nocturne  〜日々小景〜



放課後の星奏学院の森の広場が香穂子のお気に入りだ。

特に外にいるのが丁度良い気温の時は最高。

ただでさえ学校の放課後というのは、開放感にあふれた独特の雰囲気がある。

そんな空気の中で遠くから聞こえてくる音楽。

音楽科の校舎とは遠いけれど、この森の広場には音楽科の練習室からあぶれた生徒や、練習のためにわざわざここに弾きに来る生徒がよく集っている。

「空間と木立が余計な残響を消してくれる、だっけ。」

今頃遠いウィーンの空の下にいるであろう最初の師匠の言葉を思いだして香穂子は少し微笑んだ。

月森の言ったとおり、この森の広場ではいろんな音楽が同時に演奏されていてもあまり気にならない。

今も快活なトランペットのエンターティナーが聞こえたかと思えば、逆方向から四季の冬が聞こえたりするが、それどうしがぶつかり合うことはない。

まるで木立が音を抱いて優しくあやしているようなBGMに耳を澄ませながら、香穂子は手元の楽譜に目を走らせる。

後で自分も弾こうと思っているから近くにヴァイオリンはあるけれど、今は譜読みの方が先だ。

「〜〜♪」

鼻歌で何となくメロディーをなぞっていると、突然譜面に影が差した。

「?」

ふっと顔を上げた先に知った顔を見つけて香穂子は笑う。

「衛藤くん。」

名前を呼ばれて片手を上げた衛藤桐也は、つい先日入学してきたとは思えないほど堂々としていて、危うく香穂子は吹き出しそうになった。

もともと去年から従兄弟である理事長を訪ねて星奏に出没していた桐也ではあるが、正式に星奏の制服を着るようになっても勝手知ったるなんとやら、な雰囲気がまるでかわらない。

まだ制服をきっちりと着ている新入生が多い中で、早々にリボンタイが姿を消した桐也の格好もそれに拍車をかけている。

「またここで譜読み?」

「うん、はかどるからね。衛藤くんは今日は練習室じゃないの?」

「ああ・・・・つうかさ、また?」

そう言葉を切って桐也が呆れたような視線を落としたのは、香穂子の膝。

その視線を追っていた香穂子は、「ああ」とこともなげに頷いた。

桐也の視線が落ちた先、香穂子の膝の上にはやたら気持ちよさそうにすいよすいよと眠る・・・・志水桂一の姿があったからだ。

「またっていうか、なんかもういつもの事って感じだよね。」

「・・・・何、慣れてんだよ。」

「いや、なんかもう慣れざるをえない?」

アンサンブル組んでる時も楽器弾いてないと思うと寝てたしねえ、と苦笑する香穂子は桐也が口元を引きつらせた事に気がつかなかった。

「寝なれてるんならその辺に転がしといても大丈夫だろ。」

「さすがに知り合いが地面に寝てるのは放っておけません。それにこれが志水くんのスタイルだし。」

志水くんのスタイル=いつでもどこでも寝る事、と理解している香穂子に、桐也はこっそりとため息をついた。

多分、志水との付き合いがそれほど長くない桐也でもそこにもう一つ欠かせない要素を彼が足している事がわかるのに。

こんなに近くで話していてもさっぱり起きる様子もない志水を、桐也は僅かばかり同情のこもった目で見下ろしてしまった。

「あんたも大概鈍感だよな。」

「は!?なんで行き成りそんな話に?」

「まあ、男としては同情ものだけど恋敵としては助かるけどさ。」

「???」

何を言っているんだ、と言わんばかりの香穂子の視線を綺麗さっぱり無視して桐也は持ってきた楽譜片手に香穂子の背中に回った。

そして。

ドサッ

「ちょっ!?衛藤くん、重い!」

「そんなに体重なんかかけてないぜ。」

背中を預けた香穂子の抗議を受け流すと、すぐに不満そうな呻き声が返ってきた。

でも、このやりとりもすでに恒例。

この後の反応もまるっきり予想できる。

そして案の定、諦めたように桐也の背中に自分の体重を軽くかけた香穂子のぼやきが耳に入る。

「まったくもう・・・・どうして二人とも他にも場所あるのにこうなるのかなあ。」

―― それはもう、貴女がいるからに他ならないわけなんですけど、という男二人の心の声が届くのはいつになることか。

とりあえず今は。

切れ切れに聴こえる音色と、木立の音をBGMに。

香穂子の鼻歌と、志水の寝息と、桐也が楽譜をめくる音が。

―― いつもの放課後の風景のようです。














                                                 〜 Fin 〜
















― ひとこと ―
星奏学院名物、日野香穂子の後輩サンドウィッチ(笑)