不格好な恋の詩



隆盛を誇った平泉が灰燼に帰し、源頼朝率いる鎌倉幕府が樹立した頃、密に日ノ本を離れた商船があった事を知る者は少ない。

まして、宋へ向かったその船に、死んだはずの源義経とその郎党が乗っていた事を知る者も。

日ノ本の表舞台から姿を消した彼らはやがてたどり着いた大陸で新たな道を切り開いていくのだが・・・・さて、その暮らしぶりはというと ――















水を打ったような、とはこのことかと思うほどの沈黙が天幕を支配していた。

時折聞こえるのは食器のふれあうわずかな音だけで、それでさえも鳴った途端に遠慮して消えるほどの圧倒的な沈黙だ。

もちろん、食器がふれあう音がするのだから人がいないわけではない。

むしろ、今、この天幕には義経を初め郎党の面々が顔をそろえて夕食を済ませた後という普段であれば実に和やかな風景が広がるべき状況である。

が。

『・・・・おい、忠信!』

あまりにも重い沈黙に耐えられなくなったように、琥太郎が隣に座る忠信に小声で話しかけた。

『・・・・なんだよ、琥太。』

『なんだよじゃねえよ!なんなんだ、この重い空気は!』

『そんなの・・・・見ればわかるだろ。』

そう言って忠信がちらっと見たのは、台所で夕食の片付けをする ―― 弁慶と沙耶だった。

そう、忠信が見ればわかると言った通り、明らかに弁慶と沙耶の周りから空気がおかしいのだ。

まず、完全に顔を合わせないようにしている・・・・主に沙耶が。

衣川館で追い詰められた時にかなりぎりぎりだったとはいえ、弁慶が沙耶への想いを表したことはみんな知っているし、元々沙耶が弁慶を好いている事は一目瞭然だったので、今では完全に公認の恋仲の二人なのだが、普段はそれほどべたべたしている様子もない。

まあ、不器用と愚直と寡黙が着物を着て歩いているような弁慶だけに、弁慶が沙耶に構っていないのはみんな慣れているのだが、逆は別だ。

『・・・・どーしてあいつはわざわざ弁慶から半身背けてんだよ。』

『知らないけど顔見たくないって意思表示じゃない?・・・・だったら手伝わなければいいのに。』

『・・・・それが沙耶の可愛いところだろう。』

忠信の呆れたような呟きに、横から義経が口を挟んだ。

ちなみに、夕食の片付けをしている二人はこちらには背を向けているので、まだこちらのやりとりには気がついていないようだ。

『怒っていても弁慶の側にはいたい。健気なことじゃないか。』

『そうは言っても御曹司ぃ〜。俺、この沈黙にそろそろ耐えられなくなりそうです・・・・。』

情けない声で訴える琥太郎に義経は苦笑した。

『確かにこの沈黙はきついな。』

戦や政治的なやりとりの場での緊張感ならまだしも、この明らかに痴話げんかに巻き込まれてます的な沈黙は確かに重い。

また、沙耶だけがへそを曲げているのならもう少しましなのだが、今回は弁慶からもどよっとした空気がにじみ出ているのでよけいに重いのだ。

『確か昼間は二人で出かけていたな。どうせ弁慶がまた沙耶を怒らせたんだろうが・・・・』

さて、どうやって聞き出すかと三人が台所を見やったちょうどその時。

「義経さん!」

「あ、ああ。」

くるりと振り返った沙耶に鋭く名を呼ばれて、義経は思わず背筋をただしてしまった。

それに気づいているのかいないのか、沙耶は弁慶の方をまったく見ずに言い放つ。

「私、今日は八重さん達の天幕で休む事にします。」

「!」

はっと弁慶が息を飲んだのが天幕中でわかった。

きっちり天幕の棲み分けが決まっているわけではないが、それでも最近は沙耶は基本的に弁慶と同じ天幕で休んでいる事が多かった。

『え?何、別居?』

『おい、忠信!』

思わず忠信が呟いたのが運悪く弁慶の耳に入ったのか、琥太郎の静止もむなしく、弁慶の視線に殺気が混ざった。

「そ、それは構わないが!」

慌ててかぶせるように義経が言うと、沙耶は険しい表情は変えぬまま、頷いた。

「ありがとうございます。それじゃ、お休みなさい!」

「あ、」

「おい、沙耶」

一瞬戸惑った他の面々が声をかけるが、それも耳に入っていないように沙耶は天幕を飛び出して行ってしまった。

そして・・・・後に残るは。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・弁慶。」

沙耶が出て行って軽くなるかと思いきや、二割増し重くなった沈黙に口元を引きつらせて義経が口を開いた。

「・・・・は。」

「は、じゃないだろ。その垂れ流しの不機嫌をどうにかしろ。」

「・・・・・・・」

義経の言葉に心外だと言わんばかりの顔をした弁慶ではあるが、忠信と琥太郎も大きく頷く。

「そうだよ、弁慶。飯がまずくなるどころか、そろそろ体に悪そうなんだよ。弁慶のその不機嫌さ。」

「だよな。沙耶と喧嘩したならとっと謝って」

「喧嘩なぞしておらん。」

自分ではできない事を要求しようとした琥太郎の言葉を弁慶は遮った。

それがあまりに素早い否定だったので。

「「「喧嘩したのか・・・・」」」

三人はそろって大きなため息をついてしまった。

「なっ!だから、していないと・・・・」

「弁慶がそうやって誤魔化そうとする時はだいたい本当にしてるんだってもうばれてるから。」

「ぐっ・・・・」

「もういい。とにかく弁慶、その喧嘩の原因を話してみろ。」

「御曹司・・・・別に喧嘩など」

「いいから。沙耶が機嫌が悪くなったあたりの事ぐらいはわかるだろう。話してみろ。」

渋る弁慶に義経がぴしゃっと言い放つ。

そう言われてしまっては、弁慶としても話さないわけにはいかず。

「・・・・よくわからないが、昼、近くの村へ食材を調達しにいった帰りには機嫌が悪くなった。」

ぼそっと呟いた言葉に、三人は首をかしげる。

「行きは機嫌は普通だったのだな?」

「はい。」

「とすると、村で何かあったんだろうけど・・・・弁慶何か心当たりは?」

「・・・・強いて言えば」

そう言って弁慶はぽつりぽつりと昼間の出来事を話し始めた。

「思ったより多めに野菜が手に入った頃は沙耶は上機嫌だった。」

「そう言えば千鳥の送ってきた品物で交換してみせるって沙耶ちゃん、張り切ってたね。」

品物の取引に砂金を使うこともあるが、この平原の国ではまだまだ物々交換が主流だ。

故に農地や家畜を持たない義経達は主に吉次の商売で手に入る品を交換して必要な物資を得ている。

それがみんなの役に立っているようで嬉しいと、こちらの国に来てから沙耶はよりいっそう商売に力が入るようになり、今ではこちらの言葉も難なく操り商魂のたくましさを発揮している。

「それで?」

「・・・・必要な物を手に入れて、帰り際、市の装飾屋をのぞいた時に、女に話しかけられた。」

「女?」

「買い物をしていたようだったが、何か話しかけてきた。」

「ああそっか。弁慶は言葉わからないしね。」

何か、と曖昧な話し方をする弁慶に忠信がぴんと来たように言った。

それに弁慶は頷いて。

「・・・・それから機嫌が悪くなった。」

「ちょ、ちょっと待て!」

話初めかと思ったらいきなり結論が来てしまい、三人は慌てて待ったをかける。

「それじゃわかんないって。もう少し何か無いの?」

「・・・・」

「では沙耶は何と言った?お前は言葉がわからなかったから、その女の言ったことはわからなかっただろうが、沙耶はわかったのだろう?その後、何と言っていた?」

義経にそう言われて弁慶は眉間に皺を寄せる。

ややあって。

「・・・・弁慶さんはああ言う女性が好きですか、と。」

「は?」

きょとんとする義経の前で、弁慶は本当に不可解な事態にでも遭遇した時のように顔を顰めて付け足した。

「女が何か言ってきて、俺はわからないから相手にしなかったのだが、その女が去ってから沙耶が突然そう言ったのだ。」

「『弁慶さんはああ言う女性が好きですか』か?」

「ちなみに、弁慶?その女人てどんな感じの人だった?」

なんとなーく、何か感じた忠信がそう問うと、弁慶はますます眉間に皺を寄せて。

「やけに扇情的な女だったな。」

「・・・・・」

弁慶の言葉に三人は口をつぐむ。

扇情的と称されるということは、色っぽいとか女っぽいとかそういう種の女性だったということで。

「十中八九、弁慶が声をかけられたんだね」

「あいつ目立つからなあ」

大柄な男性が日ノ本より多いこの国でも、弁慶の大柄さは群を抜いている。

しかも屈強なほどよいとされる価値観があるので、平たく言えば弁慶のような男は女の視線を集めるのだ。

さあ、ここまでくれば推理も終盤だ。

「それで、なんて?」

「女が何を言ったのかもわからないのに、ああいうのが好きかと言われてもわからんから『よくわからん』と答えた。」

「・・・・それで沙耶は?」

「『素敵、ですよね』と。」

『弁慶さんはああ言う女性が好きですか』

『・・・・よくわからん』

『素敵、ですよね』

ああ、なんだかひしひしと先の展開が読めてきた気がする、とは誰の心の声だったか。

「それで・・・・弁慶はなんて言ったの?」

おそるおそるという感じで問うた忠信に、弁慶は本当によくわからないという顔で言った。

「『お前とは大分違うな』と。」

(((ああ、やっぱり・・・・)))

これにはさすがに琥太郎まで頭を抱えた。

「弁慶、それはさすがに酷いよ。」

「?」

「わけがわからんという顔をしているあたり、沙耶が不憫だな。」

「なっ」

忠信と義経に呆れるように言われて弁慶は顔を顰めた。

「そりゃ確かに沙耶は色気もねーし、女っぽいところもねーけど。」

が、しかしそう付け足した琥太郎の言葉を聞いて、むっとしたように眉を寄せる。

「・・・・違う。」

「へ?」

「沙耶はああいう女とは違う。常に澄んだ水のように清廉として美しい。この上色気などあっては、余計な男を惹きつけるばかりだ。」

ふん、と面白くなさそうに鼻を鳴らす弁慶に三人は顔を見合わせた。

「それって要するに、その女性より沙耶ちゃんの方が良いってことだよね?」

「っ!」

確信をつく忠信の言葉に、弁慶が言葉に詰まって顔を背ける。

もっともそんなことをしても、その目元が薄く染まっているのは隠しようもなく。

「「「はあ・・・・」」」

「!?」

三人同時に大きくため息をつかれて、弁慶は驚いた顔をする。

が、事の成り行きと沙耶の怒りの原因と弁慶の気持ちを理解した三人のやることは決まっていた。

「弁慶。お前と言う奴は・・・・」

そう言いながら、義経が弁慶の背を押す。

「?御曹司?」

「なんていうか、不器用にもほどがあるよね。」

呆れたようにため息をつきながら忠信が天幕の入り口を捲った。

「忠信?」

「つーか、どうしてそこで一言付け足さないんだ。ばか!」

最後にみんなの思いを代弁した琥太郎がどーんっと弁慶の背をどついて。

「!?な、何を・・・・」

そのまま天幕を押し出された弁慶が戸惑いながら振り返ると、三人はそろって、弁慶の後ろを指さして言った。

「「「とにかく謝ってこい!」」」

「!?」

有無を言わさぬその口調に思わず振り返れば。

「・・・・!」

天幕の光も途切れる向こう、薄闇の平原にたおやかな沙耶の後ろ姿が見えた。

八重の天幕へ戻ると言ってからすでに時は過ぎているはずなのに、何をしているんだという疑問が頭の隅をよぎったが、それ以上にその背が頼りなく見えて、弁慶は引かれるように草原へ踏み出す。

天幕の入り口から漏れる光の届く範囲を超えて、草原を歩けば草を踏む音が風に乗る。

だから気づいていないはずはないのに、沙耶は振り返らなかった。

ただぽつっとたたずんで、夜空に輝き始めた星を見上げて。

「・・・・沙耶。」

「・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」

名を呼んでも沙耶が振り向かない。

それが妙に堪えて、弁慶は顔を顰める。

そう言えば、今日は彼女が不機嫌になって以来、顔をまともに見てない。

不意に飢えたような衝動に駆られて、気がついた時には弁慶の手が動いていた。

「!」

沙耶が息を飲む音は聞こえていたけれど、すっぽりと後ろから手を伸ばし包み込んでしまう。

少し冷えた体が、愛しくて切ない。

「沙耶・・・・」

皆には謝れと言われたが、何がどうして沙耶の機嫌を損ねたのかいまいちわからない弁慶には、安易に謝罪を口にすることは躊躇われた。

けれど、顔が見たい、声が聞きたい。

それだけの思いを込めるように名を繰り返す。

やがて。

「・・・・弁慶さん、ずるい。」

ぽつり、と呟かれた沙耶の言葉からはとがったものが消えていた。

「沙耶・・・・?」

「ずるい・・・・そんなに呼ばれたら応えちゃうじゃないですか。」

「・・・・すまん。」

そう言うと、腕の中で沙耶が諦めたようにため息をついた。

「もう、いいです。どうせ、弁慶さんはよくわかってないんでしょ?」

「・・・・・・・・」

その通りとは言えず弁慶が黙り込むと、「しょうがないなあ」と沙耶が小さく呟いて。

くるりと身を返すとぎゅうっと弁慶に抱き付いてきた。

「!」

「もういいです!私がとられないようにがんばればいいんだから。」

「とる?」

沙耶の細い腕と胸にすり寄せられるその香りに気をとられながらも弁慶はそう問い返したが、沙耶はただ笑っただけだった。

「いいんです。・・・・こんなに朴念仁で不器用な人、ずっと好きでいられるのは私ぐらいなんだから。」

「・・・・・」

何かちょっと心外な事を言われたような気もするが、半日ぶりの沙耶の笑い声は、弁慶の心を柔らかに酩酊させるには十分な力を持っていた。

それを堪能するように少し腕に力を入れれば、沙耶が顔を上向けてくる。

「ね、弁慶さん。一つだけ教えてください。」

「なんだ?」

「私の事・・・・好き、ですよね?」

ほんの少し首を傾けて、恥ずかしげに薄紅にそまった頬でそう問うてくる沙耶は・・・・。

「・・・・琥太郎に訂正しなければ。」

「え?」

「いや・・・・」

色気もある、と思っただけだ、とは口に出せなかった。

かわりに沙耶の顎を優しく掬えば、それを合図に沙耶が目を閉じる。

唇を重ねる寸前、さっきの沙耶の問いに答えていない事に気がついて言葉にしようかとも思ったが・・・・結局、やめた。

きっと ―― 重ねた口付けから、彼女は読み取ってしまうだろう。

だから、どれほど自分が沙耶を愛しく思っているか伝わるように、甘い甘い口付けを贈ろう。

そう決めて、弁慶もまた目を閉じたのだった。
















「・・・・やれやれ、難儀な奴。」

「もっともだ。あれにつきあえるのは、やはり沙耶しかおらんな。」

「ですね。」

すっかり二人の意識から外れている天幕の入り口から、やっと重なった影を見つめて、三人は苦笑したのだった。
















                                             〜 終 〜
















― あとがき ―
最後まで甘い言葉を言わない弁慶(笑)
あとでみんなに沙耶ちゃんの怒りの原因について解説されて、また言葉足らずに「つまらんことを」とか言っちゃって怒られるといいと思います(笑)