プチレポ
〜 平泉探訪編 〜

世間では梅雨時。
学生さんは夏休みまであとちょっと!・・・というこの時期、早めの夏休みをいただいて、行ってきました平泉!!
行ったのは平泉だけではなくて、遠野・花巻とセットでちょっと長めの旅行だったんですが、やっぱりこの色々な意味でオイシイスポットについてはやっぱりレポを載せなくては、と。
張り切って書いてみます。


今回の日程は、前日に花巻で遊んで平泉まで移動して一泊。
翌日、平泉観光、という日程を組んでいました。
そして予定通り、花巻で遊んでまずは一泊。
で、今回のお宿は、なんと毛越寺の宿院でした。
毛越寺の宿院はネットで予約できる上に、とっても格安♪
東条の場合は、素泊まりだったのでなんと一泊五千円を割りました。
まあ、もちろんそれだけ格安でお寺の宿院ですから、部屋もスッキリしたもんですが(^^;)
ちょっと怖かったのは、共同のトイレ。
なにぶんこんな時期なので、他の宿泊客も私以外1人しかいなかったので、宿院全体が静かな上にトイレが、ぽつっとあるんですよ。
さすがに夜中には怖くて来れないかも、と思って寝る前は何度もトイレに行ってしまいました(^^;)
でも、毛越寺宿院のお得なところは宿泊料の安さ+毛越寺の拝観料が無料になること。


というわけで、平泉観光の第一歩は毛越寺出発でした。
毛越寺・・・・毛越寺といえば、呪詛の種が隠されていた場所!
なんて初っぱなから遙か3モード全開。
といっても、現代の毛越寺は遙か3にあるような仏閣はほとんどありません。
藤原氏の栄華の元築かれた、初期の壮麗な大伽藍は藤原氏が滅亡すると後を追うように戦で焼失したりして、結局再建はされなかったようです。
宝物館で当時の姿をCG再現しているのですが、それを見ると相当の大寺院だった事がわかります。
今回平泉を回りながら良く思ったことなんですが、ぜひ当時の姿を見てみたかった!
伽藍は全部無くなっているので、現在残っているのは、浄土庭園と言われる庭園のみ。
遙か3にも登場している大きな池は健在です。
今の時期はあやめが咲き始めで、それがとても綺麗でした。
薄紫や黄のあやめを見ながら考えていたのは、「銀はあやめ似合いそうだよね〜」などという事でしたが(^^;)
なお、この浄土庭園では曲水宴が催されるそうです。


毛越寺を堪能して、次に向かったのは柳ノ御所跡。
あの、遙か3で望美ちゃんが最初に秀衡に会う館のほうですね。
こっちは公的な仕事をする邸。
今は川の流れが変わってしまっていてありませんが、昔はこの邸の横に猫ヶ淵という淵があって、その向こうに伽羅御所があったそうです。
ちなみに、現在はどっちも史跡しか残っていません。
柳ノ御所の方は広大な空き地に物見台のような丘がありました。
そこからみると、義経が住んでいたという高館との位置関係がよくわかります。
近くに柳ノ御所資料館というのもありますが、こっちは月曜休館であいにく私は見られませんでした。残念(T T)


柳ノ御所跡から徒歩で5〜6分ぐらいの所にあるのが、無量光院後。
こちらも今はほとんど草むら状態の史跡が残るばかりです。
よく見るとうっすらと、平等院鳳凰堂を模したといわれる阿弥陀堂の土台だっただろうと思われる島の後は見えました。
でも、何もなくても東条のテンションは高かったですよ〜。
だって、ここでは銀が!
銀が望美ちゃんと初めて2人で話して、髪についた蝶をはらってあげるのよっっっっ(><)
・・・・一人ハイテンションでした(汗)
もはや史跡しか残っていなくても、ネオロマンスの舞台なら妄想で乗り切れます(<えばれない)
でも、在りし日の無量光院は鳳凰堂より少し翼が大きい形のお堂で、金鶏山を背に負って立っていたそうです。
そして夕暮れ時には、背後の金鶏山に夕陽が沈んでいく・・・・それは壮大な美しさだったと思います。
見てみたかったっっ!


まあ、そんなテンションをひっぱったまま、次は高館跡、義経堂へ。
無量光院から徒歩で10分弱でしょうか、ちょっとした丘の上に義経堂はあります。
今では義経の像が安置されたお堂とちょっとした義経資料館があるくらいです。
が、ここは高台だけあって眺めがとってもいい。
北上川が悠々と横たわっていて、眼下には柳ノ御所と伽羅御所、無量光院がある・・・・当時の秀衡が義経を大事に思っていた事がわかるような良い場所でした。
『吾妻鏡』によると、ここが義経最後の地になるんだそう。
この高館で義経は最後を迎えたそうです ――
妻子と一緒に。
・・・・え?(^^;)
いや〜、無学で申し訳ないんですけど、『吾妻鏡』ではそう書いてあるんだそうですね。
正妻とその子どもを先に殺して、自分も自害したんだとか。
ぅおい!最終的には正妻が一緒かよ!?とちょっと突っ込んでしまいました。
あんなに愛妾の静とのロマンスがネタになっているくせに(^^;)
そうだったのか・・・・と目から鱗な気分になりました。
ちなみに、私は初めて知ったんですけど(勉強不足・汗)、松尾芭蕉の『夏草や  つわものどもが  ゆめのあと』っていうあの有名な句はここで詠まれたものなんだそうですね。
平泉のことだったのか〜、と高館からの風景を眺めつつ納得しました。
しみじみと丘を降りつつ、ふっと頭を過ぎったのは「・・・・この辺で、銀と望美ちゃんが雨宿りをするんだよね」。
いや、もう、一気に妄想の世界へ逆戻りでした(^^;)


高館を降りて、次に向かったのはある意味平泉のメイン的、中尊寺。
中尊寺に入る手前の道路沿いに、弁慶の墓というのがあります。
立ち往生をして死んだ弁慶の亡骸を中尊寺の僧がそこに葬ったんだとか。
墓と伝えられる五輪塔の横にでかでかと立っている石碑の方が遙かに目立っているのが笑えますが。
最初、間違って石碑の方に手を合わせてしまいました(^^;)
弁慶の墓を過ぎて、すぐが中尊寺の入り口です。
が、こいつが結構j急坂の山なのですよ。
普段だったらそれほど苦労するほどじゃなかったかもしれないんですが、平泉に来る前遠野でバリバリとチャリンコを20km以上こいでいた東条には正直、めちゃめちゃきつかったです。
上がりきってしまえばあとは平坦なんですけど、最初の月見坂はホント、参りました〜。
中尊寺は、こんな中途半端な時期なのに結構観光客でにぎわってました。
特におじちゃんおばちゃんで(^^;)
パワフルなおじちゃんおばちゃん達にもまれつつ宝物館を見て、いよいよ金色堂へ。
金色堂は、まさにその名の通り、金ピカでした(<貧相なコメント・汗)
いや〜、でも本当に。
屋根から軒から金ぴか。
あの中にいると仏様もかすむなあ、と思ってしまいました。罰当たりですいません(^^;)
でも、金のお堂そのものより、内陣の柱の螺鈿細工なんかがものすごく綺麗でした。
細かい装飾と、漆の柱とのバランスなんかがすごく良かったですよ。


金色堂も見て、満足満足・・・・と中尊寺から降りてきたところでふと、中尊寺門前に気になる看板が。
『本格派ロウ人形による藤原氏の栄華盛衰』(<ちょっとうろ覚え)
・・・・本格派ロウ人形?
その一言が気になって、中尊寺門前の『夢館』というおみやげ物屋兼、ロウ人形館に行ってみたのですが・・・・怖かったです(- -;)
マジで。
確かに、人形は本格派だった。
人かと思うぐらいだった。
が、だがしかし!
入り口入って、いきなり暗いトンネル状の部屋があって、そこに西行法師のロウ人形がボ〜っと立っていたら、誰だってのけぞると思うぞっ!!
その後も藤原氏の清衡が生まれるところから、泰衡が死ぬ所まで場面毎にロウ人形があるんですが、これが怖いんですよ〜。
みんな顔がビミョ〜だし(^^;)
―― 思い返せば、萩に行った時も松陰神社のロウ人形館で怖い思いをしたような・・・・。
懲りない東条は、どういうわけか人のいない館内で(たぶん入館料が高いせいかと思われるのですが・汗)ドキドキしながらロウ人形を見て、平泉観光を締めくくる羽目になってしまいました。
本格派ロウ人形には要注意です(^^;)


でも、平泉はそんなこんなで主要ポイントも徒歩で全然回れました。
そう考えると、遙か史上では一番無理のない地図構成だったのかも。
遙か2の移動距離なんか、あり得ないですもんね(宇治橋から神護寺とか、ワープしなきゃ絶対行けない)
まあ、藤原氏が栄えた後はそれほど栄えなかったせいか、〜跡になってしまっているところは多いですが、やっぱり遙かファン的にも、歴史好き的には平泉は見所&妄想しどころたっぷりだと思いますので、皆様もぜひ。
くれぐれもロウ人形には気を付けて(^^;)