触れて笑って口付けて
「・・・・わあ・・・・」 店の忙しい時間を終えて、町外れの神社まで走って来た香夜は、目の前にある光景に思わずそんな声を零した。 というのも。 (螢が、寝てる・・・・) そう、神社の社殿へ上がる階段に待ち合わせ相手であった螢が座って目を閉じていたのだ。 初めて見る光景に香夜は思わず己の目を疑った。 (でも起きているならもう目を開けたっていいはずだし。) 実は待ち合わせの時間を小半時以上過ぎているため、香夜は大急ぎで走って来たのだ。 足音だって全然気にしなかったから、結構大きな音がしていたはずだから、起きているならとっくに香夜が来たことに気が付いているはずだ。 (・・・・待たせちゃったから。) 未だに目を閉じたまま反応がない螢に、香夜の胸が少し痛んだ。 もちろん、香夜だって約束の時間は護りたかったし、他の約束だったなら父にきちんと事情を話して間に合うように店を出てこられただろう。 けれど、螢との逢瀬はまだ父には堂々と言えないのだ。 なにせ螢と香夜は恋仲になったばかりだったりする。 未婚の男女の逢瀬なんてまだまだ江戸ではいい顔をされないのが普通だし、まして、螢には人には言えない事情もある。 故に、まだ香夜の父には二人の関係は伏せたままなので、予想以上に店が混んで忙しくなってしまい適当な理由をつけて抜け出すことができなかったのだ。 「ごめんね、螢。」 ぽつり、と謝ってみたが、やっぱり螢からの反応はなかった。 (やっぱり本当に寝ているのかしら?) 一瞬、拗ねているのかな、と思ったものの、この反応の無さはやはり本物かも知れない。 ということで、さらに確かめて見ようと香夜は階段の中段に座って手すりに頭を預けている螢に合わせるように腰をかがめて覗き込んだ。 「・・・・螢?」 探るように問いかけるが。 「・・・・・すー・・・・・」 返ってきたのは返事ではなく寝息で。 「・・・・ほんとに寝てる。」 信じられない、と同じ響きで香夜は呟いてしまった。 というのも、螢はかなりの剣の使い手で、そのせいか気配などにはとても聡い。 だから、人気のない神社だから思わず転た寝したにしても、香夜がやってくれば気配で起きそうなものなのに。 (疲れてるのかな?) 膝を抱えてしゃがんで、ちょうど見上げる位置にある螢の顔を香夜は見つめる。 最初はぶっきらぼうで無愛想でわりと失礼な言動も多かった螢だが、恋仲になるまでの過程で、実は螢が面倒見が良くて、他者のために頑張ってしまえる質であることを香夜はもう知っている。 加えて螢のしている御用聞きは、人の多い江戸の町の治安を護るために、一日中歩き回ってはもめ事の仲裁に入ったりする仕事だ。 (それに・・・・今はもっと大変な事もあるものね。) 香夜がもっと大変、と称したのは、香夜と螢が出会うきっかけになった東海道偽花嫁行列を襲ってきた鬼達に関する事だ。 捕らえられた鬼の一味を救い出すべく、その首領が動いているらしいという不穏な噂を確かめるべく、螢は連日、お役目の他にも情報収集に当たっているのだ。 「・・・・・」 抱えた膝に頬杖をついて、香夜はじいっと螢の寝顔を見つめる。 その寝顔に疲労が滲んでいるような気がして、香夜の胸が痛んだ。 (きっと、辛い思いをしてる。) ただ悪人を追うだけなら、香夜だってこんなに心配はしない。 けれど、螢に隠された事情を知っているから。 ―― 螢もまた、鬼であるということを。 シグラギの一味を追い詰めれば追い詰めるだけ、「鬼」という種族への悪感情が高まる事はわかっている。 けれど正義感が強く、真っ直ぐな螢は同種族だからといって悪行を見逃すような真似はしないだろう。 (でも、螢は優しいから、きっと彼らを捕まえる事でまた厳しい目で見られる鬼達の事を思って苦しむんだろうな。) 螢の心境を思うと、香夜も苦しくなって眉を寄せた。 (・・・・本当はできればずっと側にいて、話を聞いたり励ましたりしたい。) いつも通り店の手伝いをしている時も、長刀の稽古をしている時も、最近は螢の事が気になってしかたがなかった。 自分の知らないところで危ない事をしていないか、悲しい思いをしていないか。 ふと気が付くといつもそんなことを考えていて、そのたびにいつの間に自分がこんなに螢を好きになっていたのだろうと思うのだ。 「・・・・ほんとに、不思議。」 螢の顔を見上げたまま、思わず香夜はぽつりと呟いた。 (東海道での初対面はどちらかというと失礼な人、だったのに。) 人がせっかく覚悟を決めて偽花嫁に挑んでいるというのに、出だしから「余計な事をするな」と釘を刺してきた螢ははっきり言って印象が良いとは言えなかったはずだ。 いやいや、初対面だけではない。 江戸で再会してからだって、それほど順調に仲良くなったわけではない。 それどころか、最初はケンカばかりしていたのに。 (・・・・気が付いたら、気になってしかたなくなってた。) 初めて仏頂面ではない顔を見せてくれた時か、それとも鬼だと香夜が知ってしまった時に過去を告白する悲しげな横顔を見た時か。 一体、いつからだったのだろうと思い返しても、ここだという点は見つけられない。 けれど。 (いつの間にか、螢の顔ならいつでも思い出せるようになってた。) そう思いながら香夜はじっと視線で螢の顔をなぞる。 白味がかった不思議な色の髪、褐色の肌、笑うと見える八重歯。 今は閉じられている瞼の下にある金色の瞳。 そして、彼の祖母の作った布に隠された角。 眠っている顔を見ているだけで、ドキドキと弾み始める鼓動が妙にくすぐったい。 (・・・・かっこいい、なんて言ったらきっと「何言ってんだ!」って照れるよね。) もう、絵に描いたような照れ屋の反応が想像出来て、香夜はくすっと笑ってしまう。 そんな反応も、本人には言えないけれど可愛くて実は好き・・・・なんて思ってしまう。 「螢・・・・」 早く起きて、と思う気持ちと、疲れているならもう少し寝かせてあげたいと思う気持ちが交差する。 ほんの少し触れたら起きるかな、と思いついて香夜は螢の寝顔に手を伸ばした。 「・・・ん、・・・・・」 指先で頬にかかっていた髪を避けたら、僅かに螢が身じろぎして一瞬起こしたかとどきっとした。 けれど、僅かに動いた螢はそのまま頭の位置を変えただけで目をあけない。 (わあ、触っても起きないなんて。) 想像以上に本格的に眠り込んでいるらしい螢の反応に香夜は目を丸くした。 と、同時に妙な悪戯心がくすぐられる。 (今なら少しぐらい・・・・) どきどき、と鼓動が早くなる。 もちろん、疲れて眠っている螢を煩わせるような真似はしたくないから、悪戯はしないけれど・・・・。 (少し、だけ・・・・) 心の中でそう呟いて香夜は膝を抱えていた姿勢から、そおっと立ち上がった。 触っても起きなかったのだから、衣擦れぐらいで起きるはずがないとわかっていても、なんとなく必要以上に気になってしまう。 自分にしか聞こえていないはずの鼓動でさえ、静かな境内に響いているようで思わず胸を押さえつつ、香夜はそっと螢に近づく。 (―― ほんとは) ことり、と香夜の恋心が揺れる。 想いが通じて、まだ慣れないながらも螢とふれ合った事はある。 けれど、大抵それはいつも螢からで、香夜から触れたことはまだなかった。 恥ずかしかったのもあるし、いつも螢の方が早いというのもある。 でも、本当は・・・・。 (・・・・・) いつもは身長差があるから、近づいても目線より少し上にある螢の顔が、少し下に見えるのが新鮮でどきどきする。 螢の髪、瞳、笑顔、声・・・・全部が大好き、と思う気持ちが胸に溢れて苦しい程だ。 だから、いつも螢がするように、その想いをありったけ込めて ―― 香夜は自分の髪を押さえると、腰をかがめて。 布に隠された螢の角に、そっと唇を寄せた。 本当は螢の全部を大好きだと伝えるために触れてみたかった、という願いを形にするように。 ―― 一瞬だけ触れて、自分でも驚くぐらい心臓が跳ね上がって、慌てて香夜が離れようとした、次の瞬間。 「え!?」 唐突にぐっと腕が掴まれたかと思ったと同時に、香夜は思い切り抱きしめられていた。 「っっっ!!??」 もちろん、犯人は一人しかいない。 目の前に広がる見覚えのある褐色の肌に、香夜は恥ずかしさに頭が真っ白になる。 「け、け、螢!?お、起きてたの!?」 「・・・・・」 返事は返ってこない。 が、返事が返ってこない事が、まぎれもなく返事だった。 (ちょ、え!?嘘!?) 起きてたとしたら自分は何をした? (寝顔をじーっと見て、それから・・・・) それから。 「〜〜〜〜〜っっっ!!!は、離して!」 自分の行動を振り返って、恥ずかしさのあまに香夜は思わずじたばたと暴れた。 が。 「るせ、ちょっとこうして黙ってろ。」 腕力で叶うはずもなく、あっという間にぎゅうっと抱きしめられてしまう。 「だ、黙ってろって、螢・・・・っ」 あんな事をした後に、何も言わずに抱きしめられるなんていたたまれなさすぎる、と螢の言葉に抵抗するように無理矢理顔を上げた香夜は。 「・・・・え」 目に映った螢の顔に目を丸くしてしまった。 なにせ螢は、耳まで見事に真っ赤だったから。 「・・・・・」 「・・・・ちっくしょ、見んなよ。」 「だって・・・・」 「あー!くっそ、寝たふりなんかするんじゃなかったぜ!」 「あ、やっぱり寝たふりだったのね!」 やけくそのような螢の叫びに香夜が反応すれば、「そうだよ!」と拗ねたように言いかえされた。 「お前がなかなか来なかったから・・・・いや、店が忙しいってのはわかってるけど、ちょっと驚かしてやろうかな、と思ったんだ!けど・・・・」 あんなことされると思わなかった、とさっきの声とは比べものにならないぐらい小さく呟かれて、香夜はいたたまれなくなる。 「だって・・・・その、眠ってるなら触れてみたくて・・・・」 もうここまで来たら隠している意味もないので、ぽそっとそう告げると、螢の顔がものすごく複雑そうに歪んだ。 例えるなら、笑って良いのか怒るべきか、困っているのか喜ぶのか、その全部をごちゃまぜにしたような。 そうして、なんとも微妙な沈黙の後。 「・・・・たく、お前は」 そうはき出した螢は、蕩けるように笑っていて。 それがあまりにも照れくさそうだけれど嬉しそうで、香夜は胸がぎゅうっと締め付けられて言葉を失う。 そんな香夜の額に、さっき口付けられた自分の角をちょん、と当てて。 「これでもオレ、結構我慢してんだから・・・あんまり可愛いことすんな。」 「かわっ!?・・・っ!」 可愛い!?と予想外の単語に丸くした香夜の瞼に、螢は愛しげに唇を寄せる。 そして口調だけは本当に困ったように言った。 「昔語りで姫君を攫う鬼の気持ちがちょっとわかっちまった。」 「え?」 「正直、このまま抱き上げて、お前をどっかへ連れてっちまいたい。そうすれば・・・・いつも側に置いておけるのに。」 切なげに綴られる言葉に香夜もぎゅっと胸を押さえてしまう。 本当にそうできたら、と思わないわけじゃない。 それだけ、螢と香夜の恋路は平坦でない事はわかっている事だ。 けれど、もしそうしてしまったら、香夜も螢も何もかも捨ててしまうことになるから。 だから。 「けど、オレはお前に笑ってて欲しいから。もう少し待ってろ。絶対に、お前がオレの腕の中で幸せに笑っていられるようにするからな。」 「うん・・・・信じてる。」 決意をするような言葉に、香夜もしっかりと頷く。 それを見て螢は満足そうに笑って・・・・ふいに、悪戯っぽい光を瞳に閃かせると香夜をぐっと引き寄せる。 「!」 胸に倒れかかるようになった香夜が驚いて顔を上げると、その額に螢はお返しとばかりに口付けて言った。 「その時は、遠慮なくオレに触れていいからな?」 「っっっっ!!!」 ―― そうして、螢の言葉に真っ赤になった香夜が何か言い返すより先に、螢は香夜の唇を塞いだのだった。 〜 終 〜 |