混戦模様のラプソディ
―― 横浜市某所。 閑静な住宅街の近くに星奏学院はある。 私立で音楽科まで持っているという現代の高校事情に照らし合わせてみれば非常にハイソな感じを受けるその学園の生徒達は・・・・意外にトトカルチョ大好きな高校生達であった。 もちろん高校生なので本来的な意味のトトカルチョではない。 事の発端は春に行われた学内コンクールだった。 普通科からも参加者が選ばれるという異例の事態に、学内の注目が集まった中で音楽科の一部と普通科の一部の生徒がコンクールの優勝者を賭けたのが始まりだった。 が、その後コンクールを通して普通科と音楽科の境が薄くなるに従ってこの賭が全校的な広がりを見せていったのだ。 そんな彼・彼女らの間で今、最大最強のトトカルチョ。 それは ―― ―― 秋のある日。 音楽科の廊下を颯爽と歩く男子生徒が一人いた。 まあ、本人は『颯爽と』という意識はないのだろうが、ぴしりと伸ばした背筋と折り目正しい服装がそんな印象をあたえる男子生徒。 手に持ったヴァイオリンケースがトレードマークの月森蓮である。 脇目もふらずに真っ直ぐ前だけを見て歩くその歩みはなかなか特徴的で遠目で見ても彼だとわかるだろう。 こうやって歩いている時の彼の頭の中にあるのはヴァイオリンのことだけで、うっかり話しかけようものなら冷たい目で見られるのがオチ・・・・だった、つい最近までは。 「月森君!」 不意に廊下に響いた声に、月森はぴたっと歩いていた足を止めた。 その声がつい最近出来た彼にとっての『特別』な声だったから。 振り返った先に、少しむこうから走り寄ってきた女の子の姿が映る。 普通科の制服を着て、月森と同じヴァイオリンケースを持った少女、日野香穂子の姿が。 「はあ、月森君って相変わらず歩くの速いね。」 「何か用だろうか?」 目の前まできて息をついた香穂子に無造作にそんな言葉をかけてしまって月森は一瞬焦った。 こんな言い方では冷たいと感じられてもおかしくない。 しかし香穂子は気にした様子もなくにっこりと笑った。 「ううん。用はないんだけど、姿が見えたから追いかけてきただけ。」 事も無げにそう言われて、月森の心臓がとくんっと波打つ。 (俺の姿が見えたから?) たったそれだけの理由で香穂子が月森の所まで声をかけに来てくれるほど彼女と親しくなった。 そんな実感がなんともくすぐったくて嬉しい。 それがどんな感情から来ているかもうわかっている月森は、ちょっとだけ視線を外して「そうか」とだけ答えた。 「月森君はこれから練習?」 「ああ。君は・・・・」 練習か、と聞きかけたところでどきっと月森の鼓動が跳ねた。 (今なら一緒に練習しないかと誘える。) さっき姿が見えたから追ってきたというからには、今日は練習室を押さえての練習ではないのだろう。 人と待ち合わせしているという感じもないし、もしかしたら・・・・。 「日野」 「ん?どうしたの?」 「その・・・・一緒に、れん」 しゅうを、と続けようとしたその時 ―― 「あー!日野ちゃ・・・・・・!!」 ごすっ! ・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「?何?」 廊下に響きかかった元気の良い声と、低い殴打音に香穂子が振り返った時にはすべてが終わっていた。 香穂子の後ろの廊下には誰の姿もなく、香穂子は首を傾げる。 が、月森には見えていた。 一瞬前、階段から下りてきた火原が香穂子の姿を見つけて叫びかかって・・・・同じ音楽科の先輩に殴りとばされ連れて行かれる姿を。 そしてどういうわけだか、先輩が月森に向かって「邪魔者は排除したぜ☆」とばかりに親指をぐっと立てていたのも。 「???今、誰かいたよね?」 「あ・・・・いや。」 月森は彼にしては珍しく曖昧に答えた。 よくはわからないが、あのままだったら確実に火原の乱入にあって香穂子を練習に誘うことは出来なかっただろう。 だから、訳は分からないが見知らぬ先輩にひっそりと感謝しつつ月森は香穂子を見つめて言った。 「日野。よかったら、その・・・・二人で練習をしないか?」 ―― 秋のある日。 スポーツの秋とはよく言ったもので青い空は抜けるようにさえ渡り、気温も暑すぎず寒すぎず丁度良い日の昼休み。 校庭は主にスポーツに興じる生徒達で一杯になる。 その中の一角、サッカーをやる一群の中に土浦梁太郎の姿があった。 本格的に音楽の世界に戻ることを決めた後、サッカー部自体は退部した土浦だが昼休みにはこうして元チームメイト達と遊ぶことも少なくない。 と、気持ち良く走っていた土浦の視界を手を振る誰かが過ぎった。 「?」 振り返れば校庭の隅の渡り廊下の所で女子生徒が一人手を振っている。 その姿を見て土浦は僅かに頬が赤くなるのを感じた。 「ひ、日野?」 「あ、日野さんじゃん!やっほー!」 お調子者の友人の一人が土浦の肩越しに手を振ると、こっちが気がついたことがわかったのか渡り廊下にいた日野香穂子がさっきよりもはっきりと手を振り返してきた。 「なんで、あいつ・・・・」 ぽつっと呟いてから、胸の内にじわりっと広がる期待感を感じで土浦は自分で自分を叱咤した。 (偶然だろ、たぶん。通りかかったら偶然俺を見つけただけだ。) ・・・・本当は、自分を探して校庭を見ていてくれていたんだといい、と期待が滲んだわけもわかっているけれど。 だからこそ、期待しすぎない方が良いと土浦はおざなりに香穂子に手を振り返してチームメイトに声をかける。 「悪い!再開だ。」 「ああ。」 いくつか威勢の良い声がかかって、試合が再開される・・・・ものの、渡り廊下が気になってしまうのは仕方がない事だろう。 (もう、行ったはずだよな。) ちょっと友人を見つけて、ちょっと手を振ってみただけなら。 そう思いながら、その逆を期待しているのを自覚しつつ土浦はちらりと渡り廊下に視線を走らせた。 そして ―― 思わず口許を引きつらせた。 渡り廊下に香穂子はいた。 いた、のだが、よりにもよってその隣に土浦とは水と油とでも言うべき相性最悪の男がいたのだ。 月森蓮。 その土浦から見れば無愛想極まりない男相手に、香穂子はにこにこ笑いながら何か話している。 (・・・っち) 途端にささくれ立つように苛立ち始める胸の内を無理矢理隠してボールに集中しようとした、その時。 「土浦!」 不自然なぐらいやらたでかい声で呼ばれて、土浦ははっとした。 見ればボールがこっちへ飛んできた所で。 「おう!」 目の高さで飛んできたボールを胸でトラップして受け取ってゴールへ走る。 突っ込んできたディフェンスをドリブルで惹き付けておいて・・・・。 「ほら!いけ!」 「っしゃあ!」 ディフェンスの間を抜くようにして飛び出すと見事ゴール前へ。 ざしゅっ! 気持ち良くネットにボールが突っ込む音が響いた。 (?なんだか妙にあっさり・・・・?) 「土浦君、かっこいいよー!!」 首を傾げそうになった瞬間に響いた元気の良い声に、土浦はぎょっとして振り返った。 見れば、渡り廊下から乗り出さんばかりの勢いで香穂子が手を振っていて ―― 隣にいる月森は複雑そうな顔でこっちを見ていた。 「落ちるなよ!」 「落ちないよーだ!」 冗談っぽく返せばちょっと子どもっぽい顔でむくれる香穂子の笑顔が返ってきて、胸の空くような満足感に土浦はにやっと笑った。 ・・・・その背後でチームメイト達がガッツポーズをしていたのは視界には映っていなかったが。 ―― 秋のある日。 その日、登校時から加地葵は大層緊張した面持ちだった。 というのも。 「じゃあ、今日のLHRは席替えをしまーす。」 少々間延びしたクラス委員の一言に、加地はこの世の終わりかよ!と突っ込みたくなるような重いため息をついた。 「加地君、大丈夫?」 弱冠呆れ顔に近い表情で香穂子に覗き込まれて加地は机に突っ伏してもう一つ深いため息をついた。 「大丈夫じゃないかも・・・・」 「そんな大げさな。」 「大げさなんかじゃないよ!」 がばっと起きあがった加地は拳を握って力説する。 「日野さんの隣の席じゃなくなっちゃうかもしれないんだから。そんな事になったら何を楽しみに学校に来ればいいのか・・・・」 「だから、大げさだってば。クラス変わるわけじゃないんだし。」 「それはそうだけど。」 答えてため息。 (わかってないなあ。隣の席っていうのは最高の特等席だったんだよ?これ以上ないぐらい最高の。) 何時だって視線をスライドさせれば香穂子が視界に入る。 こっそり見つめるのも、授業中に内緒話をするのもこの席だけの特権だ。 最初、転校してきた時はここまでの幸運なんか期待していなかった。 ただ、ずっと恋したヴァイオリンの女の子と同じ所にいられればよかったのだ。 それがいきなり最初に割り当てられた席は彼女の隣。 最初が幸運すぎただけに、この位置から変わるのが残念でならない。 「はああ」 「はは。まあ、くじ引きなんだし、運がよければまた隣かも知れないよ?」 「・・・・そんな強運、君に会ったので使い果たしてるよ。」 「ま、また〜」 少しだけ頬を赤くして香穂子が苦笑した時、教壇から声がかかる。 「じゃあ、みんなくじ引きに来て下さーい。」 その声にわらわらと動き出す生徒たち。 それに混じって加地ものろのろと教壇に向かう。 順番にくじを引いていくクラスメイト達は良かったもの、悪かったものそれぞれに歓声があがっていく。 少し前に友達を引きに行った香穂子の方は戦果は上々なようで、笑いながら窓際の方の席を指さしたりしている。 (贅沢は言わないから、このさい近くならどこでもいい!) ダンボールで作った簡易なくじ引き箱の前まできた加地はかなり本気で祈って手を伸ばした。 が、しかしその手がダンボールの中に入ることはなかった。 「??」 何故かダンボールに突っ込まれる一歩手前の加地の手をクラス委員がしっかりと握りしめていて。 「???」 「はい、次の人〜!」 クラス委員の声に背中を押されるようにして列の最前からどいた加地は今、「私に任せて☆」みたいな目をしたクラス委員から握らされたくじをそっと開いてみた。 そして・・・・。 「日野さん!!」 「へ?」 「席、どこだった!?」 「え?あの窓際の前から4列目。」 「やった!!隣だよ!隣!」 「ほんとに!?」 目をまん丸くした香穂子は気がつかなかった。 今まさにその香穂子の隣の席に座ろうとした男子生徒が慌てて立ち上がって加地に目配せしたことに。 加地はその生徒に感謝の気持ちを込めて笑い返す。 「強運は使い切ったけど、強力な味方はいるみたいだ。」 「?」 きょとんっとする香穂子を見つめながら、こっそり加地がポケットにしまったくじに書いてあったのは番号ではなく一言。 『日野さんの隣』 ―― 秋のある日。 「―― で、結局誰が優勢なわけ?」 報道部の部室で後輩の報告を聞いていた天羽はペンをくるりと回して言った。 「だから、言ったじゃないですか〜。状況は横一線。しかも加地君にしても月森君にしても土浦君にしてもそれぞれ援護してる奴らがいるから混戦模様ですって。」 「援護っていうか、本人達が分かってるか微妙よねえ。」 「そりゃあまあ・・・・知らないでしょうね。」 知っていたなら土浦か月森は盛大に抗議しているに違いない。 「・・・・まさか自分たちの恋の行方がトトカルチョになってるとは思わないもんねえ。」 はは、と天羽が笑ったのも無理はない。 加地はともかく、土浦と月森はきっとひっそり香穂子を想っているだけと思っているだろうから。 「あんなに思いっきりバレバレなのに?」 ビックリしたようにくりんっと目を剥く後輩に天羽は苦笑した。 あのクールビューティーと名高かった月森が香穂子だけにはやたらと甘い視線を向けること。 女は面倒と公言していた土浦が香穂子の面倒だけは誰よりも見たがること。 おまけに加地がファンを口実にいつでも香穂子の姿を探していること。 知らないのは当の本人の香穂子ぐらいのものだろう。 ・・・・そりゃあ、まあ、こんな面白い状況をトトカルチョ好きの生徒達が見逃すはずもなく。 「今のところは加地君が本命、ダークホースは月森君か。」 「月森先輩は照れ屋っぽいですからね〜。」 「月森君にばれないように援護するって難しいしね。」 笑いながら天羽はふっと部室の窓に目を向ける。 そして立ち上がって窓の所まで行くとぱっと窓を開いた。 途端に流れ込んでくる楽しげな旋律に部室にいた部員達がみんな顔を上げる。 覗いた窓の下の中庭では話題の人物達が珍しく揃って合奏中だった。 ヴァイオリンとヴィオラとピアノに支えられて、一台のヴァイオリンが楽しそうに歌う。 窓枠に肘をついてその音に耳を傾けた天羽は呟いた。 「まあ、こればっかりはいくら予想したってどうにもならないけどね。すべては・・・・」 その時、最後の一音が丁寧の途切れる。 そして、拍手をもらう一瞬に香穂子が見たのは ―― 「お姫様の心次第ってね。」 お姫様の心が決まって学内に購買のパンが乱れ飛ぶ日を思って天羽はくすっと笑った。 〜 Fine 〜 |