さまよえるヴァイオリン弾きの騎士



横浜という街は新旧取り混ぜた多様な町並みが魅力的な街である。

近代的なビル街を歩いていたかと思えば、かつての港町の色合いを濃く残している地域に出たりする。

それは横浜を旅する人間にとっては万華鏡の中を覗いているようなワクワクとした気分にさせられるものだが・・・・。

「・・・・こ、ここどこだろ?」

横浜移住数ヶ月の横浜在住初心者、小日向かなでには迷路と同義語であった。

(えーっと、寮から元町通りまで行こうと思ったんだよね?)

思わず自分で確認してしまうのは今日予定していたルートが自分の行動範囲にちゃんと入っているはずの地域だからだ。

なにぶん寮の周辺は閑静な住宅地というやつで、日がな一日ヴァイオリンを奏でていたら素敵なBGMを通り越して騒音公害になってしまうので、かなで達音楽科の寮生は元町通りや山下公園などに練習に行く事が多い。

学院に行っても良いのだけれど、折角の夏休みに学校に行きっぱなしというのもつまらないという心理も働いてかなではしょっちゅう街を練習場所に選んでいた。

要するに、つまり、本日向かっていた場所は横浜に引っ越してまだ日が浅いかなでの数少ない「行き慣れた場所」のはずだったのだ。

にもかかわらず。

(いつも通り寮を出たよね?で、いつも通る路が工事中だったから、一本隣の路を入って・・・・それでなんで見たこともない場所に出ちゃうの???)

たかが路一本と侮る無かれ。

込み入った場所ではありがちな事で、一本隣の路を歩いているつもりが、気がつけば別の方向へ誘導されていた、なんてことはざらなのだ。

一般人(?)でさえそんな事があるというのに、かなでは転校初日、寮への地図を持っていたというのにまったく逆方向に歩いた強者である。

「・・・・迷っちゃった?」

自分でも苦笑まじりに呟いた言葉は、空しく初顔合わせの路に響いた。

(誰かいてくれれば路を聞けるのに。)

そう思ってさっきから左右を見回しているが、ぎらぎらと夏の太陽を弾く路には通行人の影すら見えない。

一応街路樹の影に入ってはいるが、さっきまでなんとか自力で元町通りを見つけ出そうとうろうろしたせいで余計な汗をかいている。

「律くんじゃないけど、この状況は危険かも。」

『気をつけろ』なんてタイトルで日射病の危険性を説いてきた律のメールに爆笑した事を思わずかなでは心の中で謝った。

(都会のど真ん中で日射病でひからびているって事は無いと思うけど、このままだと練習時間もへってっちゃうし・・・・)

かなで達は今、ファイナルを前に少しでも時間を無駄にしたくない状況なのだ。

最後の可能性、と思って左右を見たかなでの目には残念ながら通行人の影は映らず。

「しょうがないよね。」

自分の情けなさにかなでは一つため息をついた。

仕方なく手を空けるためにヴァイオリンケースを下に置いて、お弁当の入ったデイバックを手に移動させた。

(昔から響也に抜けてるって言われるたびに、そうじゃないって言い返してたけど、もしかして本当に抜けてるのかも。)

この事態を前にそろそろ認めなくてはならないかなあ、などと考えている時点ですでに呑気すぎるというツッコミは不可だ。

がさごそと鞄を探りながら、ふと考えてみれば昔からよく迷子にはなっていたな、と思い当たる。

(あ、でも昔は響也は律くんが大体一緒だったからすぐ見つけてくれたんだっけ。)

かなでが迷子になって泣きそうになっていると大体見つけてくれるのは幼なじみに二人だった。

時々は響也が暴走してかなでと二人で迷子になって律に見つけてもらったりしたけれど。

「ふふ、懐かしい。」

セピア色の記憶を思い出していた時、指先に目的の物が当たった。

その感触に一気に気分が現実に引き戻されて、慌ててかなでは鞄からパールピンクの携帯電話を引っ張り出した。

ぱかっと開いて液晶の時計を見れば、もう寮を出てかれこれ2時間もたっていた。

「うわっ!早くしないとお昼になっちゃう!」

午前中の練習が!と悲鳴を上げたかなでは慌てた頭で、アドレス帳から番号を引っ張り出して・・・・。

トゥルルー・・・トゥルルルー・・・
















『もしもし?小日向先輩?』















電話口から聞こえた声に、ビックリした。

「え?ハルくん?」

思わずそう言ってしまってから、自分でも何を言っているんだろうと思った。

そして案の定、それは電話先の少年も同じだったようで。

『は?はい。水嶋ですが。』

「あ、うん。そうだよね、ハルくんだね・・・・」

『はあ?』

耳元から聞こえる訳が分からないと言わんばかりの声は、確かに水嶋悠人のものだ。

その戸惑いはごもっとも、と思うもののかなでも少しばかり混乱していた。

「ごめん、響也か律くんが出るような気がしてて・・・・」

『は?何を言っているんですか?携帯電話ですよ?』

「うん。」

そうだ。

今かけているのは家電話でも公衆電話でもなく、携帯電話。

世にも便利なその人直通の電話番号なのだ。

ついでに言うなら「如月」と「水嶋」はアドレス帳で間違いようもなく離れている。

『先輩?大丈夫ですか?』

黙り込んでしまったかなでを不審に思ったのか、問い駆けてくる悠人の声が怪訝なそれから少し優しさを含んだものに変わった。

―― その声を聞いた途端、自分でもわかるぐらい、ほっと気が抜けた。

自分では情けないと茶化しているつもりで、思った以上に心細い思いをしていたのだと初めて気づいてかなでは顔をゆがめる。

『先輩?小日向先輩?どうかしたんですか?』

(ハルくんの声だ・・・・)

すでにさっきの問いかけよりも切羽詰まったものになってきている悠人の問いかけに早く返さなくてはいけない、と思いつつ胸の真ん中がじわっと暖かくなる感じに小さくため息をついた。

この感覚には覚えがあった。

昔、一人で迷子になってひとりぼっちで心細かった時。

周りを見回しても知らない人ばかりで、動くのも動かないのも怖くてどうしたら良いかわからなくなって立ち尽くしていたかなでの耳に、人の間を縫って律と響也の声が聞こえた時の感覚と同じ。

もう大丈夫、と思ったあの時の。

けれど、いつの間にかあの頃「頼るなら律か響也だ」と思っていた自分は変わっていたらしい。

それこそ無意識に。

『聞いてますか!?先輩?』

「・・・・うん、聞いてる。」

『良かった。切れてるのかと思いました。』

電話口でほっと息をつく音が聞こえて、かなでは申し訳ない半分、くすぐったい半分な気持ちになる。

心配性で面倒見のいい悠人はきっと本気で心配してくれたのだろうとわかるから。

それが申し訳なくて・・・・少し嬉しい、なんて口が裂けても言えない。

「ハルくん。」

『はい?それで結局なんなんですか?』

呼びかけると呆れたような返事。

でもきっと自分はこの声が聞きたかったんだ、と思う。

(あ、でも怒られる、かな。)

安心感と、柔らかい気持ちで少ししびれたような脳裏でちょこっとそんな冷静な声が聞こえた。

そして即時同意する。

多分、悠人は怒るだろう。

先日色々心配させたばっかりなので、これでまた道に迷ったなんて言おうものならお説教は必須だ。

(でも)

―― きっと怒りながら、迎えに来てくれる。

それが・・・・今、かなでの心の中にいる頼るべきナイトだから。

無意識に緩く弧を描いた唇で、小さく息を吸って。

ナイトのお説教を覚悟して、かなでは事と次第を説明すべく口を開いたのだった。

「あのね――」














                                                〜 Fin 〜
















― あとがき ―
かなでちゃんのSOSの行き先がいつの間にか如月兄弟からハルに変わってると萌えるな〜、という妄想(^^;)