夏と貴方の二重奏 〜 熱中症にご用心 〜
ヴァイオリンの音色に没頭する。 この夏に入って久しぶりに小日向かなではそんな感覚を思い出した。 曲を音色を、自分の中のイメージと合わせるように、ただただ旋律を追いかける。 オーケストラ部に入って、夏の大会に出る事になるまで惰性のようにヴァイオリンを弾いていたかなでにとって、それは新鮮で、かつ懐かしい感覚だった。 故に、どこまでも追っていたくなってしまう。 どこまでもどこまでも全身で音楽を奏でる・・・・のはいいのだが。 如何せん、今は真夏である。 日本の夏は湿気と熱気との戦いであるが、その中でも大激戦の8月である。 つけ加えて言えば、星奏学院の寮生であるかなではご自宅に防音室完備などという整った環境とは無縁で、結果寮で弾くと近所迷惑ということで、野外練習が中心なのだ。 真夏。 湿気と熱気。 そして野外。 この条件の下、夢中で音に没頭する・・・・・と、どうなるかというと。 「先輩はもう少し自分のコンディションを考えて下さい!」 プリプリと怒っている水嶋悠人の声を聴きながら、かなでは日陰のベンチで呻いた。 「ごめん・・・・」 「全くです!」 額の上に載せられた悠人の絞ったハンカチのせいで表情は見えないが、怒っている事は間違い。 「どれぐらいあの場所で弾いていたんですか?」 そう言われてかなではうーん、と唸った。 あの場所、とはついさっきまで練習に夢中になっていた山下公園の広場の事だろう。 「えっと・・・・お昼食べて、それからすぐ来て・・・・」 「まさか、それから休憩も入れずにさっきまでやってたんですか!?もう3時ですよ!?」 何てことを!と言わんばかりの声にかなでは反論も出来ず弱々しく笑った。 「ちょっと・・・・もう少しで何か掴めそうで・・・・」 そう、もう少しもう少し、と練習を繰り返してしまったのがまずかったのだ。 青く眩しい空に吸い込まれていく音が不思議な謎かけをしていくから。 あーでもない、こーでもない、と悩んでいるうちに、気が付けば自分でも時間を忘れていて・・・・。 「で、熱中症でふらふらになるまでやってしまったと?」 そこまでかなでの言い分を聞いていた悠人は、深々とため息をついた。 ほんの数十分前、かなでを見つけた時の様子を思い出す。 よりにもよって炎天下の公園の広場で楽器を奏でている姿を見た時、すぐに違和感に気が付いた。 いつもより妙に赤くなった頬や、音を表現するにしては少し大きすぎる体の動きを見た途端、悠人の頭から血が引いた。 慌てて練習を中断させて、水を飲ませて木陰のベンチに寝かせて今に至るのだが。 「う〜・・・・これは前より酷いかも・・・・」 「前にもあったんですか!?」 一回で学習して欲しい、と思う反面かなでならばさもありなん、と思ってしまう。 幼なじみだから、と言うわけではないのだろうけれど、かなでが音楽を追いかける姿勢はどこか律に似ていて放っておくと夢中になってしまうのだ。 「集中するのはいいですが、集中しすぎは褒められません。」 びしっとそう言いきると「はい」と神妙な返事が返ってきて、悠人はため息をついた。 「先輩、起きられますか?」 もう少し水を飲んでおいたほうがいいだろう、と思って声をかけるとかなでが小さく頷いて体を起こした。 ハンカチを外すと大分顔色が普通に戻っていて悠人はホッとする。 「少しよくなったみたいですね。」 「うん。クラクラはしなくなったかも。ハンカチありがとう。洗って返すから。」 「別にいいですよ。」 「ううん。」 ペットボトルを受け取りながら首をふるかなでに悠人は苦笑した。 こうなるとかなでが頑固なのは短い付き合いからも学んでいる。 「それじゃ、首の後ろも冷やして置いて下さい。」 「はーい。」 言われた通りハンカチを首に当てるとひんやりとして気持ちがよかった。 一気に飲むとよくない、というので少しだけペットボトルから水を飲んでかなでは息を吐く。 「はあ・・・・生き返ったぁ。」 「生き返ったじゃありません。まったく、こっちが生きた心地がしない・・・・」 「えっと、心配かけてごめんね?」 やっとそこまで頭が回るようになったかなでが、悠人を覗き込んでいると眉間にがっちり皺を寄せた悠人は重々しく頷いた。 「本当です。たまたま僕が通りかかったからいいようなものを。」 「うん、本当に助かっちゃった。それにしてもハルくん、熱中症の看病、手慣れてるね?」 どこか朧気な記憶になりつつあるが、演奏を止められてからの悠人の処置に迷ったところがなかったのを思い出してかなでがそう言うと、ああ、と悠人は言った。 「道場で時々いるんです。防具は結構暑いですから。」 「ああ、なるほど。」 前に朝練を見せてもらった時の様子を思い出してかなでは納得する。 確かに剣道の防具は真夏にはかなりきついだろうから。 そして納得ついでに、かなではなんとはなしに呟いた。 「そっか。大地先輩はお医者さんの卵だからわかったけど、ハルくんは道場なんだ。」 前に二人で練習をした時に、大地にやはり熱中症じゃないかと面倒を見てもらったことを思い出して、ぽつっと呟いた言葉だった。 だったのだが。 「なっ、榊先輩?」 その瞬間、悠人は固まった。 「よりによって榊先輩の前で倒れたりしたんですか!?」 「え?え?」 思わず悠人が声を上げてしまったのも無理はない・・・・かもしれない。 というのも、榊大地といえば悠人にとっては尊敬すべき先輩であると同時に、自分とは完全に対象的な関わり方を女性とする人なのだ。 間違っても自分の好きな人の無防備な姿をさらしたい相手ではない。 が、しかし、悠人の「好きな人」はそんな男心に欠片も気づいた様子もなく、ちょこんっと首をかしげて。 「でも大地先輩もちゃんと面倒を見てくれたよ?」 何て的外れな返答をしてくれるものだから。 「・・・・・・・・・・・・・はあ。」 心の中にグルグル渦巻いた言葉を結局ため息にしてはき出した。 「まさか先輩、他にはありませんよね?」 ふと気が付いた可能性を悠人が口に乗せると、かなでは「え」っと呟いて俄に視線を逸らした。 そのいかにも気まずそうな様子に悠人の眉間に皺が一本寄る。 「小日向先輩?」 名前だけ呼ぶ、というのは意外なプレッシャーがかかるもの。 しかも悠人の青い瞳の前で誤魔化しなんて高等技術はかなでに駆使できるはずもなく。 「・・・・火積くんにも迷惑かけました・・・・」 「先輩・・・・」 ため息と共に額を抑えてしまった悠人に呆れられたかと思ってかなでは焦った。 「えっとでもその時はペットボトルくれたぐらいですんだし!たいしたことなかったんだよ!?」 「・・・・わかりました。」 ぽつっとそう言って悠人が顔を上げた時、その青い瞳が妙に座っている気がしてかなではどきっとした。 でも怒られる!?と思って首をすくめたかなでの耳に届いたのは。 「小日向先輩。野外で練習する時、なるべく連絡をください。そうしたら僕が近くで練習しますから。」 「え?それって・・・・」 「そうだ、そうすれば先輩の異変にもすぐ気づけるし・・・・あ、でも先輩が嫌でなければですが。」 前半は独り言のように呟いた悠人にそう問われて、かなでは大きく首を横に振った。 「嫌なんかじゃないよ!ハルくんが側に居てくれるならすごく安心だから!でもハルくんこそ迷惑じゃないの?」 「僕は・・・・」 あんまり迷惑をかけて嫌われるような事態は避けたくて思わず悠人を覗き込んだかなでに、悠人は一瞬何か言いかけて・・・・。 それから不意に赤くなった頬を隠すように顔を背けて。 「・・・・僕は先輩の事を気にかけるのは、嫌じゃないですから・・・・」 蝉の声に紛れてしまいそうなほど、微かな囁きがかなでの耳をくすぐった。 それがあまりにも、優しくてくすぐったくて。 「えっと・・・・」 熱中症とは別の意味でクラクラする、と思いながらかなでは小さく呟いたのだった。 「気をつけ、ます。」 「そうしてください。」 〜 Fin 〜 |