君を想いて剣を抱く 



ここはやけに静かだな、と螢は夜空を見上げた。

ほんの小半時もかからないぐらい近くに、日の本でも屈指の大都市、江戸があると思えないぐらい静かだ、と。

けれど、それもそのはず。

ここは町外れの荒れ堂であり、大禍刻には妖怪もでるとされる森の麓だ。

誰も好きこのんでこんな夜更けにこの周辺を歩きたくはないだろう。

だからこそ、螢は自らの潜伏先にここを選んだのだ。

その狙いは当たって、鬼であることをばらされて江戸城を飛び出して二日、まだ誰にも見つかってはいなかった。

(・・・・二日、か。)

荒れ堂の壁に背をもたせかけて、螢は格子もまばらな明かり取りから見える夜空へ目をやる。

誰にも見つからないというのはありがたいが、こんなに静かだとつい色々な事を考えてしまう。

(大騒ぎにはなってんだろうな。)

二日前、自分が江戸城の御前試合会場を飛び出した時の状況を思い出して螢はため息をついた。

悲願の剣取りを賭けた御前試合で、第四戦の相手であった斬鉄に勝ったはいいが、常に隠していた額の角を観衆に晒されてしまった。

刀狩り以来、徳川の御料地で鬼が帯刀するのは禁じられている。

それもまさに将軍のお膝元である江戸市中で、御用聞きをやっていると知られている螢が帯刀していたとなれば、言い逃れもできない罪人だ。

けれど、あの場でむざむざと捕まってしまうわけにはいかなかった。

無言で螢は眠るために腰から外してあった二振りの愛刀、風切と雷切に触れる。

(オレは斬鉄みたいに人間を傷つけたいわけじゃない。)

四戦の相手だった斬鉄は、鬼を人よりも上の存在と見なし、人を排除することを考えていたようだったが、螢にはそんな考えは微塵もなかった。

ただ、鬼にも人にも同じ様に悪い者はいる。

刀を持たぬ鬼を理不尽に傷つける人間に対して、何も出来ずに涙をこぼして耐えるしかない今の現状を変えたい。

そうして鬼が人と対等な力を持つことで、恐れられるのでも虐げられるのでもない人と鬼の新しい関係を作っていく事が、今の螢の何よりの悲願だった。

そのために、どうしても一番刀になる必要があるのだ。

ぐっと力を込めた先で、風切と雷切がかしゃっと硬質な音を静寂に響かせる。

「オレが一番刀になれば、上様だって話を聞かないわけにはいかないはずだ。」

ただ、江戸城へ行って訴えるだけなら、とっくに過去の鬼族がやっているだろう。

けれどそれでは駄目なのだ。

力を示し、話を聞く価値がある者だと認めさせなければただの罪人で終わってしまう。

だから、鬼であることがばれてしまった以上、その場で捕まるわけにはいかなかった。

なんとしても最終戦に臨んで勝たなければ意味がない。

故に、江戸城から抜け出して身を隠したわけだし、その選択は間違っていないと思う。

それでも、後に残してきた人の事を思うと苦しくなる。

(ばあちゃんは、きっと大丈夫だ。)

江戸の外れの家に残してきた祖母。

彼女は高齢ではあるが、小さくて穏やかな外見に反して、実際にはかなり強い人なのだ。

なにより家族を失い憎しみや悲しみに苦しんでいた螢を、自分も同じ状況でありながらしっかりと育ててくれた祖母である。

(町の連中に何かされてねえといいけど、その辺はかむろや金四郎の旦那が助けてくれんだろ。)

かむろや金四郎も鬼ではないが、曲がったことが嫌いな人間だから、何も悪い事をしているわけではない祖母が、鬼と言うだけで虐げられるのは良しとしないだろう。

(それに・・・・あいつも、いてくれるだろうし。)

あいつ、と心の中に思い浮かべた一人の娘の姿に、螢の心がぎゅっと疼いた。

少し癖のある黒い髪をなびかせて、大きな黒目がちな目で見つめてくる顔が容易に脳裏に蘇る。

ああ、そうだ。

御前試合会場で最後に姿を見た時も、真っ直ぐに見つめてくれていた。

あの心配と不安に揺れた瞳は、微かに見える夜空に似ている。

「・・・・香夜」

静寂にころりと零れるようにその名が響いた。

もちろん、他に口をきくものなどないから、自分が言ったのだが、その響きが自分でも聞いた事がないぐらいに切なげで、螢は僅かばかり驚く。

一体、いつの間に自分は彼女の名をこんなに切実に求めて呼ぶようになったのか、と。

(心配、はしてんだろうな。)

特別心配性というわけではないが、優しい心根の香夜はきっと今の江戸市中では辛い思いをしているだろう。

螢は自分のやろうとしていることを考えれば、あまり親しい人間を作るべきではないと、そう思ってきたから、周囲に深入りすることは避けてきた。

けれど、 香夜 ―― 東海道の偽花嫁行列で、偽花嫁と護衛という妙な出会い方をした彼女とは、何故か江戸で再会した時から妙に縁づいていた。

否、今思い返してみると、偶然のものもあったが、もしかしたらあの花嫁行列の頃から、自分は香夜に興味があったのかも知れないとも思う。

普段はしっかり者の優しい孝行娘なのに、一度自分でこうと決めると気が強くて真っ直ぐで。

それなのに、変な所で抜けていて無防備だったりする。

そういうところが、最初は目については妙にイライラしていた。

けれど言葉を交わして自然と笑い合うようになった頃には、自分がいらついていた理由もわかってしまった。

自分は彼女に自分の事をわかってほしかったのだ、と。

あの真っ直ぐな瞳に、真っ直ぐに映りたかったのだと気が付いた時には、その想いは恋に変わっていた。

(香夜・・・・)

今度は心の中でまじないのように彼女の名を唱えて螢は立てた片膝を抱く。

額を膝に押しつけて思い出すのは、自分でも笑ってしまうほど不格好な告白に見せてくれたとびきりの笑顔だ。

『そういうところ・・・・大好き。』

正直、自分の気持ちを伝えることで一杯一杯で、その前に香夜にいろいろ言われた事はぼんやりとしか覚えていないのだが、それでもあの言葉を聞いた瞬間の衝撃は今でも思い出せる。

心臓が止まるかと思った。

それぐらい信じられなくて・・・・嬉しかった。

鬼だということも、背負っている過去も、これからやろうとしていることも全部わかった上で、笑ってくれた香夜。

上手く優しくもできないのに、苦笑しながら支えてくれようとする香夜。

御前試合の前の逢瀬で触れた彼女の暖かさと笑顔が思い出されて、胸が締め付けられる。

「泣いてねえかな・・・・いや、無理だな。」

江戸市中ではきっと今頃、御前試合に禁断の帯刀をして出た鬼の無責任な噂話が飛び交っているに違いない。

自分と関わりがあった人間達が全員そうではないと思うが、ただでさえ斬鉄一味の悪行が表に出たばかりだ。

けして鬼への心象が良い時期でないだけに、良い噂にはならないだろう。

加えて、きっと香夜は親しくしていた祖母の事も気遣ってくれるだろうから、心ない人間が無抵抗な祖母に何かするところを見てしまうかも知れない。

そうなれば、きっと優しい彼女は螢の事を思って泣くだろう。

容易に想像出来てしまうのに、側にいて慰められない事がもどかしい。

螢の事を信じてくれてはいると思うが、それでも不安は消えないだろうし、あの螢の大好きな笑顔が自分のせいで曇っているかと思うと腹立たしくさえなる。

そんなどうすることもできない感情をはき出すように、螢は大きくため息をついて再び顔を上げ明かり取りから見える夜空を見上げた。

小さな窓からは星は見えない。

今までも鬼と追われた事はあった。

理不尽な仕打ちに辛い思いをしたこともたくさんある。

(・・・・けど、今が一番辛いかもしれねえ。)

夜の静寂が、螢に小さな弱音を吐かせる。

―― 会いたい。

別れたのはたった二日前なのに、心が叫んでしかたがない。

本当は螢にだって不安がないわけじゃないのだ。

御前試合は神聖なものとされているから、第四戦で螢が勝っているからには最終戦も行われるには行われるだろう。

しかし、螢が鬼とわかった以上、幕府のお偉方がすんなりと戦わせてくれるとは限らない。

御前試合に現れないように妨害されるか、とんでもなく強い対戦相手を用意されるか・・・・悪い方へ考えればいくらだって考えられてしまう。

実際に、螢にはもう最終戦で勝って誰も文句を言えない状況で剣取りをするしか道は残されていないのだ。

そして香夜と歩む未来もその先にしかない。

そんな時だから、誰より一番、香夜の顔が見たかった。

きっと心細い思いをしている香夜を抱きしめて大丈夫だと言いながら、自分もまた腕の中の大切な者を絶対に手放さないと確かめたい。

けれど、それは叶わず、螢の手は空をきるばかり。

「香夜・・・・」

実際に抱きしめられないかわりのように名前を呼んで、夜空に彼女の瞳を思い重ねる。

怒ったり笑ったり拗ねたり・・・・とびきり綺麗に微笑んだり。

簡単に思い出せるいくつもの香夜の表情を思い浮かべて、螢は少しだけ笑った。

(いつの間に、こんなに覚えちまったんだか。)

我ながら少し呆れるぐらいの惚れようだと思う。

でも、こうやって離れていても思い出せるぐらいにはしっかり彼女を見ていた事は良かったかもしれない。

不安の中にあっても、香夜の事を思い出せば自分が何を成し遂げたいのかを見失わずにいられると確信できるから。

「くっそ・・・・やっぱ、会いてえな。」

胸の中に収まりきらない気持ちをはき出すようにそう呟いて、螢は傍らに置いていた風切と雷切を肩に掛けるように抱えた。

かしゃっとふれ合う二刀の硬質な音が心地良く耳を掠める。

それを静かに聞いて、螢は目を閉じた。

そうするとよりはっきりと思い出せる香夜の笑顔に語りかけるように、螢は呟く。

「辛い思いさせるけど・・・・待っててくれ。」

どんな妨害があろうと、どんな奴が相手だろうと、すべてこの剣で切り抜けてみせる。

「・・・・必ずオレは、この手で、この剣で未来を切り開く。」

そしてその先で、剣を握っていた両手を広げて、香夜を抱きしめてみせるから。

静寂の中、誓いを立てるようにそう囁いて、螢は自らの愛刀を抱きしめた。

剣の先にある未来を夢見るように。

そして










「―― ・・・・
愛してる ――」










唇だけが刻んだ香夜への想いは、音には鳴らずに静かに静寂へと溶けていった。










                                                   〜 終 〜
















― あとがき ―
剣君をプレイしたかなり初期に書いた話です。
この後の展開は奇EDじゃないと私が立ち直れないので、奇EDでお願いします(- -;)