melody 〜二つの旋律〜
『君の音楽がよくわからなくて・・・・』 ―― そう言った自分の胸がズキズキ痛んだ。 学内コンクールも中盤にさしかかった放課後、火原は珍しく楽器も出さずにエントランスのベンチに座っていた。 一見暇でももてあましているようにみえるが、よく見ていれば彼がずっと同じ方向を見つめていることに気付いただろう。 真っ直ぐに、一心に見つめる先には、同じ学内コンクール参加者の日野香穂子がヴァイオリンを奏でている姿があった。 といってに火原の座っている場所と香穂子の弾いている場所は離れているので、香穂子からは火原の姿はおそらく見えないだろう。 火原にしてもただじっと音を聴いているだけで、いつものように香穂子に声をかけに行く様子もない。 それは少し奇妙な光景だった。 「・・・・何を難しい顔をしているの?火原。」 唐突に声をかけられて、火原が驚いて顔をあげると、数冊の楽譜片手に火原の親友、柚木梓馬が立っていた。 口元にはどことなし、苦笑に近い表情が浮かんでいる。 「柚木・・・・」 「金澤先生からプリントを頼まれて探していたんだよ。練習しているなら直ぐ見つかると思ったら、こんな所にいるんだから。」 言外に随分さがしたというニュアンスを感じ取って火原は慌てて謝った。 「ごめん!」 「別にかまわないけどね。・・・・隣いい?」 「あ、うん。」 頷くと空いていたスペースに柚木が座った。 その立ち振る舞いだけでも妙に絵になる親友は座ったところで放課後の生徒でにぎわうエントランスに目を向けたまま 「それで、何を悩んでるの?」 ずばりと核心を突いた。 「え?何をって・・・・」 戸惑った自分の声に中に困ったような響きが有ることに気がついて火原は焦った。 (これじゃまるで柚木が迷惑みたいじゃん!せっかく気にしてくれてんのに。) 「あ、あの別になんでもないんだ!ただ、ちょっと、その・・・・」 あわあわとしゃべって何とか説明しようとする言葉を遮って柚木が言った。 「日野さんの事?」 柚木にしては珍しく直球続きな言葉に火原はぎくっとする。 見れば柚木は人の波の向こうでまだ演奏中の香穂子の姿を見ていた。 その静かに香穂子を見つめる横顔に、何故かドキッとして同時にごまかせない物を感じ、火原はぽつっと呟いた。 「・・・・なあ、柚木。」 「ん?なんだい?」 「その・・・・恋の苦しみって何だろう?」 「え・・・・?」 大真面目に聞いたのに柚木は目を丸くして固まってしまった。 その反応に火原はかあっと赤くなる。 「や、そ、その、恋の苦しみって言うか、切ないってどういう感じなのかなって思って。お、俺あんまりそういう想いしたことないし!」 あわてて言いつのりながら頭の何処かで、そうだ、と納得している自分も居た。 『切ない感じ』 以前、香穂子が自分の演奏を称した感情を思い描くことが火原にはできなかった。 だって火原にとって『恋』は新しくて、キラキラしていて、楽しいモノだから。 好きな人 ―― 香穂子を想うと心がふわふわして楽しいような嬉しいような気分になる。 そういうモノだったから。 だけどみんなにわかる香穂子の音楽が自分だけ理解できないのは悔しくて、必死に彼女の音に向き合ってみた。 ―― でも、やっぱり香穂子の音楽は難しい。 眉間に皺を寄せて考えているフリをしても、心でわからない。 それは掴むことのできない幻のように指先から零れていくようで・・・・。 (香穂ちゃん・・・・) はあ、とため息をついた火原を横目で見ていた柚木はくすっと微笑んだ。 それを見た火原はむっとふくれる。 「柚木〜?俺はほんとーに悩んでるのに・・・・」 「ごめん、ごめん。 ・・・・でも火原、本当は君、わかってるんじゃないの?」 「え?何を?」 きょとんとする火原にますます可笑しそうに柚木は言った。 「だから、『恋の苦しみ』。」 「へ?」 火原は目を丸くしてしまった。 (わかってる?何で??) 「だって俺・・・・」 「だからね、火原。例えばあの光景を見てどう思う?」 言われて柚木が指さした先を見ると、いつの間に来ていたのか土浦と香穂子が話しているところだった。 土浦が笑って、香穂子も笑う。 その楽しそうな様子に ―― ズキッ・・・ 小さく火原の胸が痛んだ。 「火原。」 「え?ああ、柚木・・・・」 「ああ、柚木、じゃないよ。今、感じたんだろ?」 「?」 きょとんとした顔をする火原に柚木はやれやれと言う感じで肩をすくめる。 「今みたいに日野さんが誰か、特に男性と話している時とか、君は随分切なそうな顔をしてるよ?」 「俺が?」 「そう。そう言う時、なんとなく胸が苦しくなったり見ているのが嫌だなと思ったりしない?」 「・・・・する、するよ!柚木、なんでわかるの!?」 目をまん丸くして驚く火原と反対に、柚木は笑いを堪えるように口もとを引きつらせる。 「あのね、火原。日野さんが好きだって思った時からそういうのもついて回っているだろ?出来れば独占して誰にも見せたくない、とか思わない?」 「え・・・・そ、その・・・・思う。」 真っ赤になって、小さな声で呟くと、限界、とばかりに柚木が吹き出した。 「ちょ!柚木〜!」 「い、いや、ごめん。あんまり火原が可愛かったから、さ・・はは。」 「可愛いって、褒め言葉じゃないだろ!」 「だから、ごめん。お詫びにひとつ教えてあげるよ。」 「何を?」 「そういうついて回る気持を嫉妬っていうんだよ。時には辛いし、時には嬉しいこともあるかも知れない、そういう気持。それが火原の言う『恋の苦しみ』なんじゃないの?」 「あ・・・・」 途端に、すとんと気持が収まった気がした。 香穂子の音楽がわからなかったから苦しかったんじゃない。 (香穂ちゃんの音楽がわからないのが、俺だけだと思ったから苦しかったんだ・・・・) それは香穂子の奏でる震えるような切ない旋律が思い起こさせる、まさにそれで。 火原はがばっと立ち上がった。 「?どうかし・・・・」 「柚木、ありがとう!すっきりした!」 「すっきり?」 「うん!俺、行ってくるよ、香穂ちゃんのとこ!」 言うなりエントランスの反対側、いまだにヴァイオリンを奏でている香穂子に向かって走り出した火原を呆気にとられるように見送って・・・・柚木は本格的なため息をひとつつくと呟いた。 「・・・・こんな初歩的な恋愛講義を受けてるようじゃ、日野の音色が誰に向かっているか気付くのは当分先だな。」 「香穂ちゃん!」 「あ!和樹先輩!」 「ね、合奏してくれないかな?今なら合わせられそうな気がするんだ。」 「?いいですよ。」 ―― そうして紡がれるヴァイオリンの音が恋の切なさなら トランペットの音は恋の楽しさ 苦しさと楽しさと絡まってできあがる旋律はきっと ―― 恋のメロディーになるでしょう 〜 END〜 |