今宵、聖夜に誓いのKissを
華やか、もしくは煌びやか。 そんな風に称するのが正しいであろうパーティーの一角で、八木沢雪広は大きく息を吐いた。 「なんだ、ユキ。でかいため息だな。」 「千秋。」 不意に声をかけられて振り返った八木沢は視線の先に映った幼なじみの姿に目を細める。 ほとんど押しつけられるがままに着た自分とは違い、スタイリッシュな燕尾服を完璧に着こなした東金千秋はまさにこのクリスマスパーティーの主催側の人間だった。 「招かれておいて何なんだけど、やっぱり世界が違うからね。」 そう言って苦笑する八木沢を東金は鼻で笑った。 「せっかくのクリスマスだってのに、受験だとかなんだとかでふさぎ込んでるっていうから呼び出してやったんだ。感謝しろ。」 悪びれない壮大な物言いに、八木沢は小さく笑った。 高校3年、受験シーズン真っ直中である八木沢にとっては今この時でさえ机に向かっていなくてはいけないのも真実ではある。 あるのだが。 「そうだね、感謝しているよ。」 もう一つの真実においては、今回の東金の行動は感謝に値するのだ。 そう思いながら、八木沢はフロアに視線を滑らせた。 立食形式のクリスマスカラーに彩られた会場の中で、その視線は難なく一人の少女に行き着く。 いつか見た白いドレスではなく、淡いピンクのドレスに身を包んだ彼女は、ついさっきまで八木沢の隣にいた大切な恋人、小日向かなでだ。 左右を囲んでいるのは見目も華やかなドレスと和服のご婦人だけに、かなでの可愛らしさが目立つ。 するとその視線の先を追った東金がまた一つ満足げにうなずく。 「なんだ、おふくろ達に小日向をとられたのか。」 「とられたっていうか、千秋のお母さん達がとてもかなでさんに興味があるみたいでね。」 ちなみに、ドレス姿が東金の母で和服が土岐の母。 ついさっき「借りるわよ〜!」と楽しそうに攫っていった二人の姿を思い出して、八木沢は苦笑した。 あの時は半ば助けを求めるような目でこちらを見ていたかなでだったが、今、楽しげにデザートを物色している姿を見ると大分緊張が解けてきたのかも知れない。 遠目にその笑顔を見つめながら、八木沢は心の中がふわっと温かくなるのを感じた。 もし、数日前、ほとんど拒否権なしに送りつけられてきた東金からの、クリスマスパーティーの招待状を無視してしまっていたら、あんな笑顔はきっと見られなかっただろう。 (・・・・きっと寂しいなんて言わないんだろうけど。) かなでが遠距離と八木沢の受験生であるという立場を考えて、とても控えめであることはわかっているのに、すこしそれを不満に思う自分もいる。 クリスマスぐらい一緒に過ごしたいと言ってくれたなら、いつでも行くつもりだったのに、という本音はまだ伝えられていない。 (僕も大概欲張りになったな。) ふう、と思わず八木沢がため息をついた時、それを横目で見ていた東金が言った。 「おい、ユキ。」 「うん?」 「小日向にキスはしたのか?」 「っ!?なっ!?」 まるで明日の天気の事でも話すようにさらっと言われた台詞に、思わず八木沢は絶句した。 その反応に一瞬驚いた顔をした東金はすぐに、「ああ、違う」と軽く首を振っていった。 「別に無粋な事を聞いてるわけじゃねえよ。ほら、あれだ。」 「あ、あれ?」 まだ疾走を続ける心臓をなだめながら八木沢は目線で示された方を見た。 と、そこにはクリスマスツリーと共に、外へ通じるテラスにリボンで飾られた丸い葉のオーナメントが飾られていた。 「ああ、ヤドリギだね。」 「そうだ。ユキの事だ。意味はわかってるんだろ?」 「そうだね。ヤドリギはキリスト教から異端の古代ドルイドで聖なる木とされていて、ヤドリギ自体をクリスマスツリーとする場合もあるとか」 「そんな教科書的な意味を聞いてるんじゃねえよ!」 「?」 このアホ、と突っ込まれて八木沢はきょとんと首をかしげた。 「他に何か意味が・・・・・あ」 そう言いかけて、もう一つ思い出した「ヤドリギの意味」にさっと頬に熱が上がるのを感じた。 それを見て自分の言いたかった事が伝わったとわかったのだろう。 東金がにっと笑って言った。 「そう、『Kissing Ball』だよな?」 「〜〜〜」 (そ、そういう事か。) クリスマスの季節にヤドリギの下にいる女性にキスをすると結婚の約束を交わしたことを意味する・・・・その伝説の事を言っているのだと悟って、八木沢は東金を軽く睨んだ。 「そうやってからかうのはやめて」 「その反応って事は、まだしてねえんだな。」 「っ!」 言葉を被せられて、思わず八木沢は言葉につまった。 こんな人の多い所で、とかそもそもまだ早いんじゃ、とか常識的な答えが頭をよぎったが、その時、ふっと東金が視線を滑らせた事で、それらの言葉はついに出ることはなかった。 東金が目を向けた先は・・・・かなでだったから。 「・・・・なあ、ユキ。」 「え?」 「『Kissing Ball』、もう一つ意味があるのは知ってたか?」 「もう一つ?」 オウム返しに聞き返した八木沢には視線を向けず東金はかなでから目を離さない。 彼の性格を表しているかのように赤みを帯びて強い視線が、今は見たこともないほど柔らかい事に気が付いて、ドクン、と心臓が落ち着かない音をたてた。 「ちあ」 何を考えて、何を想っているのか。 思わず問いただしそうになった時、ちらりと東金は視線を八木沢に戻した。 そして。 「『Kissing Ball』、もう一つ意味。それはあのヤドリギの下にいる若い女は男のキスを断れないってしきたりだ。つまり、あの下に小日向がいれば、小日向は俺のキスも断れない。」 きゅっと口の端を上げて紡がれた東金の言葉の意味を理解するのに、一瞬かかった。 (かなでさん、が・・・・?) ―― あの下に小日向がいれば、小日向は俺のキスも断れない。 頭の中に東金の声が響いて、意味を理解した途端。 自分でも分かるぐらいに頭に血が上った。 「千秋!」 「なんだよ、お前がまだなら俺にだってチャンスがあるってことだろ。」 からかうような言葉に余計に腹が立つ。 「そんな風にかなでさんを言うな!彼女はっ!」 「お前の恋人、か?それなら泣かせるな。」 「!」 やたらと冷静なその言葉に、八木沢は頭を殴られたように黙った。 そんな八木沢に東金は小さく肩をすくめる。 「俺だったらあいつを不安にさせたりしない。俺を選べば物理的な距離など関係ないぐらい、愛されいている実感を与えてやるさ。我が儘の一つさえ飲み込ませるような不甲斐ない真似は絶対にしないな。」 「・・・・・」 痛いところを突いてくる指摘に、八木沢は唇を噛んだ。 確かに自分では東金のように言い切ることはできないだろう。 女性との付き合いにも慣れていないから、彼のようにいつでもかなでが愛されていると実感を持てるようには接してあげられない。 我が儘を言う機会を作ってあげたりすることもできない。 出来るのは誠実であることだけ。 それはとても器用とはいえない付き合い方だろう。 (・・・・でも) ―― それでも。 心の中で呟いて、八木沢は視線を上げた。 背筋を伸ばして緋がかった瞳と対峙する ―― かなでを大切に想うもう一人の男と。 そして、八木沢は言った。 「かなでさんは渡さない。例え僕より彼女を幸せに出来る人がいたとしても。」 ―― ヤドリギの下で、淡いピンクのドレスに身を包んだかなでの額に、八木沢が真っ赤な顔でキスをする。 途端に、わあっとにぎやかに歓声が上がってやっとギャラリーの存在を思い出したらしい二人が真っ赤になるのを遠目で見ながら、東金は小さくため息をついた。 「千秋にしてはおせっかいやったね。」 「うるせえよ、蓬生。」 にやにやと笑いながらからかってくる幼なじみに東金は舌打ちをした。 「おー、こわ。あんなお節介やくぐらいやったら、とっとと先に奪ってまえばよかったやないの。」 「ふん、それじゃ面白くもなんともないだろ。」 「負け惜しみやねえ。」 「ほっとけ。」 可哀想になどとまるでそうは思っていなさそうな顔で宣う土岐を軽く肘で殴って、東金は再び八木沢とかなでに視線を向けた。 そこには真っ赤になりながらも、幸せそうに微笑み合う二人の笑顔があって。 「・・・・ああやって笑う顔、結構嫌いじゃねえんだよ。」 そう呟いた唇が刻んだのは緩やかな笑みの形だった。 〜 Fin 〜 |