九州国立博物館に集中はしていたんですけどね。 梅が枝餅を囓りながら参道を歩く独り者など肩身が狭いほどに大にぎわいでした。 ←梅が枝餅。太宰府のいたる所で売ってますが大変美味vv 焼きたてだと外がかりかりで中がもちっとしているのです。 まとも書いていくとやたら長くなるので、行程表と合わせて各地の感想をまとめてみますと。
だいたいこれだけ回って4時間ちょっとぐらいですかね。 私は徒歩派なのでほとんど歩きで回りましたが、バスなんかも出ているようですし、太宰府天満宮〜観世音寺あたりはレンタサイクルなんかもいいかもしれません。 ちなみに、この日の夕食は博多ラーメン。 ・・・ついに一人でラーメン屋に入れるように・・・(- -;) でも美味かったからいいもん。 <三日目:博多から吉野ヶ里遺跡へ> 昨日は太宰府で大和朝廷の時代でしたが、今日は弥生時代へタイムスリップ!! というわけで、博多から1時間ちょっと、吉野ヶ里遺跡へとでかけます。 現在、吉野ヶ里遺跡は国定公園になっていて、吉野ヶ里公園駅から徒歩で10分ぐらいでいけます。 駅からは丁寧な「あと何mです」という看板が出ているので問題なく辿り着けました。 そしてびっくり。 吉野ヶ里公園の入り口っていうのは結構近未来的なデザインの建物なんですよ。 この入り口の建物の中に食事をする所とかおみやげ物を売っているところがあります。 中に入ってしまうとご飯を食べる施設などはいっさいないので、先にここで食べていくかお弁当を持って行くことをお勧めします。 ・・・・私は食べ損ないましたが(T T) ガイドブックに書いてあったのでこの入り口の建物で3分おきにやっている吉野ヶ里遺跡の解説VTを見てからいざ出発。 入り口のチケット販売のところに今日の催し物のスケジュールが出ています。 「火起こし体験」、「勾玉作り体験」・・・・ふむふむ・・・・「弥生人体験」・・・・え? 「弥生人体験」!? なんて心惹かれるネーミング!!(><) ・・・・と、思ったのですがさすがにぐっと我慢しました。 内容は弥生時代の衣服に身を包み、竪穴式住居のある村を再現しているエリアで当時の楽器を作ったりするらしい非常に楽しそうなものだったんですけどね〜。 それはともかく大人しく中へ入ります。 すると一番に飛び込んでくる光景がこれ↓ |
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入り口ゲート入って少し丘に上がるといきなりこの光景ですよ。 周りに高い建物が無いことも幸いしているでしょうが後ろに見える山以外の人工物が見えなくて「うわ〜」と思いました。 ちなみにここ(←)はこの吉野ヶ里のムラの大王の居住区と言われている所。 竪穴式住居には結構リアルな人形たちが生活の様式を再現してくれています。 ちかくにある資料館では希望すれば学芸員さんが解説をしてくれるそうです。 |
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この部落の向こう側に政治をしていたという館や巫女姫の館のある部分があります。 しかしこれが結構広い。 丘なので歩くのに苦労はしませんが、この日は快晴の良い天気で帽子持ってくればよかったと心底後悔しました(^^;) |
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で、大王が政治を巫女が神託を受けたという館がなんと3階建てで復元されているんですがその内部がこれ(→) この時、どういう訳かこの建物には誰も居ず、のほほんっと階段を登ってきた東条はいきなりズラッといる人形にぎょっとさせられました(^^;) しかもこの直後、すぐ横にあった解説器がいきなり何の前触れもなくしゃべり出して・・・! 驚いたよ(- -;) 一人で「ぎゃあっ!?」と叫んで飛び退いたほどに・・・ |
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そんなこんなで人形に驚かされつつ、今度は市が立っていたという場所へ行ってみることに。 するとなにやら弥生人っぽい人たちが。 何かな〜?と思って近づいてみると入り口でみた「勾玉作り体験」と「火起こし体験」の受付でした。 さすがに一人で火をおこしても全然楽しくないので、ここは勾玉でも作ってみるか〜とチャレンジ。 石を石で削るという地味な作業ですが、これが意外と熱中するんですよ。 なんせ長方形の石を角を削っていって勾玉にするんですよ? 一見簡単なようだけれど、より滑らかに!より美しく!と思うと無駄に手間をかけたくなってしまいます。 そんなわけで、目安としては40分ぐらいでできますと書いてあったのに、できあがったのは1時間半後でした(^^;) 完成した勾玉を意気揚々と首にかけ、園内の資料館でちょうど始まる所だった古墳時代についての講義を受けたりして、さらに2〜3時間楽しませて頂きました。 結局この日は吉野ヶ里遺跡で丸一日遊んだ計算になりました。 いや〜、予想以上にかなり遊べるし親子連れだとなお遊べると思います(私が子連れだったら子どもを口実に確実に「弥生人体験」にまざってたよ) そして「いや〜〜、楽しかったあ」と一人大満足で鹿児島本線に乗り・・・・ここから鈍行で2時間。 熊本は意外と遠かったです(- -;) 特急使えばよかったんですけど、一人だったしまあ、いいかな〜と思った結果だったんですけど死んだように乗り続けました。 ラッキーな事に熊本のビジネスホテルが安いわりには温泉大浴場なんかを持っていたので嬉々として入りに行ったりしましたけど。 ついでに五日目に乗る観光列車「九州横断特急」、「いさぶろう」、「はやとの風」の切符を熊本駅で予約してみたんですが、これがなんと高千穂から戻ってくるバスとの乗り継ぎ時間が10分しかなかったんですよ。 10分・・・・少しでも遅れたらアウトかも、とドキドキしつつ乗車券を財布に入れました。 <四日目:熊本から高千穂へ> あとから考えてみるとハプニング一杯だったこの四日目(^^;) ま、ともかく今回のメインの1つ。 神話の地、高千穂へ出発です。 高千穂へは実は宮崎側から行くのが正当派ルートのようで、そっちの方がバスも頻繁に出ています。 熊本から出ているバスは日に3本だけ。 というわけで朝のバスで高千穂へ向かいます。 途中阿蘇山をみたりしながら2時間強。 高千穂のバスセンターへ到着します。 が、しかしこの時点ですでにハプニング。 どこへ行ったらいいのか、取りあえずわからない(- -;) 実は事前に調べた時に高千穂での地図とか、交通手段とかがよくわからなかったんですよ。 路線バスがあるみたいなことも書いてあったけれど、バスセンターの時刻表はものすごく白い。 しかも高千穂鉄道というのが少し前まであったらしいんですが、台風で壊れてしまって以来直っていないとのこと。 どうしたものかな〜、と思っていたら近くにいたやっぱり一人旅風のお兄さんがタクシーの運ちゃんに話しかけられていて「高千穂峡なら歩けるよ」と言われているじゃありませんか。 そっか、歩けるのか。じゃ、行ってみるか〜・・・・・・と、安易に歩き始めて最初の道路交通標識を見てびっくりしました。 だって「高千穂峡 ↑1km」ですよ? 1km!? ぎょっとしましたが、もう後戻りはできません。 それでも高千穂神社(バスセンターから徒歩で10分ぐらい)まではよかったんですけどね。ちゃんと歩道もあったし。 ところが高千穂神社を見てから高千穂峡までが・・・・。 道自体は下りなんですけど、歩道がほとんどなくて車通りが多いんです。 行き過ぎる車から時折投げかけられる「あの子、なんであんな所を歩いているんだろう?」的な視線が痛い(- -;) たぶん、私は一人だったのでよかったんですけど、子どもとか数人とかで歩くのはキツイと思います。 ともあれ、バスセンターから・・・・うーん、20〜30分ぐらいでやっと高千穂峡へ到着です。 ←こんなかんじ。 滝の下にいるのはボートです。私も一人でなかったら乗ってみたかったなあ。 切り立った崖の渓谷はなかなか見応えたっぷりです。 ここからはさすがに徒歩は無理とふんでタクシーで天之岩戸神社へ行きます。 しかしタクシーの運ちゃんも慣れているのか、「観光ですか?」から始まって結局この後ずっと観光案内をして頂きました。 お陰で天之岩戸神社では天之岩戸の伝承の洞窟も見られました(対岸からですけど) 天之岩戸はもちろん御神域なので入れませんし、対岸から見るだけでもお祓いが必要なんだそうです。 ちなみに、御神域なので誰も立ち入っていないそうで、すでに洞窟の内部は崩れてしまっているそうです。 天之岩戸神社の近くには天之安河原という渓谷と洞窟があって、ここは古事記で書かれている天之岩戸に籠もってしまった天照大神にどうやって出てきてもらうか神様達が相談した場所なんだそうです。 この河原で石を崩れないように積みながら願い事をすると叶うそうです。 宮崎では東国丸知事が選挙に出る前にここで石積みしたという話が有名なんだそうです(TVで知事がそう言った翌週の高千穂はすごかったらしい) さて一通りの高千穂観光を終えて、さて宿へ・・・・と向かったまではよかったんです。 高千穂はホテルなんかは結構高かったのでネットで予約できる民宿を予約していたんですが、民宿についてみたら、なぜか家の前になにやらトラックが。 妙に嫌な予感を感じつつそ〜っと民宿の入り口から顔を出してみたら、民宿のおばちゃんがいたんですがその対面を漫画風モノローグで表すならこんな感じ。 「え?誰?」(おばちゃん) 「え?なぜそんな意外そうな顔?」(東条) どうも詳しく聞いてみると、ちょうどその日、民宿の新しい建物の棟上げ式だったんだそうなんですよ。 で、ネットの方の予約もその日は入れていないつもりだったのに、私が偶然先に予約を入れていたということだったらしいのです(後で確認したら予約入ってたと言われました) さて、どうしたもんか・・・と思案する私におばちゃんが「泊まるだけなら泊まれるし、夕飯は無いんだけど棟上げ式の宴会に混ざるんでもいい?」と言って下さったので「お願いします!!!」と言ってなんとか宿を確保しました。 その後、民宿の棟上げ式でお餅まくのに参加したり(東条は都会ッ子なので初体験でした。餅って痛いのね・笑)、地元の大工さんやおっさんたちの宴会に混じって焼酎呑んだり、思った以上に楽しいハプニングでしたけどね(笑) しかも悪いと思ったのか、宿のおばちゃんが高千穂神社で毎夜行われている夜神楽(毎晩やっているのは観光用で、本来の儀式は11月後半から2月ぐらいまで民家で夜通し行われるそうです)にも車で連れて行ってくれました。 こういうハプニングが楽しめるのは一人旅ならでは、なんですけどね。 <五日目:観光列車「九州横断特急」〜「いさぶろう」〜「はやとの風」で鹿児島へ> この日はなんと、朝5時起き。 というのも、国見ヶ丘という古事記で天孫光臨があったという尾根に連れて行ってもらうことになっていたからです。 運が良いと一面の雲海を見られたらしいんですけど、朝、起きていって送ってくれる宿のおじちゃんと顔を合わせた一言目が「今日はダメかもなあ」だったとおり、見られませんでした(^^;) まあ、曇りだったにもかかわらず一瞬の隙間から朝日が昇る所が見られたのはラッキーだったのかも。 ←こんな感じ。 雲海は山の裾の方を全面に覆うそうです。それはそうとう神秘的なこうけいだろうなあ、と思いつつ。 宿にもどって朝ご飯を頂き、8時半過ぎに出る熊本行きのバスに乗るべくバスセンターへ。 有り難いことにまた宿のおばちゃんに送ってもらいました。 よくお礼を言って予定通りのバスへ。 さて、ここからがドキドキです。 なにせ、バスの熊本駅到着予定が11:19、「九州横断特急」の熊本駅発が11:29。 その間、ジャスト10分ですよ。しかも逃したら次はない。 電車の乗り継ぎなら余裕の時間なんですけど、バスとなると・・・・。 ひたすらドキドキしてバスに乗ること2時間。 バス停に停車するたびに定刻予定の表を取り出して見ているというものすご〜く嫌なお客になりました(^^;) しかし素晴らしいことになんとバスは見事に定刻に熊本駅に到着。 かなり心を込めて運転手さんに「ありがとうございました!」と叫んでバスを飛び降り熊本駅に向かってダッシュ!! おかげさまで見事に乗り継ぎに間に合いました!! 間に合ってしまえばあとは時刻表に乗っかるように電車に乗っていればいいのでとってもラクチン。 と、ここで『観光列車』なるものの簡単な説明を。 観光列車というのは、何かしら観光地を通っている電車なのですが、普通の特急電車と違い車内で観光案内が流れたり、車窓の風景を楽しむ為に車内の座席が変わっていたりします。 トロッコ列車とかもその一つ。 今回乗った「九州横断特急」と「いさぶろう」、「はやとの風」はトロッコ列車ではなかったですがそれぞれ特徴のある電車でした。 ☆「九州横断特急」(別府〜熊本〜人吉) 私は熊本から乗ったのですが、熊本を過ぎて暫くすると球磨川に出ます。 その球磨川に沿って進むので車窓はわりとずっと渓谷。 結構崖っぷちを走るのでちょっと怖い、かも? 車内は普通の特急と似た感じでゆったりめな2人がけのシートです。 2両編成だけど(笑) 赤くて可愛らしい特急で人吉まで。 |
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☆「いさぶろう・しんぺい」(人吉〜吉松) 私が読んだ『テツはこう乗る』(野田隆・光文社新書)に乗りテツ(<電車に乗るのが好きなテツ)の入門編として紹介されていた列車がこれ→ というのも、日本三大車窓とか、D51の展示してある駅とか、スイッチバックとか、真幸駅(<真の幸せなので入場券がお守りになると評判になった)とか見所たっぷりなんですよ。 しかもそういう見所ではちゃんと写真撮影時間とかとってくれるし。 車内には列車の先頭につけられたカメラの映像が見られるモニターがあってリアルタイムで運転席映像が見られます。 これも2両編成。 中はSL時代の車内の再現という事で黒塗りの木の四人がけベンチの座席になってます。 一日4本(「いさぶろう」2本、「しんぺい」2本)だけなので時刻表には要注意! |
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☆「はやとの風」(吉松〜鹿児島中央) ただ吉松から鹿児島中央駅に出られる電車を、と適当に探したらこれしかなかったのでこれにしてみた、という程度で選んだんですけどかなりヒットだった電車でした。 ここまでの2本と違い、車体は黒。 実にシックで格好いい車体なんですが、中は木の色のサロン形式の座席(窓を向いたベンチになっている)と二人がけシートでできていました。 乗客も少なくて、一人旅の私はもちろんサロン席に座りました。 ちゃんとお日様の差す方向も計算して座ったのでもう快適そのもの。 途中で回ってきた車内販売で「こんがりとん」というナイスネーミングのブタ型サブレ(↑)とレモングラスの紅茶を頂きつつコトコトと鹿児島中央駅まで2時間ほどの道のりです。 途中、肥薩線から鹿児島本線に路線が切り替わった後に電車が海辺にでると一気に車窓全体に桜島が広がります。 これは結構感動もの。 「桜島だ!桜島だ!うわ〜〜〜(><)」とはしゃぎつつ、車内販売のおねえさんにカメラのシャッター押してもらいました(笑) 観光列車の旅を堪能して鹿児島中央駅に到着したのがおおよそ4時。 は〜、遂に来たぞ、鹿児島!・・・・とか思っていると駅前にあの銅像が待ちかまえているんですよ。 背後に観覧車の後光を背負った「若き志士達の群像」(<確かこんなタイトルだったはず) 以前に薩摩好きの人の同人誌で見て「へ〜、こんなのがあるのか」と思っていたんですが、あれはすごい。 何がすごいってものすごく都会っぽい鹿児島中央駅前の広場に駅をバックにベストポジションを確保してるあたりが。 しかも石造りの台座に計16人の薩摩の偉人の銅像が360度どこから見ても耐えられるような作り。 あれに対抗するには江戸もとい東京も東京駅前の広場に徳川将軍全15人をそれぞれポージングさせてレイアウトした像でも造らなくては。 本当は頂点に海舟様を戴いたやつがいいけど、江戸っ子では人が足りない、無念(><) しょうがないから(<すごい表現だ)、像の天辺は家康様がチャネリングしてるのでいいから! ハチ公なんかでは対抗できない!(<・・・・なんで対抗しなくちゃいけないんだろう) ・・・・と、他県出身者に妙な対抗心を出させるほど大事にされている感じのする像でした(まとめ?) そこから市電でコトコト天文館を抜けてホテルへ。 あとで、天文館に戻って鹿児島ラーメンを食べました。 でもラーメン屋に入って初めて知ったんですが、鹿児島のラーメン屋さんって漬け物が出るんですね。 しかもお冷やじゃなくてお茶。 所変わればラーメン屋も変わるもんだ。 <六日目:糸目一族&倫ちゃんと行く!鹿児島市内観光と桜島> 倫:「皆さん、こんにちは。志月倫です。そろそろ東条の一人語りもあきてきた頃かと思います ので鹿児島は私と中村さん、別府さんがご案内しますね。」 半:「糸目一族、とは俺たちの事なのか?」 別:「そうらしいよ。俺も気になるけど深く考えない方がいいって、半次郎さん。」 半:「・・・・・・・・・」 倫:「(汗)と、とにかく行きましょう!中村さん!」 半:「そうだな、つまらぬことで読んでくれている者を待たすのも失礼だろう。」 別:「じゃ、行きますか!」 ☆維新ふるさと歴史館☆ 倫:「東条が朝一番に行った所ですね。」 別:「ああ、なんだか張り切りすぎて開館の大分前に付いたらしいね。」 半:「さすがに開くのを扉の前で待つのも恥ずかしいというので、西郷さんの生誕の地を見に行 ったようだ。懐かしいな、このあたりは下級藩士の屋敷があったところだからな。」 別:「今は西郷さんの生家の場所は公園になってるんだね。」 倫:「碑があるみたいですけど・・・・あ、読んでる内に開館時間になったみたいですよ。」 別:「ほんとだ。へえ、結構新しい建物なんだ。」 倫:「それに色々なものがありますね。大河ドラマのビデオが見られたり、ニ才の一日なんてい うゲームがあったり・・・・。あ、中村さんの碁石?」 半:「そんなものまでとってあったのか。・・・・我ながら手入れが悪いな。」 別:「偉人の格好で記念撮影なんていうコーナーもあるよ?あー、東条がうずうずしてる。」 倫:「ああいうネタものに滅法弱いですからね。でもさすがに思いとどまったみたいです。あ、地 下のシアターで何か始まるみたいですよ。」 半:「ふむ、維新までの道のりか。維新までの道のりを音や映像精巧なロボットを使ってごらん いただけます、か。・・・・ロボット?」 倫:「そのロボットが見所らしいですよ。東条も行きますし、行ってみましょう。」 半:「ああ。」 〜〜〜〜 立体シアター 「維新への道」 所要時間25分 〜〜〜〜 倫:「・・・・・・・・・・・・」 半:「・・・・・・・・・・・・」 別:「はははっ!なんか色々すごかったね。」 倫:「色々すごすぎですよ。東条なんか暗闇で爆笑してましたよ?」 別:「ロボットが出た時には吹き出してたよね。あの微妙な動きが面白い。あれ?半次郎さん、 どうしたの?」 半:「・・・・・・・・・・俺が暴走して西南戦争が起きたことになっているのか・・・・・・・・・・」 倫&別:「えーっと・・・・(汗)」 <すっごい爆笑でした、維新ふるさと館!幕末ファンの方もそうでない方も鹿児島に行ったら是非行ってみて下さい!上の半次郎さんの発言の真意も確かめてみて下さいませ。ちなみに立体シアターでは新選組の「し」の字も出てきやしませんので、佐幕派の方は暴れないように要注意・笑(by.東条)> ☆西郷隆盛銅像☆ 別:「あ!西郷さんの銅像だ!」 半:「うむ。堂々とした姿だな。実際の絵姿も残っていないのに貫禄は伝わる。」 倫:「(・・・・道路の反対側に写真撮影用のお立ち台がある方が気になるなんて言えない・汗)」 <かなり堂々とした像なんですが、立っている位置が高いので道路を挟んだ反対側になんとお立ち台があるという像。愛されてるなあ、西郷さん(by.東条)> ☆鶴丸城趾、黎明館☆ 倫:「ここは旧薩摩藩の城跡で今は歴史資料館になってるんですね。」 半:「鶴丸城は斉昭様のお考えで天守閣が焼けた後再建されなかった城だ。だが石垣の素晴 しさはなかなかのものだな。」 別:「資料館の方も古い時代からずっとあるんだ。あ、でも俺たちの時代頃のものもあるみたい ・・・・半次郎さん!あれ見てよ。」 半:「ほお。大久保さんの洗面道具か。」 倫:「すごく鮮やかなエメラルドグリーンですね(^^;)」 別:「へ〜、大久保さんってO型だったんだ(<説明に書いてあるんですよ!(by.東条))」 倫:「なんだかちょっと意外ですね。」 半:「他にも西郷さんの軍服もあるな。さすがに大きい。」 <黎明館には幕末がらみのみならず奄美の文化や明治期の鹿児島など色んな資料が豊富です。でもやっぱり大久保さんの洗顔セットは必見だと思う!(笑)西郷さんの軍服は広げて掛けて展示してあるので自分で横に並んでみると体格が分かりますよ。(by.東条)> ☆西郷洞窟・城山☆ 別:「ああ、ここは確か東条がバスがあるのに登っちゃったとこだよね。」 倫:「そうみたいですよ。本人はそのお陰で西郷洞窟も見られたしネタも拾えたからいいって強 がってましたけど。」 半:「日頃が運動不足だからな。必死で登っているぞ。」 倫:「ですね。ああ、あれが西郷洞窟ですか。」 半:「実際に西郷さんがいた洞窟の方は見るだけのようだな。」 倫:「思ったより狭いんですね。」 別:「近くに観光の人が入れるような小さな洞窟もあるよ。中に何か色々あるけど。」 倫:「ここから城山の展望台までって結構ありますよね。」 半:「さほどきつい山ではないが運動不足には応えているようだな。」 倫:「ああ、ここでネタを思いついたみたいですね。・・・・なんだか怪しげに笑ってますけど。」 別:「すれ違う人がいないからね。ちなみにこの時に思いついたネタって俺よりだったらしいよ。」 半:「聞き捨てならんな。」 別:「なんでも維新ふるさと館でも黎明館でも城山の山道の途中にあった看板でも半次郎さん より俺の方が目立ってたからなんだってさ。」 倫:「別府さんが西郷さんの介錯をしたからなんでしょうけどね。」 別:「それで俺と倫さんの話を書こうと思ったらしいけど、どうせならそのまま俺と倫さんが結ば れる話にしてくれればよかったのに。ね?」 倫:「え?え?(///)」 半:「・・・・・・・・ほら、東条が展望台に着いたぞ。」 別:「半次郎さん、殺気が隠し切れてないって。」 倫:「えーっと、でもすごいですね!桜島と鹿児島の街が一望できるんだ。」 |
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<城山はバスで行くことをお薦めします(^^;)別に歩け ないわけではないけどね。関東以北に住んでいる方に すると植生がちょっと変わった森を見られます。城山の 展望台にある土産物屋のおばちゃんはものすごく自信 たっぷりに記念写真を撮ってくれますが、確かに上手い ですよ。なおサツマイモアイス(→)を食べようと思いたっ た方は必ずおばちゃんにストーブで暖めてもらって下さ い(めっちゃ固かった・・・・)(by.東条)> |
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☆南洲墓地☆ 別:「俺たちの運命の再会の地、かな。」 倫:「別府さん、それは東条の脳内の話ですから(^^;)」 半:「確かに奴の書いた『長月の青空』の現代での再会場所はここだったがな。」 倫:「なかなか思う所があったみたいですよ。桜島が見える高台に立つ西郷さんのお墓を見て。」 別:「左右が俺たちなんだよね、半次郎さん。」 半:「他にもここには西南戦争で命を落とした者達が皆、葬られているな。」 倫:「あ、東条が手を合わせて資料館の方へ行くみたいですよ?」 別:「西郷南洲顕彰館。西郷さんの人生をジオラマで展示しているんだ。」 倫:「・・・・なんでジオラマなんでしょう・・・・」 半&別:「それは俺たちにもさっぱり。」 倫:「わ、分かりやすくってことなんでしょうか(^^;)でもここの人形って確か幕末ファンの方に 思い切り突っ込まれていたような。」 別:「小さいのに妙に怖いよね、この人形。あ、半次郎さんの手紙が!」 半:「碁石といい、手紙といい、後生に残るなどまるで考えていなかったのだが。」 別:「だよね。あの至る所で飾られてる写真だって残るんだったら中岡さんの指導でも受けて 笑顔で残したのに!」 <南洲墓地には西南戦争の敗者とはいえ、さすがに薩摩藩士にたいする情が感じられます。京都の龍馬&中岡の墓に負けず劣らず良い立地。京都の黒谷にある会津の鳥羽伏見戦死者の墓所となんという扱いの違い(><) 南洲顕彰館のジオラマはかなり突っ込みどころ満載です。つーか、なんで幕末関係の資料館はジオラマとか蝋人形とか作りたがるのだろうか・・・・(by.東条)> ☆仙厳園☆ 倫:「南洲墓地からバスで15分ぐらいですね。仙厳園は元薩摩藩主様の別邸だそうです。」 別:「ここでは薩摩藩のすごい所がしっかり見られるよ。」 半:「斉昭様が主導となって進めた近代的な工場群「集成館」などの資料や史跡を見られる からな。」 倫:「でもすごいんですね、薩摩の人って。本当に無い物はみんな自分たちで作っちゃうみた い。」 別:「仙厳園にはいってすぐにある反射炉や150ポンド砲もそうだしね。新しい技術が伝えら れやすい土地だから。」 半:「藩主様の別邸跡である磯庭園には曲水の宴を催した庭園もある。」 別:「優雅〜(笑)」 倫:「・・・・でも、結構山なんですね。」 別:「庭園だって。倫さん。(^^)」 倫:「いえ、だって結構広いし、後ろ崖・・・・」 半:「庭園なんだ。倫さん。(- -)」 倫:「・・・・・・・・・・・・はい(汗)」 <どこからどこまでが藩主別邸なのかちょっと謎だったんですけど、なんというかかなり山でした(^^;)背後は崖だし。薩摩の人はパワフルだ。なお、維新ふるさと館からここまでの行程を忠実に辿ってくると、仙厳園で尚古集成館を見る頃には薩摩藩が日本で一番素晴らしい藩に思えてきます(笑)幕末史を知らない方がこのルートで幕末を学ぶと多分、新選組と会津藩を知らぬままに終わります(^^;)(by.東条)> ☆桜島☆ 半:「今では桜島までわずかな時間で行けるようになったのだな。」 倫:「そうですね。さすがに桜島は徒歩で見られる場所は限られているみたいですけど、東条は 運良く温泉に入れたみたいですね。」 別:「喜んでるねえ。上機嫌で風呂上がりに桜島小ミカンなんか食べてるし。」 倫:「お風呂から鹿児島の街が一望出来ましたから。良いお湯だったし、楽しかったんじゃない ですか。」 半:「ふむ。俺も入ってみたいものだな。」 倫:「ここで東条の鹿児島観光は締めですね。ところで、ここまでのってちゃんとレポになって いるんでしょうか。」 半:「なっていないな。」 別:「半次郎さん、そんな身も蓋もない(^^;)結構四苦八苦して書いてたよ?」 半:「晋介、そんな事を言っている場合ではないぞ。情けは大事だが奴は少し厳しくせねば野 村君と倫さんの話しか書かん。」 別:「それは困る!俺と倫さんの話しも書くように発破かけてこないと!」 半:「同感だ。俺と倫さんの話、だが。」 別:「じゃ、倫さん。ちょっと行ってくるから!待っててね!」 倫:「ちょ!別府さん!?半次郎さん!?(///)」 <桜島は時間的に余裕もなかったのでフェリー乗り場の近くの桜島マグマ温泉に入ってきました。濁り湯ですごく体が温まる上に、お風呂から鹿児島の街が見えるというナイスロケーションv 鹿児島市内観光で主だった場所だけ回るのであれば時間が余るので是非、桜島まで行って温泉に行ってみて下さい。 しかし鹿児島の街を歩きながら花柳剣士伝の妄想をしていると、不意に「現代パラレルだっていーじゃん」なんて気になってしまいます。天文館の広場で待ち合わせしてる別府君と倫ちゃんとか、桜島の海岸を歩く中村さんと倫ちゃんとか・・・・。 シチュエーションは思い浮かぶので、筆が進めば書いてみたいです。(by.東条)> <七日目:知覧へ> 鹿児島の観光が思ったより凝縮して見られたので、最終日は知覧に出かけました。 行く前からちょっとどうしようかな、と思っていたんですけどね。 でも鹿児島中央駅から電車とバスで2時間ぐらいかけて行ってきました。 知覧の見所は2つ。 1つは知覧特攻隊記念館で、もう1つは武家屋敷街です。 が、しかし知覧に向かう電車もバスもものすごく空いていて、どうしよう、ものすごく空いていたら・・・・と思っていたんですが、最初に行った特攻隊記念館でその空きぶりの訳を知りました。 みんな・・・・観光バスで来る所なんですね(^^;) 確かにバスは1時間に1本あるかってところだし、特攻隊記念館から武家屋敷街までは徒歩でも20分ぐらいかかるから車があればかなりいいのは確かなんですが。 というわけで行くまでの道では観光客をほとんど見なかったのに、知覧特攻隊記念館は意外にも人が一杯でした。 修学旅行の団体さんもいれば、おじさんおばさんの団体もいるし、何故かお坊さんの団体まで。 でも、なんとういうか、色々すごかったです。 館内にはいると最初に目にはいるのが陸軍三式戦闘機「飛燕」。 そして壁際にはぎっしりと出撃していった特攻隊員の写真が並んでいます。 写真には一人一人名前と年齢、出身地が書いてありました。 でもみんなすごく若いんですよ。 若い方で17才から30才ぐらいまで。 その写真の前には家族宛の手紙や遺書などが沢山納められています。 割と特徴的だなあ、と思ったのは戦争の資料館の中ではヴィジュアル的に悲惨な資料が少ないということでしょうか。 展示してある写真のほとんどは特攻隊員の姿や出撃風景、隊で過ごしている姿だし、遺品や飛行機も綺麗なものでした。 でも、だからこそ訴える物があるんですね。 子犬と戯れる最年少の特攻隊員の写真なんか、隊服を着ていなければ本当に今の同世代の男の子と全然変わりない笑顔なんです。 遺書や手紙も取り乱したような内容のものは全然ない。 ただ静かに出撃する旨と、感謝の言葉だったり意気込みだったり、自分より年下の家族への戒めだったりが書いてあるだけなんです。 だけれど、読んでいる内にどうしようもない涙が出てくるんですよ。 この手紙を書いた人はこの翌日、どんな思いで飛行機に乗ったのか。 家族はどんな思いでこの手紙を読んだのかをどうしたって考えてしまうので。 さすがに一人だし頑張って涙は堪えたんですけど、やっぱり観覧者の中には涙をこぼしながら見ている方もいました。 ある意味圧巻だったのは戦史資料室という部屋で部屋の壁沿いの展示ケースになんと西南戦争から太平洋戦争までの日本軍の軍服がずらーーーっとあるんです。 あれはすごい。 私は階級とか詳しいことはざっぱりわからなかったんですけど、とにかくずらーーっとあると圧倒されます。 ちなみに「花柳剣士伝」で中村さんが着ていたような軍服もありました。 ただ西南戦争の時のじゃなくて、日中戦争あたりだったかな。 特攻隊記念館を出て、向かったのは武家屋敷街です。 こっちは幕末より前のもので、薩摩藩の藩士の標準的武家屋敷が残っているというので、是非行ってみようと思っていました。 ・・・・ところが、特攻隊記念館から武家屋敷街まではバスがものすごくない(- -;) お昼を食べたお店で「歩けば20分ぐらい」と教わったのでガッツで歩いてみることにしました。 田んぼやら道路やら、またすれ違う人もほとんどいない道を歩くこと、確かに20分ほど。 武家屋敷街の入り口にたどり着きます。 武家屋敷街は低い石垣と生け垣の壁の道沿いに9軒ぐらい今は公開しているのかな。 門を入ると必ず小さな庭園があって家それぞれに個性があるようです。 上級藩士の屋敷はこんなふうになっているのか〜・・・・とこっそりネタを拾いつつ、のんびり屋敷街を歩いてバスで鹿児島中央へ。 お土産に薩摩揚げやら、焼酎やらかるかんやら鹿児島名物ばっかり買い込んで帰りは鹿児島空港からひとっ飛びで羽田まで帰ってきました。 |