『君の好きな奴って、もしかして・・・・』 ―― もしかして、の続きは何と言おうとした? 近くて遠い、遠くて近い 鎌倉は奥州より海沿いなせいか、穏やかな陽気の日が多い。 義経と共に打倒平家を掲げる頼朝の元へはせ参じたものの、ずっと待機を命じられている身としては、この呑気な日よりに少し苛立ったりもした。 が、今日の佐藤忠信には、この晴れた空はありがたかった。 カーン、カーンと兄の継信の振るう槌の音が青空へ抜けていくのは気持ちが良い。 それに、せめて天気ぐらいは良くなければ、沈んだ気分がさらに鬱々としただろうから。 「・・・・はあ。」 そんな事を考えながら、縁から外の空を眺めていた忠信の口から、ため息がこぼれた。 それが自分でも妙に重たい事に気がついて、忠信は眉を寄せる。 (やっぱり・・・・何か落ち込んでいるんだな、俺。) 実のところ、忠信自身にも何故か朝からずっしりと重い気分の理由がわかっていなかった。 よくわからないが、気分が沈む、というのはどうも妙に気持ちが悪いものだ。 (待機命令にイライラしてる琥太じゃあるまいし。) いつも無駄に元気な仲間の事を思い出して苦笑するも、忠信は己には当てはまらないと判じる。 もともと忠信は気分の切り替えは早いほうだ。 だからいつもならこんな風に気持ちが沈んだら、気分転換とばかりにとっくにどこかへ出かけていてもおかしくない。 まして悪天候に閉じ込められているわけでもなく、この天気。 「・・・・でも出る気にならないんだよなあ。」 しばし考えた後、忠信はぼやいた。 屋敷にはいたい、と何故か思うのだ。 出かけてしまっては、何かもったいないような気がする。 (何かって・・・・何が。) 屋敷にいたって、起きることはいつもと一緒のはずだ。 義経の話し相手になったり、琥太をからかったり、沙耶と稽古したり。 (そういえば、今日はまだ沙耶ちゃんに会ってない。) 奥州は吉次の若き長でありながら、義経一行についてきてしまった沙耶は、基本的に義経の屋敷に居着いている。 だから普段であれば、朝餉の席で顔を合わすのだが、今日は不在だった。 (昨日は吉次の店に手伝いに行ってたから、そのまま泊まったのかな。) ふと、つまらなさそうに琥太郎がそんな事を言っていたのを思い出した。 吉次が鎌倉で開いた店が忙しくなると、長である沙耶もそちらへかり出される。 ちょうど、昨日は何かの荷が届いたとかで、白雲に呼び出されて出て行ったと昨日の夕餉の席で聞いた気がする。 しかしそれほど長期になるとは聞いていないから、今日の昼あたりには帰ってくるかもしれない。 (天気もいいし、帰ってきて疲れてなさそうだったら、今日は稽古に付き合ってもらおうかな。) ぼんやりと空を見ながらそんなことを考える。 先日、沙耶にはみんなに隠れて弓の鍛錬をしているのを見つかってしまった。 努力している姿を見られるのは嫌な忠信だったが、見つかってしまったものはどうしようもないと説明したところ、沙耶はびっくりした顔をして言ったのだ。 『私はそうやって努力している人は素敵だと思います!』と。 見栄っ張りだから人に格好悪いところを見せたくないと思っている忠信だが、あの沙耶の言葉は真っ直ぐに心に届いた。 「沙耶ちゃん、だからかな。」 成長期とは恐ろしいもので、この一年ですっかり女らしくなったものの、奥州で共に過ごした時間があるせいか、沙耶に対しては他の女子達と違って、あまり見栄を張っていない自分に、忠信は気づいていた。 商人としてしっかり成長しながらも、真っ直ぐで飾り気のない沙耶。 (邪魔して欲しいって言ったら、目を丸くしてたのも可愛かったなあ。) あの時の事を思い出して忠信が口元をゆるめた時。 『 ―――――― 忠信さん、私・・・・・・』 (?) ちくっと胸が痛んだ気がして、忠信は顔を顰めた。 一時忘れていた気鬱が戻ったように心が重くなった気がする。 「あー・・・・なんかすっきりしない!」 忠信が呻いた、ちょうどその時、裏庭から聞こえていた継信の槌の音に混じった小さな笑い声が忠信の耳をくすぐった。 「!」 (沙耶ちゃんだ。) ちょうど考えていた人の声だけに、心の臓が軽く跳ねる。 そして気がつけば、その声をたどるように忠信は歩き出していた。 特別大きいわけではないが、沙耶の声はよく通る。 たどるのは容易で、庭へ出て屋敷をぐるりと回り込めば、裏庭に姿が見えた。 「沙 ――― 」 歩きながら声をかけようとして、忠信は足を止めた。 笑顔の沙耶の向こうに、もう一人、見慣れた姿を見付けたからだ。 裏庭の鍛冶場をのぞき込んでいる沙耶と話していたのは継信だった。 二人とも建物の影になった忠信にはまだ気づいていないのか話を続けている。 奥州では刀馬鹿と揶揄される継信の話に沙耶は楽しそうに聞いていた。 商人らしい恰好をしているので飾り気はないけれど、肩にすべる豊かな髪が相づちを打つたび柔らかに揺れる。 時折詰まりながらも話す継信に対する表情は、暖かく微笑んでいて。 「――――――」 声を、かけられなかった。 代わりにでなかった言葉が積もったように心が重くなって、喉がつまる。 『忠信さん、私、好きな人ができたんです!』 ―― 不意に、先日、沙耶が鍛錬の邪魔をするためについた『嘘』が頭に蘇った。 (あの時、俺は・・・・) 大事な妹分に悪い虫がついたのではないかと焦った ―― そう思っていた。 ・・・・でも。 (『君の好きな奴って、もしかして』の後・・・・俺は何を言う気だった?) あの瞬間、焦った自分が言おうとしたのは。 その時、何か沙耶が言ったのか継信が苦笑して、ぽん、と沙耶の頭を撫でた。 ―― どくん・・・・っ。 耳元で鼓動が聞こえた。 継信は自慢の兄で、沙耶は可愛い妹分で。 昔ならまだしも、今は娘盛りの沙耶と継信は見た目にもお似合いだ。 沙耶の想い人が継信なら、何の心配もない。 (・・・・はず、なんだけど。) 訳のわからない焦りで苦しい。 継信に向いている沙耶の視線を、笑顔を引き戻したい衝動に駆られて、忠信は拳を握った。 こんな感情を、何と呼ぶのか知っている気はしたが、それ以上考えるのは躊躇われた。 ただ、鈍く痛む胸の内で忠信は呟く。 (沙耶ちゃん・・・・) それは聞こえるはずもない声だった。 ―― なのに。 風に、何か見付けたように、沙耶がふわりと振り返った。 陽に輝いた髪が継信の手から離れて、大きな瞳が忠信を映す。 (あ ―― ) 見つかったと思うと同時に、気がついてくれた、と思う思考に混乱して立ち尽くす忠信の視線の先で、沙耶はぱっと笑った。 花が開くような、と例えるのが相応しいような笑みに、忠信の鼓動がまた跳ねる。 けれどそんなことには気がついた様子もなく沙耶が駆け寄ってきた。 継信の側を離れて、自分のところへ真っ直ぐに。 「忠信さん!」 「あ・・・・えっと、沙耶ちゃん。お、おはよ。」 思わずしどろもどろになる忠信に、沙耶は不思議そうに首をかしげた。 「どうしたんですか?」 「どうかって・・・・」 どうか、はしてる気がするけれど。 (って、言えるか!) 自分で突っ込んでいると、沙耶が何か思いついたように「あっ」と声を上げて。 「もしかして、これから鍛錬に行くんですか?」 努力を隠していると知っているせいか、継信に聞かれないようにこそこそと話しかけてくる。 内緒話の距離に落ち着かない心を隠しながら、忠信はありがたくこの勘違いに乗ることにした。 「うん、まあね。」 「そうなんだ・・・・じゃあ、私も一緒に行っていいですか?」 「え?いいの?」 君は兄貴と話してたんじゃ・・・・と言いかけた言葉が喉に詰まったが、沙耶はこともなげに頷いた。 「はい。今日は良いお天気だから、忠信さんが鍛錬に行くかもって思って、早めに帰ってきたんです。」 「え・・・・?」 (俺に、付き合うため・・・・?) 沙耶の言葉をそのまま解釈すればそうなるだろう。 誰かに会う口実、と考える事もできるけれど、沙耶はそんな器用な人間ではないから。 「・・・・そっか。そうなんだ。」 さっきまで感じていた焦りや苦しさが雪のように溶けていく。 それどころか、朝から凝っていた気鬱まで晴れていくような気がして忠信は笑った。 ―― 多分、この感情の名前は知ってる。 (でも・・・・) 「じゃあ、行こうか。」 それ以上考えるのをよして、忠信は沙耶の手を取った。 「は、え!?」 「兄貴−!沙耶ちゃん借りてくよ!」 「た、忠信さん、手!」 「今はこうしたい気分なんだ。付き合ってよ。ね?」 こう言えば沙耶は断れないとわかっている聞き方でのぞき込めば、沙耶の頬が薄紅に染まる。 それになんだかひどく満足して握り直した沙耶の手は。 ―― もう、子どもの小さな手ではなく、守りたいと思うような華奢で暖かい女性の手だ、と頭の片隅で思った。 ―― 後ろでそのまま連れて行かれる沙耶を見ていた継信が 「・・・・忠信に触れられると赤くなるんだな、沙耶は。」 と、どこか微笑ましげに呟いた事は、知るよしもなかった。 〜 終 〜 |