Piaceval
「・・・・先輩は・・・・」 曲の余韻に紛れてぽつりと落ちた呟きに小日向かなでは顔を上げた。 「?どうかしたの?」 曲というものは余韻を含めて一曲なので、余韻がまだ残る内に自ら口を開く演奏者は少ない。 ましてかなでの前で今までチェロソナタの美しい音色を奏でていた水嶋悠人はそういう感覚には厳しい人だから、まだ残る余韻に被せてしゃべるなど酷く珍しい事だった。 故にかなでは驚いて聞き返したのだが、悠人は何か失敗したような顔でふいっと顔を背けてしまう。 「いえ・・・・なんでもありません。」 「嘘。」 「嘘って・・・・」 ずばっと切り返すと悠人が口元を引きつらせた。 しかしそんなことでめげるかなでではない。 「なんでもないなんて嘘でしょ?ハルくんが曲が終わってすぐ何か言うなんて滅多にないもん。・・・・私、何かした?」 きっちりと根拠を述べてから、かなでは一番心配していた事を言った。 場所は二人きりの音楽室だし、普通に椅子に座って悠人の音色を堪能していただけのつもりだけれど、もしかして彼の気に障るようなことをしたかもしれない、と思ったのだ。 しかし幸いな事に、悠人はすぐに首を横に振った。 「そんなことはありません。」 「そっか。よかった。」 ひとまずはホッとした。 そんな覚えはないけれど、無意識のうちによだれを垂らして寝ていたとかだったら立ち直れないところだった。 しかしそうなると。 「じゃあ、どうしたの?」 「・・・・」 改めて聞き直したかなでの悠人はあからさまに目を逸らした。 それが嘘のつけない誤魔化し下手な彼の、もう聞かないでほしいの意思表示だとはわかったが。 (・・・・気になっちゃうよね?) かなでの心の中で悪戯の虫がちょこんっと顔を出す。 というわけで、仕草の意味には気が付かなかったふりをして。 「ハルくん?」 あえて逸らされた顔を覗き込むようにして声をかけると、ジトッとした視線が返ってきた。 「先輩・・・・はあ。もう、わかりました。本当に大した事じゃないんです。ただ」 にこにこと笑うかなでの顔を見て、観念したように大きくため息をついた悠人はそう前置きすると言った。 「僕の演奏を聴いている先輩はなんだか・・・・やけに幸せそうだな、と思っただけです。」 後半の言葉は前半の音量半分でそう言われて、かなでは一瞬きょとんとする。 それから。 「あ・・・・」 言葉の形に口を開けたまま、かあっとかなでの頬が赤く染まった。 その反応に目を丸くしたのは悠人だ。 自惚れのような言葉を言ってしまったと恥ずかしく思った気持ちが一瞬にして疑問と好奇心に取って代わられる。 「先輩?どうかしましたか?」 「あ、ううう・・・・」 形勢逆転。 今度は悠人の方に覗き込むように見られて、かなでは自分の頬を押さえて呻いた。 (しかし正直今のやりとりにそんなに照れる要素があったか?) どちらかというと恥ずかしい思いをするのは自分の方ではないのか、と悠人は思った。 さっき白状してしまった言葉は十二分に恥ずかしいものなのだから。 でもそうとしか言いようがないというのも事実だった。 というのも、曲を弾きながら何度か目を走らせたかなでは、いつもとても柔らかく笑っていたから。 面白いものを見て笑うのではない、自然とにじみ出てくるようなその笑みは、例えるならやっぱり「幸せそう」しかなくて、どうしてそんな顔をするのか気になりだしたら妙に気になってしまって。 だから思わず余韻に被せて口走ってしまったのだが、せいぜい気のせいだと笑われて終わりだと思っていたのに、これはちょっと予想外の展開だった。 しかもかなでの頬はドンドン鮮やかに染まっていくばかり。 「顔、真っ赤ですよ?」 「〜〜〜〜」 思わず指摘してしまった悠人を恨みがましい目で一度見てから、かなでも自分を落ち着かせるように大きくため息をついた。 そしてかなでの言った言葉は。 「・・・・だって、幸せだから。」 「は?」 「だから、幸せなんだから幸せそうに見えるのは当たり前なの!だって二人っきりで、ハルくんの音楽を一人占めしてるんだよ?それだけでも嬉しいのに、ハルくんの音はしっかりしてるのに、優しいから、」 開き直ったように一息でそう言って、かなでは何故か拗ねたように小さな声でつけ加えた。 「・・・・一人占めして聴いてると、ハルくんの音に抱きしめられてるみたいに感じるんだもん。」 さっきの悠人の呟きより更に小さい声だった。 けれど、その一言の投下した衝撃たるや。 「・・・〜〜〜〜〜〜っ!」 かああっと耳に血が上る音がした気がして、悠人は思わず口元を覆うと顔を逸らした。 その横顔に容赦なくかなでの視線が注がれる。 しかも。 「ね?だから、幸せに感じて当たり前でしょ?」 (そんな堂々と言われても・・・・!) 嬉しいとかいう以前に猛烈に恥ずかしい。 いや、幸せに感じてくれたのならそれはそれで嬉しくはあるのだが。 (本当はいつだって抱きしめたいと思っているって音に出てるって事か!?) そんな本音が知らぬ間に音色に駄々漏れになっていたとしたら、恥ずかしすぎてのたうち回りそうだ。 「・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・」 何とも言えず、むずむずする沈黙が落ちる。 そして思わず互いをちらりと見た瞬間、視線がばっちりぶつかってしまって。 「・・・・先輩」 「・・・・ハルくん」 譫言のように呼んだ名前はそこはかなとなく甘さを帯びていた。 まるでそれに惹かれるように弓を置いた悠人の手がかなでへと伸び・・・・た、その刹那。 「―― んなとこで何やってんだよ?」 「きさ」 「誰かいんのか?入っちまえばいいだろ。ちーっす!」 何か諸々の空気感とか雰囲気などまったくもろともしない聞き覚えのある声と共に、音楽室のドアががちゃっと開いて。 がたがたがたっ!! もの凄く慌てた物音に迎えられるように音楽室に足を踏み入れた如月響也は訝しげに眉をひそめた。 「お前ら、何やってんだ?」 心底疑問、と首をかしげる響也の目に入ったのは、音楽室の真ん中で何故か180°そっぽを向いて座っている悠人とかなでだった。 どこか赤みを帯びた顔でやたらと不自然な距離で背中合わせに座った悠人とかなでは同時に、響也を見て。 「「・・・・はあ」」 「な、なんで俺がため息つかれなくちゃなんねえんだよ!!」 彼に理不尽な反応に、騒ぐ響也を横目に悠人とかなではもう一度ため息をついたのだった。 その後しばらく響也が「イベントクラッシャー」という不名誉な二つ名をほしいままにしたとかしないとか。 〜 Fin 〜 |