看病上手と甘え上手



九十九丸は、自分は人より丈夫な方だと言っていた。

大きな病気もしたことはないし、たくさん食べるが多少の毒気のあるものでも大丈夫なのだと。

確かに偽花嫁行列で出会った頃から、体は冷たいが常に元気そうではあったし、(どういうわけか本人の意識せぬうちに)路銀がつきてお地蔵様のお供えに手を出した事があると聞いた事もあった。

けれど、それは彼の中に、マレビトという存在があり、九十九丸自身が生と死の狭間に身を置いていたせいなのだと、今ではわかる。

なぜなら、マレビトから体を取り戻し、人に戻った九十九丸は。

―― きっちり、腹を下して寝込んだからだ。

「・・・・まったくもう、どうして五日前にもらったおまんじゅうなんて食べたのよ。」

はあ、とため息と共に香夜が呟いた言葉は、この二日ほどですでに数度目だ。

けれどそれも無理はないことであろう。

真冬ならまだしも、今は水無月。

夏を控えた梅雨の長雨にくわえてむしむしとした気温で、普段痛みにくいものだって痛んでしまう季節だ。

(それも、いつもらったものかわからなかったっていうならともかく・・・・)

例えば茶箪笥におまんじゅうがあるのを見付けて、いつの物かわからないから食べてしまった、というならまだわかる。

しかし、件のおまんじゅうをもらった時は、近くに九十九丸もいたはずなのだ。

「あとでおやつにでも食べましょうって言って茶箪笥にしまったまま、忘れていた私も悪いんだけど。」

「・・・・いやはや、面目ない・・・・」

はあ、と二度目のため息を香夜が落としたところで、香夜の前に延べられた布団にくるまっていた九十九丸が申し訳なさそうに言った。

寝ているかと思っていたが、起きていたらしい。

「九十九丸、起きていたの?」

「ああ。さっき目が覚めた。」

「そう。具合はどう?」

「うん、まだ怠いが大分良いよ。」

弱々しいながらもそう言って笑って見せる九十九丸に、香夜はほっと息をついた。

何せ、昨日、お腹が痛いと言い出してからの有様は酷いものだったのだ。

当然、調理担当の九十九丸が倒れてしまえば店も閉めざるをえなくて、香夜も九十九丸の看病に大わらわだった。

「それでお腹はまだ痛い?」

「いや、それほどでもなくなった。今度、鈴懸に礼を言っておかないとな。」

九十九丸の言葉に、香夜も頷いた。

偽花嫁行列の護衛の一人だった鈴懸は江戸城下では最近評判の腕の良い町医者なのだ。

「あの薬湯は苦かったが・・・・」

腹痛でうんうん苦しんでいる時に飲まされた薬湯の味を思い出したのか、不意に顔を顰める九十九丸に、香夜はわざと怒ったように眉を寄せた。

「九十九丸は少し懲りた方がいいんだわ。何度も言うけれど、なんで古いおまんじゅうだってわかっているのに食べたの。」

「うう〜ん・・・・や、その、大丈夫かな、と思ったんだが・・・・今までは腹を壊した事なんかなかったし。」

じいっと見つめる香夜の視線から逃げるように、気まずそうに呟いて九十九丸は目をそらす。

その言い分に、香夜はため息をもう一つ。

「前って、マレビトがいた時のことでしょ?」

「そ、そうだな。」

香夜の言いたいことはわかっているらしく、口元からずりずりと布団の中に潜りながら九十九丸は頷いた。

「その・・・・油断した。今の俺だとこういう事で体調を崩すんだな。」

「当たり前よ。九十九丸はもう、普通の人間と同じになったんだから。」

だからよく考えてよね!と唇をとがらせて香夜は九十九丸の額に乗っていた手ぬぐいを手に取った。

そのついでに、汗で張り付いた前髪を少し避けて額に触れる。

「良かった、熱は下がったみたい。」

掌から伝わってくる温度を確認して、ほっと香夜は息をつく。

正直に言えば、昨日、九十九丸が寝込んでからというもの、不安でしかたなかったのだ。

(・・・・怒ってはみたけど、九十九丸が丈夫だと思ってたのは、きっと私も一緒ね。)

体調を崩して寝込む九十九丸など想像もしていなかったせいで、大分動揺してしまった。

もし熱が下がらなかったらどうしよう。

ずっと苦しそうだったらどうしよう、と鈴懸にただの食あたりだと言われたのに、不安がぬぐいきれず結局夜通し九十九丸の枕元から離れられなかった。

(心配しすぎみたいで、ちょっと恥ずかしいかも。)

九十九丸がやっと笑顔を見せてくれるようになった今となっては、昨日から昨夜の自分の行動はちょっと過剰だったな、と思って恥ずかしくなる。

それを誤魔化すように、九十九丸の額に乗せてあってぬるくなった手ぬぐいを、枕元の水を汲んだ桶に浸けた。

と、てぬぐいを絞ろうとしたところで、視線を感じて香夜が顔を動かすと、こちらを見つめる九十九丸と目があった。

が。

「・・・・九十九丸?」

「ん?」

「・・・・なんでそんなににこにこしているの?」

そう、九十九丸は何やらとてもゆるみきった顔で香夜を見つめていた。

それを指摘された九十九丸は、ちょっとバツが悪そうに「あー・・・」と呻くと、数拍あけて。

「いや、その・・・・良いものだな、と思ってしまったんだ。」

「良いって、ちっとも良くないでしょ。」

古い物を食べてお腹を壊して、そこのどこにそんな笑顔になるような「良い」要素があるのか理解できなかった香夜は顔を顰めたが、九十九丸は軽く頬を掻いて言った。

「ああ、腹を壊して香夜に心配をかけたのは、本当に悪いと思っているし、反省もしてる。」

「当然です!」

びしっと言い切られて、九十九丸は苦笑した。

けれど、だとするなら。

「じゃあ、何が良いの?」

お腹を壊して、香夜に叱られて、良いことなんて何もないはずでしょ?と目で問う香夜に、九十九丸はふにゃっと表情を崩した。

外見が成長しようとも、この開けっぴろげで素直な笑顔は変わらなくて、その表情にどきっとさせられる香夜に、九十九丸は言った。

「店が繁盛するのは嬉しいことだが、いつもはお互い忙しいだろ?」

「うん。」

九十九丸の言う通り、香夜の父がほぼ引退してからも店は繁盛していて忙しい。

「昼間は店を切り盛りしているし、夜は仕込みをしたりしているし。」

「そうね。九十九丸は熱心だから。」

香夜の父から店を引き継ぐ形になった九十九丸は、日々、香夜の父の味に負けないものを作ろうと研究していて、その熱心さのせいで、体を心配した香夜に布団に押し込まれる日もあるほどだ。

「それはそれで充実していて楽しい日々なんだが・・・・」

と、そこで九十九丸は言葉を切ると、その続きを待つ香夜を見つめた。

いつもは見下ろされている夜を思わせる漆黒の瞳に、逆に見上げられる事に香夜の心臓がとくん、と波立つ。

そんな香夜の心情を知ってか知らずか、九十九丸は再びへにゃっと笑うと少し恥ずかしそうに言った。










「いつも忙しい香夜が、俺だけに構ってくれるというのが嬉しかったんだ。」










「なっ・・・・!」

思わず香夜は絶句してしまった。

病人なんだから看病して当たり前、とかそんな常識的な事も頭を掠めたが、それ以上ににこにこと嬉しそうにしている九十九丸に、酷く心配していた事を見抜かれていたようで顔が熱くなる。

けれど、そんな香夜に九十九丸は追い打ちを掛けてくるばかり。

「随分と久しぶりに体調を崩して、本当を言うと少し不安だったんだ。でも、昨日も昨夜も目をさますと香夜が側にいてくれて。俺の事を心配してくれているんだと思うと申し訳なかったし嬉しかった。」

「そんなの・・・・当たり前よ。」

「うん。それでも嬉しかったんだ。」

目尻を下げてそう重ねる九十九丸に、香夜は僅かにうつむいた。

もっともそんな事をしても下から見上げている九十九丸から、この赤くなった顔を隠す事はできないだろうけど。

(九十九丸の事だからわざとじゃないとは思うけど・・・・)

無自覚でもこんな風に甘えられたら、思わずなんでも言うことを聞いてしまいそうになる、と香夜は桶の中で手ぬぐいをぎゅうっと絞った。

さっきよりも水が冷たく感じるのはきっと気のせいではないんだろうな、と内心ため息をついていると。

「香夜。」

「?」

つん、と袂を引かれて目を向ければ、再びじっと見つめる九十九丸の視線に行き会う。

今度は何だろうと思う香夜に、九十九丸は愛おしそうに目を細めて言った。

「その、風邪ではないから、移らないから・・・・口付けしてもいい、か?」

「!」

(ああ、もう・・・・!)

本当にわざとじゃないんだろうか、と思ってしまうほど絶妙のタイミングに、香夜は呻きたくなってしまった。

これで駄目だと突っぱねられる人がいるならむしろお目にかかってみたい。

けれど、このまま頷いてしまうのも、なんだか負けたみたいで癪で。

―― 否とも応とも答えずに、ぺしっと額に絞った手ぬぐいを乗っけた香夜だった。











                                                 〜 終 〜













― あとがき ―
九十九丸はしばらくマレビト様がいる感覚は抜けないと思うんですよね。
でもちょっとの事で病気して「ああ、俺は本当に人間になったんだなあ」ってずれた幸せを感じて欲しい。