彼女の不機嫌の理由
小日向さんがふくれている。 というと、たいがいは怒っているとか拗ねているとかの比喩的表現なのだが、今、芹澤睦の目に映る小日向かなでは文字通りふくれていた。 ティータイム好きの部長と副部長のために用意されているティーテーブルに頬杖をついて、乗せた頬はぷっくりとふくれている。 眉間に皺が寄っているから、本人としては真剣に不機嫌なのかも知れないが、絵としては頬袋に何か詰めたハムスターと言ったところだ。 (部長と副部長が不在で良かったな。) 相変わらず気まぐれな部長と副部長が部の雑務をおいて、ふらっと出かけてしまった時にはまたかとため息をついたものだが、今はその気まぐれに感謝している。 そうでなければ。 (あの人達がこんなに面白そうな小日向さんを放っておくわけがない・・・・特に副部長。) 『えらいふくれたほっぺたやね、小日向ちゃん』とか言いながら妙に艶っぽい笑みを浮かべてかなでの頬を突っつく土岐の姿がリアルに想像できてしまって、ややティーポットを握る手に力が入ってしまった。 「・・・・と、」 そんなせんもない事を考えている視界の端で、砂時計の砂が落ちきるのを確認した芹澤は、小さな深呼吸で気持ちを落ち着けると白磁のティーカップにポットの中身を慣れた手つきで注いだ。 それにしても、と注ぎ終わったカップをソーサーに置きながら芹澤はもう一度かなでに目を移す。 普段のかなでなら、何か考え事をしていても紅茶の香りが広がれば顔ぐらい上げるはずなのに、今日は相変わらずふくれた顔のままだ。 (よほど気になる事でもあったのか?) プライマリからエスカレーター式で進学してくる生徒も多い神南高校では、転校生はただでさえ目立つ。 それに加えてかなではこの夏、神南高校で不動の有名人である東金と土岐と共に全国音楽コンクールで優勝するという快挙を成し遂げ、二学期に入った今では一躍時の人だ。 単純に目立った事、管弦楽部のメンバーとして東金と土岐に可愛がられている事、どちらを取ってみても、妬みや中傷にさらされてもおかしくはない。 (まあ、ふくれてるぐらいだから、辛いことがあったという感じじゃないけど。) どちらにしても、これは聞き出さなくてはいけないだろう、と決めて芹澤はかなでの前に、静かにティーカップをおいた。 「どうぞ、小日向さん。」 「あ」 さすがに声をかけられて、かなでが顔を上げる。 「申し訳ありませんが、机の上の書類、どけてくれますか?」 「あ、うん!」 頷いてかなでが東金達が残していった書類を片付けたところへ、芹澤は手際よくティーセットを並べていく。 あっという間にお茶の支度が調ったところで、芹澤はかなでの向かいの椅子に腰掛けた。 そうしてから、自分が何も言わずにそういう行動をとったことに、内心少しおかしくなる。 これまでの芹澤ならティータイムと言えばサーブするために立っているのが普通で、言われるまでテーブルにつくことなどあまり考えなかった。 けれど、この夏かなでと過ごして、季節が秋に変わった今では、かなでとのティータイムは自然と「一緒に」お茶を飲む時間になっているのだな、と妙に実感してしまったのだ。 そんな芹澤の様子に気がついたのか、視線が近くなったかなでが小さく首をかしげた。 「?どうかしたの?」 「いえ、なんでもありません。」 涼しい顔でそう答えれば「そう?」とあっさり紅茶のカップにかなでは興味を戻した。 「良い香り・・・・もしかしてレディグレイ?」 「正解です。少し気持ちが和らぐようにと思って、香りの良いものを選んでみました。」 言外に「不機嫌なようだったので」というようなニュアンスを込めてそう言えば、かなでは「あ」とわずかに口を開けて。 「・・・・」 (またふくれた。) 今度はティーカップを両手で包んだまま、ぷくっと頬をふくらませたかなでに、芹澤はなんとか笑いをかみ殺した。 「不機嫌そうですね?」 「不機嫌っていうか・・・・」 芹澤の問いかけにかなではどこかむうっと眉間に皺を寄せた。 「ちょっと納得がいかなくて。」 「納得?」 「うん。・・・・実はね、二学期が始まってから、女の子達から呼び出されることが増えたの。」 かなでの言葉に芹澤はわずかに緊張を走らせる。 女子に女子が呼び出されるというのは、あまり良い話とは思いにくいからだ。 しかし、かなでの方はそのこと自体は些細なことらしく「でね」と先を続けた。 「呼び出されるとたいがい言われるのが、部長か副部長と付き合ってるのかってことなんだよ。」 「ああ。」 やっぱり、と芹澤は頷いた。 かなではどうかわからないが、芹澤にとっては十分予想できる話だった。 (この夏、付きっきりで構ってたからな。) 全国音楽コンクールの間、東金と土岐がかなでをかまい倒していたのは、誰の目から見ても明らかだった。 叩けば叩くだけ伸びてくるかなでが面白かったというのがあるのだろうが、端から見れば恋愛感情ゆえにかなでを特別扱いしていると見えただろう。 (・・・・実際のところはわからへんし。) 正直、芹澤としても東金と土岐が100%先輩感情だけでかなでを構っていたとは言い切れないところがあるだけに、そういう疑惑が持ち上がってくるのは当然といえた。 「それで、呼び出されて何か嫌味な事でも言われたんですか?」 なるべくさりげなく、けれどもしかなでが頷いたらどうしてやろうか、と頭の中で諸々画策しながら問うた芹澤に、かなでは少し首をかしげて、それから横に振った。 「うん?別に嫌な事は言われてないよ?大体は呼び出されて『単刀直入に聞くけど、千秋様か蓬生様とお付き合いなさってるの?』って言われるから『違います』って言ってそれでおしまい。」 「それでおしまいですか。」 「うん。『あらそうなの。勘違いだったみたいね』っていなくなっちゃう。」 「・・・・」 あっけらかんとしたかなでの言い方をみるに、本当に過剰に嫌味を言われたりいじめられたりしているわけではないらしい。 (とすると、よほどすっぱり『違います』と答えてるのか。) もともとかなでは嘘がつけるようなタイプには見えないし、そんな彼女にきょとんとした顔で『違います』と言われると相手も信じざるを得ないのだろう。 でもそれならば。 「それなら問題ないじゃないですか。」 そう思って言ったのだが、何故かかなではきっと顔を上げて言った。 「問題あるよ!大ありだよ!」 「あるんですか?」 別に嫌な思いをしているわけでもなく終わっているのなら良いんじゃないのか、と首をひねる芹澤の態度がもどかしかったのか、かなではむううっっと眉間に皺を寄せて言った。 「どうしてみんな部長と副部長じゃないなら、まさか芹澤くん!?ってならないの!?」 「・・・・・・・・・・・・」 はあはあと心の中にためていたことを言い放ったと言う態で肩で息をしているかなでを、芹澤はぽかんっと見つめてしまった。 そんな芹澤の沈黙などおかまいなしに、火がついてしまったらしいかなでは一口紅茶を飲むと不満げに続ける。 「そりゃ部長や副部長は目立つし素敵だけど、芹澤くんだってすごくすごーく素敵なのに!」 「・・・・」 「私、二学期になって他の女の子に芹澤くんの彼女にふさわしくない!とか言われたらどうしようとか考えてたんだよ!?」 「・・・・・」 「もちろん、そう言われたからって別れたいってわけじゃないけど、なんて言ったら私の気持ちがわかってもらえるかとか考えてたのに!」 「・・・・あの、小日向さん。」 それなのにー!と憤懣やるかたないとばかりにかなでがティーカップを握ったところで、やっと芹澤の脳が動き出す。 つまり、つまり、だ。 「要するに貴方がふくれていたのは・・・・俺と付き合ってるのかと問い詰められないから、なんですか?」 「そうだよ!」 頷いたかなでに迷いも疑問も、ついでにボケも不真面目さも欠片もなかった。 素晴らしく真っ直ぐに、東金や土岐と同じように芹澤との仲を疑われない事に腹を立てている、と言い切っていた。 それはつまり ―― かなでの中で、芹澤の位置づけが、東金や土岐と同じということで。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はあ。」 「ええ!?」 長い沈黙の後に、額に手を当てて芹澤のついたため息に、かなでがガーンと効果音のつきそうな顔をする。 けれど、それにフォローを入れる気も・・・・余裕も、芹澤にはなくて。 「・・・・ほんま、あんたには負けるわ。」 「!」 珍しく飛び出した神戸弁に目を丸くしているかなでを、芹澤は苦笑で見つめる。 「世間的に見れば、俺は部長や副部長のおまけですよ。」 多分、うなずきはしないんだろうな、と思いながら一応言ってみた言葉にかなではぶんぶんと首を横に振った。 「そんなことないよ!芹澤くんは部長達にも負けないぐらいに素敵だよ!!」 「贔屓目ですよ」 「ちが」 重ねて言うと反論しようとかなでが口を開きかける。 その唇を、人差し指一本で封じて、いたずらっぽく付け足した。 「贔屓目です・・・・彼女の。」 「そん・・な、ことない、もん。」 彼女、という単語にまだ慣れないのか、それとも芹澤の行動に驚いたのか、徐々に赤くなる頬を、それでもかなではぷくっとふくらませた。 今度は遠慮無くそのほっぺたを指先でつついて、芹澤は口角をあげた。 「あんたがうっとうしい思いをせんのやったら、それでええ。他の誰かに素敵や思われて意味ないことや。あんたがそう言ってくれれば十分やろ。」 「ううう〜〜・・・・」 「ほら、ふくれてんのも可愛ええけど、機嫌直し。」 「ひゃっ!」 笑ってふくらんでいたかなでの頬に軽いキスをすれば、面白いようにかなでが飛び上がる。 (まったく、本当にこの人は面白い。) だから ―― 誰にも渡したくない。 心の内側でそんな思いが固まっていくのを感じながら、ほんの少しだけ芹澤は意地の悪い笑みを口元に乗せた。 ―― 本当は、芹澤自身、東金や土岐からこぼれ落ちた注目を集めていることを知っている。 だ夏のコンクールでかなでと気持ちを確かめあって恋人になってからも、学校ではそれらしい言動は控えてきたのは、そんな微妙な注目がかなでに悪影響を及ぼさないか心配していたからだ。 (でも、そろそろいいか。) かなでが東金とも土岐とも付き合っていないとそれだけ否定したのなら、おそらく消去法でうすうす気ずかれはじめてはいるだろう。 だったら、そろそろ遠慮はやめだ。 「小日向さん」 「何?」 「それならそろそろ、部長や副部長と付き合ってるのかって聞かれないようにしましょうか?」 「え?」 「俺と付き合ってるって、わかるようにすればもう聞かれないでしょう?」 「いいの!?」 芹澤の言葉に、かなでの目がまん丸く見開かれて、みるみるうちに笑顔が花開く。 見ているこちらまでくすぐったくなってしまいそうな喜びように、芹澤は苦笑した。 「そんなに喜ぶほどですか?」 「もちろん!本当は気が気じゃなかったの。芹澤くんを見てる女の子とかいると不安になって・・・・私の、彼氏、なんだよって言いたかったから。」 照れくさそうにそう言うかなでに、それはこちらのセリフですという言葉をなんとか飲み込んだ。 (この人もたいがい無自覚やからなあ。) 夏のコンクールからこちら、裏から手を回した事を諸々思い出してこっそりと芹澤はため息をついた。 でも、これからは遠慮無く。 「さて、と。」 いつの間にか、手元のティーカップが空になっているのを確認して芹澤は立ち上がる。 「あ、片付ける?」 「そうですね、そろそろ下校時間ですし。」 時計を見れば、もう他の部活も終わる時間だ。 「書類は目処がつきましたし、カップをかたづけて帰りましょう。」 「うん。」 いつものように頷くかなではきっと気がついていないだろう。 これからカップを片付けて支度を調えて帰る頃には、通学路は部活帰りの生徒で一杯だ。 だから、何気ない様子を装って芹澤はかなでを振り返って言った。 「手始めに、今日は手を繋いで帰りましょうか。」 「!うん!」 純粋に嬉しそうに頷くかなでを見ながら、芹澤はこれから大変なのは自分の方だな、と小さくため息をつく。 かなでと付き合っていると噂が流れれば、少なからずかなでに注目していた男子のやっかみは免れないだろうし、面白い物好きな副部長や部長にもからかわれるだろう。 (まあ、でも) 「――・・・・ 離す気はないからな。」 ぽつっと呟いた言葉は、自分でも少しおかしくなるぐらい満足げだった。 〜 Fin 〜 |