「姫様は那岐と仲良しなんだ!」 足往に笑顔でそう言われた時、何故か即座に頷けなかった。 この関係に名前付けるとするならば 天鳥船の廊下を千尋は一人なにやら難しい顔をして歩いていた。 (別に仲良くないわけじゃないし、間違ってはないんだけど。) さっきから繰り返し頭の中で検証しているのは何気なく足往の言った言葉だ。 言葉の出てきたきっかけは相変わらず那岐が見つからないと言って探していた足往に、私が見つけて来てあげると言ったことだったと思う。 一人になる事に関しては天才的に上手い那岐に日頃煙に巻かれているせいか足往は千尋の言葉に目を輝かせて「那岐の居場所わかるのか?」とと問うから頷いたら前述の言葉が飛び出したのだ。 「仲良し、か。」 ぽつっと繰り返してみてやはり千尋は首を捻る。 足往の言うニュアンスの「仲良し」で思い浮かぶのは那岐ではなく、異世界で過ごした時にできた友人の顔だった。 休み時間や放課後に他愛ないおしゃべりをしたり、笑いあったり、そんな事を同じ感覚で感じていた友人達。 彼女達は確かに「仲良し」だったと思う。 けれど那岐は。 (仲良し・・・・?) 心の中で「仲良し」という枠に那岐を入れてみようとして、あまりの違和感に千尋は眉を寄せた。 (何かすごく変。) そう思って自分でも当たり前か、と苦笑する。 那岐とことさら仲良くしようとした覚えもなければ、友人達のように同じ感覚で楽しい事を共有したりした記憶もない。 那岐と千尋の感覚はいつもどこか違っていて、そのせいでお互い怒ったり呆れたりすることも多々あったのだから。 多分感覚としては友人というより家族だった。 感じ方が合わなかろうがそうでなかろうが、共に在るのが当たり前の「家族」。 (あ、でも・・・・) ふっと千尋がある事実に行き当たった時、ちょうど目的にしていた堅庭への入り口に到着した。 そのことでとりあえず思考を中断して千尋は堅庭へ入ると、人がいないことを確認していつもの自称昼寝同好会の活動拠点であるテラスへと注意をしながら降りてみる。 そしてそこにあった人の姿を見つけて千尋は呆れたようにため息をついた。 思った通り那岐が足を投げ出すようにして壁に寄りかかっていたからだ。 目を閉じてうつむき加減になっている様をみるに、予想に違わず昼寝の真っ最中なのだろう。 (やっぱりここだった。) さて目的どおり見つけたはいいが、どうやって起こすべきか考えつつ千尋は那岐に歩み寄る。 そして目線を合わせるようにしゃがみこんだところで、ふっと、さっき思い出した事が頭をよぎった。 (・・・・那岐と私って従兄弟じゃなかったんだよね。) 異世界にいた時はそうと教えられていた関係は実は違ったのだと知ったのはつい最近だ。 だから本来は「家族」に当てはまらないのだと。 (そう考えれば足往が仲良しだって言ったのも無理ないわ。) でもやはり「仲良し」は何か変な感じがする。 そう思いながら千尋は首をかしげ、そしてなんとなく眠る那岐の隣に座ってみた。 肩が触れるか触れないかぐらいの所に。 途端に感じる那岐の存在感がまるで違和感のないものに感じた。 当たり前のように隣に居ることになれた感覚。 物理的なことばかりじゃない。 きっと那岐が調子が悪かったり落ち込んでいたりしたら誰より早く気がつくと思うし、逆もそうだと言い切れる。 (そう言うのって「家族」?でも「友だち」でもないよね。) 千尋の頭の中に浮かんだ言葉はどれもしっくり来なくて。 結局、千尋は諦めて名前を探すのをやめた。 そしてちらっと那岐の方をうかがえば、自分と似ている金色の髪の影に隠れた瞳は相変わらず閉じられたまま。 「・・・・ねぼすけ。」 そう言ったら寝顔のくせに妙に嫌な顔をされて、千尋は危うく吹き出しそうになったのを堪えた。 そして起こさないように那岐の肩に頭を預ける。 計ったようにちょうどの高さと那岐の体温に思った以上に安心感を覚えるのを感じながら千尋は目を閉じた。 ―― この関係に名前などないのだ、と漠然と感じた。 そしていつか名前が付いたらきっとこの曖昧でありながら確かで、甘やかされていると感じるほど優しい関係は変わってしまうということも。 (だから・・・・もう少し・・・・) とろとろと睡魔に飲み込まれていきながら千尋は思う。 もう少しだけ、どうかこのままで ―― 〜 終 〜 (このお題は那千だろうなあ、と思っていたので阿弥陀で当たってビックリ) 戻る 「政宗−!遊びにきただよ−!!」 まさに溌剌以外に表現しようがない明るい声とともに部屋に飛び込んできたいつきの姿に政宗は文机に片肘ついてにっと笑った。 「もうちっとお淑やかにこれねえのかよ、lady?」 登場前から目下男所帯の米沢城にはない軽快な足音のおかげで心構えをすることができた事は棚にあげて政宗がからかうと、いつきはむうっと眉をよせた。 そのまさに拗ねた子どもの顔が妙におかしい。 ―― もっとも今ここに彼の信頼する右目、もしくは彼をよく知る重臣の面々がいたら迷うことなく政宗のべた甘な顔の方がもっとおかしいと(心の中で)突っ込んでくれただろうが。 ある意味、この見たら砂を吐きそうな主人の顔を見なくてすんだ分彼らにとっては幸運だったかもしれない。 ともかくツッコミも第三者もいなかったおかげでいつきの拗ね顔を堪能できた政宗はちょいちょいっと手招きをしてみせる。 途端にいつきはぱっと笑顔を見せて政宗の側へと寄ってきた。 「just timingだったな。さっき取り寄せてた西洋の菓子が届いたとこだ。食ってきな。」 「え!?そんなの悪いだ!」 元来贅沢に縁のない少女は慌てて遠慮しようとするのを政宗はその銀色の髪をくしゃくしゃと撫でる事で押しとどめた。 「ガキが遠慮なんかすんじゃねえよ。」 だいたい、お前のために取り寄せたんだし・・・・と心の中で政宗が付け足しているとは知らずにいつきは少し迷ったような顔をしていたものの、すぐに嬉しそうに頷いた。 「じゃあ、ご相伴にあずかるべな。」 「OK!」 いつきの返事に満足して政宗は侍従を呼び茶の支度を申しつける。 すぐに、と返事をして去っていく侍従を見送りながらいつきは思い出したように口を開いた。 「そういえばこないだあかいおさむらいさんが来ただよ。」 「HA?幸村か?」 急に飛び出した宿命の好敵手の名に政宗は顔をしかめる。 「御館様に美味しい米を食わしてやりてえっておらたちの村の米さ買い付けにきただ。生憎まだ新しい米はなかったから試食がてら握り飯作ってやったら喜んでくれだよ。」 その後、追いかけてきた忍びのにいちゃんに連れ戻されてたけどな−、とその時の事を思いだしたのかいつきはけらけら笑った。 対照的に政宗は顔をさらにしかめる。 (俺のしらねえうちにいつきの所へ行ったばかりか、何飯までたかってやがんだ、あの馬鹿は。) イライライラ。 次にまみえる時は力一杯たたきのめしてやろうと心に決めて、政宗はいつきをひょいっと抱き上げるとあぐらをかいた足の上に乗せる。 そして急な政宗の行動に目を見開いているいつきの頭にごすっと顎を置いた。 ちなみにこれ、地味に痛い。 というわけで。 「なにするべ!?」 きいっと飛んできた抗議を封じ込めるようにがしっといつきの体を拘束して、相変わらず顎はどかさないまま政宗は言った。 「いいか、いつき。」 「?」 「男ってのはwolfなんだぜ?飯食わせてやるつもりが、お前が食われたらどうすんだ。気軽に家に上げるんじゃねえよ。」 「はあ?・・!痛い痛い!」 政宗が何を言いたいのか分からずわけがわからない、と声を上げた途端ぐりぐりと顎を押しつけられていつきは悲鳴を上げる。 もちろん、政宗とて加減はしているのだが痛いものは痛い。 おまけに政宗が何を言いたいのかも(単純な嫉妬なわけだが)わからない。 となればいつきが切れるのも時間の問題という奴で。 「もう、いい加減にするべ!」 があっと怒ったいつきは政宗の顎を強引に押しのけるようにして後ろで訳分からない行動に出る男を睨み付けた。 睨み付ける ―― はずだったのだけれど。 状況をふりかえってみると、いつきがいるのは政宗の足の上でおまけに腕に囲われた状態なわけで。 それでふりかえれば当然のこと。 「「!!」」 鼻先が触れそうな距離で隻眼のそれと、鳶色の瞳がかち合って。 どくんっと跳ねたのはどちらの鼓動だったのだろう。 慣れていたはずの政宗の膝の上が急に居心地が悪くなった気がして、困ったように眉を寄せた雪ん子のものか。 それとも透き通るような白いいつきの肌の上に淡く色づく唇も腕の中に感じる体のように温かいのだろうか、と思ってしまった独眼竜のものか。 あと、10センチ ―― さっき言いつけた茶が届くまであと少し。 不意に近づいたその距離に・・・・さて、何かが変わるだろうか? 〜 終 〜 (初伊達いつなので色々おかしいです。スイマセン・汗) 戻る 陸奥陽之介は元来早足だ。 せっかちな性格のせいか、ざかざか歩く癖がついているのか自分でも自覚はなかった。 けれど、今まさに自分はやたらと早足で歩いているという自覚があった。 足下の砂利を踏む音がやけに荒っぽく耳につく。 それがまるで、逃げているかのようで。 (・・・・run awayだと?冗談じゃねえ。) 別に何からも逃げてなんかいない、と陸奥は内心で舌打ちした。 そうだ。 別に逃げる対象など何もないはずなのだ。 前の様に得意の弁舌を振るいすぎて不逞浪士に目を付けられたわけでもないし、追われるような真似は何もしていない。 なのに・・・・。 ざ、 もの凄い勢いで歩いていた足を止めて陸奥はふっと来た道をふりかえる。 やたらときっちりと整備された京の小路は細いながらもずっと遠くまで見通せた。 けれど、陸奥がふりかえったのは大路二つ分ぐらい遠い市。 ―― 先刻まで、陸奥は良い気分でその市をぶらついていたのだ。 ちょっとした仕事をこなしたおかげで懐は温かかったし、新しい書も格安で手に入った。 彼にとってはまさに上機嫌の材料がそろったような状況で鼻歌でも歌いそうな勢いで歩いていたところへ目に入ったのは、この京広しといえどあまり目にする事もない、男装姿の少女。 「倫?」 口にしたのは暇があると顔を出している島原の花柳館に居る少女の名だった。 遠目にもわかる色素の薄い髪と武術を納めている者らしいすらりとした体型と身のこなしは市の人混みの中でも目をひいた。 (今日は気分もいいし、少しぐらいおごってやるか。) 仕事中であればこんな目立つ場所に出てくる事もないだろうと判断して陸奥は倫に向けて歩を進める。 どうも年頃の少女にしては冷めているところのある倫だが、呆れながらも陸奥の事を絶対に馬鹿にしないところが陸奥はそんなに嫌いではなかった。 だからちょっと姿を見かけて、気分が良いから声をかけてやる・・・・ぐらいのつもりで。 「おーい!り・・・・」 声が聞こえるギリギリぐらいの距離まで来て呼びかけようとした陸奥の言葉は中途半端に途切れることになった。 というのも。 「すまない、待たせたな。」 倫がいたすぐ近くの店から彼女と同じ花柳館の食客である相馬肇が出てきて声をかけたから。 もともと相馬を待っていたのだろう。 倫は相馬の姿を見るとにこっと笑って首をふった。 「いいえ。もっとかかるかと思ったのに早かったですね。」 「それほどやっかいな仕事でもなかったからな。それにしても、なんで俺があいつの尻ぬぐいをしなくちゃならないんだか。」 ぼやく相馬に倫はおかしそうにくすくすと笑う。 その光景を見た途端、なぜか。 ずき、と胸が痛んだ。 (・・・・?) それは花柳館で見るありふれた光景の一つのはずだ。 倫は比較的物静かな男性に懐くらしく、相馬や中村半次郎などには少し澄まして接しているのをよく辰巳と猫を被っていると言ってはからかっていたぐらいだから。 それなのに、場所がいつもの花柳館でないだけで。 「それじゃ、行こうか。」 「あ、はい。でもいいんですか?」 「構わない。俺が付き合わせたんだから好きな物をおごろう。」 遠慮するな、と付け足した相馬に倫ははにかんだような顔をする。 ・・・・それはまるで恋人に慣れない事をねだるように少女のように陸奥には見えて。 (・・・・ちっ!) 気がついたら踵を返して後も見ずに歩き出していた。 「・・・・別にあいつがどうだろうがunrelatedだろ。」 吐き捨てるように呟いて陸奥はまた止めていた足を動かし始めた。 倫を見かける前にあったような上機嫌は今は跡形もない。 ざくざくと地を蹴る自分の足音がしゃくに障って悪態をつく。 (関係ねえよ。倫がどうしようと。) ただ市で見かけた知り合いに声をかける程度の気分だったのだから。 (倫なんてちょっと顔出す先のからかったら面白い程度の奴だろ。) 女だなんて思ってもいなかった。 (だから・・・・) だから。 別に、理由なんてない (俺の前ではしたことねえ顔で倫が笑ってやがったからって、胸が痛んだりするなんて気のせいだ!!) ―― ちっと一際大きな舌打ちが意地っ張りな胸に一際響いた。 〜 終 〜 (基本的に陸奥→倫が好きです) 戻る 最近、どうも神子がおかしい。 敦盛がそう気がついたのは福原で龍神の神子である望美と共に行動するようになって大分たったある日の事であった。 おかしいといっても、体調が悪いとかそういう事ではない。 望美はいつも通り凜として九郎と剣の稽古をしていたりするから。 他の人に対してもおかしなところは何もない。 ただ、自分に対してだけおかしいのだ。 望美は・・・・。 「・・・・ふう。」 居候をさせてもらっている梶原家の京邸の縁で、敦盛は小さなため息を空に溶かした。 と、不意に背後に気配が現れる。 「なんだよ、随分しょぼくれてるな、敦盛。」 「ヒノエか。」 聞き慣れた幼なじみの声に敦盛は肩越しに振り返った。 見ればいつの間に来たのか、相変わらず伊達な姿でヒノエが笑っていた。 「しばらく姿を見なかったが熊野に何か?」 「いや?拍子抜けするほど動きはないね。」 肩をすくめながらさも当然そうにヒノエは敦盛と並んで縁に腰掛ける。 そして、ふっとその緋色の瞳を横目に見た敦盛は僅かに眉をしかめた。 わざわざ口に出さなくてもその瞳が雄弁に物語っていたからだ・・・・一体、何故ため息なんかついていたのか、と。 付き合いが長くなってしまった間柄では下手な誤魔化しはきかない。 ましてや相手はヒノエだ。 それでも敦盛は一応の抵抗は試みる。 「たいした事ではない。」 「へえ?オレの気配にも気がつかないぐらい考え込んでたってのに?」 案の定、言外に嘘をつけ、と返ってきた。 こういう時、それでも話せと言わないのは彼らしいと思う。 無理に惚けようとすればそれならばそれでヒノエは騙されてくれるのだろう。 けれど、結局敦盛はさっきとは違うため息と一つ零してから言った。 「少し・・・・気にかかることがあるだけだ。」 「ふーん?」 「神子が・・・・」 「姫君が?」 「・・・・私と目を合わせてくれなくなった。」 そう、近頃、望美がおかしいと敦盛が思っていたのはそれだった。 もともと望美は人の瞳を見つめることを恐れない。 初めてであった時から、あの紫苑色の瞳を真っ直ぐに向けられ、敦盛は一門を捨てても彼女について行くことを決めたのだ。 だというのに、最近、どういうわけか望美は敦盛の目を見てくれなくなった。 普通に話しかけてくるのだが、話していてふと違和感に気がつくと微妙に望美の視線が彷徨っているのだ。 「以前は神子は私の事を真っ直ぐ見てくれていたのだ。」 穢れた怨霊の身には眩しすぎる程に真っ直ぐに。 何の躊躇いも感じさせないその瞳にどれほど心揺さぶられたかしれない。 (・・・・だが、神子も私が穢れた存在と知って疎ましく思ったのかもしれない。) 望美がおかしい事に気がついて以来何度も繰り返し考えた可能性に、またずきりと胸が痛む。 そう思われるかもしれない、というのは敦盛にとっては当たり前の事で、もっと以前にそうなってもおかしくなかったはずだ、と思う。 それでも望美に疎まれてしまったのかと思うと、例えようもなく苦しくなるのだ。 (怨霊としての衝動を抑えるのとは違う、深く苦しい・・・・) 胸の奥底が悲鳴をあげる。 何もかも諦めたはずの身が、望美にだけは見つめられたいと悲鳴を上げるのだ。 「随分、浅ましくなったものだ。」 眉を寄せて敦盛は自嘲気味に吐露した。 その途端・・・・隣から盛大に呆れたようなため息が聞こえた。 「お前ねえ。」 「?どうかしたのか、ヒノエ。」 「いや、オレが忘れてたのか。あのさ、お前って確かに繊細で人に気ばっか使うから忘れてたけど、かなり鈍感だったよな。」 「は?」 「ああ、そうだった。邸の女房やら、そこら辺の女の子の視線なんかにさっぱり気づいてもいなかったしな。」 「??何の話だ?」 自分は真面目に話していたはずなのに、思い切り呆れたようなヒノエの口調に敦盛は眉を寄せる。 「確かに私はヒノエほどは人の心の機微には鋭くはないが・・・・」 それでも鈍感は心外だ、と言いかけた敦盛の言葉をヒノエの視線が止めた。 「お前さ、」 「?」 「最近、姫君がお前と話してる時、どんな顔してるか知ってる?」 「?だから目を合わせて・・・・」 「視線の話じゃねえよ。表情とか、頬の色とか、仕草とか。」 表情?頬の色?仕草? そう言われて敦盛は考え込んだ。 そう言えば、ここのところ瞳にばかり気を取られていた気もするけれど。 「だが・・・・それが何か関係あるのか?」 「大あり。だから・・・・っと。」 首をかしげた敦盛にヒノエが何か言いかけようとして、はっと縁から見える庭に目をやった。 「ヒノエ?」 「いや、答えは自分で見つけろよ。ちょうどお出ましだ。」 「え?」 敦盛が聞き返そうとしたその時。 「敦盛さーん!」 静かだった京邸の奥庭に元気の良い声が響いた。 はっとしてみれば、表の方の庭から走ってくる望美の姿が見えて。 「ヒノ・・」 さっきまでの話が話だけに、思わず振り返った先にはすでにヒノエの姿は無かった。 助けを求める先も失って、覚悟を決めるより先に望美が座っている敦盛の前に辿り着いてしまった。 剣の稽古でもしていたのだろうか、少し髪を乱して息を整える望美を前に妙な感じに跳ねる鼓動を敦盛はなんとかなだめる。 そんな敦盛の心の内には気がつかない望美はふっと顔を上げて周りを見回した。 「あれ?さっきまでヒノエ君、いませんでした?」 「あ、ああ。だが何か用があったようだ。」 「そうなんだ。相変わらず素早いんだから。」 そう言って少し笑う望美がいつもと変わらない様子だったので、敦盛は少しほっとする。 「ところで、神子。何か用だろうか?」 「あ、・・・・えっと、はい。」 頷いた時、敦盛はまたあの違和感を感じた。 (あ、まただ。) この庭に現れてから、望美の紫苑の瞳は一度も敦盛に合わされてはいない。 そのことに気がついてずきり、と胸は痛んだが、ふとヒノエの言葉を思い出した。 (神子の様子。) 『視線の話じゃねえよ。表情とか、頬の色とか、仕草とか。』 ヒノエの言葉を反芻し敦盛はゆっくりと望美を見た。 さっきも思ったように剣の稽古をしていたのか、少し髪は乱れているが相変わらず凜とした佇まいなのはかわらない。 (・・・・特に変わりはないと思うのだが・・・・) 敦盛がそう結論を出そうとしたその時、望美が意を決したように顔をあげた。 「あの、敦盛さん。」 「なんだろうか?」 「その、前に大事な笛を入れていた袋が傷んできたって言ってたでしょ?」 「ああ。」 「だから、その・・・・よければこれを使って下さい。」 そう言って望美が袂から取り出したのは、望美の瞳と同じ紫苑色の袋だった。 所々ほつれのあるその縫い目に、敦盛はそれが望美の手作りだと悟って、驚いて彼女を見た。 「これは・・・・」 「ご、ごめんなさい!朔に習ったばっかりだったからまだへたくそなんだけど、朔が折角作ったんだからって言うから、その一応!でもそんなボロボロなの、駄目ですよね?」 不安げな様子でまくし立てられて、敦盛はしばし言葉を失った。 驚いたのでも、否定でもなく、ただ嬉しかった。 「いや、神子。ありがとう。大事に使わせてもらう。」 「!」 ゆるゆると首をふって大事に望美がくれた袋を懐にしまった。 そして改めて礼を言おうと望美を見た敦盛は、その瞬間、固まってしまった。 というのも、あまりにも嬉しそうに ―― 望美が微笑んでいたから。 それはまさに華が開くというのが正しいのではないかと思うほどに柔らかく美しく望美は微笑んでいた。 なんと言えばいいのかわからなくなった頭に、ヒノエの言葉が響く。 『視線の話じゃねえよ。表情とか、頬の色とか、仕草とか。』 目を合わせてくれないのは疎まれているからだと思っていた。 でも疎んでいる相手を前に、こんな顔をするだろうか。 こんな嬉しそうな顔を、うっすらと染まった頬にのせて。 何も言えない敦盛に、望美は相変わらず嬉しそうな顔のまま語りかけてくる。 「もし穴が空いたら、また私が繕いますから言って下さいね?」 「・・・・ああ。」 かろうじて頷くことができたのは、敦盛的に奇蹟だった。 若干不自然に空いた間も、袋を渡せた事で舞い上がっていた望美は気がつかなかったようで「じゃあ戻ります!」と言って再び駆け出そうとするから。 「神子!」 「はい!?」 いったん背をむけかけていた望美が驚いたように振り返る。 長い髪が舞って、紫苑色の瞳が向けられる刹那。 (・・・・ああ) 答えが、わかった。 ヒノエが言いたかった事の意味が。 「あの・・・あ、ありがとう。」 「!はい!」 輝くように笑って望美は再び表の庭の方へとかけていく。 その姿が庭木の間に見えなくなった頃、ようやく敦盛は大きく息をはいて、そして。 「・・・・次から神子に会う時は、どうすればよいのだ・・・・」 確実に赤くなっているであろう頬を自覚しながら、途方に暮れたように呟いたのだった。 目を合わせられないのは ―― こんなにあなたを好きになってしまったら、目を合わせるなんて絶対に不可能だ! 〜 終 〜 (いつもながら容赦なく甘酸っぱいテイストになる敦望でした) 戻る |