serenade
『放課後、貴方のためにコンサートを開きます。楽しみにしていてね。 香穂子』 音符の柄が可愛らしい掌サイズの小さなカードに見覚えのある字。 自分の手の中にすっぽり収まってしまうそのカードに目を落としたまま、加地葵はため息を落としていた。 時刻は放課後。 カードの指定によれば「加地のための」コンサートが開かれる時間なのだが。 「・・・・このチケット、会場が書いてないよ。」 加地のため息の原因はそれだった。 それならもらった本人に聞けばよかったのに、と言われそうなものだがHRが終わって香穂子が小さな封筒を差し出してきた時にっこり笑って言われてしまったのだ。 「私が居なくなってから見てね」と。 自他共に香穂子に夢中な加地がその言葉に逆らうわけもなく・・・・で、結果、会場の書いていない招待状を手に放課後の星奏学院をうろうろすることになっているわけである。 (えーっと、森の広場も練習室もエントランスも見た。) とりあえず香穂子がいつも練習している所を歩き回ってみているものの未だに当たりはない。 少し焦り始めながら4箇所目になる校門に辿り着いた加地は周りを見回した。 放課後という事もあって帰宅スタイルの生徒も多いけれど、その間に交じってちらほら楽器の音色が聞こえてくる。 音楽科を持っている事で有名な星奏学院は自由時間における音楽の演奏はどこでやってもかまわないとされていて、舞台での度胸を付けるために人の多そうな所で練習する生徒も多いからだ。 クラリネット、ビオラ、チェロ、ピアノ・・・・ヴァイオリン。 校門前で奏でられているもの以外にもいろんな場所から風に乗って流れてくる音色。 音楽を聞き慣れた人手もこの中から一つの音色を捜し出せと言われたら困ってしまいそうな程、色々な音色が聞こえてくるけれど、加地の耳は明確に捜している音がないと告げる。 (香穂さんの音なら少しでも弾いてくれればすぐわかるんだけど。) そう思って加地は無意識に微笑んだ。 きっと良いと言われている耳がなかったとしても香穂子の音は聞き逃さないだろうと思ったからだ。 公園で偶然弾いているのを見た時から惹かれてやまなかった特別な音色。 音楽と戯れるように愛おしげにヴァイオリンを奏でる香穂子の姿。 どちらも加地にとっては特別すぎて他と比べることなどできない。 あまりにも強烈に心を惹かれて、どうしても側に行きたくて星奏に転校して・・・・側に居られればいいと思っただけだったのに、成り行きでコンサートに協力することなって。 (それで、僕の告白に頷いてくれた。) クリスマスコンサートの日、やっと信じてもらえた告白に香穂子が頷いてくれた時のことは鮮明に思い出せる。 (・・・・あー、思い出したら会いたくなったじゃないか。) そう思って加地は苦笑した。 甘い回想をしている場合ではなく、今はその香穂子が用意してくれたコンサート会場を見つけなくてはいけなかった、と思い出したのだ。 (早く見つけなくちゃ。また、君が好きだよって言いたくなった。) そう言ったらきっと香穂子は顔を赤くして困ったように(でも嬉しそうに)微笑むんだろうけど。 そんな事を考えながら加地が踵を返そうとした、その時。 ―― 唐突に、その音は耳に飛び込んできた 「!」 まるで初めて聞いた時のように、雑踏を飛び越えて真っ直ぐに加地の心を振るわせるようなヴァイオリンの音色。 一音一音踊るように軽やかで、澄んでいて楽しげで、それでいて微笑ましい優しい音色。 それは間違いなく ―― 頭で判断するより体が動いていた。 帰ろうとしている生徒達の間を縫って加地は駆け出す。 考えなくても何故か香穂子のいる場所が自然とわかった。 昇降口を抜けて、普通科から音楽科への渡り廊下に付く頃には音色が曲になる。 (この、曲は・・・・) 甘く柔らかく語りかけるようなメロディー。 呼んでいるんだ、と自然に感じられるそのメロディーは。 エルガーの作品12番・・・・『愛の挨拶』。 音楽科校舎を駆け上がる途中で、音楽科の生徒達が何事か騒いでいるのが耳に入ったけれど気にならなかった。 ただ走って走って。 目標のドアが目に入った時はもう夢中で押し開けて。 ―― ガチャッ! 外の風が加地の頬を撫でた。 放課後の時間特有の少し優しくなった陽の光の中で、香穂子がヴァイオリンを弾いていた。 声をかけるなど考えも付かなかった。 それ以前に何か考える事さえ出来なくて、ただ加地はヴァイオリンを奏でる香穂子を見つめていた。 弓が弦を滑る度、走ったせいではなく鼓動が跳ねる。 かつて加地は香穂子の音を天上の光のようだと例えたことがあったけれど、この音色は違った。 この『愛の挨拶』は天上の光のように美しいけれどあやふやなものではなくて。 これは・・・・。 〜♪・・・・ ふいに音が途切れて香穂子がくるりとふりかえる。 そして未だに屋上の扉を開けた格好のまま固まっていた加地の姿を見て小さく吹き出した。 「加地君、どうしたの?」 「え?あ・・・・」 いつもだったら言葉が出てくるのに何も出てこなくて戸惑う加地に香穂子は手招きをした。 それにつられるように、やっと扉の前から動き出した加地は示されるがままに香穂子の前にあったベンチにすわる。 それを確認してから香穂子はにっこり笑って言った。 「それでは、これから加地君のためのコンサートを開きたいと思います。」 「え・・・・?」 「開催に先立ちまして、演奏者から一言お知らせがございます。」 四角張ってそう言って、自分でもおかしかったのか香穂子は苦笑すると加地に向かって言った。 「あのね、ヴァイオリンロマンスって聞いた事ある?」 「え?ああ、コンクール参加者で恋人同士になると音楽の妖精が見えるんだっけ?」 確か天羽さんとか女の子達の間で話題になっていたな、と思い出してそう言うとご名答!と香穂子が太鼓判を押してくれた。 そして少し悪戯っぽく。 「あの噂が本当なのか試してみようと思って。」 と付け足した。 「試す?」 「うん、実はね春のコンクールの時、私は私を音楽の世界に引っ張り込んだ妖精からこの楽譜をもらったの。」 そう言って香穂子が差し出したのは出版社の名前もない、古びたような、けれど新しいような不思議な楽譜で。 「『愛の挨拶』だね。」 「そう。もし好きな人が出来たらこれを弾いて想いを伝えるといいって言ってね。でもコンクールの時は・・・・加地君がいなかったから。」 はにかんだようにそう言う香穂子に本気で目眩がした。 けれどそんな加地の様子に気づいているのかいないのか、香穂子は酷く言いにくそうに何度か口をぱくぱくさせて・・・・。 結局、加地に渡していた楽譜を奪い返して譜面台の所へもどると相棒であるヴァイオリンを構え直した。 そして。 ヴァイオリンを顎に当て、弓を弦に乗せ。 曲を弾き始めるのかと思った瞬間、香穂子は急にヴァイオリンを離して半ば呆然と香穂子に魅入っていた加地の方をふりかえるなり一息に叫んだ。 「いつもいつも好きって言ってもらうばかりで言えないから!だから思いっきり私の気持ちを詰め込んで弾くから!ちゃんと聴いててね!!」 ―― そして音色が流れ出す。 さっき聴いたよりもさらに甘く、優しく。 (―― どうしよう・・・・・) 可愛らしい旋律を弾く度に香穂子の表情が淡い微笑みに溶ける。 好き。 大好き。 音色一つ一つがそんな風に訴えているように聞こえるのはきっと気のせいじゃなくて。 (―― ・・・・〜〜〜〜香穂さん、それ反則だよ。) いくつも言葉を投げかけるより、この音色一つで嬉しくておかしくなりそうだ、なんて。 さりげなくそっと口元に手を当てたのは、絶対に赤くなってしまっている顔を隠すためだったけれど、この曲が終わる頃にはきっと耳まで真っ赤になりそうだから意味がないかも、と自分で思った。 (ねえ、香穂さん?) 有名なメロディーが高音で終わり、第二主題に入るのを聞きながらそっと心の中で語りかける。 この曲が終わったら、君の想いを受け取ったら・・・・どんな言葉で伝えようか。 どれほど君に憧れているか。 どれほど君に惹かれているか。 (真っ赤な顔でもういいって言ったって今日は手加減しないからね。) その時の香穂子の反応を思って少し笑って加地は音色に身を任せた。 ―― 時季外れのヴァイオリンロマンスが奇蹟を生んだかどうかは、また別のお話で・・・・ 〜 Fin 〜 〜 おまけ 〜 「あれ!?リリじゃない!?どうしたの?こんなところで。」 「火原和樹・・・・」 「え?え?なんでリリが見えるのかな?それより、どうしてそんなに落ち込んでるのさ?」 「・・・・出て行けなかったのだ・・・・」 「へ?」 「ラブラブすぎて出て行けなかったのだぁーーーー!!我が輩、一生の不覚ーーーーーーーっっっ!!」 「はあ???」 |