愛が試される時
「さあ、どうぞ召し上がってください。」 そう言って左京がにっこりと差し出したお盆の上に乗ったものを見て、香夜は口元を引きつらせずにはいられなかった。 「え・・・っと、これ、は?」 布団の上に上半身を起こした香夜は、とりあえず差し出されたお盆を受け取ったものの、そこで思わず聞いてしまう。 それに対して香夜の肩に羽織を掛けてくれながら、左京はこともなげに言った。 「おかゆです。お口にあえばいいんですが。」 (や、やっぱり?) 確かにこの場面で渡されるとなれば、おかゆであろう。 いや、だが、しかし・・・・。 「おかゆ、ですよ、ね?」 お盆の上の器に目をおとして、再度香夜は聞いてしまった。 心なしか、背中につうっと、暑さとは別の汗が伝った気がしたが、そんな香夜の様子には気がついていないのか、左京はやや怪訝そうにしながらも答えた。 「おかゆですよ。」 「おかゆ、ですか・・・・」 そうですか。 やっぱり、そうなんですか・・・・・・・・・・・でも。 (どうして、おかゆなのにドドメ色なのっっっ!!!) 口にはとても出せなかった言葉の代わりに、ぎゅっと握ったお盆の上の茶碗で。 ―― のーん、と謎の存在感のあるドドメ色のおかゆ(?)が香夜に無言の圧力をかけていた。 そもそも、事の起こりは珍しく香夜が風邪を引いた事だった。 幼い頃から店の手伝いをしたり長刀の稽古で体を鍛えていた香夜は、めったに体調を崩さなかった。 だから少しのだるさや食欲の減退を、気のせいと無視していたのがまずかったのかも知れない。 いつものように寺子屋で左京の手伝いをしようとした矢先に、急に襲った具合の悪さに、香夜は倒れてしまったのだ。 血相を変えて寺子屋を休みにして左京が呼びに行った鈴懸の診察は。 「風邪だね。」 「風邪、ですか?」 枕元で診察を見守っていた左京が聞き返すと、鈴懸がうん、と頷いた。 「今年は夏が暑かったから、涼しくなってきて体調を崩す人が増えてるんだ。」 鈴懸の説明に、香夜もああ、そう言えば、と力なく同意する。 「今年は、暑くて・・・・ちょっと食欲が落ちていた、かも。」 「香夜さん!大丈夫ですか?」 小さな声で言ったはずなのに、はっとしたように左京がのぞき込んできた。 その赤みがかった瞳に、ありありと心配の色が見て取れて、香夜は申し訳なさと、少しの嬉しさで一杯になる。 「心配、かけてごめんなさい。左京さん。」 「何を言っているんですか。私があなたの心配をするのは当然のことです!」 心外とでもいうように眉を寄せる左京に、薬箱から薬を取り出していた鈴懸がうなずいた。 「そうだよね。だって左京さんと香夜はもう夫婦だもんね。」 「!」 「鈴懸の言う通りです。」 鈴懸の言葉に香夜は目を丸くしたが、左京はその通り、と首を縦に振った。 二人の言葉に香夜は、熱とは別の意味で、顔が熱くなるのを感じる。 (た、確かにそうなんだけど・・・・) 香夜が左京の元へ嫁いだのは、寺子屋が開設してすぐのことだ。 だから二人の言う通り、確かに左京と香夜は夫婦なのだが、まだそうなって日も浅いこともあり、どうにも慣れていない。 (そう言えば左京さんと夫婦になってから、具合を悪くするのってこれが初めてかも・・・・) ふとそんな事実に気がついていると、鈴懸がいくつかの薬を取り出し終わったのか、袋にまとめて左京に渡した。 「幸い風邪としての症状は軽いよ。倒れちゃったのは、祝言とか寺子屋のこととか慣れないことが多くて気がつかないうちに疲れていたのもあったんだと思う。だから、これを朝と夕に煎じて飲んで。」 「あ、あり」 「ありがとうございます、鈴懸。」 お礼を言おうとした香夜の言葉に左京の声が重なった。 その間合いが、まるで自分の事のような間合いで、先ほどの夫婦なんだから、という言葉と相まって、香夜はなんだかくすぐったくなる。 そんな香夜を見下ろして鈴懸は言った。 「あとはちゃんと栄養を取ってしっかり休んでね。お大事に。」 「うん、ありがとう。」 今度はちゃんとお礼を言うと、鈴懸はにっこり笑って立ち上がる。 継いで鈴懸を送るために左京が立ち上がり二人そろって部屋を出て行く背中を香夜は見送った。 そしてしばし。 いつもは賑やかな子ども達の声が響く時間だけれど、今日はお休みにしてしまったので遠くに聞こえる町の音以外は妙に静かだ。 そんな静寂に改めて香夜は小さなため息を零す。 「・・・・駄目だなあ。」 そのため息と一緒にぽつり、と香夜の口から零れたのはそんな呟きだった。 と。 「何が駄目なのですか?」 「!左京さん。」 不意に静かだった部屋に響いた声に、香夜は驚いて声を上げた。 見ればちょうど今、戻ってきた風の左京が廊下から部屋へ入ってくるところだった。 その額にきっちり刻まれた皺に、香夜は表情を曇らせる。 「あの・・・・」 怒ってます?と思わず問いかけそうになった香夜の枕元に腰を下ろしたところで、左京はふうとため息をついた。 「怒ってはいませんから、そんな顔をしないでください。」 その言葉に、香夜はほっと息を吐いた。 けれど、左京はそのまま一言付け足す。 「怒ってはいませんが、拗ねてはいます。」 「え?」 (拗ねる?左京さんが??) かなり予想外な言葉に香夜は目を丸くした。 その様子に、左京は困ったように苦笑して。 「そんなに意外そうな顔をしないでください。だって拗ねたくもなるでしょう?せっかく夫婦になったというのに、あなたは具合が悪いことを私に隠していたわけですから。」 「え!?あの、それは、その、けして隠していたわけではないんです。ただ、その、大丈夫かなって思ってて。」 慌ててそう言った香夜の額に、すっと左京の手が触れた。 「そうなのでしょうね。あなたは自分の事は後回しにしがちですから。でも、だからこそ少しの事でも私に話して欲しいのです。」 「左京さん・・・・」 言葉に、前髪を梳く指先に慈しむような優しさを感じて、香夜の心がふわりと温かくなる。 「あの、これからは気をつけます。だから、左京さんも話してくださいね?」 額に触れる手を通り越すように視線を左京に向ければ、左京の瞳が優しく細められた。 「ええ。私たちは夫婦ですから。」 そう言う左京の声が、どこか嬉しそうだったのは、香夜の気のせいではないだろう。 「では、香夜さんも反省してくださったようですし。」 「?左京さん?どこへ行くんですか?」 不意に香夜の額にあてていた手を離して立ち上がった左京に、香夜が首をかしげると、彼は小さく笑った。 「さっき鈴懸に言われたでしょう?しっかり栄養を取るように、と。ちょうど昼時ですし、何か作ってきます。」 「そ、それぐらい、自分で!」 「香夜さん。」 慌てて起き上がろうとする香夜を、左京が寺子屋の子どもを叱る時のような静かな中にも有無を言わせぬ口調で押しとどめる。 そして。 「あなたの看病をするのは、夫たる私の責務であり特権です。おわかりいただけますね?」 にっこりとそう言い切られてしまったら、反論の言葉なのない。 ちっとも悔しくはない敗北感に、くすぐったい思いに頬を赤らめる香夜に、左京はどこか張り切ったように部屋を出て行ったのだった。 (・・・・えっと、そこまでは、良かったのよ。) 瞬きいくつかの間で回想を終えた香夜は、ふう、と息を吐いてそう思った。 そう、左京が病人の香夜のために何か作ってくれる・・・・そこまでは良かったのだ。 左京は幼い頃から旅を続けていただけあって、それなりの家事能力もある事を知っていたから、これといって心配もせず、気がつけば香夜はうとうとと眠っていたし、そのおかげで左京が部屋に戻ってきた時には大分気分もマシになっていた。 それは良い。 これで、あとは渡されたおかゆを、たくさんお礼を言って笑顔で食べれば完璧なる新婚さん初めての看病話の大団円だったはずだ。 しかし、香夜の手にあるおかゆは・・・・大団円を迎えるには、ちょっと想像の斜め上をいきすぎたドドメ色のおかゆである。 ふうーーー、と妙な息を香夜が吐いていると、お盆を渡して座った左京が首をかしげた。 「どうしました?もしかしてまだ、具合が悪いですか?」 「あ!いえ、そんなことはないです!」 本当に気分自体は大分良くなっていたので香夜が大きく首を横に振ると、左京がほっとした顔をした。 その左京にしては実に心の内がよくわかるような表情に、かえって香夜は追い詰められる。 (こ・・・・これで今更、食欲がないとは言えない・・・・。) 自分で退路を断ってしまった感覚に、香夜の背中を冷や汗が伝った。 (やっぱり、せっかく左京さんが作ってくれたんだし。) 食べないわけにはいかない、と香夜はお盆の上に目をおとした。 相変わらず、お盆の真ん中ではのーんと謎の迫力を放つドドメ色のおかゆ・・・・。 (・・・・というか、なんでおかゆでこんな色が出るの?そもそもおかゆに白以外の要素はないはずなのに・・・・) 少なくとも香夜の知っているおかゆは、米と水でできるもので、ドドメ色の要素は何一つ想像がつかない。 (!だめ!深く考えたらきっと口に運べない!) 慌てて香夜は己を叱咤する。 第一、ここで何か理由をつけてこのおかゆを回避したところで、次に出てくるおかゆが違うものとは限らないのだ。 (で、でも・・・・・) ちらっと見たおかゆはやっぱりドドメ色・・・・。 と、香夜が覚悟を決めきれずにおかゆとにらみあっていると、不意に横から左京の手が伸びた。 「え?」 何を、と問うまもなく左京はお盆の上に乗せてあった匙を手にとった。 「左京さん?」 「いえ、その・・・・」 どうしたんですか、の意味を込めて左京を見ると、何故か少し左京の頬が赤くなっていた。 「??」 (どうしたのかな?まさか、あんまり私が躊躇ってるから誤解された?) せっかく作ってくれたおかゆを食べられなくて迷っているなどと知られてしまっては、左京を傷つけてしまう。 慌てた香夜が口を開こうとすると、左京はすっとお盆の上の茶碗を手に取った。 「すみません、配慮が足りませんでした。」 「え?」 「まだ熱かったですよね。」 (え?熱い??) 何のこと?と話について行けていない香夜の前で、左京は匙におかゆをすくうと、ぎこちなくふうふうっと息を吹きかけた。 そして。 「はい、どうぞ。」 「え」 すっと口元に差し出された匙に、香夜は二重の意味で固まってしまった。 おそらく少し気恥ずかしいのだろう。 うっすらと赤い顔をしながらも、匙を差し出す左京の瞳はどきどきするほど優しい。 しかしながら、差し出された匙の上にあるおかゆは、どきどきするぐらい謎のドドメ色。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あの」 「?」 「もしかして、左京さん、具合が悪い事を黙っていたの、まだ怒っています?」 追い詰められて思わず香夜はそんなことを口走ったが、その問いへの返事は優しすぎる否定だった。 「いいえ、もう怒ってはいませんよ。だから、早く元気になってくださいね。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 言葉の裏に遠回しな意味を隠す事も多い左京だが、今のは本心だった。 本心だと伝わってしまった。 怒っている故の当てつけではなく、本心から心配して左京が作ってくれたおかゆ・・・・となれば、香夜のとれる行動はたった一つ。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いただきます。」 大好きな人から、あーんvで食べさせてもらうとか、そんな乙女が夢見る状況のはずにもかかわらず、まるで決死の覚悟を決めた侍のような顔を香夜がしたことには、幸い左京は気がつかなかったらしい。 「はい、どうぞ。」 照れたように微笑みながら左京が差し出した匙を。 香夜は一息にぱくりと口に入れたのだった。 ―― ちなみに、ドドメ色のおかゆは、ちゃんと美味しかったらしい。 〜 終 〜 |