細い雨粒が立てる音が微かに耳をくすぐって、あかねは顔を上げた。 放課後の教室は騒がしくて、誰も朝から降っていた雨の音にわざわざ耳を止める者などいない。 喧噪を包み込む様に、淡くガラスを叩く音。 ガラスの向こうの煙った景色に惹かれるように、あかねは教室を出た。 どのクラスもHLが終わったばかりで廊下も下校時の相談で忙しい生徒で一杯だ。 細い細い雨の音などかき消してしまいそうな賑やかさの中をあかねはすべるように、屋上への階段へと向かう。 さすがに雨の中、屋上へ向かおうという生徒などいないのか、少しずつ人がすくなくなって一時遠くなっていた雨音がまた耳に届くようになった。 校舎全体に紗のような音楽を流しているように、静かな音色はあかねを誘う。 (・・・・ああ、本当に) ―― 雨はあの人に似ている・・・・ ローファーの靴底がリノリウムの床を踏む音を聴きながら、脳裏に浮かぶのは一人の忘れえぬ青年の姿。 雨の中で扇を手に舞っている姿を見たのが最初だった。 雨粒を切り裂くように、あるいはそれと沿うように。 まるで舞台のように全てが彼のために整っているように見えた。 あの時、自分は雨の精だと言われても、あかねは難なく信じただろう。 それぐらい彼には雨が似合っていたのだ。 不意に太陽を隠して世界の色を変えていく雲のように、あかねの心をあっという間に染めた ―― 季史という人は。 階段を上がっていく事に、雨音が耳に質感をもって届くようになる。 教室から見た時、どしゃぶりでもなく、どちらかと小雨のようだった。 庭に植えられた木の葉を濡らす音、檜皮の屋根を叩く音、濡れた地面に吸い込まれていく音、この世界ではあまり聞くことのなかった雨音の記憶が蘇る。 あの世界で見た雨はあかねの知っている雨とはまるで違うものの様に感じていたけれど、帰ってきてみればそれは勘違いだと気が付いた。 雨は変わらず雨のまま。 静かに降るそれは、あかねの記憶に緩やかに染みこんでいく。 そして。 きゅ、と階段の最後の一段を上りきった靴が小さな音を立てた。 そのまま、あかねは目の前にある屋上のドアに手をかける。 キィ・・・・ 軋んだ音を立ててドアが開いた瞬間、水の匂いと水音が一気に流れ込んでくる。 誰もいない屋上に無数の白糸が落ちる。 後ろ手にドアを閉め、そのまま寄りかかってあかねは小さく息を吐いた。 ―― 雨の精のようだと思った季史は、実際人の世の人ではなかった。 寂しさと不器用さと、悲しみで縛られた哀しい存在だった。 あの雨の中で、確かに季史は凍えていたのだろう。 細かい雨粒で緩やかに体温を奪われるように、雨の中に佇んだあの人は途方にくれながら微かな温もりを探していたんだ、と今では思う。 だから、彼にとって雨に似ていると言われるのは不本意な事かもしれないけれど・・・・。 す、とあかねは申し訳程度にドアの上についている雨よけの下から右手を出した。 音もなく水が静かにその手を濡らす。 不思議と冷たいと感じなくて、あかねは口元で緩やかな笑みを刻んだ。 (本当に、似てる。確かに触れているはずなのに何も残らない感じも、指の間をすり抜けていっちゃうのも。) そのくせ、ちゃんと手に滴を残していくのだ。 雨の下から引き寄せた手にあかねは唇を寄せた。 「季史さん・・・・」 たくさん話す事もなかった。 一緒にいる時間も僅かなものだった。 「季史さん・・・・」 それでも あなたの全部が好きでした ―― 触れた唇に雨の滴が一粒残った。 〜 終 〜 (雨と季史の組み合わせは絶対ですよね!ちなみに私の脳内ではこの後ちゃんと再会した予定です) |