忍れど色に出にけり、小夜曲
「夏休みが終わってからよく言われることがあるんです。」 人生の中でもトップグレードに入るぐらいとんでもない夏が終わったある日の事。 残暑の日差しの中に秋を感じさせる風が吹く森の広場で、悠人がお弁当を食べながら呟いた言葉にかなでは顔を上げた。 「夏休み終わってからって、随分最近だね?」 かなでがそう言ったのもムリはない。 まだ二学期が始まって実質1月もたっていないのだから。 けれど、悠人は少し首を捻って、それから頷いた。 「はい。でも夏休み前は言われた覚えがないんですよ。」 「そうなんだ。それで、何を言われるの?」 そう聞かれて悠人は摘んでいた卵焼きを口に運んで咀嚼する間、僅かに考え込む。 常々誰かに聞いてみたいと思い、それにはかなでが適任だろうと思っていたものの、いざ言うとなると何か言ってはいけないような事ではないかという気がしてしまったのだ。 けれど、結局このまま放置しておくのも悠人の性格上、できそうもなく。 「それが」 「うん?」 「・・・・音が変わった、と。」 夏休みが終わってこちら、何度か聞いた言葉を口に出して、悠人は微妙な顔をしてしまった。 音が変わった、それ自体は多分悪い意味ではない。 というのも、よく練習中の悠人の音を聴いてくれる人達がその言葉の後に「よくなった」とか「深みが出た」とか称してくれるからだ。 実際、自分でも自分の音の響きが少し変わってきたような気がしていた。 それは夏の全国大会という大きな目標を乗り越えてこその成果と思っていた。 ・・・・が。 「?それってダメなの?」 言葉の意味と悠人の喜んで良いのか渋い顔をすればいいのかわかりません、というような表情のギャップに戸惑ったのだろう。 ちょこんっと首をかしげて聞いてくるかなでに悠人は眉間に小さな皺を刻んだ。 「いえ・・・・別に悪い意味で言われているのではないと思うんです。良かったと言ってくれる方もいますし。」 「そうだよね。私は夏休み前のハルくんの音をあんまり聞き慣れてないけど、それでも最近のハルくんの音は優しくて大好きだもん。」 頷きながらさらっと大好きなどという単語を交ぜられて、一瞬頬が熱くなる。 「あ、ありがとうございます。」 「え?お礼を言われるような事言った?」 「いえ・・・・そうですね。そう言うところは天然なんですよね、先輩は。」 あまりにも普通のかなでの反応に、悠人は小さくため息をついた。 これでも一応悠人とかなでは世間一般で言う恋人同士というやつで、恋人の口から出た大好きという言葉に思わず反応してしまった自分はけしておかしくはないと思う。 ただ、相手がちょっとばかり天然だっただけだ。 夏の間中一緒にいてそろそろこの辺の天然ぶりには慣れてきている悠人は、とっとと頭を切り換えることにした。 「それで話を戻しますが。」 「うん。」 「悪い意味ではなく「音が変わった」と言われる事が増えたんですが。」 「うん。」 「ただ少し気になるのは・・・・はっきりと言えないんですが、時々含みのある言い方をされるんです。」 「含み?」 「はい、なんというか・・・・純粋に音の事だけ言っているわけではない、というか。」 言いながら悠人の眉間にさっき消えたはずの小さな皺が復活する。 音が変わったと言われた事は不快ではなかった。 けれど悠人が気になっているのはそのうちの何人かの反応なのだ。 どういうわけか妙に同級生の男が多かったように思うが、同じ言葉を言っているのに演奏へ感想を言ってくれたのではない、と悠人は直感的に悟っていた。 「上手く言えないんですが、何かを揶揄している、というんですか。妙にニヤニヤしてる奴もいたな・・・・」 「ふーん・・・・」 考え込んだ悠人と一緒に考えながらかなではミニトマトを口に運ぼうとして・・・・。 「あ」 口に入れようとした瞬間、何かを思い出したのか声を出したせいでミニトマトがぽろっと箸から零れた。 それを抜群の反射神経で自分のお弁当箱ですくい取った悠人は、はあ、と小さくため息をついた。 「先輩。食べている途中に考え事をしていると零します。」 「ご、ごめんなさい。」 さすがに恥ずかしかったのか、少し頬を赤くするかなでのお弁当箱にミニトマトを戻しながら、「それで」と悠人は問いかけた。 「何か思い出したんですか?」 「え?あ、ああ。」 ミニトマトの事で一瞬、頭からその事が離れていたのだろう。 思い出したように頷いて・・・・はっとしたとようにかなでが視線をそらせた。 (え?) 意外な反応に悠人は驚く。 何か気をそらすようなものでもあったのか、とも思ったが周りは別に変わりもなくお昼休みののんびりとした風景が広がるばかり。 しかもどうしたのだろう、と見つめているとかなでの顔が気持ち赤くなってきて。 「先輩?どうかしたんですか?」 純粋に心配の意味で聞いたのに、「あー」とか「う−」とか何とも微妙な声だけ返ってきて、悠人は段々不安になった。 「何か、僕が言われた事は変な事なんですか?」 可能性としてはそれだろうと口にすると、かなでは困ったようにふらっと視線を戻してきた。 「変な事って言うわけじゃない、と思うんだけど・・・・」 「?それならなんで先輩がそんな顔をするんですか?」 「えーっと、その、なんていうか・・・・言いにくいの。」 「言いにくい?」 そんなにまずい事なのだろうか、と眉間の皺を増やす悠人に、かなでは「悪い意味じゃない、と思うよ。」と笑って見せた。 「ただ・・・・その、ちょっと恥ずかしいっていうか。」 「恥ずかしいって、先輩がですか?」 変わったと言われたのは自分の音のはずで、なんでかなでが恥ずかしいのかわからなかった悠人が首をかしげると、かなでは小さく頷いた。 「あ、でも嫌なわけでもないよ!嬉しいんだけど。」 「嬉しい??」 (恥ずかしいけど、嬉しい???) 論理展開の過程がさっぱりわからない。 思わず眉間の皺を増やした悠人を見て、かなでは苦笑して。 それからちょっと恥ずかしそうにしながらも、言った。 「ハルくん、夏休みが終わってから音が変わったって言われるようになったんでしょ?」 「はい。」 「それってきっとね」 「恋をして音が変わったね、って事なんだと思う。」 「・・・・は?」 一瞬、脳の理解が追いつかなかった。 (恋・・・・?) 確かに、この夏、悠人は恋をした。 それも目の前にいる小日向かなで、その人に。 (でもそれが音と・・・・) なんの関係があるのだろうか、と首を捻りかかったところで ―― 悠人ははっとした。 夏休み前と後、音を奏でている時に決定的に違う事、それは。 「一般論としてだけど、よく言うじゃない?恋をすると音が変わるって。」 説明しながら、ちょっと居心地悪そうに笑うかなで。 夏休みが終わってから(というか、多分、正確には夏休み中からだが)、チェロを奏でる時、かなでの笑顔を思い出して弾いていなかったか。 可愛らしい曲を奏でればかなでの笑顔を。 甘い旋律には、届けばいいのに、と想いを込めて。 (・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それは、つまり・・・・) 「〜〜〜〜〜〜〜〜」 「ハルくん!?大丈夫?」 いきなり頭を抱えた悠人に驚いたのだろう、かなでの慌てた声がするが、今の悠人にはとても答えられそうになかった。 (〜〜〜〜は、恥ずかしすぎるっ!) 何人かに音が変わったと言われたということは、つまりかなでに恋をしていると言う事が音でもバレバレというわけで。 別に隠しているわけでも、かなでを好きな事を恥じるわけでもないけれど、周囲に自分の気持ちが駄々漏れというのは、どうにも恥ずかしくて。 (今ならわかる。あいつらが妙にニヤニヤしてたのは、僕をからかっていたわけだ。) 普段、あまり情緒的な感想を言わないのに、今回に限ってニヤニヤと言ってきた同級生の何人かを思い出した。 もう、80%ぐらい八つ当たりだとわかっていてもあいつらには天誅だ。 ふるふると震える拳を握りしめる悠人の耳を、小さな笑い声がくすぐった。 「?」 なんだろう、と顔を上げるとかなでがまだ少し赤い顔で笑っていて。 「どうしたんですか?」 「ん?実はね・・・・」 そう言って少し悪戯っぽく笑ったかなでが、悠人の耳元に唇を寄せて。 ―― こそっと囁いた言葉は、悠人を再度赤面させて沈み込ませるのに、十二分の力を持っていた。 『私も、最近言われるの。音が変わったねって。』 〜 Fin 〜 |