酔っているのは酒か恋か



ほんのり上気した頬、やたらと明るい笑顔にも関わらず、どうにも芯が入っていないようにぐでっとした態勢。

それは酒も出す料理茶屋である香夜の店でも時折見る姿だから一目で状況はわかった。

どう見ても酔っぱらいの姿だ。

しかしそんな姿をしているのが、店のお客さんとか、時折寄る縁なら香夜だって心配はすれどこれほど驚かなかっただろう。

そう、今まさに香夜は目を丸くして驚いていた。

なんせ、店の戸口に弟分のかむろに半ばもたれかかるようにして一目で酔っぱらいとわかる姿で立っていたのは。

「ええ!?螢!?」

「わ、声が大きい!」

思わず驚きの声を上げてしまった香夜は、かむろに言われて慌てて口を押さえた。

「ご、ごめんなさい。驚いちゃって。」

「あー、うん。そりゃそうだよなあ。こんな時分だし。」

声をひそめて謝る香夜に、かむろも仕方なさそうな顔をしてちらっと自分たちが来た通りの方へ目をやった。

普段は人通りの多い通りも、夜更けというに相応しい今の時分では人っ子一人いず、暗い闇だけが広がっている。

香夜の驚きの一端もこの時間帯にもあった。

一日の店の仕事を終えて、片付けや寝る仕度を調えてお布団に入ったところで小さく表から戸を叩く音がして起きてきたら、二人がいたのだ。

(見慣れた二人だから慌てて戸を開けたけど、そうでなかったら父様も寝てしまった後になんて絶対戸を開けない時間よね。)

と、そんなことを考えていたら。

「よぉ〜、香夜〜」

さっきの驚きの声から、明らかに遅れて、これほど香夜を驚かせている張本人がにかっと笑ってそう言った。

それにつられて、香夜は改めてそちらを見る。

浅黒い頬はいつもより明らかに赤いし、普段はきちっとしている姿勢も今や見る影もなくかむろにもたれかかっている。

にこにこと笑う笑顔は妙に無防備で不覚にもちょっとドキッとしてしまったが、普段の螢ならかむろもいる前でこんな笑顔を見せたりはしないだろう。

要するに、見事な酔っぱらいの姿で螢・・・・香夜の許婚がそこにいた。

「よおって・・・・これ、どうしたの?かむろ。」

さて、酔っぱらっている螢にまともに返事を返すべきか迷った香夜は、とにかくこの状況を確かめようと、素面のかむろに目を向けた。

するとかむろはちょっと困ったように笑って。

「いやー、あんた今夜兄貴が知り合いの鬼族と呑んでたって知ってるか?」

「あ、うん。」

(そういえば、今夜は知り合いが来るからって言ってたっけ。)

春の剣取り五剣祭で一番刀になって以降、螢の元には各地から鬼族がやってくるようになった。

住む場所を脅かされているような鬼から、名を上げた螢にならって江戸で一旗揚げようとする者まで様々ではあるが、そうして鬼族達がくれば嫌な顔などせずに螢は面倒を見ていて、確か今日もそんな鬼達が家へ寄るのだと言っていた。

(だから今日はお役目が終わったら家には寄れないって昨日言われてたけど。)

香夜と螢は夫婦になることを約束した許婚同士だが、そんなこんなでまだ正式な祝言を挙げるに至っていない。

けれど、以前に螢が他の鬼達の面倒を見るのに必死になっているうちに危うく香夜と心の距離が空いてしまいそうになった反省もあってか、最近の螢は忙しくてもちょっとは香夜の顔を見に寄ってくれていた。

(・・・・だから、今日は顔を見られなくてちょっと寂しいって思ってはいたけど)

まさか酔っぱらいで現れるとは思わなかった。

そう思っているとかむろが苦笑のまま。

「それがさ、兄貴、その知り合いの鬼族と飲み比べしたらしくて。」

「飲み比べ?」

実際に見たことはないが飲み比べが酒の強さを競うものだとはわかる。

「でも螢って確かお酒強いんじゃなかった?」

昔語りにもあるように総じて鬼族というものは人より酒に強いはずだ。

香夜とて螢の酒に付き合ったことはないが、そうそう酔っぱらうほど弱くはないだろう。

しかし何度見ても、やっぱり目の前の螢はどう見ても酔っぱらっている。

さて、どれほど呑めばこうなるものか、と好奇心から香夜は聞いた。

「いったいどれぐらい呑んだの?」

「えーっと、二樽?」

「樽!?」

(単位が既におかしい。)

呑んでもいないのに話だけで酒の匂いがしたような気がして、香夜はくらくらした。

もはや、二人で二樽なのか、一人二樽なのか、とは恐ろしくて聞けない、と思っていると、何やらふらふらと螢が動いた。

「?螢?」

「んー・・・・」

どうしたの?のつもりで呼んだ名には不明瞭な相づちだけが返ってきて、おもむろにかむろから離れた螢が無造作に香夜に抱きついてきた。

「ちょっ!?」

「あ、兄貴兄貴!香夜さん潰れるから!」

「あー・・・・」

かむろとはいえ人前で抱きしめられた驚きと、普段よりも過度に掛かってきた重さとで香夜がよろめくと、あわててかむろが螢の服を引っ張ってくれた。

それでなんとか事なきを得たが、ぎゅうっと抱きついてくるのはかわらない。

吹き込んでくる夜風など問題にならないぐらい熱い螢の体温に落ち着かなくなる心臓を宥めながら、香夜はどうしたものかと螢ごしにかむろを見た。

「すごく呑んだって言うのはよくわかったんだけど、なんで飲み比べなんかしたの?それに、どうしてうちへ・・・・」

「それがさあ。」

螢の腰のあたりを引っ張りながら、かむろはちょっと渋い顔をして螢を見た後、心を決めたように口を開いた。

「あんたにこんなことばらしたって知ったら後で兄貴が怒るかも知れないけど、しょうがないよな。」

「私?私が知っちゃいけないようなこと?」

「そういうわけじゃないんだけど・・・・実は兄貴が飲み比べしたのって、あんたが原因だったんだ。」

「え?」

どういうことだろう、と首をかしげる香夜にかむろははあ、とため息をついて言った。

「今日飲んでた兄貴の知り合いの鬼族達は悪い奴らじゃなかったんだけど、ちょっと人への偏見があってさ。それで兄貴の許婚が人だって聞いて、酒の勢いで、あんたを馬鹿にする様な事を言ったんだよ。」

「・・・・・」

かむろが気を遣って話してくれているのはわかったけれど、それでも胸はつきん、と痛んだ。

(わかってはいるんだけど。人が鬼に対して偏見を持っているように、逆もあるって。)

けれど、それを少しずつでも減らしていく事が螢と香夜の悲願だ。

そう心を持ち直して香夜は「それで?」と先を促した。

「や、それでさ、兄貴、かなり頭にきたみたいで。」

「まさかケンカとか・・・・」

「そこは頑張って押さえてたよ。ただやっぱりそのままじゃ収まらなかったらしくて・・・・それで、飲み比べになったわけ。」

「ああ」

ここへ来て納得がいった。

螢は血の気が多い方だが、普段だったら飲み比べなんて事はしないだろう。

(でも私が馬鹿にされて頭に来て)

かむろの口ぶりからして、馬鹿にされたと言っても手を出すほどの酷い侮辱ではなかったのだろう。

けれど、それでも螢は怒ってくれたのだ。

「取りあえず相手を潰して満足したらしいんだけど、そしたら今度はあんたの顔が見たいって言って聞かなくてさ。」

最後にかむろが少し困ったように付け足した言葉に、香夜は本格的に眉を下げてしまった。

(そんなこと言われたら、怒りにくくなっちゃった。)

体のことも考えずに飲み比べなんかして、夜分にかむろに付き合わせてうちまで来て、と心配で言いたい小言はあったのに、その大本にあるのが自分への想いだと聞いてはどうにも嬉しくなってしまう。

「んー・・・・香夜ぉ・・・・」

相変わらずぎゅうううっと抱きついてすりっと頬を頭にすり寄せられて、香夜はため息をつくように微笑んだ。

「もう・・・・螢ったら。」

(これは今から連れて帰るのは無理よね。)

螢が祖母と住む家まではそれほど遠くはないとはいえ、これだけがっちり抱きしめられているところから抜け出して彼を送ってかえるというのは現実的ではない気がした。

幸い、香夜の父はもう寝床にはいっているだろうし。

「仕方ないから、今日は家に泊めるわ。かむろ、手伝ってもらえる?」

「うん!」










しばし後 ――

「・・・・や、やっと運べた・・・・」

自分の部屋ではああ、と香夜はため息をついた。

(酔っぱらいを移動させるのって大変なのね。)

螢はそれなりに体格のいい成年男子なので、ただでさえ重いし、おまけになまじ意識があるものだから香夜に抱きついたまま離れないし。

二人がかりでも大苦戦したのを思うと、螢をこの店まで引きずってきたかむろはもっと大変だっただろう。

さっき送り出したかむろのほっとしたような顔がそれを物語っているようで、ちょっと申し訳ない気分になった。

ちなみに、その苦労の根源である螢はというと。

「・・・・んー・・・・」

香夜にもたれかかるようにして後ろから抱きついたまま、香夜の布団の上に座っていたりする。

(・・・・絶対人には見せられない姿ね。)

そりゃ香夜とかむろだって最初は、香夜の部屋に布団をもう一つ敷いてそこへ寝かせようと努力はしたのだ。

が、先ほども言った様にがんとして螢が香夜を離さなかった。

それはもう、頑ななまでに。

というわけで、やむにやまれず、とにかく畳に直によりはマシだろうと布団の上に座らせるところまでは頑張って、そこで妥協したのだ。

「寒い時期じゃなくてよかった。」

布団を掛けなければ風邪を引くような時期ではなかったのが幸いだったと思わずため息をつくと、何故か螢がぴくっと反応した。

「さむい、のか?」

「え?」

(もしかして寒い時期って言ったこと?)

変な所を拾うなあ、と妙なところで関心をしていると、急にもたれかかっていた螢の腕が伸びて、その胸元に抱き込まれてしまった。

「ちょ、螢?」

「さむいのは、だめだ・・・・かぜ、ひいたら、いやだ・・・・」

体全体で螢の体温を感じて、どきんっと鼓動が跳ね上がった香夜だったが、耳に届いた舌足らずな言葉はもっと稚拙で、それでいて真っ直ぐなものだった。

(心配してくれてるんだ。)

酔っぱらってるくせに、と思いながらも胸が温かくなって香夜はくすりと笑みを零した。

そしてなんとか身をよじって螢の方を振り向くと、その顔を見上げて言う。

「大丈夫。寒くないよ。螢がいるから。」

「オレが・・・・?」

「うん、螢がこうしてくれるから温かい。」

「そっか・・・・」

酔っぱらいらしく香夜の言葉の意味をゆっくりと咀嚼したらしい螢が、次の瞬間、安心したように顔一杯で笑った。

「っ!」

それは恋人になってから、螢が見せてくれるようになった笑顔ではあったが、それでもめったに見られるものではないだけに、香夜の鼓動が大きく跳ね上がる。

否応なしに頬がどんどん熱くなっていくのを感じて、思わず俯いてしまった香夜には見えていなかったが、俯いた瞬間、一転、螢がむうっと顔をしかめる。

そして、頭の天辺に何かが触れた感触に、香夜はぎょっとして顔を上げた。

「い、今・・・!?」

頭に口づけされた!?と、確かめる暇は香夜にはなかった。

というのも。

「あたま・・・っ!」

ちゅっと、言いかけの言葉は螢の唇に持って行かれてしまったから。

羽根のように触れるだけの口づけにまん丸くなる香夜の瞳に映った螢は、満足そうににかっと笑う。

そうして。

「っ!」

前髪を梳くって額へ。

指でなぞって頬へ。

酒が入っているせいか、いつもより熱く感じる唇に思わず目を閉じれば、その瞼へと螢の唇が次々に触れる。

「かよ・・・・」

「、っ」

耳元へ唇を寄せて囁かれる名前すら、熱い気がして、頭がくらくらした。

「螢、」

「ん・・・・」

「うん、じゃなくて、その・・・・」

離して、というのは簡単だった。

状況的にもはっきり言って離してもらうべきだと頭のかろうじて残った冷静な部分は叫んでいる。

(だって、このままじゃ・・・・)

常識的にも理性的にも、まずいに決まっている。

それでも、香夜の唇はその言葉を刻まなかった。

だって・・・・。

「香夜・・・・かよ・・・・」

譫言のように囁かれる名前が、なんて愛おしそうに響くのか。

髪を絡める指先が、時折ふれる唇が、なんて熱くて優しいのか。

「おまえは・・・・だれがなんといおうと、オレんだから、な・・・・すっげー、・・・・すき、なんだ・・・・」

大切なものを離すまいとするように抱きしめられて、頬をすり寄せられて紡がれる剥き出しの想いはどんな酒よりも強く香夜を酔わせる。

「螢・・・・私も、大好き。」

ああ、こんな事を言うんじゃなくて、もっと冷静な言葉をかけて螢を無理矢理でも寝かさなくちゃいけない。

そう叫んでいる冷静な自分の声がこのまま螢に抱きしめられていたいと思う衝動に甘く溶けてしまう。

そこにとどめを刺すように、螢が笑う。

嬉しそうに、本当に幸せそうに笑うから。

「香夜・・・・」

「螢・・・・」

酔っているのは螢のはずなのに、自分もまるで酔ってしまったようだと回らぬ頭の片隅で思いながら緩やかに掛かってくる螢の体重を受け止めてしまう。

ゆっくりと押し倒されて、背中が布団に触れた瞬間、心臓が大きく跳ね上がる。

「香夜・・・・」

一瞬、戻りかけた思考を甘い声がまた痺れさせ、ゆっくりと降りてくる螢の唇を、香夜は静かに受け止め ―― るかと思った、直前。










―― ずるっ

「え?」










目の前に迫っていた金色の瞳が視界から消えたと思った刹那、香夜の頭の横で、ごんっ!と鈍い音がした。

「!?」

甘い空気に酔いかかっていた香夜は、我に返ると半身を起こして横を見た。

と、そこには。

「うう・・−ん・・・・・・・・・・・ぐー・・・・・・・・」

顔面から布団に着地したのがさすがに痛かったのか、眉間に皺をよせ、それでもそのまま横倒しになって寝息をたてる螢の姿があった。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・ぐー・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はあ。」

(・・・・なんだろう、どっと疲れたかも。)

数秒間、螢の寝顔を呆然と見ていた香夜だったが、さすがにがっくりと肩を落とした。

「・・・・酔っぱらいが質が悪いって言うのはわかっているつもりだったんだけど」

こういうたちの悪さは初めてだった、と香夜は苦笑した。

そしてちょっと恨みがましい目ですっかり寝息を立てている螢の顔を覗き込む。

「もう・・・・危なかったんだからね?」

口に出してみて、さすがにちょっとおかしくなってしまった。

酒に酔った恋人に襲われ掛かった、など考えてみれば笑い話だ。

それも自分の名誉のために飲み比べをして、ぐでんぐでんになった恋人に。

恋人冥利に尽きると言えばそうなのかもしれないが、この話を明日素面にもどった螢にしたら、一体どんな顔をすることだろう。

(きっと・・・・大変な事になるかも。)

それを想像しただけで、さっきの甘い空気から一転、笑いがこみ上げてきて、香夜はくすくすと堪えきれずに笑ってしまった。

(でも)

笑い声だけはなんとか納めて、香夜は螢の寝顔を見つめて目を細める。

「ありがとう、螢。」

大事にされているのも、愛しまれているのも目一杯伝わった。

だから。

「大好きよ、螢」

改めて寝顔にそう告げて、さっき布団にぶつけたであろう額にちょん、と口付ければ、なんとなく螢の寝顔が緩んだ気がした。

それが嬉しくて香夜は布団に寝転がると、そのまま螢の胸に頬を寄せる。

―― 本当は、眠った螢の腕から抜け出してもう一つ布団を敷くべきなのだろうけれど、今は離れたくないとちょっとだけ我が儘を通して。

とくんとくんと刻む螢の鼓動を聞きながら、この上なく幸せな気持ちで香夜はそっと目を瞑った。










―― で、翌朝。

「こ・・・・・・・・・・・・・・これ、どういう状況だ・・・・?オレ、何やらかした・・・・・?」

すーすーと幸せそうな寝息を立てている香夜を抱きしめた態勢のまま、目を覚ました螢が顔面蒼白になってそう呟いたとか。















                                             〜 終 〜














― あとがき ―
ゲーム中にお酒に強いかどうかの話は出てきてないんですが、多分、螢は強そうかなと予想。