恋と青春の大判焼き
夏が終わって、変わったことはたくさんある。 全国大会で優勝して吹奏楽部の存続が決まったこと。 反目していたブラスバンド部との関係が柔らかくなっていて、秋の文化祭では一緒に何か演奏したらどうか、なんて話が出るぐらい距離が近づいたこと。 どれもこれも、夏休みの前からは考えられないぐらい嬉しい変化であることは間違いない。 でも、吹奏楽部2年、小日向かなでにとっては、そんな変化に負けず劣らず嬉しい変化が1つあった。 それが・・・・。 「お、遅れてすみませんっ!」 校舎からつんのめるようにして駆けてきたかなでがそう叫ぶと、門柱に寄りかかるようにして立っていた八木沢雪広が手に持っていた本からふっと顔を上げた。 そうして大慌てで走ってくるかなでを見て、緩く目を細める。 「そんなに焦らなくても大丈夫ですよ。」 「で、でも大分待たせちゃったんじゃないですか?」 なんとか無傷で八木沢の前まで到達し、大きく一呼吸したかなでがそう言うと、八木沢は持っていた単語帳を軽く示して見せる。 「待っている時間にやることはありますから。まあ、その・・・・」 ふと歯切れ悪く言葉を切った八木沢が視線を泳がせる。 「?何かありましたか?」 かなでは何かまずいことでもあったのだろうか、と心配になって聞いたが、八木沢の方は何というかややバツの悪い顔をして。 「貴方を待っているのか、と同級生たちに聞かれるのが、ちょっとだけ恥ずかしかっただけです。」 「!」 単語帳で口元を隠すようにして八木沢の言った言葉に、かなでもぱっと顔を赤くした。 赤くして・・・・ああ、これも変化だな、と頭のどこかで思った。 もし、夏休みの間だったら、こんな風に照れたりはしなかったはずだ。 八木沢は吹奏楽部部長であり、部員であるかなでと待ち合わせをすることは少なからずあったはずだから。 その頃だったら八木沢の同級生たちだって、わざわざからかったりしてこなかっただろう。 けれど、今は違う。 二人の関係は、部長と部員から。 「その・・・・」 自分も照れくさそうにしながら、かなでを見た八木沢がちょっと微笑んで言った。 「か、彼女と待ち合わせか、とからかわれるのは、まだ慣れないですね。」 「っ!」 (や、八木沢先輩、その顔は反則です・・・・!) なんだか自分より可憐なんじゃないかと思うような笑みを向けられて、かなでは呻きたいやら恥ずかしいやら。 思わず頬を押さえていると、八木沢も恥ずかしさを誤魔化すように単語帳を鞄にしまって言った。 「帰りましょうか。」 「は、はい!」 一歩踏み出した八木沢の背中を、追いかけるようにかなでは足を踏み出す。 夏休み中より少しだけ近くて、でもまだ手は繋げない。 まだまだ新米の恋人同士の、八木沢とかなでなのである。 ――・・・・ ちなみに、二人が歩き出すまでの間、清々しくも甘酸っぱい空気に阻まれて校門に近づけなかった男子生徒たちが近くの木陰でしくしくと涙していたらしい。 「阿藤先輩・・・・!うちにも女子・・・・っっ!」 「くそっ、泣くな照辺。お前らは来年頑張れよ!俺らなんて結局三年間男ばっかだぞ!」 そんな至誠館高校の某部活の生徒がうらやましさに涙していたなぞ露知らず、八木沢とかなでは通学路を並んで歩いていた。 ちらほらと同じ制服を着た生徒たちの姿が見えるが、かなでが遅れたおかげか、ピークの時よりは人が少なくて落ち着いている。 そんな通学路を肩を並べて歩きながら、かなでは空へ目をやった。 「少し日が落ちるの早くなってきましたね。」 「そうですね。」 そう言って二人そろって見上げた先には、薄く茜がかった空が広がっている。 (少し前までは、この時間でもまだ明るかったのに。) そう、夏の大会で横浜と仙台の間をばたばたと行き来していたころは、遅くなったと思ってもまだ明るく感じた。 「なんだか不思議・・・・」 「え?」 「あ、その、ついこの間まで大会のために一生懸命練習して、その事で頭が一杯だったのに、もう大会も終わって秋になるんだなって思って。」 「ああ、わかる気がします。」 かなでの言葉に八木沢もうなずいた。 「この夏がとても密度が濃くて素晴らしかったから、終わってしまったというのがしっくり来ていないのかもしれませんね。」 「そうですよね。私にとっては仙台に来て、吹奏楽部に入って、大会に出て・・・・とにかくいろんな事がありましたから。」 「ええ。僕にとってもいろいろな事があった夏でした。」 そう言って顔を見合わせて笑えば、大変だったことから楽しかったことまでいろいろな想い出が頭をよぎる。 そしてそれが、多分、二人で一緒なのだろうと思えることがかなでには嬉しかった。 「でも終わっちゃったって思うのはちょっと寂しいですね。」 「そうですね・・・・あ」 感傷的なかなでの呟きに、同意した八木沢が、次の瞬間、ふと声を上げた。 「?八木沢先輩?」 どうかしましたか?と首をかしげて見れば、八木沢がにっこりと笑って言った。 「夏が終わってしまうのは寂しいですが、これからの季節に楽しめるものを見つけました。」 「え?」 (何のこと?) きょとんとしてかなでが首をかしげると、八木沢が通学路の先を指さした。 その指先を視線で追って。 「あ!大判焼き!」 そう、八木沢が指した先にあったのは、至誠館高校の生徒に人気の大判焼き屋だった。 今も何人かの生徒が店先にいる店は、確かに真夏の最中には感じなかった食欲を感じさせてくれる。 (う、確かにおいしそう・・・・) 馬肥ゆる秋とはよく言ったもので、思わずぐうっと鳴りそうなお腹を押さえていると、まるでそれを見抜いたように八木沢が言った。 「久しぶりに食べて行きませんか?」 「はい!」 思わず、良いお返事と太鼓判を押してあげたくなるような返事を返してしまってちょっと頬を赤くするかなでに、八木沢は笑って ――。 ―― 数分後、帰路に戻った二人の手には、しっかり一づつ大判焼きが握られていた。 片手に鞄、片手にぽかぽかの大判焼き。 通学路に長く伸びた二人分の影を見て、かなではくすっと笑みをこぼした。 「どうかしましたか?」 「あ、いえ、なんだか思い出すなあって。」 「思い出す?・・・・ああ」 一端首をかしげたものの、八木沢はすぐに思い当たったように頷いた。 「この大判焼きの事を教えた時ですね?」 「はい。」 笑ってかなでは頷いた。 通学路にあるこの大判焼き屋が生徒にも人気でおいしいと言うことをかなでに教えてくれたのは、他ならぬ八木沢だったのだ。 「まだ夏も最初の頃でしたっけ。」 「はい。学校帰りにみんなで待ち合わせしたのに、みんなダメになっちゃったんですよね。」 「そうですね。あの時は・・・・」 にこにこと頷いていた八木沢が不意に言葉を止めたので見上げると、ちょうどかなでに目を向けた彼と目があった。 するとその視線が珍しく、ちょっといたずらっぽく細められて。 「あの時は、みんなが来られなくて残念だ、と思っていましたが、もしかしたら運が良かったのかも知れませんね。・・・・貴方と二人で帰れたわけだから。」 「!」 意外な言葉にかなでが目を丸くしていると、八木沢は楽しそうにふふっと笑った。 「うん、そうかもしれない。もしあの時にみんながいたら、きっと大判焼きを食べるにしても大騒ぎで、あんな事できなかったでしょうし。」 「あんなって・・・・っ!」 (まさか・・・・!) 言外に匂わされた事を思い出して、かなではすでにまん丸くなっていた目を更にまん丸くした。 多分、おそらく、きっと、八木沢が言っているのは。 「あ、あの時はごめんなさい!」 「?急にどうしたんですか?」 「え、だって、あの時はいきなりその・・・・パクっと。」 そう、今考えても自分でもあれはない、と思う。 というのも、最初にこの大判焼き屋の事を教えてもらった時、かなでは別の味を買った八木沢が味見でくれると言ったのを聞いて、彼が割ってくれた大判焼きにぱくりとかぶりついたのだ。 「えっと、その、今更ですけど、昔から律くんや響也が一口欲しいって言うとそのまま出してきてたから、ついその時と同じ勢いで・・・・」 「え?如月くんたち、ですか。」 「そうで・・・・え?」 かつてやらかした失敗への言い訳を一生懸命しているつもりだったかなでは、反応を見ようと顔をあげて、目をしばたかせた。 というのも、ものすごく珍しく、八木沢が眉間に皺を寄せていたから。 「あの、八木沢先輩・・・・?」 「あ、すみません。ちょっと・・・・それは面白くないな、と思ってしまって。」 「え?」 (面白くない?って、何が?) いまいち意味がつかめなくてかなでは首をかしげたが、八木沢はそれ以上の説明をするより先に何かを思いついたらしく、じっとかなでを見つめてきた。 その視線に、胸がざわめき始めるのを感じていると、八木沢が口を開いた。 「かなでさん。」 「!は、はい!」 後輩として今まで呼ばれ慣れた「小日向」ではなく、名前で呼ばれてどきんっとかなでの心臓が跳ね上がる。 (な、何を言われるんだろう?) 期待と不安でそわそわと落ち着かなくなるかなでと対照的に、八木沢はしっかりとかなでを見据えて。 「一口ください。」 「・・・・へ?」 まったく予想外のセリフすぎて意味がわからずかなでは目を丸くする。 その様子がおかしかったのか、八木沢はくすっと笑うと、かなでの右手に持った大判焼きを指さした。 「それです。僕と違うのを買っていましたよね?一口もらいたいんですけど。」 「え?あ、あ!大判焼きですね!?」 (な、何かと思った・・・・!) 八木沢の意図している所をやっと理解したかなでは、ほっと息をつくと同時に、なにやら過剰な期待をしていたようでいたたまれない気持ちに陥る。 「えっと、じゃあ、その、今半分割りますね!」 その気持ちを誤魔化すように、かなではあわあわと鞄を脇に抱えなおして、大判焼きを割ろうとしたのだが。 「いえ・・・・そのままで。」 「え?」 静かな声がそう耳をくすぐったと思った刹那、かなでの右手首が捕まれる。 そしてあっと思う間もなく、八木沢が身をかがめて。 ―― かぷ 「!?」 大判焼きがかじり取られたかすかな衝撃と共に、すぐに八木沢は身を起こしたが、かなではそれに反応することすらできなかった。 (い、い、い、今、何が・・・・っ!?) 固定された感触が残る手首に、一口分かじられた大判焼きを見れば一目瞭然なのだが、何せ目の前にいるのは八木沢である。 (え、嘘・・・・だって前に私がかじった時には目を丸くしてたのに・・・・!?) 「・・・・あの、すみません。そんなに見ないでもらえると助かるんですが・・・・」 「・・・・あ」 あまりにも凝視してしまったせいか、さすがに限界とばかりにそう言われたところで、やっと。 (あ、八木沢先輩だ。) いつもの様な反応を見てほっとしてしまった。 「すみません、驚かせましたね。」 「あ・・・・はい。」 そりゃもう、心から。 そんな心情が思い切り表に出ていたのか、八木沢は困ったように一つ苦笑して言った。 「その・・・・少し、やきもちを妬きました。」 「ふえ!?」 これまた予想外な単語が出てきて目をまん丸くするかなでに、八木沢は口元を覆う。 「僕も妹たちがいますから、お菓子をわけあったりするのは慣れていたんですが、あの時、貴方が僕の持っている大判焼きにかぷっときたときには心臓が跳ね上がったんです。・・・・それなのに、貴方にとっては如月くんたちとおやつを分け合っている時と同じ感覚だったのかな、と思ったら、少し悔しくなりました。」 だから少しいたずらをしてしまいました、すみません、とバツが悪そうに告白されてしばし。 「・・・・〜〜〜〜〜〜〜っっ!!」 かなでは声にならない声で呻いた。 (えっと、何、これっ!) 規格外に鳴り響く心臓がうるさい。 その音に後押しされるように顔がどんどん熱くなる。 (っ、今が夏真っ盛りじゃなくてよかったかも。) もしそうだったら、まだ元気な太陽のせいで真っ赤に染まった顔が丸見えだったに違いない。 もっとも、秋口の淡いあかね色でどれほど誤魔化されているかは、かなり怪しいけれど。 何せかなでの様子を見ていた八木沢が、ほんの少し驚いた顔をした後・・・・とびきり優しく笑ったのが見えてしまったから。 「かなでさん。」 「・・・・っ、はい。」 「良かったらこっちも食べますか?」 自分も少し赤くなった顔で、でもしっかりと手に持った大判焼きを差し出してくる八木沢。 そのいかにもおいしそうな大判焼きを目の前に、かなでは思った。 (夏は終わっちゃったけど、これからはこれからで波瀾万丈なのかも。) 例えば、清廉潔白でまるっきり奥手だった恋人の、思わぬ大胆さに振り回されている今のように。 「・・・・でも、それはちょっと、楽しいかも。」 ぽつっと思わず呟くと、八木沢が「かなでさん?」と首をかしげてくるから。 「なんでもありません。いただきます!雪広さんっ!」 「!」 勢いをつけるついでに初めて名前を呼んでかぷっとかぶりついた大判焼きの味は。 ―― カレー味なのに、ちょっぴり甘かった。 〜 Fin 〜 |