「・・・・こんなところで、何をやってるのかしら私。」 低い庭木が生い茂った京城の庭の一角で、芙蓉姫はため息をついた。 庭にいる、といえばまともなようだが、芙蓉姫がいるのは正確にはとある部屋の窓の下だ。 (完全に怪しいわよね。使者として来てるのに軍師の部屋を覗てるところなんか見られたら。) それは芙蓉姫だってわかっている。 わかっているが、今まさにしようとしている行為は軍とか国とかいう大きな物とはまったくもって関係のない、しかしながら芙蓉姫にとっては大変重要な理由からだ。 (・・・・それにしても執務室なんて覗いて、何がわかるのかしら。大喬殿と小喬殿は覗けばすぐ分かるよっていってらしたけど。) 首を捻りながら、芙蓉姫はそもそもこの事態の発端となったできごとを思い出した。 「率直にお聞きします。」 半ば座った目でそう切り出した芙蓉姫に、大喬と小喬はきょとんっと目を見開いた。 玄徳軍の武将である芙蓉は玄徳と尚香の婚姻の事などで幾度か呉を訪れている顔なじみなので、彼女の出現自体に驚いたわけではない。 けれど、今まで芙蓉姫は二喬に対して臣下の礼を尽くして接してきたので、このように突然二人の部屋を訪れて話を切り出すようなことはなかったのだ。 「芙蓉ちゃん、珍しいね〜。」 「どうしたの?何か面白い事でもあった?」 顔を見合わせた二喬は退屈しのぎに刺していた刺繍も放りだして、芙蓉姫へ問うた。 「面白くはありません。ええ、まったく!」 二人の言葉に芙蓉姫は思いきり顔をしかめる。 「えー?面白くないのお?」 「それはちょっとねえ。」 「大喬殿!小喬殿!面白い面白くないの問題ではありません。」 あからさまにがっかりした顔をしてみせる二喬に芙蓉姫は眉を寄せる。 が、もしこの場に呉の人間が一人でもいたら気が付いたであろう。 不満そうにしている二喬の顔の裏側に、すでに十二分に楽しそうな笑顔が隠れている事に。 残念ながらそんな小悪魔の尻尾は掴めない芙蓉姫は憤然とした様子で続けた。 「いいえ、この際、貴方方がどう思っても関係ないわ。私が知りたいのは、あの張り付き笑顔軍師が何を考えているのかって事なんだから!」 「張り付き・・・・」 「笑顔軍師・・・・」 「って、もしかして公瑾の事?」 「他にいます!?」 忌々しげに吐き捨てた芙蓉姫に顔を見合わせた二喬は同時に「「いないねえ」」と頷き合って、ころころと笑い声を上げた。 「すごいねえ!芙蓉ちゃん。それぴったりだよ。」 「ねー。公瑾は私たちには結構分かりやすいけど、他の人にはそう見えるよね。」 「ええ、お二人にはあの笑顔の裏がおわかりになると聞いたので、伺ったんです。」 今度喧嘩した時に言ってやろう、などと俄に盛り上がっている二喬に、芙蓉姫は仕切り直すように向き直った。 そして。 「率直にお聞きしますが、あの周公瑾。本当に花の事が好きなんですか!?」 芙蓉姫の言い放った台詞に、大喬と小喬はまたもきょとんっとする羽目になった。 「公瑾が?」 「花ちゃんを?」 「「そりゃあもう、誰がどう見たって大好きだと思うけど。」」 何を当たり前の事を聞いているんだ、とばかりに異口同音に返されて、さすがの芙蓉姫も一瞬たじろいだ。 だがしかし、芙蓉姫にとって花は今や親友である。 故に、先ほど見かけた光景が芙蓉姫の脳裏を掠めて、単純に納得をさせなかった。 「先ほど、公瑾殿と花が一緒にいるところを見かけたのです。」 「うんうん。」 「けれど、恋人同士というにはどことなく素っ気なく・・・・」 「あー、どうせまた公瑾が『貴女は考えが浅い』とか、『少しは自覚して』とか言ってたんじゃない?」 「!私は遠くて声までは聞こえなかったんですが、そんな事を言うんですか!?」 小喬が苦笑しながら言った言葉に、芙蓉姫はかっとなる。 先ほどちらっと芙蓉姫が二人の姿を見かけた時、公瑾は酷く仏頂面で花が困ったような顔をしていた。 それが気になって思い返してみれば、使者として呉に来てから公瑾が花を恋人扱いしているような場面を余り見ていない事に気が付いたのだ。 だから、急にちゃんと大事にしてもらっているのか不安になった。 そもそもが、妙に頭の良すぎる男は芙蓉姫の好きなタイプではない。 孔明しかり、雲長しかり、そして公瑾しかり。 けれど、花が選んだのだから彼女の幸せを優先しようと何も言わず祝福したというのに。 「あの胡散臭男・・・・!」 ぎりっと己の武器である鉄線を握りしめる芙蓉姫を見て、二喬は顔を見合わせた。 そして・・・・。 「芙蓉ちゃん、芙蓉ちゃん。」 「はい?」 「あのね、芙蓉ちゃんって武人だよね?」 「は?」 大喬と小喬に左右から問いかけられて、芙蓉姫は一瞬怒りを忘れて首を捻った。 「そうですが、それが何か?」 「そっか。それならきっと公瑾に気づかれないでのぞけるね。」 「へ?」 「気配とか殺せるでしょ?公瑾って一応武人だから私たちだとすぐ見つかっちゃうの。」 「はあ?」 「というわけで」 「「こっちこっち!」」 「ちょっ!?え!?な、どこに行くんですかー!?」 そんなこんなで二喬にあれよあれよという魔に引っ張ってこられてこの庭に送り出されたわけである。 そして二人揃って芙蓉姫を庭に押し出した時の台詞が。 『公瑾と花ちゃんが仕事してる時を見ればすぐわかるよ。』 だったのだ。 (・・・・何がわかるのかしら。) 芙蓉姫が知りたかったのは公瑾が花を恋人としてちゃんと大切にしているかどうか、だ。 仕事をしている所を見てそれがわかるのか、心から疑問ではあったがここまで来て引き下がるのも馬鹿らしい。 釈然としないまま、それでも芙蓉姫は気配を殺して部屋の中をそっとうかがった。 ―― まず見えたのは、部屋の端で書簡の書き取りをしている花の姿。 その花の机から出入り口の扉を挟んで向かい合わせになるような位置に、ある机で公瑾がこちらは何かの書簡に目を通していた。 (普通に仕事中、よね?) もしかしたら休憩でもしている姿を見せようとしたのか、とも思っていたが見る限り完全に仕事真っ最中だ。 会話どころか、二人とも完全に手元の仕事に集中しているように見える。 しーんと静まりかえった執務室に、時折、公瑾が書簡を折り返す音や花が竹簡を重ねる音が聞こえるだけ。 (・・・・・・・・・・・本当に何がわかるのかしら。) 二喬の意図がさっぱり分からず、芙蓉姫は眉を寄せる。 ―― と、その時だった。 一つ手元の書簡を読み終わったのか、公瑾がカタカタとそれを丸めて近くの山に重ねる。 そして次に手を伸ばそうとして。 ふっと、花に視線を滑らせた。 それがあまりに自然な仕草過ぎて、最初芙蓉姫はその意味を掴み損ねた。 それぐらい自然に公瑾は花を見たのだ。 声をかけようとか、意識を惹こうという気はまるでない。 ただ、当たり前のように花を見て、そして ―― ―― 微笑んだ 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 ・・・・あれは誰? 思わずそんな愚も突かない疑問を抱かせてしまうほど、その微笑みは芙蓉姫の知る周公瑾とかけ離れたものだった。 相変わらず書簡を書き写すことに集中しているらしい花はさっきから顔も上げていない。 だからきっと正面にいる公瑾にはほとんど頭が見えているような状態に違いないのに。 それでも、彼は微笑んだのだ。 酷く安心したように、酷く嬉しそうに。 そして酷く ―― 愛おしそうに。 (・・・・・・・・・・・・・・あれって、無意識なのかしら。) 長い思考停止の果てに、芙蓉姫がそんな事を思った時には公瑾はまるで何事もなかったかのようにまら執務に戻っていた。 あんな眼差しも微笑みもなかったかのような、完璧な軍師の顔で。 けれど、確かに芙蓉姫は見てしまった。 ふらり、と音を立てないように窓の下を離れる。 幸い部屋の中の二人には気が付かれることなく庭に入った回廊まで戻ってきた芙蓉姫を、いままで待っていたらしい二喬の含みのある笑みが向かえた。 そして。 「ね?」 「わかったでしょ?」 左右から覗きこんでそう言ってくる二人に芙蓉姫は何と言ったらいいか、少し考えたあげく。 不格好な「愛してる」 「・・・・あんな胸焼けしそうな視線、初めて見ましたわ。」 〜 終 〜 (はい、今回の惚気の餌食は芙蓉姫でした・笑) |