(人間の心臓って結構大きな音でなるのね・・・・) どくっどくっと耳元で鳴り響くような心音を聞きながら、はるはどこか他人事のようにそんな事を思った。 思ったが、もちろんなっているのは他人の心臓ではなくはる本人の心臓である。 ついでにいうなら、この春から正式にはるの部屋となった当主の妻の部屋には今ははる以外の人間は誰もいない。 では何故、誰もいない部屋ではるは一人でドキドキしているのか。 (でもめげないんだから!絶対に絶対に勇様をぎゃふんと言わせるまでは!) ぐっと拳を握って心に誓う、それが原因であった。 はるがそんな事を急に決めた発端は昼間ふらりと遊びにきたトキの一言が原因だった。 当主が勇になって以来、新婚夫婦をからかう事を楽しみにしているトキはひとしきりはるから最近の話を聞いた後、相変わらず猫を思わせる笑みを浮かべて言ったのだ。 『あんさん、勇に振り回されてばっかりやなあ。』 と。 言われてみれば確かにその通りなのは否定できない。 何せ勇と来たら所構わずはるが赤面するような事を言っては、赤くなったはるを見てまたさらに赤面するような行動に出てばかりなのだから。 そりゃあもう、屋敷の中なら人がいようといまいと全く気にも留めないものだから、使用人達の目が最近では生温いを通り越して同情の域にさえ達しているほどだ。 (いくら恥ずかしいって言ってもわかってくれないし・・・・) はるだって諦めずに抗議は続けているが、あのやたらと堂々とした態度で『お前を愛しているのだからしかたなかろう』などと胸を張って言われると、強くは言えない。 (・・・・嬉しくないわけじゃないし。) 思わず子どものように笑う勇の顔を思い出して、はるの顔がへにゃっとゆるむ。 が、慌てて引き締めた。 「だから、そうじゃなくて!せめて急にされるのがどれだけ心臓に悪いか分かっていただくのよ!」 ―― 長くなりましたが、つまりはそう言う訳で、今、はるは勇に不意打ちを仕掛けるべく彼の帰宅を今か今かと待っている最中なのであります。 とはいえ、浅木はる改め宮ノ杜はるは正真正銘の大正オトメである。 慎ましやかで控えているのが女性の美徳とされる時代に自分から殿方に不意打ちなど普通の女性なら羞恥のあまり卒倒してもおかしくない。 「でもしかたないのよ。今後の私の平穏のためには!」 ただでさえ常日頃から当主の暴走をどうにか押さえて欲しいと使用人から正に至るまで期待の目を向けられているのだから。 (大丈夫、ちゃんと計画もたてたし。) ぎゅっとはるが両手を握ったその時。 ―― ・・ブロロロ・・ 「!」 遠くから聞こえたエンジンの音にはるははっと顔を上げた。 時間的には間違いなく勇の帰宅の車だろう。 慌てて立ち上がるとはるは部屋を飛び出した。 ドキドキと跳ね上がる鼓動に後押しされるように廊下と階段を駆け抜ける。 途中、千富の驚いた声を聞いた気がしたけれど、緊張感最高潮のはるにはそれどころではなかった。 その勢いのまま玄関ホールに飛び込んできたはるに、ちょうど玄関を潜って使用人に荷物を持たせていた勇が驚いた顔をする。 「はる?どうかしたのか!?」 「い・・・え、その、お、おかえりなさいませ。」 ぜいぜいと息を切らせるはるを見て勇はますます眉間に皺を寄せる。 「何を呑気な事を言っている!何かあったのか?何故、そんなに取り乱しているのだ。」 「え?あ、別に取り乱しているわけではなくて・・・・」 「だがそれならば飛び出してくる事など無いだろう。まさか、また当主が何か!」 「違いますから!!」 きりりっと目端をつり上げて今にも怒鳴り込んでいきそうになる勇を見て、はるは慌てて声を上げた。 「違います!何もありません。第一、もう当主は勇様じゃないですか。」 「それはそうだが・・・・」 結婚前のごたごたがかなり心に残っているのか、まだ釈然としない顔をしている勇に、はるはなんとか呼吸を落ち着けると言った。 「あのですね、急いでお迎えに上がったのは・・・・その・・・・」 「?なんだ?はっきり言え。」 もとが短期な性格故に勇がイライラしだした気配を感じて、はるは焦った。 本来の計画では帰ってきて顔を見た瞬間に勢いで仕掛けるつもりであった。 が、こうなると計画を変更せざるを得ない。 「あの、勇様。」 「なんだ。」 「少し、お耳を貸して頂けますか?」 「?耳だと?」 怪訝そうに眉を寄せる勇の軍服の袖をはるは不安げにちょこっと引っ張る。 何せ勇は大分背が高いのだ。 背伸びしただけでは届かないと示すための行動だったが、何故か勇は一瞬怯んだような顔をした。 「?勇様?」 「あ・・・いや。なんでもない。耳、だったな。」 「はい。」 「よくわからんが、これでいいか?」 そう言って勇ははるに耳を近づけるように体を傾けた。 間近にきた勇の横顔にはるの鼓動がまた大きく跳ね上がる。 (でも!でも頑張るのよ!私!!!) 縮み上がりそうな心臓に発破をかけて、はるはつま先立ちをして勇の耳へと唇を近づけて。 ―― そして不意打ち計画を仕掛けた。 「あの・・・・お帰りなさい、勇様。あ、あ、あ・・・・愛して、ます。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 甘い不意打ち ―― 後に、近くで一部始終見守るはめになった使用人は語る。 「いや〜、あの時、初めて理性が切れる音っていうの聞いたわ。」 〜 オワリ 〜 (勇様暴走フラグ・笑。もちろん後日トキ様が聞いて爆笑です) |