天狗の養い子の嫁取り



高尾は山深い土地である。

麓の川近くには人里もあるが、少し分け入れば、関東平野の終わりを告げる山々が深い森を蓄え、懐を広げている。

恵み豊かな山であると同時に、ひとたび迷えば命を落とす危険もあるだけに、地元の者でも限られた者以外は山の奥深くまで分け入ることはない。

それ故に、高尾は多くの妖にとって自由に暮らせる安住の地であった。

そんな高尾に数日前、住人が増えた。

妖や獣の住人が増えるのは日常茶飯事なのだが、今回増えたのは人である。

もちろん、妖たちにとって見知らぬ人など住み着けるわけもない。

新たに増えた住人は、十八年前に天狗のカルラに拾われた人の子、鈴懸が伴ってきた少年、長七郎であった。

徳川のお家騒動に巻き込まれた長七郎と何の縁か知り合うことになった鈴懸が、人の世では暮らしていくことができなくなった長七郎を高尾へ連れてきたのだ。

その際に同じく長七郎をかくまったことをとがめられた鈴懸もまた、高尾へと帰ってくることになった。

長七郎は新顔であるが、鈴懸が庇護してきた子であるし、鈴懸は十八年前に天狗のカルラに拾われて以来高尾で暮らしてきたから、その帰還を妖たちは歓迎した。

そうしてやんちゃ盛りの長七郎も増え、高尾は賑やかながらいつもの日常を取り戻す・・・・はずだったのだが。










「ぅわあっ!?」

『鈴懸!?』

『鈴懸、大丈夫!?』

静かな山間に声が響き渡り、木霊たちの驚いたようなざわめきが高尾の山を伝う。

森の中でもわずかに開けた野原で長七郎とカルラの稽古の様子を見守っていた妖孤のマダラはその声を聞いて、小さくため息をついた。

「またかい?」

『うん、鈴懸が川に落ちたって。』

『岩から足を滑らせたって。』

聞くともなく口にしたマダラの声に、さわさわと木霊たちの答えが返ってきて、マダラはより深いため息をついたが、変なところで心配性の化け狸のハチモクはおろおろとして立ち上がった。

「川に落ちたって、大丈夫かな、鈴懸。」

「大丈夫に決まってるだろ。鈴懸が高尾の川で溺れたりなんかするもんか。」

普通の人間なら谷川に落ちて大けがや命に関わることもあろうが、鈴懸は天狗とともに過ごし高尾を我が家としてきたのだ。

だから心配する必要なんかない、と冷静に断じるマダラに対してハチモクは「でもさあ」と情けなく眉を下げる。

「そりゃおいらだって、いつもの鈴懸なら心配しないよ。でも、今の鈴懸は・・・・」

「・・・・・」

ハチモクが言わんとするところは、マダラにもわかった。

今の鈴懸はいつもの鈴懸ではない。

正確には江戸の町から、この高尾へ帰ってきてから、鈴懸は魂をどこかへ置き忘れてきてしまったかのように、ぼんやりとすることが多くなっていた。

そして彼が置き忘れてきた魂がどこにあるのか知っているマダラとハチモクは、なんとも言えずやるせない気持ちで口を閉じる。

するとその時。

「・・・・鈴懸の様子は変わらぬようだな。」

「「!」」

落ち着いた声が頭上で響いて、マダラとハチモクは、はっと顔を上げた。

見れば、いつの間にか稽古を中断したらしいカルラが長七郎とともにマダラとハチモクの側に立っていた。

「カルラ。稽古は?」

「長七郎も鈴懸の様子が気になるようで集中できぬから休憩だ。」

怒るでもなく淡々とそう告げるカルラの言葉に、長七郎は幼い表情を曇らせてマダラとハチモクを見る。

「先ほど、鈴懸の声が聞こえたであろう?何があったのじゃ?」

「ああ、そっか。長七郎には木霊の声が聞こえないんだっけ。」

ハチモクの言葉に、むうっと悔しそうに長七郎は頬をふくらます。

「ま、まだ余はここへ来て数日なのじゃ。そのうち、鈴懸にも負けぬぐらい強くなるし、木霊とも友達になる!」

「はいはい、がんばんな。」

「本気にしておらぬな、マダラ!」

ぷりぷりと怒る長七郎を適当にあしらいながらも、マダラもハチモクもその様子に少し安堵した。

江戸を出るまでは子どもであって子どもではない顔をしていた長七郎だったが、ここへ来て数日、だんだんと表情が柔らかくなっていた。

ぽんっと人型へ変化したマダラは長七郎の頭をくしゃっとなでてやる。

「あんたは高尾へ連れてきてよかったよ。」

「?うん、感謝しておるぞ!」

大きくうなずいて笑う長七郎につられたように口角をあげた後、その同じ唇からマダラははあ、とため息をこぼした。

「あんたは良かったんだけど・・・・鈴懸はねえ。」

「江戸に残してきた娘か。」

カルラの言葉にマダラもハチモクも、長七郎もまた表情を曇らせた。

その三人の様子をしばし見て、カルラは口を開いた。

「その娘の話、あまり詳しくは聞いていなかったな。確か・・・・香夜だったか。」

カルラにそう言われて三人は顔を見合わせた。

確かに高尾に帰ってきた時、様々な経緯を説明する課程で名を出した記憶はあるが、考えてみると彼女の話を個別にした覚えはなかった。

最初に口火を切ったのはハチモクだった。

「うん、そうだよ。鈴懸が江戸で最初にお金稼ぎをしようとして参加した徳川の偽花嫁行列の偽花嫁さんをしてたんだ。」

「そうなのか!?それは余も初めて聞いたぞ。」

「そういや言ってなかったね。その時、鈴懸と香夜が極秘に運んでたのが数珠丸だったんだ。」

「鼓の使っていた刀か!」

思わぬところで縁があったことに驚いたのだろう。

目をまん丸くする長七郎に、マダラもハチモクも少し笑った。

「でもその時は駿府までついてそれでおしまい。二人は別れて江戸に帰ったんだ。再会したのは、おいらがドジしちゃったからで・・・・」

「ドジ?」

「こいつ、しっぽを出したまんま香夜に声かけちまったのさ。しかも財布まで落として。声をかけたのがあの子でなきゃ、とっくに退治されてたよ。」

あきれたようにマダラに言われてハチモクは小さくなるが、カルラはその言葉に何か考えたように言った。

「あの子でなければ、ということは、その娘は騒ぎにはしなかったということか。」

「うん!香夜はおいらの財布を拾ってわざわざ森の奥まで探しに来てくれたんだ!その上、江戸で家を探してるって言ったら一緒に探してくれるとまで言ってくれて。」

「ほう、妖であることを知ってなおか。」

「そうだね。だからあたしも最初は信じられなくて距離をとってたんだけど、あの子は本当にちゃんと家を紹介してくれたし、鈴懸のことも気にかけていろいろ面倒を見てくれた。」

それから江戸で起こったこと、鈴懸と香夜が経験したことのすべてはマダラとハチモクにもわからない。

けれど、端で二人を見ていれば痛いほどに伝わってきたこともある。

「・・・・鈴懸は香夜が好きだったんだ。」

「・・・・あの子も鈴懸が好きだったよ。」

元来、自分の心に素直な鈴懸が、日一日と香夜に惹かれていくのは手に取るようにわかったし、鈴懸の診療所に顔をだす香夜がどんな時より綺麗に笑うようになっていくのもわかった。

「まあ、そうとうもどかしかったけどね。」

「しょうがないよ。鈴懸には初恋だったんだし。」

皮肉げに肩をすくめるマダラをたしなめつつハチモクも苦笑する。

「けど、どう見ても恋なのに、鈴懸ときたら木霊が見えなくなるまでそれがわからなかったんだから。」

「うん、まあ・・・・それはおいらも思ったけど。」

狐や狸は人里に近い獣のせいか、その妖である妖孤や化け狸は情に厚い気質がある。

マダラやハチモクにしてもそうなだけに、弟のような鈴懸の鈍感ぶりにはずいぶんとはらはらさせられた。

対して神に近い方の妖であるカルラは、その覆面で覆われた口元に少し困ったような表情を浮かべる。

「そのあたりは・・・・我では役不足だったな。」

育ての親として責任を感じたような発言に、マダラもハチモクも苦笑した。

「大丈夫だよ、カルラ。人の親だって恋愛指南なんかしないさ。」

「そうだよ。最後にはちゃんと鈴懸だって気づいたんだし。」

そこまで言って、ハチモクは「でも・・・・」と眉をハの字にする。

「一緒にはいられなかったけど。」

そうハチモクがつぶやいた瞬間。

ぼんっっ!!

「「「「!?」」」」

『鈴懸・・・・!』

『鈴懸が・・・・!』

遠くから聞こえた爆発音とともにまたさわさわと木霊たちの声が響いて、長七郎以外の三人は顔を上げた。

「鈴懸がどうしたんだい?」

『鈴懸が薬の調合失敗して爆発させたって。』

『ぬらりひょん気絶しちゃったって。』

「あー、ぬらりひょんが気絶したぐらいで済んだなら大丈夫かな。」

「そうだろうね。それにしても・・・・」

渋い顔をしたマダラの言葉をカルラが引き取った。

「鈴懸が高尾へ戻って以来、失敗ばかりしているのは、その娘のことを考えているからか。」

「ああ、そうだろうね。」

「わかりやすいからな〜、鈴懸。」

長七郎を連れて江戸を去ったということは、自らにかかったえん罪を解かなかったということだから、もう江戸へ戻ることはできない。

だから、香夜に会うことはもうできないと覚悟を決めて別れたはずだ。

「・・・・そう簡単に割り切れやしないだろうけどね。」

「・・・・香夜、泣いてたよね。」

しゅんっとしっぽをたれたハチモクの頭をマダラが「ばか!」と言ってぺけんっとたたいた。

「いて!何するんだよ〜?」

「ばかだね!そんな風に言ったら・・・・」

「・・・・余のせいじゃな。」

「!」

マダラが視線で示した先にうなだれた長七郎の姿を見つけてハチモクは慌てた。

「ち、違う違う!長七郎のことを責めたわけじゃないんだ!」

「でも余が現れなければ、鈴懸も香夜も平穏に暮らしていけたであろう・・・・?」

ぎゅっと唇をかむ長七郎にハチモクが困ってしまったところで、カルラがぽんっとその頭に手を置いた。

「カルラ?」

「人の定めというものがある。お前と鈴懸が出会ったのもその定めならば、鈴懸とその娘が別れたのも定めだったのだろう。」

励ましというよりは、淡々とした予言のような言葉に、長七郎は大きな目でカルラを見上げる。

「ならば、鈴懸と香夜は別れる定めだったと申すか?」

「ああ。」

気休めのない肯定に、長七郎ばかりでなく、マダラとハチモクも切なげにうなだれた。

「・・・・お似合いだと思ったんだけどな。」

「鈴懸と香夜かい?」

「うん。鈴懸は優しくてしっかり者の香夜に助けられてたし、香夜は鈴懸が笑うとすごく嬉しそうだったし。」

「・・・・そうだね。香夜はあたしが人だからと距離を置いても態度を変えるようなことはしなかった。良い子だったよ。できるなら鈴懸と添わせてやりたかった。」

「香夜・・・・」

しんみりと語るマダラとハチモクに影響されたように長七郎の大きな目も頼りなくゆるむ。

そんな三人を見ながら、カルラは一つ息を吐き、ちらりと先ほど爆発音の聞こえた方の森へ目をやると、言った。

「人には定めがある ―― しかし、それを覆すのもまた、人なり。」

「「「え?」」」

意味ありげな言葉に、三人が顔を上げた ―― 刹那。










「カルラ!」










森の奥から転がるような勢いで鈴懸が飛び出してきて、カルラ以外の三人がぎょっとした。

「鈴懸!?」

「何、何事!?」

ここ数日の鈴懸とは明らかに違った様子に面食らうマダラとハチモクとよそに、鈴懸は一直線にカルラの元へ駆け寄ってくると言った。

「カルラ、僕、行ってくるよ!」

「どこへ?」

「江戸へ!」

鈴懸の言葉にぎょっとしたのは、マダラとハチモクだ。

「何言ってんのさ!江戸に戻ったら捕まっちまうかもしれないんだよ!?」

「そうだよ。もう江戸で暮らしていくのは無理だよ。」

二人の言葉に鈴懸は苦しそうに眉間にしわを寄せる。

「わかってる。僕はもう江戸では暮らせない・・・・でも、やっぱりダメなんだ。」

「ダメって・・・・」

何が、と問うような視線に、鈴懸は胸を押さえるように手を当てて言った。

「香夜が、いないとダメなんだ。ずっとずっと考えてた。香夜が幸せに暮らすためにも、あきらめなくちゃいけないっていうのもわかってる。」

わかってる、と言いながら鈴懸の表情は苦しそうにゆがむ。

「でも・・・・でも、何度自分に言い聞かせてもダメなんだ。高尾の山へ帰ってきて懐かしいはずなのに、どこを見ても、気がつけば香夜を探してる。探して見つからないとすごく寂しくなって。何かしてる時でも、香夜はどうしてるだろうとか、泣いてるかな、とか考えて・・・・!」

心の内をはき出すような言葉は聞いている者の心さえも締め付けるように響いて、マダラもハチモクも言葉を失う。

「―― 会いたいんだ・・・・!」

叫びのような言葉の余韻が切なく森に響く。

一緒に暮らせないとか、捕まるかもしれないとか、そんな理性的な制止さえも意味をなさないほどに、会いたい、苦しい、と鈴懸は叫んでいた。

「―― 決めたのだな。」

マダラとハチモクが反論の言葉を失い沈黙が落ちたところで、静かにカルラが言った。

「カルラ!?」

二人の驚いた声が響いたが、鈴懸は気にしていないかのようにカルラに向き合った。

「うん・・・・僕、香夜を攫いに行ってくるよ。」

「ちょっと、鈴懸、落ち着いて・・・って、え?攫いに?」

「攫いにって、まさか香夜を高尾に連れてくるの!?」

江戸に戻ると言い出したのだとばかり思っていたマダラとハチモクが目を丸くするのに、鈴懸はうん、と力強くうなずいた。

「僕と一緒に高尾で生きてほしいってお願いしてくる。香夜には江戸に大切な人がたくさんいるから、うなずいてくれるかわからないけど。」

「そりゃあ・・・・また」

「思い切るねえ・・・・」

さっきまで恋心に鈍感だったという話をしていた鈴懸の覚悟にマダラとハチモクは驚く。

「だから、もし香夜が一緒に来てくれたら、高尾で一緒に暮らすことを許してほしい。」

カルラにまっすぐにそう乞う鈴懸は、もはや少年ではなく一人の男の目をしていた。

それを見つめ、静かにカルラはうなずいた。

「よかろう。もしその娘がお前の手を取るのなら、他の妖たちには我から口添えをしてやる。」

「!ありがとう、カルラ!」

「ただし、その娘がお前の手を取るなら、だ。その娘は江戸に大切な者がいるのだろう?」

「うん・・・・」

うなずいて、初めて鈴懸の表情にわずかばかりの不安がよぎる。

けれど、小さく首を振るとまっすぐに顔を上げて言った。

「でも、僕も江戸にいる香夜の大切な人たちと同じぐらい・・・・ううん、それ以上に香夜がいないとダメなんだって伝えたいんだ。離れても香夜のことは大好きだけど、好きだからこそ側にいたい、一緒に生きていきたいんだって。」

「そうか。」

真摯な鈴懸の訴えにカルラはうなずく。

「ならば、行ってくるがよい。己が心をさらけ出し、乞うてみなさい。」

「うん!」

大きく首を振った鈴懸に、反呼吸おいてカルラは少し口角をあげた。

「・・・・そして、できるなら連れて帰ってきてほしい。鈴懸の嫁を、我も見てみたくなったからな。」

「え!?よ、嫁って・・・・っ」

今まではただ会いたいという想いで必死だったせいか、思わぬ単語を聞いたかのように目を丸くする鈴懸に、マダラも軽くため息をついて笑った。

「そうだね。香夜を攫ってくるなら、鈴懸が嫁を連れてくるって言いふらしておいてやるよ。」

「マダラ!?」

「そうだね〜、そうしておけば、みんな鈴懸のお嫁さんって思って仲良くしてくれるだろうしね!」

「ハ、ハチモクまで・・・・うん、でもそうだね。僕、がんばってくるよ!」

「鈴懸!余も香夜に会いたいぞ!」

「うん!」

三者三様の激励に、鈴懸は力強くうなずくとくるりと四人に背を向けてかけだした。

「あ!ちょっと鈴懸!」

「行ってきます!香夜をつれて戻ってくるからね!!」

「おーい!走っていかなくても術・・・・・・・・・って、行っちゃったね。」

術で飛べば江戸まで一息だろうに、と忠告もむなしく、あっという間に鈴懸は駆け去ってしまった。

その消えた方向を、見つめていたマダラとハチモクはしばらくして顔を見合わせて。

「・・・・ぷっ」

「・・・・ふっ」

二人同時に吹き出した。

「あははっ!よっぽど会いたかったんだねえ。」

「走って行っちゃったもんね。途中で気づくかなあ?」

「どうだろ。あれは香夜のところまでずっと走って行っちゃうかもしれないね。」

「江戸までか!?」

「そうさ!」

「恋しい相手の元までひとっ飛びってね!」

驚きの声を上げる長七郎に、狐と狸の姿に戻ったマダラとハチモクが楽しそうにそう言うと、言葉になぞらえるようにしっぽでもってぽーんと長七郎を宙に舞わせた。

そのもふもふのしっぽでぽんぽんと遊ばれて長七郎も肩の荷が下りたように明るい笑い声を上げるのを聞きながら、カルラも鈴懸の去った方を見やる。

仮面に隠されたその下で養い子を見送る瞳は、優しく細められていたのだった。










「孫が楽しみだな。」

「「気が早いよ、カルラ。」」










                                                 〜 終 〜
















― あとがき ―
鈴懸の君・和EDを見た時に、迎えに来るまでの数日はどうしていたんだろうなって言うのが一番の妄想ポイントだったので。
いろいろ突っ込み所はあるんですが、実は結構、あのEDも好きです。