誰が何といおうと、俺の嫁が一番!
華のお江戸は日本晴れ。 そんなうたい文句がしっくりきそうな、九十九丸にとっては江戸で迎える二度目の皐月の空を見上げて、団子を頬張りつつ、感慨深げにため息をついた。 「それにしても驚いたなあ。」 「お前、団子食いながらじゃちっとも驚いてる感じがしないぞ。」 呆れたようにそう言ったのは、茶屋の縁台に並んで座っていた同郷同門の田一だ。 その反応に九十九丸は不満そうに眉を寄せて田一を見る。 ・・・・もっとも、しっかり団子をくわえているのであまり格好はついていないが。 「何を言う!俺は本当に驚いたんだぞ!?お前が所帯を持つなんて聞いていなかったから。」 暗に友人なのに何故教えてくれなかったと九十九丸は不満を篭める。 もちろん、友人のめでたい知らせを喜んでいることは確かなので、本当に些細な不満だ。 そんなむくれた表情を見せる九十九丸に田一は微妙に苦笑する。 「まあ、お前達もなんだか大変そうだったし、色々言い出しにくかったんだよ。」 「それは、そうかもしれないが。」 田一が『達』と複数形を使った事に気が付いて、九十九丸は団子を咀嚼しながら唸った。 「だいたい、去年の剣取り五剣祭が過ぎた頃にお前が遠野へ帰ったり、それから江戸に帰ってきたと思ったら祝言だなんだと大忙しだっただろうが。」 不満を申し立てたつもりが、一転、やり返された。 (確かに去年はいろいろあったからな。) 田一の言う通り、去年の春から秋にかけては九十九丸の人生が大きく変わった出来事が立て続けにあった。 剣取りをして田宮流の伝書をもらう、という目標だけを掲げて江戸へ出て来たはずが、気が付けば幕府の密命で駿府まで偽の花嫁行列の護衛をしたり。 そしてそこで偽花嫁を勤めていた香夜に、江戸で再会して恋をしたり。 そのぐらいまでは、まだ江戸で会った田一と話す余裕もあったのだが、その後が大変だった。 なにせ、九十九丸は剣取り試合に出るうちに己の身体に眠っていた秘密と向き合う事になったのだ。 己の命に隠された真実を知るために剣取りを諦めて故郷に帰る事を決めた九十九丸に、香夜は着いてきてくれた。 彼女がいたから、常夜という死の淵まで行ってなお、己は戻ってくる事が出来た。 幸いな事に、九十九丸の抱いた想いは一方的なものではなく、香夜もまた同じ想いを返してくれて、無事、己の生を取り戻して江戸へ帰ってきたのだが、そこからがまた大変だった。 なんせ、遠野で常夜から現世へ戻った事で、九十九丸はそれまで成長を止めていたらしい十五の姿から、一気に実年齢に相応しい二十歳の青年へと成長を遂げていたからだ。 (・・・・結構、無理のある説明をみんなよくわかってくれたと思う。) 香夜の父や田一には本当の事を包み隠さず説明したが、それ以外に無理矢理『成長期』で押し通したのは我ながらかなり無謀だったと思う。 幸い、知り合いや友人達は九十九丸と香夜の人柄を知っているおかげか、微妙に首をかしげたりしながらも、一応納得はしてくれたようだ。 そんなわけで、周りをとにかく納得させて、それから香夜の父に許しをもらって祝言をあげたのが、秋を過ぎる頃。 それから香夜の父の店を手伝うようになり、勝手を覚えようと奮闘しているうちに年が明け、雪が溶けた頃に、田一から祝言を挙げると報告を受けたのだ。 「・・・・うん、確かに聞いてる暇がない。」 「団子食って長々回想した後の台詞がそれか。」 湯飲みを片手に呆れたように笑う田一に、九十九丸も苦笑した。 「まあ、でも俺達だって本当はもっと早く報告しようと思ってはいたんだ。なんせ友人なのは俺とお前だけじゃないからな。」 そう言って田一が目をやったのは、自分たちが座る茶屋の向かい側。 その視線に促されるように同じ方を見た九十九丸の目に映るのは、反物を扱う店の前で春の日差しに負けないぐらい明るく笑っている二人の娘 ―― 香夜と松だった。 そう、九十九丸が「驚いた」と言ったのには、友人が行き成り結婚すると言い出した事への驚きとともに、もう一つ、彼の相手が香夜の親友である松だったこともあったのだ。 「そうだな。香夜も聞いて驚いていた。」 「だろうな。俺自身も驚いてる。」 頷いた田一の言葉がやや独白的だった理由をなんとなく九十九丸は察した。 なにせ、田一は剣取り試合に出てそれなりの成績を残せるぐらいには腕の立つ侍ではあるが、江戸において陸奥の遠野から来た若者など田舎者扱いだ。 さらに松は田一が剣取り試合の間だけ食い扶持と寝床を確保するために奉公した武家の娘だったのだから、本来なら相手にされないぐらいが普通であろう。 「今更だが、一体、いつの間にそんなことになったんだ?」 「・・・・本当に今更だな。まあ、話してなかったからしょうがないか。」 自分と同じく剣術馬鹿の括りに属していたはずの田一が、いつの間にか恋をしていたという事に純粋に興味を抱いて問いかけると、田一は湯飲みから茶を啜って座りの悪そうな顔をする。 (おお、田一が照れている。) なんとも珍しい顔をまじまじと見ていると、嫌そうに顔をしかめられてしまった。 「お前、その興味津々って顔をやめろ。お前達ほど劇的な話はないよ。・・・・ただ、護衛やらなんやらで一緒に居るうちに、気が付いたからさ。」 「気が付いた?何に?」 「詳しくは言えないが、松は心に傷を抱えてたんだ。それなのにいつも明るく笑って頑張ってて・・・・それを見てたら、護りたいって思ってさ。」 照れくさいのか、思い出しているのか、視線は松へ向けてそう語る田一に、九十九丸はふにゃっと笑った。 その笑みを横目で見て形ばかり不機嫌そうに田一が睨んでくる。 「なんだ、その顔は。」 「いや、お前も良い人が見つかってよかったなあと思ってさ。」 「ふん、それはお互い様だろ。」 田一の言葉に否定もせずに頷いたら、「そこは逆に照れるところだろ。」と呆れられてしまった。 なんとなく、くすぐったい沈黙と共に会話が途切れ二人の視線は自然と通りを挟んだ向こうにいる香夜と松へと向いた。 通りと言ってもさほど広いわけではないので、二人の表情は良く見える。 香夜と松はこっちの反物、あっちの帯と指さしたり合わせてみたりと実に楽しそうだ。 男にはよくわからないが、女同士で買い物というだけでも楽しいのだろうが、それに加えて嫁入りを前に新しい着物を選ぶというのも心が弾むものなのだろう。 「・・・・楽しそうだな。」 一応、着いてはきたものの、店に入る前から「向かいの茶屋で待っていて」と置いて行かれた田一は、その様子を見ながらぽつりと呟く。 同じく置いて行かれた九十九丸も新しい団子をくわえて頷いた。 「ああ。香夜も随分楽しそうだ。」 せっかくの休みに香夜に放っておかれるのはちょっと寂しいが、遠目にも輝いて見える笑顔が見られたのは嬉しい。 とはいえ、何もやることがない待っている身。 なんとなく二人の様子を見ているうちに、いくつかの反物を合わせている様子を見て田一がぽつっと言った。 「あ、松にはあっちの着物が似合うな。」 「あの縞の方か?」 「ああ。」 香夜が試しに当てていた反物のうちの一つと見て目を細める田一に、九十九丸もなんとなく同じ方に目を向ける。 が、考えるのは自然と。 (香夜だったら・・・・) 「香夜はあっちだな。」 「あの淡い色の反物か?」 「ああ。」 今日は松の物を選びに来ているので、自分には合わせていないが、さっき手に取っていた淡い春色の反物は香夜に似合っていたな、と九十九丸は目を細める。 なんだかんだと忙しくて新しい着物どころではなかったが、店もそれなりにちゃんと手伝えるようになってきたし、そろそろ着物の一枚ぐらい贈ってもいいかもしれない。 「きっとあの反物で着物を仕立てて香夜が着たら、早池峰の女神ぐらい綺麗だ。」 そんな姿を想像し、九十九丸は何気なく言ったのだが、故郷で最も美しいと言われる早池峰山を象徴する女神を引き合いに出したのが、田一の何かを刺激した。 彼は彼で、視線を松に据えたまま茶を一口飲むと言った。 「松はあの色だ。肌が白いから、きっと誰より綺麗にはえる。」 誰より綺麗、の言葉がやや挑戦的に響いて、九十九丸はむむっと田一を見た。 刹那、こちらを見ていた田一とばちっと視線がぶつかる。 ・・・・今更ながら、この二人、故郷では師の元でしのぎを削った好敵手同士である。 見栄っ張りな江戸っ子と違い、真っ直ぐな性質で負けず嫌い。 加えて ―― 嫁にべた惚れ同士である。 となれば・・・・譲れるはずもないわけで。 「・・・・香夜は笑うとすごく可愛いんだ。あの着物を着て笑ってくれたら、きっとどんな華より絶対に可愛い。」 「松だって笑うと可愛い・・・・いや、美人、だな。彼女は怒ったって美人なんだ。」 どこかで試合開始の号令が聞こえた。 「、香夜だって怒ると・・・・怒らせたくはないが、怒ったら怒ったで一生懸命で可愛いんだ!」 「ふん、松は武家の娘だけあって怒ると本当に怖いぐらい綺麗なんだぞ。」 いや、それ、胸を張って言うことか、田一・・・・という突っ込みは残念ながらない。 むしろ九十九丸の心にいらん油を注いだらしく、九十九丸は九十九丸でぐっと団子の串を握りしめて言った。 「香夜は泣き顔が綺麗だ!」 「俺は松を泣かせたりしないからな。」 「く、ふ、不可抗力・・・・か?い、いや!とにかく、俺だって積極的に見たい訳じゃないが、香夜が涙を零す様は本当に綺麗なんだ。あ、そうだ。特に嬉し涙は本当に綺麗だった!朝日にきらきら涙が輝いてて、幸せそうに笑ってくれて・・・・」 へにゃっと目尻を下げて思い出している光景は蓮台野で見せた香夜の表情だろう。 あまりにも幸せ垂れ流しの九十九丸の表情に田一がくっと歯を噛みしめる。 「お、俺は嬉し涙はこれから見る予定だからな・・・・!えーと・・・・そうだ!松が拗ねるとものすごく可愛い!」 僅かに負け惜しみもどきな事を口にして、その後、はたと思いついたように田一は声を上げる。 「普段気が強くてしっかりしてるだけに、子どもっぽい事で拗ねたりするとものすごく可愛いんだ!例えばお気に入りの飴が買えなかったとか。俺が稽古に夢中で外出に付き合うのを忘れた時とか、すごく可愛かったなあ。」 こちらも思い出したのか思わず目尻が下がる田一に、九十九丸がむむむっと眉を寄せて。 「くう・・・・香夜だって俺の好きな物は作ってくれるし、いつもしっかりしているけど、たまに甘えてくる時なんかはいつもの万倍可愛くてだな ―― !!」 まだまだ自慢できることならあるんだから、とばかりに九十九丸と田一が角を突き合わせた・・・・刹那。 「「恥ずかしいから、もうやめて!!!」」 「「あ ―― 」」 通りに響き渡った香夜と松の声に、九十九丸と田一は同時に顔を横へ向けた。 そして目に映ったのは、真っ赤になってこちらを睨んでいる互いの愛しい人と・・・・ものすごく楽しそうな見物人の人垣で。 ―― 大々的に嫁自慢をやらかした二人は、そのまま嫁達に怒られ、しばらくご近所を歩くたびに微笑ましい目で見られていたたまれない思いをしたとかしなかったとか。 〜 終 〜 |