愛しい幸福に口づけを



女も恋も興味はなかった。

意識してそう振る舞っていた覚えもねえが、実際、オレの手にあったのは剣だけだったんだから、そういう事だろ。

大概剣術馬鹿だな、と自分でも思ってる。

それは否定しねえ。

けど、それで別に良かったんだ。

他の男どもみてえに吉原の花魁だろうが、近所の美人だろうが、騒ぐ気もしなかった。

オレにとって女ってのは、女子どもって護ってやる括りであって、誰かが好きだとかそんなことも考えた事なかったし、むしろ剣の道を極めようとしているオレにはいらねえもんだと思ってた。

そう・・・・思ってた。

この腕の中に、抱きしめるまでは。

「――・・・ん、」

小さく鼻にかかったような声が耳をくすぐって、オレは少し残念な気分になる。

これは苦しいって合図だ。

だから離してやらなくちゃならねえ・・・・離したくねえんだけど。

そんな気持ちを少しぶつけるように軽く唇を噛んで開放してやれば、腕の中にいた香夜が恨みがましげに見上げてきた。

「も、う・・・苦しいよ。」

「悪い。」

謝ったけど我ながら誠意が全く感じられなかった。

しかたねえよな、とか思ってたら、案の定、香夜がむうっと睨んでくる。

「全然悪いと思ってないよね。」

やっぱりばれたか。

けど、しかたねえと思うぜ。

「そりゃまあ、オレだけが悪いわけじゃねえしな。」

「え?」

「だから、お前が」

そこで言葉を切って香夜の肩を引き寄せる。

そして近くなった額に髪の上から口付けをしたら、「ひゃっ」と首を縮めた。

あー、だからなあ!

「お前がいちいち・・・・可愛いから、加減できなくなんだよ。」

「!」

ほら、そうやって顔を真っ赤にするのも。

あー、くそ。なんでこいつはこう、可愛い顔しやがるんだよ。

オレたちはまだ祝言前なんだぞ!?

・・・・って、そもそもここは人がいないとはいえ神社の境内だから、どうこうはできねえけど。

何てことを考えていたのがばれたわけじゃないだろうが、顔を真っ赤にした香夜はオレの着物を握って呻いた。

「・・・・螢、ちょっと変わったよね。」

「は?」

「だって前は・・・・そんなこと言えるような人じゃなかったし、そもそも、こんな事するとは思わなかったもん。」

後半へ行くほど恥ずかしいのかぼそぼそと籠もり気味になる香夜の指摘に、オレは小さく苦笑した。

その通りだ、とオレも思う。

「まあ、オレの手には剣だけあればいいと思ってたからな。」

「うん、そんな感じだった。」

頷く香夜が思い出しているのは御前試合の前半の頃のオレだろうか。

東海道中の頃かも知れない。

どちらにしろそのあたりだろう。

その頃のオレは剣の腕を磨く事が第一で、香夜にだってちっとも上手く接することができなかった。

「無愛想で朴念仁で不機嫌で」

「って、言い過ぎだろ!」

淡々と並べ立てる香夜に抗議して、二人でむむむっとにらみ合って・・・・同時に吹き出した。

抱きしめて、抱きしめられて、額付き合わせる距離で睨み合ってるのが、やけにおかしくて。

「言い過ぎじゃないよ。本当にそんな感じだったんだから。」

「ぐっ・・・・しょうがねえだろ。女の相手なんてしたことなかったんだから。」

実際、子どもの頃はともかく江戸に来てからは御用聞きとして顔見知りになる女以外に親しく付き合った奴なんかいなかったし。

だいたい、オレのことばっか言ってるけど、香夜だって最初はオレに怯えてただろうが。

何てことを思っていたら香夜が何か考えた後、独り言のように言った。

「まあ、螢が縁さんみたいな事言ったら驚くだろうけど・・・・。」

多分、女の相手云々のところでこいつの頭の中に縁が浮かんだんだろう。

それはわかった。けど。

「け・・・んっ!」

無防備だった唇を掠めるように奪えば、驚いたように香夜が目を丸くする。

その瞼にもついでに口付けを落として言ってやった。

「オレの腕の中にいるんだから、他の男の名前出すんじゃねえよ。」

「なっ!」

あ、ほら、また赤くなった。

もういい加減慣れろよな、と思うんだが、こういう反応も実は嫌いじゃなかったりするから、これがなくなったらなくなったでつまらないかもな。

そんなことを考えていたら、また香夜が何とも言えない顔をして言った。

「だから、そういう事言うようになったところが変わった!」

本人は怒ったように言ってるつもりなんだろうが・・・・顔、真っ赤なまんまだぞ。

心の中がくすぐったい感じで、思わず笑いそうになるけど、それはなんとか我慢してわざと不機嫌そうに顔をしかめて言ってやる。

「なんだよ。・・・・嫌、なのかよ。」

「い、・・・・嫌、じゃないけど。・・・・嬉しいけど・・・・」

ああ、くっそ。

困ったみたいな顔してるくせに、嬉しそうなのわかっちまうんだよ!

胸の奥がかあっと熱くなったみたいになって、香夜を抱き寄せていた片手で頬を捕まえて。

「あ・・・・っ」

噛みつくみたいに唇を塞ぐ。

―― ああ、そうだよ。お前の言うとおり、オレは変わったよ。

「・・・っん・・・・・」

香夜と出会って、香夜を抱きしめて、初めてずっと腕の中に抱きしめていたいって感情を知った。

「・・・け、い・・・・っ」

幾度も吐息を絡ませて、香夜の頬を滑る自然と滲んだ涙が、口づけの合間に切なげに呼ばれる自分の名が、頭を真っ白にするほど愛しいってことも。

「・・・ふ、・・・・・・」

誰よりも求めた恋しい女の唇が、こんなに甘いってことも。

「・・・・っ、は。」

今度は苦しいと示される前に唇を離すと、香夜が少しぼんやりした視線でオレを探す。

そして目が合うと笑うんだ。

それが酷く幸せそうで、オレは大好きで。

「香夜。」

「ん、」

こつん、と額を付ければ、人にはないオレの角が香夜の額に触る。

人と鬼。

それを突きつけられる行為なのに、胸が痛くなるほど幸せなのは、きっとこいつがそんなことは関係なくオレを好きだと言ってくれたから。

以前のオレが今のオレを見たら、信じらんねえと目を剥くかも知れない。

・・・・だろうな。

オレだって自分がこんなにこいつを想うようになるなんて思ってなかった。

けど、そんなことはどうだっていいんだ。

「香夜・・・・・好きだ。」

「うん、私も大好き。」

短い言葉にありったけの気持ちを込めて笑い合う。

そんな相手が腕の中にいる。

―― 剣を握る手でおまえを抱きしめるその幸せを知ったから。

「あー・・・・早く祝言あげて、四六時中おまえ抱きしめていてえな。」

結構真面目にそうぼやいたら、本格的に困った顔をする香夜が可愛くて。

オレは笑って今日三度目の口付けを落とした。












                                          〜 終 〜
















― あとがき ―
デレると螢の甘さは半端ないと思います(^^;)本気でうちの嫁が世界で一番と思ってると思う。