prelude
星奏学園に入学して以来、二年。 月森蓮が放課後、練習室に通うのは習慣だった。 野外よりも湿度の制限を受けにくいということもあったし、集中できるという理由で月森は練習室を好んで使っていた。 が、しかし。 星奏学園に入学して以来、二年。 ―― 練習室を開けたところで固まったのは初めてだった。 「・・・・・・・・」 月森はドアノブに手をかけ開けたままの姿勢で、もう一度練習室の中の様子を確かめようと試みる。 別に練習室自体はどうということはない。 いつも通りの練習室で、月森が使う時と違うのは窓が居ているぐらいだ。 そして譜面台、ピアノ・・・・備品も変なところはない。 ただ、違うのは床のケースの上に置かれたバイオリン一台と、チェロ一台。 そして ―― その近くの壁でお互い寄りかかるようにして眠っている日野香穂子と志水圭一の姿。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 (な、なんなんだこの状況は。) これが例えば月森のまったく知らない男女であったなら、即座にドアをしめて事務に文句を言いに行く所だが、生憎目の前の二人は春のコンクールで知り合い、今はアンサンブルを組んでいる月森にとっては友人にあたる二人である。 なまじっか知っているだけに、目の前の状況を判断しかねて月森はフリーズしていた。 「・・・・とにかく、入ろう。」 自分を後押しするように呟いて月森はそっと練習室に入ってドアを閉める。 そして再び、香穂子と志水に目を落とす。 ドアを開け閉めした音でも目が覚めないらしい二人は思いきり眠り込んでいるようだ。 眠っている香穂子の肩に甘えるように志水の頭が乗っている。 投げ出された香穂子の腕とクロスする志水の腕はまるで、恋人同士のように。 (・・・・付き合っているという話は聞かないが。) チクッ 「?」 不意に痛みを覚えたような気がして月森は眉を寄せた。 (志水くんと日野が付き合っていようがいまいが、俺には関係がないはずだが。) どちらも友人。 ただそれだけのはずだ。 そう思っていながら、月森は眠る二人に声をかけられなかった。 時間だから、起こして、こんな所で寝るなと言って・・・・ただそれだけなのに。 (そうだ、起こさないと。) 付き合ってるにしろ、そうでないにしろ、とにかくこのままでは練習もできない。 チク、チク。 月森は無言でバイオリンケースと鞄を近くの机に降ろして二人に近づいた。 その時、開け放していた窓からふわりと風が舞い込んで、僅かに香穂子の髪が揺れた。 「・・・・ん・・・・」 覚醒とは遠い小さな声を聞いた途端、月森の心臓がひとつ跳ねた。 「っ!」 (な、なんなんだ!) とくん、とくんっと耳元で聞こえているような鼓動に月森は戸惑った。 眠る香穂子から視線を引きはがさないといけない気がしているのに、それができない。 柔らかそうな赤茶の髪、厚くも薄くもない唇、白い頬・・・・。 今まであまりまじまじと見たことがなかった香穂子の顔を視線でなぞっているうちに、寄りかかっている志水が目に入る。 途端に、跳ねていた鼓動は凍り付き、動悸は痛みへ変わる。 チク、チク。 (付き合って・・・・いるのだろうか。) この二人が付き合っていると知れたら天羽あたりが煩く騒いでいそうだが、と思いそんな心当たりがない事にほっとする。 そしてほっとした事に、眉間に一本皺を刻んだ。 (だから、なんで俺がそんな事を気にしている。) 何故、どうして・・・・その答えが目の前に転がっている事には全く気がつかない月森が渋い顔で考え込みそうになったちょうどその時。 「・・・む〜・・・・・・ふああ」 ほとんど無意識だったのだろう。 香穂子が大きく欠伸をして・・・・。 「!志水くん!」 「へ!?」 欠伸ついでに香穂子が伸びを仕様としたものだからたまらない。 反対側に転がりかけた志水を月森は咄嗟に右手で捕まえて、反射的に香穂子を振り返って。 ―― どきっと大きく胸が跳ねた。 寄りかかって寝ていた志水を支えたということは、その寄りかかっていた香穂子ともそれなりに接近していたのだ。 そして振り返ったのだから目の前にあるのは当然香穂子の顔のアップなわけで。 「す、すまない!」 「え?は?な、なんで月森くん!?」 慌てて顔を反対側に向ける月森に負けず劣らずパニック気味の香穂子があわあわと言う。 「え?え?私、もしかして寝てた!?」 「あ、ああ。その・・・・志水くんと。」 「え、ええ!?」 何故か月森から二、三歩飛びす去った香穂子は右を向いたり上を向いたり忙しく状況確認をして。 「あ〜・・・・そういえば、志水くんと練習してて鳥の声が聞こえるって話してて・・・・それで寝ちゃったんだぁ。」 状況確認がすんだのか、香穂子は納得いったように頷いた。 それから、はっとしたように月森に視線を戻して言った。 「違うからね!」 「?なにが?」 「だから志水君とはただ練習してただけで・・・・ああ、別に気にしないよね。」 前半までは勢い込んでいったものの、だんだん冷静に戻っていくように香穂子が呟く。 その呟きに、何故か月森はいつものように「俺とは関係のない事だ」と切り返すことができずに、ただ曖昧に頷いた。 「ごめんね、次、月森君の予約だったんだ。すぐかたづけるから。」 「それは構わないが、志水君が・・・・」 「ああ、おーい、志水君。練習時間終わってるよーーー!」 「・・・・・・・・・はい」 慣れた調子で香穂子が志水の耳元で叫ぶと、数拍空いて志水がぽやっと目を開ける。 「おはようございます、先輩。」 「お、おはよう。」 「はは、志水君は大物だ。寝起きでいきなり月森君がいても驚かないんだね。」 軽やかに笑う香穂子の言葉に、一本眉間の皺が増えた。 理由は、自分でもよくわからなかったが。 バタバタと楽器を片づけていく二人を見ながら、やっと自分の楽器の用意をしていると一足先に終わった志水が頭を下げて練習室を出て行った。 そしてすぐに自分も支度を終えて香穂子もバイオリンケースを背負ったところで、思わず月森は香穂子を呼び止めていた。 「日野。」 「ん?」 「いや、その・・・・あまり、人前で寝ないほうが、いい。」 「あ!ご、ごめん。」 さっと香穂子の表情が曇って月森は慌てた。 「あ、いや。驚くから。それに・・・・」 (それに・・・・) ―― 他の人間に見せたくないから・・・・ 言いかけた言葉の意味に、僅か遅れて気がついて月森ははっと口許を覆った。 そしてきょとんとしている香穂子に背を向けると取り繕うように言う。 「迷惑と言うほどではないが、驚くから、気を付けて欲しい。」 「あ、うん。ごめんね、ありがと!」 「あ、ああ」 「じゃあね!」 軽い足音と挨拶と共に去っていく香穂子の気配を感じながら、月森は一人大きなため息をついた。 (・・・・なん、なんだ一体) 鼓動が激しくなったり、妙に胸が痛くなったり、人に見せたくないと思ったり。 「・・・・はあ」 何故、どうしてには答えが出なくて月森は深くため息をついたのだった。 ―― 目の前に転がっている答えに月森が気がつくのは、もう少し先の話・・・・ 〜 Fine 〜 |