小日向かなでの愉快な悪戯
「ハルくんも新くんみたいに背が伸びるのかな?」 今日もいつもの授業も部活も終わって帰り道。 そろそろ夏から秋に変わろうかという季節を象徴するように、少しずつ早くなっている夕暮れの中を並んで歩きながら、かなではふっと悠人を見てそう言った。 その唐突な言葉に悠人はきょとんっとする。 なんせ直前の話題は文化祭で演奏する曲のボーイングについてだったのだ。 ついて行けないのも無理はないかも知れない。 「また、急に話が飛びましたね。」 「え?そう?」 間違い無くそうだ、と首をかしげるかなでに悠人は苦笑した。 最初の頃は話を聞いているんだろうか、と思ったけれど、どうもこれはかなでのマイペースがなせる技なのだと気が付いてからは慣れた。 (そう言えば部長もそう言うところがあったな。) そういう意味では律とかなでの方が兄妹のようだ、とこっそり思っている今日この頃だ。 「それで、なんでしたっけ?背?」 「あ、うん。」 素直に頷くかなでに悠人は目を落とす。 と言ってもかなでとの実際の身長差はあまり大きくないので、視線を横にスライドさせればその金茶の髪に縁取られた顔が目に入った。 「それにしても先輩、その話題は遅すぎませんか?」 「?そうかな?」 「はい。大体の人は僕と新が従兄弟だと気が付いた頃にそんな事を言いますよ。」 言いながら悠人は小さく苦笑した。 身長とか体格を気にし始める思春期にはいってからはそこまで露骨にいう人は少なくなったものだが、それでも子どもの頃からよく言われたのを思い出したからだ。 まだ体格らしい体格が出来る前から新はひょろっと他の子ども達より頭一つ分ぐらい大きかった。 それ故に小柄な悠人と並ぶと凸凹ぶりが面白かったのだろう。 親戚の集まりなどではよくからかわれていた。 「一時期はそれで少し落ち込みましたけどね。」 「落ち込んだ?」 「どうして僕は新みたいに背が伸びないんだろうって。なんだかんだで宗介にも越されましたし。」 「あ、そっか。七海くんはイメージ的に小さいから気が付かなかった。」 今気が付いた、というように目を丸くするかなでに悠人は笑った。 「宗介とは結構最近までトントンだったんですよ。でもしばらく会わないうちに伸びてました。」 「そうなんだ。七海くんって冥加さんの隣にいるから小さく見えてたのかも。」 「あの人は日本人として規格外です。」 ずばっと切って捨てた悠人の言いように今度はかなでが声をたてて笑う。 「そうかも!冥加さんと話してると私なんか見上げてるみたいになっちゃうもん。」 身長差30cm以上は確かにちょっときついだろう。 「ましてあの人はやらたと迫力がありますからね。」 「うん。×2倍ぐらいに見える。」 悠人とかなでは顔を見合わせて、同時に小さく吹き出した。 同時刻に天音学院の理事室で冥加が盛大なくしゃみをしていた事など、二人にとっては知るよしも無い。 ひとしきり笑ってから、あ、とかなでが気が付いたように声を上げた。 「でも気にしてた事があるなら、ごめんなさい。」 途端に楽しそうな表情からきゅっと眉を寄せてそう言うかなでに、悠人は首を振った。 「言ったでしょ、一時期って。今はあまり気にならなくなりましたから。」 「でも・・・・」 スッキリとした顔でそう言われてかなでの方が言いよどんでしまった。 今更ながら、昔響也が律より背が小さい事を気にしていたのを思い出したのだ。 困った顔になってしまったかなでを見ながら、悠人は少し考えるようにその色素の薄い髪をかき上げて。 それから背中に背負ったチェロの位置を直して視線をかなでから外した。 その仕草に本当に怒っちゃったのかも知れないとドキっとするかなでが見つめる先で悠人は言った。 「それはまあ、僕より背の高い人を・・・・好きになったら困るな、と思った事はありましたけど。」 「え?」 「最近の女性は背が高い人もいますから。支倉先輩みたいに。支倉先輩は結構背が高いですよね?」 そう言われてかなでは親友の姿を思い出しながら頷いた。 どうも初対面のせいか、彼女の持つ雰囲気のせいか、常に丸まった猫のような印象のあるニアだが、確かに背はすらっと高かったはずだ。 「だからそういう人を好きになったら大変だな、とは思ってました・・・・けど。」 「けど?」 なんとはなしに語尾を繰り返したかなでの方へ、悠人は視線を向けた。 身長差7cm。 横を向けば難なく表情が見られて、視線が合わせられる。 目が合ったのが少し恥ずかしかったのか、かなでの頬が淡い朱に染まるのに自然と口元が緩んだ。 かなでの向日葵みたいな笑顔やキラキラ光る草原の色の瞳に焦がれる男が多い事も知っているけれど、きっとその中で一番近くでそれを見られるのは自分だ。 物理的な意味でも、関係的な意味でも。 だから。 「最近、悪くないなと思ってるので。」 もちろん、伸びたいとも思うし出来れば律くらいまでは、という野望もあるけれど、そう思っているのも事実。 だから素直にそう言った悠人に、かなでは少し驚いた顔をして、それから砂糖菓子がふんわりと崩れるような甘い笑顔を浮かべた。 それがあんまりにも甘いから、照れた悠人は思わずそっぽに視線を投げてしまった。 しかし夏からこちらすっかり悠人の性格を掴んでしまったかなでには、それが照れ隠しなんだとあっさり伝わっていて。 「・・・・随分嬉しそうですね?」 「え?うん!」 ちょっと牽制のつもりで言った言葉は笑顔で頷き返されてしまった。 そして反撃に困っている悠人をよそにかなでは拳一つ分空いていた悠人との距離を柔らかく詰めて。 「あのね、背の高いハルくんもカッコイイと思うんだけど・・・・それはそれで人気がでちゃいそうっていうか。あ、もちろん今でもカッコイイんだけど!」 「は?」 咄嗟に何を言われたのか分からず悠人は眉を寄せたが、そこについてはかなでは説明しなかった。 代わりに少しだけ悪戯っぽい表情を浮かべる。 その表情に何かを感じ取った瞬間、目の前で金茶の髪が揺れて。 あ、っと思う間もなかった。 夕焼けの中で瞬き一つの間固まった悠人に向かってかなでが踵を上げて・・・・。 ちゅっ 「!?!!!???!!!」 かなでが離れるのと、悠人がかなでの唇が触れていった場所・・・・頬を押さえて後ろへよろけるのとはほぼ同時だった。 「な、なっ・・・・!」 「え、へへ?」 「お、お、お!」 何をするんですか!往来で!・・・・と叫んだつもりが、心臓が暴れすぎて酸欠ぎみで1字しか発する事ができない悠人を見ながらかなではさっきの悪戯っぽい表情に照れくさそうな笑みを混ぜて言った。 「ハルくんが新くんみたいに背が高くなっちゃったらこんな悪戯もできなくなっちゃうもんね。」 でも思ったより恥ずかしいね?と夕陽のせいではなく赤くなったかなでのはにかんだ顔を、しばし悠人は呆然と見つめて。 「・・・・先輩。」 「ん?」 「・・・・僕はやっぱり背、高くなりたいです。」 「えっ!?」 この流れでその発言!?と目を丸くしているかなでを横目に悠人は髪で顔を隠すように少し俯いた。 とはいえ、身長差7cm。 残念ながらきっと、かなで以上に真っ赤に染まった顔は丸見えに違いない。 だから。 (・・・・とりあえず帰ったら牛乳でも飲もう。) そう、固く決意した水嶋悠人16歳の秋だった。 〜 Fin 〜 |