注意一秒、世話過剰



鷺原左京はそれは綺麗な顔立ちをしている。

それも男にしては、という枕言葉がつくような限定的なものではない。

人形のように美しい目鼻立ち、染み一つない白い肌。

仇討ちを終えた今でこそ、姉の髪紐を大切にしまい、背で一つに括っているが、流れる漆黒の髪はその肌を引き立たせるようだ。

町を歩けば何人かは確実に振り返るであろう美人ぶり。

それは妻である香夜にとっては誇らしい事であり、同時にちょっとしたプレッシャーでもあった。

が・・・・今、香夜は初めて身に染みて感じている。

(き、綺麗な顔の人が・・・・)

「・・・・香夜さん?」

「は、は、はいっっ!」

一見穏やかに名前を呼ばれて、香夜は彼の視線から逃れるようにいつの間にか下がってしまっていた視線を跳ね上げる。

すると、真っ直ぐに向いた視線に映るのは、思わず見惚れてしまうほど美しく正座している左京の姿。

元武家の嫡男らしく、座る姿のなんと絵になることか。

しかし悠長に見惚れている余裕は今の香夜にはなかった。

なにせきっちりと姿勢を正した左京の顔に浮かぶのは・・・・笑み。

だが。

(こ・・・・・・・・怖い。)

そりゃあもう、怖い。

何が怖いって、なまじ綺麗な顔立ちだけに、完璧すぎる笑顔は貼りついた能面のように威圧感と迫力が桁違いなのだと、香夜は初めて身をもって感じていた。

その貼りついた笑顔で纏う周囲の空気が恐ろしいほど緊迫感に満ちているのだ。

本能的に危険を感じてしまうほど怖い。

そして、それはもう全力で・・・・。

「あの・・・・左京さん。」

「なんです?」

「その・・・・・・・・怒って、ます、よね?」

かなりの勇気と精神力を投入してそっと伺うように香夜が言った刹那、ぴしっと左京の能面のような笑顔にひびが入った気がした。

(ひ・・・っ)

しまった、と思うより左京が顔を僅かに伏せ膝の上に置かれた両手がぷるぷると震え始める方が早く。

「・・・・・・・・・・・香夜さん。」

「はいっっっ!」

今度はさっきの取り繕った穏やかな声ではなかった。

もう、あからさまに何かを押さえたような声に、香夜は思わず身構える。

その身構えを待つような間があったのは、果たして左京の優しさか、単に感情を操るのにそれだけの時間が必要だったのか。

どちらかはわからないが、再度上げた左京の顔には、さっきまでの笑みはなく、代わりに苦虫を噛みつぶしたような表情がのっていて。

「私が怒っているのがわかるなら、最初から無茶をしないでください!」

思った通りに落ちてきた雷に、香夜は気まずそうに目線を落とした。

そうすると、左京と差し向かいで正座していた自分の膝の上に置いた手が目に入る。

その右手に巻かれた白い包帯・・・・これこそが、今回この事態の原因であった。

―― 何の事はない、原因は小さなケンカだった。

とはいっても、左京と香夜のケンカではない。

この夏に様々な人の協力を得て左京が始めた寺子屋での、子ども同士の小さな諍いだった。

もちろん、やんちゃざかりの子ども達が集まっているのだから、ケンカなど日常茶飯事だが、運が悪かったのは、ケンカになったのが道場だった、というところだ。

町民でも剣を習いたいという者のために、左京の寺子屋は道場を併設していて、希望する子には剣の稽古もつけてやっている。

その道場で、ちょっとしたケンカが起きた。

原因は悪口を言ったとかそんなような事だったのだろうが、師範である左京が目を離した隙に、片方が壁に掛かっていた木刀でもってもう一方に殴りかかったのだ。

たまたまその場に居合わせた香夜は、それを見た瞬間、反射的に殴られそうになっている子に向かって手を出した。

一流の剣士ならともかく、剣を習い始めの子どもに振りかぶった剣が止められるはずもなく、木刀は庇うために出した香夜の手をしたたか殴ってしまい・・・・今に至る。

「で、でも、幸い骨に異常はなかったですし・・・・」

不幸中の幸いというか、殴ったのが子どもだったおかげで、香夜の手は骨も異常はなく打ち身だけですんだ・・・・と、一応弱々しく主張してみたが、一瞬で左京の顔に能面笑顔が戻ってしまった。

「これで骨までどうかなってしまったようだったら、こんなものではすみません。」

「・・・・・・・・・・・ごめんなさい。」

にべもない言葉を頂いてしまい、香夜はしゅんと小さくなってしまった。

ただ子どもを庇っただけでこんなに怒られているというのなら、理不尽だと怒る事も出来るのだが。

(・・・・左京さん、もの凄く慌ててたものね。)

香夜が殴られた瞬間、思いがけず香夜を殴ってしまって蒼白になる子ども以上に真っ青になって駆けつけてきた左京の姿を思い出す。

それはもう、自分が怪我をしたってこんなに青い顔にならないんじゃないか、というぐらいに血の気の引いた顔で、痛みに耐えていた香夜の方が思わず心配になってしまったぐらいだった。

(なんとか年長の子にみんなをまとめて帰すようにって指示はしてたけど。)

それだけ言うなり、香夜を抱き上げるとそれはもう風のような速さで鈴懸の診療所まで全力疾走だった。

冷やせば大丈夫とか、そんな意見をいう暇も一切ない早業だった。

幸い鈴懸も診療所にいて、他に急ぎの病人もいなかったのですぐに診てもらえたが、その間もずっと左京は無言で香夜の様子を心配そうに見ていただけに、どれだけ心配をかけたかは身に染みてわかってしまっていた。

「あの、心配かけてごめんなさい。」

左京の様子を思い出して、それだけは誤らなくてはと謝罪を口にすると、左京は一瞬、困ったように眉を寄せた。

そして体中の力を抜くように大きくため息をつく。

「・・・・心配、しました。」

呻くように呟かれた言葉は、思っていたよりもずっと苦しげで香夜の心がぎゅっと痛んだ。

「あなたがしてくださったことはとても尊い行為で、あなたのおかげで大事にいたらなかったことも理解はしているのです。」

静かに語られる言葉はいつもの左京らしく冷静だ。

実際、香夜が手を出さずに庇った子が木刀で殴られていたら間違い無く怪我をしていただろう。

けれど、と掠れる声で呟いて、左京は香夜の手に手を伸ばした。

きっちりと包帯の巻かれた手を硝子細工でも持つように恐る恐る持ち上げて、両の手で緩く包む仕草はあまりにも不安げで、香夜の胸を締め付ける。

「わかっていても、感情が制御できない。あなたに怪我をさせた子にも腹がたちますが、それ以上に近くにいながらあなたが怪我をするのを防げなかった自分に嫌気がさします。」

「左京さん・・・・」

「あなたを護ると誓ったのに・・・・」

独白のように呟いて、左京は香夜の手に己の額を寄せる。

それはまるで許しを請うような仕草で、香夜は慌てて首を振った。

「やめてください、お願いですからそんなに気に病まないで。私は大丈夫ですから!」

「ですが、あなたにこんなに痛い思いをさせてしまいました。」

「大丈夫です!痛かったけど、左京さんがあんまり心配してくれるから、かえって驚いちゃって。」

これは紛れもなく本心だった。

(まさか、あんなに取り乱すなんて思っていなかったよね。)

香夜にとって左京は、東海道の偽花嫁行列の時から冷静な人という印象だったのだ。

命に関わるような大けがでもしたならともかく、手を打たれたぐらいであんなに慌てるとは全然想像していなかった。

そんな気持ちがにじみ出ていたのだろう。

左京は香夜の手から顔を上げて、少し困ったように眉を寄せて香夜を見上げる。

「みっともない所をお見せしましたが・・・・あれは私にとっては仕方ない事です。だってあなたは、誰よりも大切な、私の妻なのですから。」

「!」

訴えかけられるように言われて、頬がかあっと熱くなる。

それを見てか、左京がほんの少しだけ微笑んだ。

それはさっきの能面笑顔とは違い、本当に気持ちを乗せた微笑みで、香夜の鼓動をトクンと揺らす。

「あなたには、幸せでいて欲しいのです。痛い目や辛い目にはあわせたくない。」

「大丈夫ですよ?今日は・・・・ちょっと痛かったですけど、辛い目にあったりすることはないです。」

「それならばよいのですが、あなたはいつも少し頑張りすぎるきらいがありますから・・・・。」

憂いを帯びたように目を伏せられて、うう、と香夜は呻いた。

自分では余り自覚がないが、それは日頃から左京に言われていることだったから。

「それほどでもない、と思うんですけど・・・・」

「いいえ!」

一応反論してみたが、びしっと遮られてしまった。

「あなたはもっと私を頼ってくださって良いのです。今日の事はとっさのことですから仕方ないにしても、高い所のものを取る時ですとか、重い物を持つ時も、呼んでくださいと申し上げているのに、いつも自分で頑張ろうとして。」

「ええっと・・・・」

何か論点がずれているような気がしてきたが、左京の勢いに呑まれて、香夜は思わず「そうかなあ」などと思ってしまう。

確かに、もともと父と二人暮らしだったせいか、自分で出来ることはなんでもしようとする癖はあるが・・・・。

「外で絡まれたりした時も、すぐに私を呼んでくださって良いんです。子ども達の面倒を見て下さるのは大変ありがたいですが、懐かれすぎて寺子屋が終わった後までくっついて回られるほど可愛がらなくてもかまいません。」

「え?でもそれは・・・・」

叱られている内容に一瞬、ずれを感じて口を開きかけるが、左京の方が早かった。

「ともかく、あなたはもう少し私を頼って下さい。いいですね?」

「は、はい。」

言い含めるような口調と、相変わらず綺麗な顔に浮かべた謎の迫力に香夜は思わず頷いてしまった。

それを確認して、左京は一つ頷くとおもむろに香夜の怪我をした手を持ち上げて、包帯の巻かれていない指先に口付けた。

「!!」

当然の如く跳ね上がった鼓動に目を丸くする香夜に、左京は間髪入れずにもう一言。

「けして、私のいないところで無茶はしないでください。」

「は、はい。」

「私の目の届かないところへは行かないで。」

「はい・・・・」

現実的にそれを叶えるのは無理だろう、という冷静な考えは、熱に浮かされたように出てこなかった。

それだけ真摯に訴える左京の瞳には力があり、香夜に頷かせるだけの絶対的な雰囲気があったのだ。

くり返すようだが、左京は綺麗な顔立ちをしている。

その涼しげな目で訴えるように見つめられ、苦しげに約束して欲しいと求められて、のぼせ上がらない者がいるだろうか。

加えて、彼の想いを見せつけられたばかりの香夜には抵抗する余地も残されていなかった。

だから。

「どうか、私にあなたを護らせて下さい。あなたを煩わせたり苦しめたりしたくないのです。」

「はい。」

「あなたの心根が優しい事は存じておりますが、どうか何か無茶をしそうになったときは、まっ先に私の事を思いだして下さい。」

「はい・・・・。」

こくん、と操られたように頷いてしまう。

伝わって来る大切なのだと訴える想いに頭が痺れたような気分だ。

―― もし、この時、香夜がもう少し頭が冷えていたら、この瞬間に僅かに左京の瞳が怪しげに光ったことに気が付いただろう。

しかし・・・・。

「・・・・それから、その手が治るまでは私にあなたの身の周り一切の世話をさせてください。」

「はい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」

(今・・・・?)

それまでの流れと同じ様に思わず頷いてしまった直後、はたと香夜は我に返った。

今、もしかしてとんでもないことに頷いてしまわなかっただろうか?

しかし、それを回想するよりも早く、真摯に見つめていた左京の瞳が、あからさまに嬉しそうに輝いた。

「頷いていただけましたね。」

「え?え?左京さん、ちょっと・・・・」

さっきまでの落ち込んだ雰囲気が一転、妙にやる気にみなぎっている左京に香夜は慌てる。

「今、その、何て・・・・?」

「ですから、あなたも利き手を怪我されていて大変でしょうから、日々の身の周りの世話を私がしてさしあげようと思いまして。」

「身の周りの世話!?」

ここでやっと香夜の頭に掛かっていた霞が綺麗さっぱり吹き飛んだ。

(確かに利き手を怪我しちゃったから不便は不便だけど・・・・!)

普段利き手でやっていて、できないと不便になることがどんなことか、想像して香夜は多いに動揺した。

それをおそらく確実にわかっていて、左京は香夜の手を握ったままにっこりと笑う。

「ええ。食事を食べるのも、身支度も、入浴も、利き手を怪我していては難しいですからね。」

「っっ!!!」

ああ、やっぱりそういうこと!?と香夜は心の中で悲鳴を上げた。

「あの!それはっ!」

「香夜さん。」

さすがにそんな事をされたら、身が持たないと辞退しようと声をあげるが、先回りをして左京に名を呼ばれる。

こうなれば、残念ながら左京のペースで。

「先ほど、約束しましたね?私を頼って下さると。」

「は、い。でもそれは・・・・!」

「私とあなたは夫婦なのです。あなたが不自由をしているというのに、それを見ているだけなどできるはずもありません。」

「うう、でも・・・・」

「大丈夫ですよ。心配しないで下さい。」

なんとか左京に諦めさせようと口実を探す香夜に、とどめを刺すように左京は笑った。

それはもう、美しい顔を最大限に生かす魅惑的な笑顔を。

そして。










「大切に大切にいたしますから、私の言う通りに、ね?」










―― さて、問おう。

ただでさえ大切で大好きな旦那様に、その魅力を目一杯発揮するような顔で訴えられて、抵抗できる妻がどれだけいるだろうか?

ちなみに。

「・・・・・・・・・・・・・・はい。」

陸揚げされた金魚よろしく、しばらくぱくぱくと口を開けたり閉じたりしたものの、香夜は力尽きたように頷いたのだった。





余談だが、左京が我を失うほど取り乱した事と自分の不甲斐なさへの苛立ちから、身の周りの世話をごり押ししたと香夜が知るのは、手が全快して目一杯の左京の世話から開放された後だったらしい。










                                                  〜 終 〜















― あとがき ―
左京さんは基本香夜ちゃんにべた惚れなので、ちっちゃな怪我とかでも、うわーってなりそうです(笑)