aspration



工房への廊下は薄闇に包まれている。

外で日が落ちて大分たつのだから必然的と言っていいその薄闇にも沈まないハニーブロンドの青年は無表情に工房に向かって歩いていた。

薄闇の中にあるその完璧な青年をもし誰かが見たならば、あまりに人間離れしたその美しさと雰囲気に息を呑んだだろう。

もっとも、彼自身にそれを言ったなら酷薄さを滲ませて彼は笑うに違いない。

―― 当たり前じゃないか。僕は人間じゃないんだから、と。

精神人形、ホブルディ・・・・それがハニーブロンドの青年の名前だった。

ルディは工房のドアの前まで来て扉を叩こうとして、やめた。

かわりにそっとドアノブに手を伸ばし、ドアを押し開ける。

キィ、と微かな音を立てて開いたドアの隙間から淡いランプの光が漏れてその中へルディは身体を滑り込ませた。

工房の中は柔らかいランプの明かりに包まれていた。

その中央、机に人影を見つけルディはそっと近づく。

そして人影 ―― ルディのオーナーであり人形師のハンナを覗き込んで苦笑した。

ハンナは机に突っ伏すようにして眠っていたから。

「・・・・無理しすぎだよ。」

言葉は呆れたように響いたが、ハンナを見つめるルディの眼差しに呆れた色はなかった。

ただ困ったように目を細めて、なんとはなしに机の上に目を走らせる。

そこにはほぼ出来上がった伯爵令嬢グロリアそっくりの人形が一体ちょこんっと座っている。

小さな人形でありながら、愛らしさではなく本物のグロリアの気品と美しさを写し取っているその出来は並の人形師とは比べ物にならない。

けれど、それはハンナが心を注ぎこむようにして人形を作っているせいだ。

しかもこの人形にはハンナ自身の強い願いも込められている。

「・・・・君さあ、ちょっと贅沢なんじゃない?」

先ほどの呟きとは違い、根底に攻撃的な何を秘めた言葉は眠るハンナに向けられた物ではなかった。

青い瞳が見ている先には、動かなくなったエミリーが。

そして目をこらさなければ見えないほどに淡い何かが。

「あんなに無条件で愛されて、当たり前みたいに心を預けられてたくせに。」

そう、いなくなった途端に彼女の輝きを失わせてしまうほどに。

(僕たちじゃ全然代わりにならないし。)

慰めても、からかってみてもハンナはエミリーがいた時のように笑ってくれない。

ルディにはそれが酷く苛立たしかった。

(何かオーナーとして命令でもしてくれれば、それに従って動いてあげるのにさ。)

そうすればこんな風に苛立たなくてもすむのに、とルディはため息をついた。

いままでオーナーに何か求められることには慣れていた。

オーナーが望んだ事を忠実にやってのける、そのことでルディはオーナーにとって魅力的な物であり続けることもできたし、何も考えずに済んだのだ。

オーナーの命令ははすなわち、望み。

それがオーナーにとってどういう意味を持つのかには頓着しなかった。

実際には良いこともあれば悪いこともあったのだろうけれど、そのあたりはルディ自身まったく興味がなかったのだ。

―― でもハンナは違った。

ルディに何も命令しない。

友達だから、好きにして良いと言って自由にさせてくれる。

だからルディは考えなくてはいけなくなった。

どうしたらハンナが自分に興味をもってくれるのか、どうしたら彼女を笑わせることが出来るのかを。

(・・・・まったく、やっかいだよね。)

そんなんじゃまるで ――















人が人に恋をしているみたじゃないか ――
















「・・・・ばかばかしい。」

吐き捨てるように呟いて、ルディはエミリーの人形から視線を眠るハンナに移した。

机の上に置いた手に頬を乗せるようにして眠るハンナの寝顔は気が抜けるほど穏やかだ。

こんな格好で眠っているのはまだ作業を続けるつもりなのかも知れない。

「意外に頑固なんだからなあ。」

気弱そうに見えてハンナはこうと決めたらてこでも動かない。

これは起こさないようにベッドへ運ぶ方がいいと判断して、ルディはそっとハンナに手を伸ばす。

伏していた頭をそっと上げ、背と膝裏に手を入れて抱き上げようとした時、ふいにハンナの頭が軽く傾いて。

本当に偶然に、ルディの頬にハンナの頬が触れた。

「っ」

反射的にルディは身を引いた。

支えを失ったハンナの頭がことんっとルディの胸に預けられる。

一瞬、起きたんじゃないかと身構えたがハンナは相変わらず規則正しい寝息をたてたままだ。

ホッとしたと同時にルディは苦々しい表情を浮かべて天井を仰いだ。

(わかってるのに。)

少しだけ触れたハンナの頬は柔らかくて暖かく、自分の頬は堅い無機質なもの。

生きている人間のそれと、器としての無機質なそれ。

ほんの少し触れただけでも、お前達は違うモノなのだと突きつけられた気がした。

(わかってるよ・・・・)

心の中で小さく呟いて、ルディはそっとハンナを抱き上げた。

こんなに動かされても起きないほど眠り込んでいるハンナに少し呆れながら。

そして部屋の隅にあるエミリーの人形に目を走らせて、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。

「・・・・僕も大概、贅沢だけどね。」

人形でなくてはハンナと出会えなかったと、人形だからこんなに彼女の近くにいられるとわかっていながら。

―― 彼女と同じ『存在』になりたいと願うなんて。

何の感情を持ってか、エミリーの人形の近くの光がふわっと揺れるのを横目に、ルディはそっと工房を後にした。




















                                             〜 END 〜

















― あとがき ―
エミリーはウィルにとっては天敵、ルディにとっては憧憬なんです、私的に。