油断しないで、お願いだから!
―― 自覚、してしまった。 昔から、大切な子だとは思ってた。 春高とか友達だったし、吉次に跡継ぎが見つかったって聞いた時はあいつのためにも俺達が良くしてやろうって兄貴や御曹司達とも決めてた。 思っていたよりずっと小さな女の子が現れたのにはびっくりしたけど。 だってあの頃の沙耶ちゃんは、まだ十を少しこえたばかりで、女童の雰囲気の方が強かった。 だけど、吉次の当主は特殊な役目で、天眼の素質をもった者しかなれないから。 あの小さな肩に吉次という大きな組織の重さが乗るんだと思ったら、自然と俺達はみんな沙耶ちゃんを大切に思うようになっていった。 もちろん、俺だってそうだよ。 最初は毛を逆立てた子猫みたいに俺の事警戒してたけど、だんだん慣れてくれるのも可愛かった。 見栄っ張りの俺は他の女の子達の前じゃそれなりに格好良く見える体裁をとってたけど、沙耶ちゃんは最初からそんな感じだったから、繕うのも馬鹿らしくて気がついたら素で接してたし。 俺達が平泉を出た後に、後を追って来ちゃったのは驚いたけど、なんだかんだ言ってみんな嬉しかったんだと思うし、俺も嬉しかった。 いつも側にいた妹みたいな女の子。 子猫をかわいがるみたいにかわいがっていたはずだった。 ・・・・でも彼女は子猫じゃなくて、女の子で。 あっという間に綺麗になった。 そりゃ、外見的に綺麗になっていくのはずっと一緒にいたんだから気がついてたよ。 俺は兄貴や弁慶みたいに朴念仁じゃないし。 でもきっとそれ以上に、沙耶ちゃんはどんどん中身が磨かれていっていたんだと思う。 可愛がって守っていたはずの女の子は、いつからか俺達の・・・・俺の、心の支えになっていた。 戦況が厳しい時、叫び出したいほど苦しい時、彼女は側にいてくれて、意地っ張りな俺の弱音を上手いこと聞き出してくれた。 そのたびに、俺はもう少しがんばれそうな気がして、立ち上がることができてたんだ。 今になって思えば、その事にずっと気がついていたのに気がつかないふりをしていたのかもしれない。 いや、もしかしたら、沙耶ちゃんが可愛いじゃなくて、綺麗としか言えなくなった頃から、もしかしたら俺の中にはずっと同じ気持ちがあったのかも。 でも、彼女はずっとみんなの大事な妹分だったから。 これまで遊びみたいな恋愛しかしなかった俺には、どうしたらいいのかわからなかったんだと思う。 そういうところ変に器用な自覚はあるから、うまいことかくして自分でも見ないふりをして、ずっとすごしてきたけれど・・・・。 自覚、してしまったんだ ―― 俺は沙耶ちゃんが、好きなんだって。 死ぬかもしれないのに、御曹司の囮になる俺についてきてくれた沙耶ちゃん。 吉野の廃寺で雪が降り始めて、俺が雪がやむまでは御曹司達を追うのを諦めると言った途端に、ほっとしたように顔をほころばせた彼女を見た時に、気がついた。 沙耶ちゃんは俺を守るために、苦手な嘘までついて引き留めてくれていたんだって。 なんて子だろう、と思った。 いつの間に、なんて強くて綺麗で、こんなにも惹かれずにはいられない女性になっていたのだろう、と。 ・・・・さて、そこまでは良かったんだ。 別に自分の気持ちを自覚したのはいずれそうなるはずだったろうから。 ただ・・・・気持ちっていうものは、自覚すると急速に育つらしい。 いや、もしかしたら、もともととんでもなく大きかった気持ちを徐々に理解してるのかもしれないけど。 ともかく、要するに、有り体に言うと・・・・沙耶ちゃんが愛しくてしょうがないんだ。 ほんの少しの仕草や言動でびっくりするほど俺は動揺するようになってしまった。 自分がこんなに純情だとは知らなかったよ、と吉野山で言ったのは全然誇張なんかじゃない。 なのに、なのにだよ! 昔からうっすら気がついてはいたけど、沙耶ちゃんときたらとにかく無防備すぎる! 確かに俺は昔からお兄さんぶってた自覚はあるけど。 でも!! 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この状態は軽く拷問だよね。」 回想と追想への逃避も限界を超えて忠信はぽつり、と呻いた。 その途端。 「う・・・・ん・・・・」 「!」 膝の上でもぞっと沙耶が動いて、忠信はびくっと肩をはねさせた。 (起こした?) そーっとのぞき込んで、沙耶が変わらずすうすうと穏やかな寝息を立てていることにほっと息を吐く。 そして。 (いや、ほっとしちゃだめだろ!起きてもらわないと!!) そう、この『軽く拷問』状態を脱出するためには沙耶に起きてもらわなくてはならないのだ。 (・・・・疲れているのはわかってるんだけど、ね。) 鏡の宿を逃げ出してしばらく、すでに追っての気配も無くなっているとはいえ、平泉までの行程はまだ長く、街道を通れない以上、道行きはどうしてもきつくなる。 そんな中で沙耶は泣き言一つ言わずに、むしろともすれば焦りそうになる忠信を上手くなだめてついてきてくれているのだから、疲れもするだろう。 だから、久しぶりに野宿ではなく宿で湯に入って夕餉もしっかり食べれば、眠くなってしまうのも納得できる。 (できるんだけど・・・・なんでそこで俺の方へ倒れてくるかなあ。) 夕餉も終わって、ほっと息をついたところで眠くなったのだろう。 明日の支度をしていた沙耶がうつらうつら船をこぎ始めたから、そろそろ寝たらと声をかけようとしたら、ちょうどふらっと倒れ込んできて、受け止めた結果、現在の膝枕状態のできあがり、というわけだ。 (ああ、もう。そもそも沙耶ちゃんは男と二人で宿に泊まってるって時点でもう少し警戒すべきなんだよ。) それで本当に警戒されたらどん底まで落ち込むであろう自分は予想できるが、それはとりあえず棚に上げて、忠信はため息をついた。 そして、おそるおそるという感じで眠る沙耶に視線を落とす。 よほど疲れているのか、忠信の膝なんて硬い枕だろうに、穏やかな寝息をたててすっかり眠り込んでいる。 (髪・・・・長くなったよね。) ふと、手が勝手に動いていた。 膝に散らばる髪を一筋だけ掬えば、さらさらと心地よい感覚が通り抜けて、酒に酔ったような酩酊感を感じる。 (頬も、お餅みたいだったのに、今はこんなに綺麗だ。) 触れるか触れないかぐらいの位置を指でなぞると、くすぐったかったのか沙耶が眉を寄せた。 (瞳はずっとかわらないかな。真っ直ぐで人の真ん中を見抜くよね。) 天眼というのがどのような能力なのか、忠信は知識でしか知らないが、沙耶の瞳を見ていると、この瞳に不思議な力があると素直に納得できる。 沙耶の瞳は真っ直ぐで、けれど心地良い眼差しだ。 今、それが瞼に隠されている事がほんの少し残念に思えた。 (それから・・・・) 弱い灯明の明かりがゆらゆらと照らす部屋の中はどこか夢の中のようで、ぼんやりと頭に霞をかける。 そしてそんな薄明かりの中で見る沙耶は、ひどく美しくて無防備で。 気がつけば、忠信の指が勝手に動いていた。 頬をなぞった場所から少し下へ。 奥州育ちには珍しいほどの白い肌を自分の指の影がなぞるのを、目で追っていると次にたどり着くのは、薄紅の唇。 淡い寝息をこぼす唇はまるで咲き初めの桜のようだ。 もしも (・・・・触れたら) きっと、柔らかいに違いない。 彼女の気質のように柔らかで暖かくて、きっと今まで味わったことがないほど甘い。 想像しただけで胸が軋みそうだ。 自覚して以来ふくらみっぱなしの恋情が沙耶の吐息の一筋まで奪いたいと騒ぐ。 沙耶はどんな表情も可愛いし美しいけれど、きっと艶やかな表情はまだ誰も見たことがないだろう。 だからこそ、自分が引き出したい。 (いま・・・なら) 今なら ――― ふっと、沙耶の顔に影がかかった、刹那。 「ん・・・っ」 「っっっっっ!!!!」 沙耶が身じろぎした声に、忠信は神速で顔を上げた。 (あ、あ、危なかった〜〜〜〜〜っっ!) ど、ど、ど、ど、っと尋常じゃない音で心臓が鳴り響いているのがわかって、忠信は己の顔を片手で覆った。 (今ならじゃないだろ!大切な子なんだから、ちゃんと気持ちを伝えて、彼女がいいって言ってくれないとダメだろ!) しっかりしろ、俺!と忠信は自分を叱咤する。 正直、沙耶にはそれなりに好いてもらっているとは思う。 ただ、付き合いが長いだけに、それが恋情なのか親愛の情なのかはかりかねる時があるのだ。 自分の思いを伝えて、沙耶も同じように好きでいてくれるなら今すぐにだって手を出したい。 でももしそう言う意味で好きなわけじゃないなんて言われたらと思うと、今一歩が踏み出せない。 そして恋仲でも無い以上、意外に真面目な佐藤家の気質が染みついている忠信には例え本人の知らぬところとはいえ、手は出してはならないだろうと思うのだ。 (あああ〜〜〜・・・・でも、そろそろ限界。) 心の中で呻いてちらっと見れば、また沙耶は穏やかな眠りに戻っていた。 その安心しきったような寝顔がさすがにちょっと憎らしい。 「・・・・お願いだからもうちょっと警戒してくれないかなあ。」 じゃないと、そろそろ男として俺が限界、と忠信が呟いたのも夢の中の沙耶が知るはずもなく。 「・・・・ん・・・」 (あ、起きた?) ちょうど沙耶が身じろいだので、やっと起きてくれたか、という安堵とこれでこの時間が終わってしまうと思うと勝手に湧いてくる落胆と共にのぞき込んだ忠信の目の前で、沙耶の目がうっすらと開かれる。 そしてぼんやりとした視線が忠信の顔を捉えて。 「あ・・・・ただのぶさん・・・」 まだ半分以上夢の中にいる舌足らずな声で忠信の名を紡いだ沙耶は。 この上なく嬉しそうにふにゃっと笑って・・・・・・・・・・・・・また、夢の中へ。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!」 ややあって、顔を真っ赤にした忠信は己の顔を覆って、勘弁してよと呟いたのだった。 ―― 佐藤忠信、理性の崖っぷち。 平泉まではまだ遠い。 〜 終 〜 |