ハバキ憑きの独り言



「あんたってさー、奥手なのかむっつりなのかわかんないわよねー。」

「っ!?」

がしゃんっ!

江戸の外れ、人もほとんど来ないような山間の静かな庵に、無残な茶碗の破砕音が響き渡った。

ちなみに、この惨事を招いた原因たる言葉言わずもがな冒頭のそれだが、残念ながらその声はこの庵の主である黒羽実彰以外には聞こえない。

なぜなら先の台詞を言ったのは。

「な、何を言ってるんだ、ハバキ憑きっ!」

常にない動揺っぷりで実彰が睨み付けた先、床の間に置いてあった二振りの刀のうち孫六兼元の上にふわふわと浮かぶ一人の妖怪、ハバキ憑きだからだ。

一見すると年頃の娘のように見えるハバキ憑きだが、剣聖とも言われ裏の世界も渡ってきた実彰に睨まれてもどこ吹く風な顔をしているあたり、やはり妖怪らしい。

実彰が知る限り自分と、一部の霊感の強い者にしか見えない彼女は相も変わらず気まぐれなようすでくるりと宙をまわると、実彰の近くへ着地して肩を竦めた。

「だってさあ、あんたってば、散々あーだこーだと理由をつけてあの子を遠ざけようとしてたじゃない。」

あの子、とハバキ憑きが称したのが誰かわかってしまって、実彰は微妙に顔をしかめた。

実彰が遠ざけようとしていた相手、それは東海道の偽花嫁行列で出会った少女、香夜しかいない。

駿府でかつて己が斬った人の墓参りをしたいという思いを叶えるためのついでに協力することにした偽花嫁行列を終え、もう縁はなくなるだろうと思っていたのに、偶然江戸で再会してしまった少女。

人との関わりを避け、一生を贖罪に捧げようと思っていた矢先に縁が出来てしまった香夜は、実彰の人生を大きく変えてしまった。

明るく笑い、何事にも一生懸命で、誰隔てなく接する香夜にいつしか実彰は惹かれるようになっていた。

(・・・・いや、もしかしたらあの花嫁行列の時から。)

けして本意で望んだわけでもないだろう偽花嫁の役を必死にこなそうとしている姿を眩しく思った時から、心に香夜の面影が焼き付いていたのかも知れない。

けれど、天下五剣が一つ大典太を持ち、同時に己が手を地に染めてきた自分が彼女を幸せに出来るはずはないと思った。

だから、ハバキ憑きの言う通り、香夜を突き放した事もあったのだ。

(だが、結局・・・・その手も、香夜さんに掴んでもらったようなものだな。)

突き放して幸せになってほしいと振り払ったはずの手を、香夜は一生懸命掴んでくれた。

親友のお松と実彰の間に立たされ、辛い思いをしただろうに、それでも実彰に幸せになる道を示してくれた。

「・・・・あのさあ、回想に浸ってるのは結構だけど、にやけてるよ?」

「っっっ!!!」

くるりと回って呆れたように顔を覗き込んでくるハバキ憑きに言われて、実彰はばっと顔を覆ってしまった。

「う、うるさい!大体、お前はさっきからなんなんだ。」

「さっきって、あー、むっつり?」

「だからっ!」

常日頃、このハバキ憑きとはまったく感覚が違っているせいか、会話をしていても疲れる事が多いとは感じていたが、今日はさらに酷い気がすると、実彰は眉間に皺を寄せていると、ハバキ憑きは「だってそうじゃーん」と軽い口調で肩を竦める。

「あんたってば、散々焦れったい思いをさせてあの子とくっついたかと思ったら、さらっと「私たちに子が出来たら」とか言っちゃってさー。」

「は・・・・?」

ハバキ憑きの言った言葉に、実彰は一瞬固まった。

(それは・・・・あの孔魔壇での事件の前の事か?)

思い出せば、確かにハバキ憑きが言った様な事を口にした記憶が出て来た。

香夜と思いが通じて彼女が庵に遊びに来るようになって、伴天連の聖書を見せた時の事だ。

言葉が違っても子どもが文字を覚えるやり方はかわらないのだと言って笑う香夜がとても愛らしくて、自然とそんな言葉が零れていた。

きっと彼女が母になったなら、そうやって子ども達を愛しむだろうと、そんなことを思って。

―― しかし、だ。

「・・・・お前、あの場にはいなかっただろう?」

探るような口調になってしまったのは、嫌な予感がしたせいだ。

確かに記憶では、あの時部屋には香夜と自分の二人だけしかいなかったはずだ。

しかし・・・・何か見落としているような気がする。

そんな実彰の考えを肯定するように、ハバキ憑きは高く括った髪をふん、と揺らして言った。

「あのねえ、あたしは孫六兼元に憑いてるんだよ?」

そう言って指さしたのは、床の間にある一振りの刀。

そう、確かにあの時も愛刀である孫六兼元はそこにあったはずだ。

それどころか、あまり意識していなかっただけで、いつだってそれは身近に置いてあった。

香夜が遊びに来ている時も、抱きしめている時も。

「まさか・・・・姿を見せていなくても、話を聞けるのか?」

ぎぎぎっと音がしそうなほどぎこちなくハバキ憑きの方を見れば、やや呆れた様なしかしどこか得意げにハバキ憑きは胸を張った。

「できるにきまってるじゃない。聞かないようにしようと思えばできるけど、あんたの変わりようが面白かったからさ〜。」

妖怪とは元来悪戯好きなもの、という昔語りの通説が頭をよぎるほど、ハバキ憑きは満足そうな顔でにんまり笑った。

「だって、あんたってば、木石かってぐらい女に興味しめさなかったじゃない?顔立ちは綺麗だから女から言い寄られるなんてざらだったのに、どこ吹く風って感じでさ。
それが、あの子相手だとあんなにかわるんだもんねええ〜。」

「・・・・・・・」

「涼しい顔して、綺麗だとか好きだとか言ってあの子を赤面させては満足そうにしてるってだけでも結構むっつりだよねえ。そのわりには口付けはあっさりしてるし。あ、でもそっか。本気になっちゃうと止まらないからか。」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「そう言えば本気で口付けしすぎて、あの子を酸欠にしたことあったもんね〜。一応気を遣ってるんだ。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「晴れて婿入りしたら、どんな嫁馬鹿になるのか楽しみ・・・・って、実彰?なんであたしの刀にぎりしめてんの?」

今までどんなにからかっても反応のなかった実彰の弱点発見とばかりに、上機嫌で言いつのっていたハバキ憑きは、ふいに割れた茶碗もそのままに部屋に上がって孫六兼元をがしっと掴んだ実彰の行動に首を捻った。

その問いに。

「・・・・・・・てやる・・・・」

「へ?」

「封じてやる・・・・!」

「は、はああああ!?」

地の底から絞り出したような実彰の封じてやる宣言に、ハバキ憑きはぎょっとして声を上げた。

が、まったくそんな声は聞こえていないかのように、実彰はしっかりと孫六兼元を握ると庵を出ようとする。

その足取りが普段の冷静な足取りに見えて、異様に早い事から想像以上に実彰を刺激してしまったことに気が付いてハバキ憑きは慌てた。

「ちょ、ちょっと!封じるってなにさ!その刀はあんたの大切なもんでしょうが!」

「その通りだ。だから小うるさい妖怪だけ封印してもらう!」

「はああ!?これでもあたし、結構しぶとい妖怪なんだからね!?そんな簡単に封印されないよ!?」

「頭を下げるのは気が乗らないが、縁殿にでも頼めばお前ごとき封印できる高僧を紹介してくれるだろう。」

やばい、目が本気だ。

真っ直ぐ正面しか見ていない実彰の視線にハバキ憑きもさすがに本気で身の危険を感じる。

封じる、と言っているわけで祓うと言っていないあたりが、微妙に優しさではあるのだろうが、封印されっぱなしなんて退屈でたまったものじゃない。

というわけで。

「やーだー!絶対やだからねー!あたしはあんたの新婚生活をからかうためにも、絶対封印なんてされてやらないんだから−!」

「それが絶対に嫌だと言っているんだ!香夜さんの所へ行くまでに絶対に封印してやるからな!」

「ふん!やれるもんならやってみなさいよ!それまでにあの子に実彰があたしを封印しようとしてるって言いつけて止めてもらうんだから!」

「な!卑怯だぞ!」

孫六兼元を握ったまま庵を出て行こうとする実彰と、それを引っ張るハバキ憑きの攻防は、それからしばらく続いたという。










―― 結局、その攻防がどうなったのか。

それは、香夜の元へ婿入りしてきた実彰の少ない荷物の中に、しっかりと孫六兼元が収まっていた事が答えだろう。

ただし。

「ちゃあんと、あたしが刀から遠くまで離れられないように確かめてから寝室の隣りの部屋におくって当たりが、やっぱりむっつりよね。」

今は家を出た香夜の父親の部屋に置かれた孫六兼元の上で拗ねたようにハバキ憑きが呟いたとか。

「・・・・まあ、幸せならいいんだけど。」

小さく小さく呟かれたその言葉は、若夫婦が賑やかに切り盛りする飯屋の賑わいに優しく溶けた。











                                             〜 終 〜
















― あとがき ―
ハバキちゃんと実彰のやりとりは結構隙です。ハバキちゃんには是非、末永く実香夜夫妻をからかっていって欲しい(笑)