絶対王者のラプソディー
神戸、神南高校 ―― 良家の子女が通う、などと枕詞がつきそうなこの学校の一角、弦楽部の部室で、土岐蓬生は恐ろしく珍しいモノを見ていた。 厭世的で余り世の中の事に興味を示さない土岐が思わず見つめてしまうほど「珍しいモノ」。 それは。 「・・・・なんや、えっらいイライラしとんね、千秋。」 ―― ご機嫌斜めな部長、東金千秋だった。 否、千秋がご機嫌斜め、と言うこと自体は別に珍しい事でも何でもない。 もともと王様体質で、部員や率いるべき人間には弱みを見せない千秋ではあるが、演奏面でも普段の生活でも共に過ごしている土岐には苛立ちを露わにして見せたりすることもあるからだ。 しかし、それとて何も理由無く苛立ったりするわけではない。 が、今の千秋には機嫌を損ねる原因など特に無いはずなのだ。 全国大会で総合優勝は逃したにしても、ソロ部門では優勝しているし、準決勝での敗退だって彼にとっては清々しいものだった。 まして、千秋は横浜で勝利以上の大きなものを手に入れたはずだ。 小日向かなで ―― 今まで特定の誰かを好きになったことなどなかった千秋を虜にした少女を。 ま、要するに、自分の実力も認められそれに相応しい勝負もし、おまけに最高の彼女までゲットしたという素晴らしい状況のはずなのだ。 ・・・・にもかかわらず、さっきから部室でティータイム中の千秋は恐ろしく不機嫌。 眉間にはがっちり皺がよっているし、イライラしたように時々テーブルを指先で叩いてみたりしている。 いつ部員が入ってくるとも知れない部室でこんな風に感情を露わにしている千秋を土岐は今まで見たことが亡かった。 故に、珍しいモノとして心から観察していたのだが、千秋にとってはそれも気に入らなかったらしい。 「んだよ、蓬生。」 「そんな怖い顔せんとって。」 「うるせ。放っておけ。」 ブスッとした顔のまま、千秋がそっぽを向く。 その時、机の上にあった千秋の携帯が小さく震えた。 「!」 その瞬間の千秋の動きを、蓬生は神速と称す。 そのぐらいの勢いで千秋は携帯に飛びつきぱかっと開いて・・・・バンッとしめた。 ―― ところで、土岐蓬生は非常に洞察力に富んでいる性格をしている。 故に、それだけの動きで悟ってしまった。 千秋の不機嫌の原因を。 (あ、まずいわ。ここで笑うたら絶対にキレる。) 喉もとまででかかった笑いをなんとかかみ殺して、土岐は何気なく言った。 「小日向ちゃんから連絡あらへんの?」 「!・・・・・」 土岐の問い駆けに一瞬、かなり忌々しそうな視線が飛んできて、同時にそんな視線を投げることが答えになってしまった事に気がついたのだろう。 さっきにもまして不機嫌顔になってしまった千秋は土岐から視線を外して・・・・ぼそっと言った。 「・・・・なあ、蓬生。」 「なんや?」 「・・・・・・・・・・・・・・初めてキスした時、ぴったりいったか?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 もし、ここで神南高校弦楽部の部室に鹿威しでもあったら、かぽーんっ1回分ぐらいの間があっただろう。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」 「間が長え!!」 「そないな理不尽いわんといて。千秋が妙な事言うからや。」 危うく千秋に逆ギレされかかって、土岐はやっと自分を取り戻した。 そして、土岐の言う事に自覚はあったのだろう。 千秋が顔をしかめて落ち着こうとでもするかのように紅茶を口に運んだ。 その様子を眺めながら、土岐は言った。 「いきなりどうしたん?」 そもそも前からの繋がりがわからない。 自分はかなでから連絡が来ないのか、と聞いたはずなのに。 「まさか思うけど、小日向ちゃんとキスすんのに失敗でもしたん?」 「するかっ!」 「ほな、なんで?」 「っ・・・・!」 ぐっと詰まってしまった千秋を見ながら、土岐は珍しくティーテーブルの真ん中に置かれた菓子皿に手を伸ばした。 今日は芹沢お手製の一口マドレーヌのようで、何色かの貝型の小さなお菓子がこんもりと盛られている様は可愛らしい。 黄身色の小さいのを一つ手にとってもてあそびながら土岐は黙ってしまった千秋の変わりに口を開いた。 「初めてのキスなんて可愛すぎて覚えてへんな。けど、失敗したっちゅう記憶もないよ?」 「・・・・俺達は男だしな。」 呟かれた返事がますます千秋らしくない。 (さて、これはどないなわけやろ?) うっすらと口元に笑みを浮かべて土岐はマドレーヌを口に運んだ。 と、その時、不機嫌そうに視線をそっぽにむけたまま千秋が言った。 「あいつ・・・・自分からキスしてきたんだよ。」 マドレーヌは土岐の口に入り損ねた。 「は?」 危うく落としかけたそれをなんとか受け止めた土岐はそうは見えないが慌てて聞き返した。 (自分からキスした?) 「誰が?」 「かなでに決まってんだろ。」 いや、決まってへんし、想像もできへんし、という土岐の心の声は残念ながら口火を切ってしまった千秋の耳には届かなかった。 「ぽやっとしてるくせに、俺がちょっとからかって・・・・いや、それはまあ、本当にしてきたらおもしれえとかは思ってたけどよ・・・・とにかく、やるとは思ってなくて、言ったのに本気でキスして見せたんだよ。 それも、ちゃんと、口に!」 最後をわざわざ強調するように区切って言って、千秋はイライラを増したましたように机を爪で叩いた。 その様に土岐は首をかしげる。 「それはええんやないの?小日向ちゃんもやるもんやなぁ。」 「何がやるもんや、だ!」 「千秋こそ、何をそないに苛立っとるん?千秋好みの積極的なところもあってよかったやないか。」 キスを強請って、キスをしてくれたなんて男冥利につきるではないか、と疑問しか湧かない土岐を、千秋はかっと睨み付けた。 「よくねえよ!蓬生!考えてもみろ?あのかなでだぞ?最初から、一発で俺の唇にキスなんかできると思うか!?」 「あー・・・・」 このセリフが出るに至って、初めて土岐は千秋の苛立ちの原因を理解した。 つまりはアレだ。 かなではどちらかというとマイペースでドジなところもある。 それ故に、ファーストキスから迷い無く相手にきちんとキスできるかと言われれば、多分彼女を知る人間なら首を捻るだろう。 だから、きっと、後になって千秋は気がついたのだろう。 ―― かなではファーストキスではなく、キスをした経験があるのではないか、と。 (・・・・アレやな。) それはもう、盛大な。 「可能性としては如月律か、あの弟だろ。幼なじみとか言ってたしな。」 ―― 男の嫉妬というやつだ。 「・・・・醜いっちゅうか、意外とおもろいもんなんやね。」 「は?何か言ったか、蓬生。」 「なんでもあらへん。それで?千秋はどないしたん?」 説明したら激怒しそうな思考はキレイに隠して土岐はそう問うた。 もっとも八割答えは予想できているが。 「当然、聞いた。」 「あー、そやろね。」 千秋は基本的には何事もハッキリさせておきたいタイプだ。 まして疑っている相手が、最愛の彼女の周りに常にいるとなればますます警戒対象としても確認しておきたいところだろう。 「昨夜、電話で聞いたってとこやね。それで返事は?」 「・・・・・・・・・千秋さんの馬鹿って叫んで切れた。」 そりゃそうやろね、と頷くのをやめておいたのは珍しく萎れた千秋が、珍しく不憫だったからだ。 「それでメールでも来ないかと待ってるわけや。」 「・・・・うるせえ。」 漸く解決した疑問を土岐がそう締めくくると千秋は面白くなさそうにまたそっぽをむく。 つまらなさそうに紅茶を口に運ぶ千秋の姿を見ながら土岐は必死で笑いを堪えていた。 (小日向ちゃん、あんた、すごいわ。) あの常に王者であろうとする東金千秋に、こんな年相応の顔をさせるなんて。 土岐が遠い横浜にいるかなでに賞賛を贈ったその時。 ブルルルルッ 机の上の土岐の携帯が震えた。 「?」 (誰や?) 何気なく携帯を拾い上げて画面を展開して ―― 「・・・・千秋」 「あ?」 「愛されとんね。ほら。」 思いっきり眉間に皺をよせている相棒に、土岐は笑って自分の携帯を差し出した。 怪訝そうな顔で「見てもいいのか?」と受け取る千秋に頷くと、画面に目を落として。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・蓬生。」 「なんや?」 「今日の予定はパート練習だったよな?」 「そうやね。」 「行ってくる。」 「どこへ?」 この疑問は愚問やな、と思う土岐に向かって千秋は閉じた携帯電話を投げ返し席を立つ。 土岐が携帯を無事に受け取った時には、千秋はすでに部室の扉に手をかけていて。 「横浜。あの可愛い口から真相を聞き出してきてやりたくなった!」 言うが早いか、千秋は扉の向こうへ消えていて・・・・。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っぷ、はははっ!」 とうとう堪えきれなくなった土岐の笑い声が響く部室の、ティーテーブルの上で、メール画面を展開したままの携帯電話も愉快そうに揺れた。 『From:土岐さん To:小日向かなで Sub:突然すみません 昨日、千秋さんに失礼な事を言ってしまったって謝りたい んですけど、連絡しずらくて・・・。千秋さん、怒ってますよ ね? それから、その・・・少し、気になっただけなんですけど、千 秋さんって、今まで付き合った人、いますよね? ・・・ごめんなさい、ちょっと気になっただけなんです。 千秋さんの様子だけ教えてくれたら嬉しいです。 小日向かなで 』 〜 Fin 〜 |