衝動という名の序曲
最初はすごく怖かった。 だって地方大会の会場で初めて見た時、同い年なんて嘘でしょう!?って見えない誰かを問い詰めたくなるぐらい迫力あったし、目つきも話し方もとても高校生とは思えないぐらいだったし。 それなのに、一体いつから? 一体いつから私は・・・・。 ああ、ほら、まただ。 練習を終えて菩提樹寮に戻ってきたかなでは、寮の少し手前の路で見えた背中にそう思った。 このあたりでは見慣れない深緑の学ランを肩から引っかけるようにしたその背中にはトランペットのケース。 燃えるような赤の髪にももう見覚えがある。 思わずじっと見つめていると、何かを感じたのか背中が・・・・火積がゆっくりと振り返ってこちらを見た。 かなでの姿を見つけて少し見開かれる鋭い瞳に、ことん、と胸のあたりで音が聞こえた。 「小日向?」 「あ、えっと、お疲れ様です。火積くん。」 「は?あ、ああ・・・・」 戸惑ったように頷く火積に慌ててかなでは駆け寄った。 近くに寄れば頭一個分大きな火積の視線が降ってくる。 「どうか、したか?」 「うん?何が?」 火積の問いかけに本当はどきっとしたけれど、何でもない風を装ってかなでは首をかしげて見せた。 「いや、何か・・・・」 「?」 「その、練習で上手くいかねえことでもあったか?」 「?ないよ。」 「そうか。なら、いい。」 それは本当に違ったので首を横に振ると火積はほっとしたような顔をした。 その表情にほんの少し良心が痛んだ。 (・・・・別に悪い事をしてたわけじゃないんだけど・・・・) 悪い事、というのとは違う・・・・が、火積に打ち明けるわけにもいかない秘密。 それは。 「なら、帰るぞ。」 くるっと火積が踵を返す。 (あ・・・・) 反射的に伸ばしてしまいそうになった手をかなでは慌てて引っ込めた。 「どうかしたか?」 「な、なんでもない!!」 ぶんぶんっと首をふってかなでは火積の隣に並んだ。 そして火積に気づかれないようにほっと息を吐く。 (あ、危なかった〜。それにしても・・・・) 本当にどうしたのだ、と自分を問い詰めてやりたい気持ちに陥る。 最近、かなでが火積を見ると涌いて出る衝動、それは。 (・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・抱きつきたいって、どうなの。) かなりの躊躇いの末、心の中だけで呟いたにも関わらずちょっと凹んだ。 (いや、だってそれはやっぱりまずいよね!?) さすがに恋人同士でも、家族でもない人にいきなり抱きついたりしたらまずいというのはかなでだってわかる。 でも、いつからかわからないのだけれど、かなでの心にそういう衝動がわき起こるようになったのだ。 火積の背中を見るとだーっと走っていってぎゅーっと抱きついてみたくなるし、隣にならんで歩いていると腕に抱きついてみたくなるし。 正面から笑ってくれた時はさらにひどかった。 (あの時、飛びついていかなかった私、よく頑張った。) 思わずその時の自分を褒めてから・・・・ずどん、っと落ち込んだ。 当たりまえだ。 繰り返すようだけれど、火積とかなでは恋人同士でもなければ親戚でもなく、友人としても始まりたてな関係なのだから。 そしてやっかいなのはかなで自身この衝動がなんなのかわからないというところだ。 思わずはあ、と重いため息をついてしまって、はっとした。 そして隣を見てみれば・・・・思った通り、怪訝そうな顔の火積がいて。 「本当に、大丈夫か?」 「大丈夫!・・・・でもないかもだけど、大丈夫。」 「?わからねえな。大丈夫なのか、そうじゃねえのか?」 「えっと、多分、火積くんが心配してくれるような意味では大丈夫だから。」 「なっ!」 ぎょっとしたような顔をする火積に、かなでは首をかしげた。 「え?違った?」 「そうじゃねえ。いや、その、あんたは。」 「?」 「なんで、心配してるってわかった?」 「え?だって・・・・」 してくれたんでしょ?と当たり前のように問い返してくるかなでに火積はなんとも微妙な顔をした。 困ったような、嬉しいような、そんな。 「あんたは鈍いのか鋭いのかわかんねえな。」 「・・・・それ、褒めてる?」 「多分な。そう言うところは部長に少し似てる気がするぜ。」 「部長って、八木沢さん?私、あんなに立派じゃないよ!」 慌てて首をふるかなでに、火積は少し微笑んだ。 尊敬している部長を褒められたとわかっての笑顔だったのだろうけれど、その優しい笑みにまたかなではあの衝動をやり過ごすはめになる。 (ああ、もう、本当になんなの、これ!?) 思わず頭を抱えたくなったかなでの視界に、その時、ふっと火積の手が差し出された。 「?」 「ほら。」 「??」 「やっぱりあんた、あんまり具合良くねえだろ。」 どうもかなでの様子がおかしいのをそう結論づけたらしい火積の発言にかなではさしだされた手と火積を見比べる。 それがどうも気恥ずかしかったらしい。 「よこすのか、よこさねえのか?」 何も知らなかった頃なら震え上がってしまいそうな程、すごみのある声だったけれど、かなでにはもう照れ隠しだとわかっているから。 「い、いる!」 叫ぶように言ってかなではその手に飛びついた。 「っ!?」 完全に予想外だったのだろう、火積の息を呑む音が聞こえた様な気がしたけれどかなでは気がつかない振りをした。 そして火積の気が変わらないようにぎゅっと重なった手を握りしめれば、火積が珍しく狼狽したように目をあっちこっちに走らせて。 「――・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・帰ぇるか。」 「はい!」 諦めたようにつないだ手はそのままに歩き出した火積を追いながら、かなでは笑った。 掌から伝わって来る優しい体温が、夏で暑い時期だというのに酷く嬉しくて。 (なんだろう、フワフワどきどきしてるのに、すごく安心する。) 緩みそうになる頬をなんとか堪えながら、かなではそっと掌に力を入れたのだった。 ―― この熱い夏が終わるまでに、この衝動の正体がわかる事を予感しながら。 〜 Fin 〜 |