腕の中に君



「おお、香夜がすっぽり入る・・・・!」

人を抱き寄せておいて、この色気のない台詞はなんだろう、と照れるより先に香夜は笑ってしまった。

「む、笑われてしまうとは・・・・俺は何か変な事をしたか?」

「変な事って言うか、ねえ?」

笑いを残したままそう答えて、香夜は手に持っていた繕い物を下に置くと後ろから抱きしめる九十九丸の腕に手を添えて軽く振り返った。

「急に抱きしめられてどきっとしたのに、そんな寸法を測られるみたいな事を言われると思わなかったもの。」

そう、冒頭の台詞までは、実は結構ドキドキする展開だったのだ。

何せここは奥州街道も半ばの宿場町。

二人で一つの部屋で眠るのも慣れてきた香夜は旅の途中で痛んだものの繕いをしていた。

後ろでは九十九丸が何か書き物をしていて、未だに心を通じ合わせたばかりの初々しさの残る関係の二人の間には、少しくすぐったいながらも心地良い沈黙が落ちていた。

そこへ、不意に背中に気配を感じたと思ったら、あっという間に引き寄せられていて・・・・、とここまでは恋物語にありそうな展開だったのに、その第一声が。

「すっぽり入る、だもの。」

しかも色気など微塵もなく、子どもがおもちゃでも箱にしまって満足したかのような嬉しそうな声で。

(九十九丸らしいけれど。)

そう思えば思うほどくすくすと笑いを堪えられない香夜に、ちょっと不満げに九十九丸はむうっと眉を寄せた。

「いや、俺にとってはかなり感動的なことだったんだが・・・・。」

「感動的って、すっぱり入る?」

「ああ。」

頷いて九十九丸は香夜に回した腕に軽く力を込めた。

それだけで、香夜の体は九十九丸の懐に引き寄せられて、確かにすっぽりとその腕の中に囲い込まれてしまった。

背中全体に感じた体温に、遅まきながらどきんっと香夜の鼓動が跳ねる。

「ほ、ほんとね。」

「そうだろう?今までは抱きしめてもどちらかというと寄り添ってるという感じだったからな。」

今までは、と九十九丸が称したのは、蓮台野で己の体を取り戻す前のことだ。

五年前に一度、命を失いかけてから体の成長が止まっていたらしい九十九丸はそれまで見た目はせいぜい十五といったところだったので、十七になる香夜と体格差はあまりなかった。

「そうね。目線だって同じぐらいだったし。」

想い出すように香夜が言えば、九十九丸が頷いた。

「俺はあまり大きい方ではなかったしな。だからあの時だって・・・・」

呟くように言って九十九丸は言葉を濁した。

その反応に、香夜は不思議に思って聞き返す。

「あの時?」

「雨の中で香夜を待たせてしまった時。俺がもっと体格があれば、熱を出し始めた所で抱えて帰る事もできたのにって思っていたんだ。」

九十九丸が少し悔しそうに語る出来事を想い出して、香夜は少し懐かしい気持ちになった。

(なんだか随分昔の事みたい。)

まだ春先の頃で、冷えた雨に当たって珍しく熱を出してしまった事があった。

確かあの時は剣取り試合に出ていて、遅れてしまった九十九丸が慌てて駆けつけてきて、二人で雨を凌ぐためにお堂に入ったのだ。

「そんなこともあったね。」

「うう、懐かしそうに語られるが、俺には結構悔しい思い出なんだ。あの時、螢や縁のように体格が良ければ、香夜を抱えて帰る事だってできただろうし、もっとちゃんと温めてやれたはずなのにって。」

まあ、もっともあの頃は半分死体だったから、抱きしめてもあまり温度にはならなかったかもしれないが、とやや自虐的な呟きを零す九十九丸に、今度は香夜の頬が唇を尖らせた。

「もう!別にあの時はあの時で、九十九丸はやれるだけの事をしてくれたでしょ!?だからいいの。私は嬉しかったんだし。」

「香夜・・・・。」

聞き分けのない子を叱るように言ったはずなのに、九十九丸は一瞬驚いたような顔をして、すぐにふにゃっと笑顔を浮かべるとぎゅうっと抱きついてきた。

その体温や匂いが一遍に近くなって、またどきどきと香夜の鼓動がうるさくなる。

「ちょ、ちょっと九十九丸!」

「ん?」

「もう・・・・その、離して。繕い物が途中だし。」

「嫌だ。」

本当は心臓の音が聞こえそうで適当な理由を付けて離してもらおうとした訴えはばっさりと却下されてしまった。

「嫌だって・・・・」

色恋は苦手でまだまだ香夜に対しても遠慮がちなところがある九十九丸の思いの外きっぱりとした拒絶に驚いていると、もう一度、ぎゅっと抱きしめられて。

「ずっと、悩んでいたんだ。香夜を抱きしめても俺の小さい腕では護りきれないんじゃないかって。抱きしめても足りなくて零れてしまうんじゃないかと、ずっと怖かった。でも」

そう言葉を切って、香夜の頭に九十九丸が唇を寄せる。

感触だけでそれがわかって肩を竦める香夜をますます嬉しそうに九十九丸は引き寄せた。

「さっき、そこで繕い物をしてる香夜の背中を見て、ああ、小さいんだなって思ったんだ。」

「小さい?」

「ああ。俺にとって香夜はいつも凜としてて強い人だったから、小さいなんて思った事なかったんだが、今、ふと小さいな、可愛いな、と思ったんだ。」

「か、」

(可愛いって・・・・!)

さらっと織り込まれた言葉に香夜の鼓動はまた一つ跳ねるが、九十九丸の方はそんな大した事を言ったつもりもないのか、香夜の反応に不思議そうにしているから、香夜は慌てて続きを促した。

「な、なんでもない!それで?」

「あ、ああ。・・・・それで、抱きしめたら包めるかなと思って引き寄せたら、ほら。」

「すっぽり?」

「ああ!」

大きく頷くその声の、嬉しそうな事といったら。

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・天然。)

ぽつんっとやや白くなりかけた頭にそんな単語が浮かんだのも無理はないことだろう。

こんな風に好きな人に言われて嬉しくない女の子などいない。

実際、香夜はうるさい鼓動と緩みそうになる口元を隠すだけで精一杯だ。

「・・・・本当に大きくなったものね。」

このままどきどきさせられっぱなしというのも少し癪なので、一応平静を装って香夜はすとんっと背中を九十九丸に預けてみる。

そうすると、まるで計ったように胸の中に背中が収まった。

これは確かに十五の体格の時の九十九丸にはあり得なかったことだ。

「本来の大きさがこっちなんだが。・・・・俺には香夜が小さくなったように感じる。」

「私は小さくなんてなってないよ?」

「小さいさ。」

くすっと微笑む気配がしたかと思ったら、胸の前に置いていた手が、九十九丸の手に攫われた。

その手もまた、十五の時より一回り大きくなっていて。

「ほら、手だってこんなに華奢だ。」

―― ちゅ、と

「っ!」

無防備だった指の背に唇を寄せられて、香夜はぎょっとした。

「ちょ、九十九丸!?」

驚いて手をふりほどいて振り返ったのが・・・・運の尽き。

「ほら、顔も。」

「っ!」

あっという間に両手で頬を捕まえられてしまって、額がぶつかりそうな距離まで詰められてしまった。

「本当に小さくて、可愛いなあ。」

「〜〜〜〜っ」

すりっと、満面の笑みで額をすり寄せられてしまって香夜はもう声にならない呻き声を上げる。

(こ、これわざとやってるのかしら?それとも天然???)

どっちにしても質が悪い、と確実に真っ赤になっているであろう顔を隠す事もできずに香夜が恨みがましく見上げると、九十九丸はほんの少しだけ悪戯っぽく笑って。










「・・・・江戸に戻ったら、しばらくはこんな風に触れられないから、少しだけ許してくれないか?お嬢さん。」










「!」

まさかの確信犯だった、と目を丸くする反面、かつての呼称を持ち出してくる九十九丸に、香夜は思わず笑ってしまった。

「もう・・・・大きくなってずるくなったんじゃない?」

揶揄するように笑うと、九十九丸も笑った。

「そうかもしれない。でも、さっきも言ったけど、これが本来の俺なんだ。だから」

そう言葉を切って、今度は香夜の背に九十九丸の手が回る。

そっと押されるように抱き寄せられて、頬を付けた九十九丸の胸は確かにいつかよりもずっと温かくて、その奥でとくとくと鳴る心臓の音がした。

その温もりも、鼓動の音も全てが幸せで愛しくて。

「早くなれてくれ、香夜。」

そう言って緩やかに降ってくる口付けを受け止めながら、香夜はこの幸せに慣れる事は当分なさそうだ、とこっそり微笑むのだった。
















                                                  〜 終 〜
















― あとがき ―
九十九丸ルートで遠野から江戸への帰り道ネタは好きすぎて何パターンも書いてしまいました(^^;)