お大事に・・・ごちそうさま。
鎌倉からの逃亡劇の末、奥州が滅びてもともに生きていく事を決めた継信と沙耶は、その後、平泉を目指した。 戦禍に巻き込まれたとは聞いていたが、ずっと帰る事を切望していた故郷がどうなっているのか確かめるつもりだったのだ。 実際にたどり着いた平泉は酷い有様で、二人は改めて心を痛めたが、そこへ思わぬ知らせが舞い込むことになる。 それは、十三湊から届いた千鳥からの文だった。 そしてそこには ―――――― 風を切る羽音に継信は顔を上げた。 途端に目に入るのは、どこまでの広がる草原と果ての見えぬ青い空。 日の本にはないその雄大な景色にままだ少し慣れないな、と苦笑いしつつ目を空へ向ければ見覚えのある茶褐色の姿が見えた。 「雪か。」 とうとう海を越える継信達・・・・否、達というよりは、沙耶にだろうが、ついてきてしまったイヌワシの雪は、それでもこの新しい環境が気に入ったらしく実に悠々と風を切って飛んでいる姿を何度も見ている。 彼にしては低空で飛んでいるのを見て、継信は目を細めた。 「残念だが、今日も沙耶は出てこれないぞ。」 そう言ってちらっと目を向けたのは、ちょうど継信が戻ろうとしていた布製の天幕だ。 (こんな布の家があろうとは俺も知らなかったが。) 布製の家、日の本にはない草原と青空・・・・そんな光景を見るたび、まだ夢の中にいるような気がしてしまう。 (しかし、夢ではないんだな。) すべてが崩れ去った奥州を出て、吉次の商船に乗り海を渡った事。 そして。 (まさか、御曹司達が生きていようとは思わなかった。) 継信が目を向けた先にある天幕は一つではなかった。 そう、沙耶と継信が焼き尽くされた平泉で受け取った千鳥からの手紙には、なんと死んだとされていた義経一行が密に逃れて、吉次の宗船で外つ国へと渡ったと書かれていたのだ。 もちろん、一も二もなく二人はその後を追って、もう二度と会えないと思った者達との再会を果たしたのはほんの数日前の事。 互いの無事と再会を喜び合った数日を経て、やっと落ち着いたばかりだ。 そしてその喜びに気がゆるんだのか、沙耶が体調を崩したのが二日ほど前で、それ以来、外へ出てこない沙耶を心配してか、雪が天幕の周りをうろうろしているのを何度も継信は見かけていた。 この賢い鳥は人の言葉がわかているかのように、継信の言葉に不満そうな鳴き声を返す。 (ちゃんと看病をしているのか、と責められているようだな。) そんな事を思って継信は苦笑した。 「大丈夫だ。今は俺だけでなく八重も、弁慶もいるからな。」 料理も薬にも通じた二人の名を上げると、雪は一応納得したのかまた高い空へと戻っていく。 その姿を見送って、継信は汲んできた水をこぼさぬように持ち直す。 そして、ぽつっと。 「・・・・八重も弁慶もいるから、安心・・・・なんだが、な・・・・。」 草原を駆ける風に攫われた呟きが持っていた響きの意味はあまり考えない事にして、継信は天幕の入り口を捲った。 「お帰りなさいませ、継信様。」 「ああ、八重。来てくれて・・・・って、やっぱりお前達もいたか。」 「うわ、その言い方は酷いよ兄貴。」 「そうだぜ!沙耶が暇そうだって言うからわざわざ来てやってんのによお。」 天幕に入って最初に目に入った光景に思わず呟いた継信の言葉に、天幕中央で布団に座っている沙耶を囲むようにして座っていた忠信と琥太郎から盛大な抗議の声が上がった。 「むしろお前達が暇つぶしに来ているんだろう。」 「そ、そんなことねえよ!御曹司と弁慶に気にかけてやれって言われてるからっ。」 「まあ、二人が出かけちゃって退屈ってのはあったけどね。」 「忠信!」 「・・・・やっぱりな。」 はあ、とため息をつく継信の耳をくすくすと笑い声がくすぐった。 柔らかい羽先で心をくすぐるようなその笑い声の主は一人しかいない。 「沙耶。」 「ごめんなさい。だって嬉しくて。」 みんなの真ん中でこぼれる笑いを抑えきれないというように笑っている沙耶の名を少しとがめるように呼ぶと、彼女は笑みを崩さずにそう言った。 「嬉しいってなんだよ。」 「うん?だってみんながいるなあって気がするでしょ?琥太郎くんと忠信さんが継信さんに呆れられたり怒られたりしてるとなんだかほっとする。」 「・・・・それ、何かの嫌味か?」 「違うだろ、琥太。」 忠信はたしなめたが、憎まれ口を聞いた琥太郎の頬が照れたように染まっているあたり、沙耶の言葉を素直に捉えている証拠だろう。 なんのかんの言っても、もう二度と会えないのではと思った仲間達と再び過ごせるようになったのは何より嬉しい。 それはもちろん、継信も同じではあるのだが。 「・・・・・・」 「継信様?お水をいただいてもよろしいですか?」 「あ、ああ。」 思考に沈みかかっていたところへ八重に声をかけられて、慌てて継信は持っていた桶を彼女へ渡した。 そして改めて誇りをはたくと、沙耶の側へとあがる。 忠信と琥太郎の反対側に腰を下ろすと、沙耶の顔をのぞき込む。 「二人と話せるぐらいだから、少しは気分がよくなったか?」 「はい。ごめんなさい、心配かけて・・・・」 人一倍、みんなの役に立ちたいと思う気持ちの強い沙耶の言葉に継信は微笑してぽんぽんとその頭を撫でてやる。 「気にするな。前にも言っただろう?俺達は互いに ――」 一心同体だ、と言いかけたところで視線を感じて継信は言葉を止めた。 そして。 「・・・・お前達」 じろりと睨み付ければ、反対側にいた二人が盛大に不満そうな顔をする。 「えー?互いに、の続きは?」 「なんだよ、言っちまえよ。男らしくねえぞ、継信。」 「・・・・明らかに面白がっている奴の前で誰が言うか。」 忠信と琥太郎の口元に浮かんだにやにやとした笑みを見て、継信は眉間に皺を思い切り寄せる。 そしてちらっと沙耶を伺えば、少しだけ残念そうにしている気がした。 しかしそれもすぐに忠信が話しかけ、別の話が始まるとすぐに笑顔に変わっていく。 もともと賑やかな琥太郎と話し上手の忠信によって盛り上がっていく三人の様子を見ながら、継信は一人こっそりとため息をついた。 ・・・・そう、最近少し継信を悩ませていること。 それは、平たく言うと、二人きりの時間がなかなかとれないということだった。 なにせここ二年ばかり、継信と沙耶はほとんど二人きりで行動してきた。 逃避行という苦しい状況ではあったが、頼る者は互いしかないというのは沙耶を愛しく想う継信としては時に喜びももたらしていた。 もちろん、皆と合流できた事は心から嬉しい。 嬉しいが。 (・・・・人というのは欲深いものだな。) 再び仲間達との生活が始まってみると、かつての二人きりの状況がいかに貴重かもわかってしまったのだ。 なにせ沙耶は皆にとってとにかく可愛い妹分だ。 それ以上の感情も多かれ少なかれ各自持っていそうな気がするが、それはあえて考えないにしても、とにかく皆が沙耶を構いたがる。 一応、継信が沙耶と恋仲であることは承認されているので、暮らす天幕は一緒にしてもらっているものの、沙耶が体調を崩してからというもの、八重はもちろんのこと、誰かしら出入りしているので、二人きりの時間はほぼ無いといってよかった。 (・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後に触れたのは何日前だ?) 沙耶の肩からこぼれる艶やかな髪や、体調も大分回復したのか薄く色づいた頬を見るともなしに見ながら、心の内に小さな不満の種が渦巻くのを感じる。 皆と話しては嬉しそうに笑う沙耶の顔が見られるのは嬉しいし、そんな沙耶の笑顔はとても好きだ。 しかし同時に、自分だけに見せてくれる女性としての美しい表情もみたいと切望してしまう自分にも気づいている。 (妹と思っていた時にはこんな想いは抱かなかったものを、浅ましいことだ。) そう、継信が己の想いを笑い飛ばそうとしたちょうどその時。 「お嬢様、お粥ができましたが食べられますか?」 八重が火の側を離れて、盆にのせた器を運んで来た。 「ありがとう!八重さん。大丈夫、食べられるよ。」 「それはようございました。食欲も戻ってこられれば、安心です。」 「よかったね、沙耶ちゃん。」 「ふん、心配かけるんじゃねーよ。」 三人が口々に沙耶の回復に喜びの言葉をかけるのを聞きながら、継信は「そういえば」と口を開いた。 「雪が表をうろうろしていたぞ。」 「え?雪ちゃんが?」 「ああ。」 頷きながら、お盆を持ってきた八重へ手を伸ばす。 その仕草があまりに自然なので、八重は思わずお盆を継信へと手渡してしまった。 「お前の事が心配だったのだろう。顔を見せなくなってから、外へ出るたびに飛んでいるのを見る。」 「雪ちゃんにも心配かけちゃいましたね。」 申し訳なさそうに眉を下げる沙耶を見ながら、継信は匙で粥をすくった。 「八重も弁慶もいるから大丈夫だと言ったら戻っていったから気にするな。」 「そうですか?」 雪ちゃん、甘えん坊だから心配・・・・と、皆の見解とは真逆の事を言って外の方へ目を向ける沙耶に継信は苦笑して。 ―― さて、ここで一応、継信の名誉のために言っておかねばならない。 一応、一応、継信は無意識だった。 屋島の戦いの後、沙耶と再会して以降、二人で過ごしている時にはある種のお約束になっていたので、つい、なのだ。 けして、見せつけようとか、やきもちの果ての行動ではなかった・・・・多分。 というわけで、継信が何をしたかと言うと。 ごく自然に粥をすくった匙にふっと息を吹きかけて。 「ほら、沙耶。あーん。」 ―― 沙耶の口元に匙を差し出したのだ。 「・・・・え」 「・・・・ええっ」 「・・・・ええええっっっ!?」 一瞬の沈黙の後、ぽかんっとしている沙耶の横で八重、忠信、琥太郎が立て続けに上げた声に、継信ははたと己の行動に気がついた。 「っっ!!ち、ちが、これはだなっっ!」 「いや、えっとごめん、兄貴!よくわかんないけど、ごめん!」 「お、おおおお、俺は何も見てない!継信があーんとか見てない!」 「まあまあまあまあ!継信様も朴念仁かとおもいきや、おやりになりますわねえ。」 たちまち大混乱に陥った忠信と琥太郎が口々に、わけがわからない弁解を始める中で、八重だけがものすごく微笑ましそうな顔で頷くのがいたたまれない。 それは沙耶も同じだったらしく、せっかく熱の下がった頬がまた真っ赤に染まってしまっていた。 「これは、その!沙耶が病人だから、つい、だな!」 「そんな事言って、兄貴が病気の俺にそんな事してくれた事ないじゃないか。」 「当たり前だ!」 「つ、継信さん・・・・」 力一杯墓穴を掘った継信の袖の沙耶が引っ張るがすでに時おそし。 「そっかあ。でも良かったよ。兄貴がちゃんと、お嫁さんには優しくできるってわかって。」 「よっっっ!?」 「忠信様。それ以上は野暮ですよ。さあさあ、私達は退散しましょうね。」 「や、八重さん。」 「ではごゆっくり。継信様、お嬢様に無理はさせないでくださいませね。」 あれよあれよという間に、勝手に納得しあった八重と忠信はまだ衝撃が尾を引いている琥太郎を引っ張って出て行ってしまう。 その背中を呆然と見送って・・・・。 「・・・・すまん。」 「いえ・・・ふふふっっ」 匙を差し出した姿勢のまま、ものすごくバツが悪そうに謝った継信に沙耶はこらえきれなくなったように笑い出した。 「沙耶!」 「だ、だって、継信さんったら・・・・!」 「こ、これはついだな!」 沙耶にまで笑われていたたまれなくなりかけたところで、沙耶が目尻の涙をぬぐって継信を見つめてきた。 「でも・・・・ちょっとだけ嬉しい。」 「え?」 「えっと・・・・久しぶりに二人きりですね。」 ふわっと微笑んだ沙耶の頬はさっき羞恥に染まったのとは違い、柔らかくはにかんだ、継信がみたいと思っていたそれで。 「ああ、そうだな。」 とくん、と鼓動が跳ねる音を聞きながら、継信も笑った。 (後で御曹司達にもからかわれるだろうが、こうなったら開き直るしかないな。) そう腹をくくれば、やるべき事は決まるというもので。 「それで、沙耶。」 「はい?」 「とりあえず、飯を食ってくれないか?」 そうでないと何もできん、とうっすらと含ませた意味に気がついたのか、沙耶が少し目を見開いて、それから照れたように笑った。 「はい。いただきます。」 そうしてぱくん、と匙を含んだ唇を見ながら ―― 食べ終わってすぐに口付けたら、粥の味がするのだろうか、などと考えてしまったことは、心の奥にしまっておいた。 「・・・・なんつーか、忠信と継信って兄弟だったんだなあ。」 天幕の外で琥太郎がしみじみと呟いた一言に、忠信と八重が苦笑したらしい。 〜 終 〜 |