喧嘩と醤油団子の甘い関係
火事と喧嘩は江戸の華。 誰がいつの頃から言い始めたのか、そう言われるほどに江戸市中は火事と喧嘩は頻発する。 それは日ノ本に類をみないほどの人の多い大都市である証明でもあるが、火事ともなれば多くの家財家屋や人の命が散ってしまうのだから、華といってもかなりの毒花だ。 では喧嘩の方はというと、まあ多種多様な喧嘩があるので周りを巻き込むはた迷惑な喧嘩から、微笑ましいものまで、江戸の喧騒に一役かっているというところだろう。 とまあ、なんでそんな前置きを置いたかというと、今日も今日とて八百屋町の一角にて、派手な喧嘩の華が咲いているわけで・・・・。 「螢の分からず屋っっ!!」 「お前のほうこそ、この頑固者!!」 江戸のお城から武家屋敷を通り越し、庶民達がひしめき合って暮らす町のとある通りにて、一組の男女がむううっとにらみ合っていた。 この二人、実は最近江戸ではちょっとした有名人である。 原因は主に浅黒い肌をした男の方、御用聞きの螢の方。 螢は鬼の一族ながら、先日行われた剣取り試合で一番刀となり鬼の帯刀を認めさせたのだ。 鬼の一族と人との間には長年の溝があって、まだ根強い反発もあるが、それでも螢の人柄を知っていた町の人たちは彼を受け入れつつある。 そして彼とにらみ合っている娘、香夜はこのあたりで評判の親孝行な料理茶屋の看板娘だ。 近所では密に独り者の男達の憧れの存在となっていたりするのだが、彼女自身はそんなこととはさっぱり気づいていない。 まあ、そんな二人が通りで派手に言い合っているのだから、通りすがりの人達がちらちらと様子を見て行くのは仕方が無い。 様子を見て行くのに誰も声をかけないのは、すぐ横の団子屋の露台に螢の一の子分、かむろが座って呑気に団子なんか囓っているせいだろう。 と、そこへ。 「うわ、随分派手だな。」 団子屋の横の路地からひょっこりと田一が顔を出した。 その後ろから続いて顔を覗かせた松も同じ光景を見て、あら、と小首をかしげる。 「よ。松さん、田一。」 「こんにちは、かむろさん。」 「よお。」 囓りかけの団子を片手に笑いかけてくるかむろに、田一と松はそれぞれに挨拶を返す。 そして松の方は近くでこんな挨拶をかわしていても、こちらに気が付いた様子がない親友をちらっと見て言った。 「かむろさん、あの二人どうしたの?」 「あー、うん。」 「あんなに喧嘩してるなんて珍しいじゃない。」 松が知っているかぎり螢と香夜は知り合ったばかりの頃は確かに結構喧嘩をしていた。 芯は強いけれど、それほど勝ち気ではないはずの香夜が、螢には随分くってかかっていて驚いた記憶がある。 けれど、最近・・・・香夜と螢が恋仲になって以降、特に香夜が怒っている姿は見なくなっていたと思うのだが。 と、そんな事を考えながらかむろを見ると、なんとも言えない微妙な表情で団子をかじって頷いた。 「あー、まー・・・・喧嘩っていうか」 「喧嘩じゃないのか?」 顔を付き合わせてにらみ合っている二人はどう見ても喧嘩にしか見えない、と首をかしげる田一に、かむろは一本団子を食べ終わって串を置いて言った。 「えーっと、二人はアニキ達に用かい?」 「二人っていうか、私が香夜ちゃんに用があって探してたのよ。」 俺はその護衛だな、と説明した田一と松を見て、そっか〜、と頷くと、かむろは横の露台を指さした。 「だったら、座って待ってた方がいいぜ。俺もアニキに用があって待ってるんだ。」 「え?そうだったの?」 「それで団子食って待ってたのか・・・・って、おい、お前、実は随分待ってるんじゃないか?」 納得したように頷いた田一は、かむろの手元の皿に盛られた団子の串の両を見て目を丸くした。 その反応に、かむろは苦笑する。 「あー、まあね。ぼちぼち決着が付くと思うんだけど、とにかく・・・・甘くてさ。」 「甘い?」 かむろの言葉に田一と松は顔を見合わせる。 どう見ても、さっきかむろが囓っていたのは醤油団子に見えたし、今まさに店の中から、醤油のほどよく焦げたいい匂いが漂ってきているからだ。 「甘いお団子でも食べたの?」 その口直しとして醤油団子を食べているなら、つじつまが合うと問うた松に、かむろは首を振った。 「違う。まあ、聞いてれば嫌でもわかると思うけどさあ。」 そう言って、かむろが視線で示したのは、目の前で派手に言い合いをしている二人。 ちなみに、横でこんな呑気な会話を交わしている間も螢と香夜はぎゃんぎゃん言い合っていたらしく、さっきよりにらみ合う距離が心なしか近くなっている様な気がする。 「だから、どうして螢はいつもそう決めつけるの!?」 「なに言ってんだ!絶対にそうだって決まってるからだろ!」 「そんなのわからないわ!私だって負けないんだから!!」 胸の前で手を握った香夜がぐいっと乗り出せば、腕を組んだ螢がふんと鼻をならす。 「・・・・なんか、さっきより険悪になっていないか?」 「そうね。螢さんがあの子に何かするとも思えないけど、止めた方がいいかしら。」 一触即発という雰囲気の螢と香夜の様子に、田一と松は顔を見合わせるが、それを見ていたかむろは小さく肩を竦めていった。 「止めたければ止めてもいいけど・・・・止めらんないと思うぜ。」 「止められない?」 「っつうか、止めた方が馬鹿を見るっていうか。」 「馬鹿?」 「一体、なんで喧嘩してるんだ?あの二人。」 かむろの言葉に謎が深まってしまったらしい田一が首をかしげるのに、かむろが笑って「だからさ」と言いかけた、その時。 一際、力いっぱいにらみ合っていた螢と香夜が同時に口を開いた。 そして ―― 「絶対、私の方が螢を好きなんだからっっ!!」 「オレの方がお前を好きだっつってんだろっっ!!」 「・・・・って、わけだから。」 「あー・・・・」 「・・・・うん。」 図らずも見事な状況説明に、田一と松は全てを理解した。 理解して・・・・すとん、と茶屋の露台に腰を下ろす。 「これは止められないわね。」 「だな。口を出したら完全に野暮だ。」 「だろ?」 触らぬ痴話喧嘩に祟り無し。 使い方が合っているかはわからないが、そんな気分で二人を見れば。 「だから!どう考えたって、オレの方がお前を好きになったのが早い!」 「そんなことわからないでしょ!?今、考えれば私、大分前から螢を気にしてた気がするし!」 「はあ!?お前、最初の頃はオレの前でなんて全然笑わなかったじゃねえか!」 「それは!螢が怒ってばっかりいたからで!」 「で、そのくせ、左京や鈴懸にはにこにこしやがって・・・・」 「だって、左京さんや鈴懸は優しかったから!」 「・・・・そりゃまあ、オレは最初は優しくなんてしなかったけど。」 「!違うよ!螢はちゃんと優しかった!あ、だからその頃から気になってたんだから、やっぱり私の方が早いよ!」 「!それとこれとは別だろ!大体、優しくはできなかったけど、ずっとお前の事は気にしてた!お前、ほんと警戒心は薄いし、他の男どもにもにこにこしやがるし!」 「ええ!?」 ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「おーい、店主。こっちに茶と醤油団子くれ。」 「あ、私も。」 しばらく無言で螢と香夜の痴話喧嘩を見守っていた田一が何か悟ったように醤油団子を注文し、松も便乗するのを横目に、かむろは苦笑した。 「な?甘いだろ?」 火事と喧嘩は江戸の華、痴話喧嘩は恋の華。 さてさて、目の前の相手しか見えなくなった恋人達が周りに気が付くのはいつの事か。 「だから!私の方が大好き!」 「それは譲れねえ!オレの方が好きだ!」 ―― その日は醤油団子はよく売れたそうな。 〜 終 〜 |