「その1、いつもと違う髪型に気がつくこと」





「あれ、姫君。今日は髪が違うんだね。」

じわじわと暑い日差しの差し込む勝浦の宿で廊下を歩いていた望美は背中からかけられた声に驚いて振り返った。

「ヒノエ君、いつの間に。」

「気がついてなかったのかい?」

望美の言葉にヒノエの方が少し意外そうな顔をしたのは、戦場のみならずすっかり鍛えられた望美の気配を読む能力を買っているせいだろう。

「うん、ちょっと気がついてなかった。」

「ふーん、何に気を取られていたのかな?」

くすっと気持ち艶のある笑みに望美は眉をよせる。

「別に何も・・・・」

「そうかい?源氏の戦女神様がオレの気配に気がつかないなんて珍しいから、誰かに思いでもはせていたのかと思ったよ。例えば」

そこで言葉を切ってヒノエは数歩あった距離を瞬きの間に縮め、すいっと望美の髪に手を伸ばした。

いつもは頬の脇で止めているだけなのに、今日は綺麗に結い上げられている紫苑の髪に。

急に縮まったヒノエとの距離と彼の行動に反射的に息を呑む望美を覗き込んでヒノエは口角を上げると言った。

「この髪飾りの送り主とか。」

シャランッ

「あ」

涼しげな音に望美は一瞬焦ったような声を上げた。

ヒノエが触った事で髪を留めている簪が抜けてしまうかと思ったのだが、それは杞憂だったようで結い上げた髪の感触が背に伝わることはなかった。

ほっとする反面、こんな悪戯をした相手を望美は軽く睨み付ける。

「悪戯しないでよ、ヒノエくん。結い上げるの大変だったんだから。」

「へえ?望美が自分でやったのかい?」

「そうだよ。折角、弁慶さんがくれたからつけなくちゃ悪いし、でもこういうのって使い慣れてないから。」

「弁慶?」

ぴくっと望美の口から出た名前にヒノエの眉が跳ねる。

「これあいつにもらったんだ。」

「そう。可愛いでしょ?市で見つけたからお土産にって。」

髪を下ろしてばかりも暑いでしょうから、たまには上げてみたらどうです、と弁慶がこの髪飾りをくれたのは昨日のこと。

結い上げるのは大変だったけれど望美も首筋に風が通るこのスタイルは気に入っていたので、「どう?似合う?」と冗談半分に聞こうとヒノエを見上げて。

―― 瞬間、固まった。

というのも、ヒノエが「笑顔」だったからだ。

それはもう、いい「笑顔」。

「あ、あの・・・・ヒノエくん?」

「うん?」

「えーっと・・・・何か怒ってる?」

「全然?」

(それは嘘!!)

心の中でそう望美が叫んだぐらいヒノエの周囲を包むオーラは素敵に不穏だ。

が、しかし原因について何も思い当たらない望美が目を泳がせていると、不意に顔に影がかかって。

「なあ、望美?」

「な、何?」

「いつもと違う髪型って言うのも魅惑的だけど、さ。」

彼らしいいかにも含みのある言葉と共につっと襟元を撫でられて、望美は思わず首をすくめた。

その様子に気持ち意地の悪い笑みを浮かべてヒノエはあっという間にまた距離を縮めた。

今度は自分の唇と ―― 望美の首筋との距離を。

「っ!?」

望美が悲鳴を飲み込んだと同時に首筋に僅かな違和感があって。

ぱさっと、崩れた髪が望美の背に落ちるのと、最初の距離までヒノエが離れたのはほぼ同時。

そして。

たった今、触れられた場所を手で押さえてワナワナと震える望美に向かって、ヒノエはにっこり笑って。

「こういう悪戯させるかもしれないから、やっぱりいつもの方がいいと思うけど?」

そう言ったヒノエの指で、迷惑そうに抜き取られた簪がシャランッと揺れた。





                                         〜 終 〜










(贈ったのが九郎か景時だったら抜くまではやらなかったかも)