冬の帰り道
「ひゃあっ!」 星奏学院の校門を出たところで、急にひゅうっと吹いた風に、小日向かなでは思わず首をすくめた。 「先輩?どうかしましたか?」 思わず飛び出してしまった声に驚いたのか、半歩ほど前にいた水嶋悠人が驚いたように振り返る。 しっかり者の彼らしい生真面目な反応に、かなでは苦笑して首を横に振った。 「大丈夫。急に冷たい風が吹いたから驚いただけだよ。」 かなでの言葉に悠人は「ああ」と納得したように頷いた。 「もうすっかり寒くなりましたからね。」 そう言って悠人が見上げた道路の街路樹には、もう紅葉の名残の葉だけしか残っていない。 「まあ、クリスマスコンサートの準備をしているんですから、寒くなるのも当然ですが。」 「そうだよね。」 頷いて同じ街路樹を見上げるかなでの横顔をちらっと見て、悠人は少し申し訳なさそうに言った。 「・・・・すみません。先輩だけでも先に帰ってもらうべきだったかもしれません。」 思わず悠人がそんな風に言ったのにはわけがある。 実は今日は部活の練習がない日だったから、本来なら冷え込んでくる前に下校することもできたのだ。 けれど、一月ほど後に迫ったクリスマスコンサートの準備の確認をしておこうと悠人が部室に寄ったところ、たまたま音楽科の先生に捕まって今の今まで楽譜の整理を手伝わされてしまったというわけである。 (多分、ハルくんの事だから、私が自分の用事に巻き込まれたって思ってるんだろうな。) もちろん、先生に楽譜整理を頼まれた時に一度は悠人は「先に帰っていてもかまいません」と言ってくれている。 だから一緒に残ったのはかなでの意志なのだが、それでも気にするあたりがいかにも悠人らしい。 「大丈夫だよ。遅いって言ってもまだ、まだ夕食の時間まで余裕あるし。それに」 あっけらかんと笑って見せてから、かなではそこで一度続きを言うか躊躇った。 ほんのちょっと恥ずかしい気持ちがあったのだが、「先輩?」と不思議そうに見られれば、言葉は自然に滑り出していて。 「なんだかんだ、ハルくんと二人で楽譜整理できて嬉しかったもん。」 「!」 驚いたように目を丸くする悠人に、かなでははにかんだ。 (音楽室、誰もいなくて二人っきりだったし。) 他の誰かとだったら、さすがに大量の楽譜の整理は億劫だと思ったかも知れないけれど、他ならぬ悠人と一緒だったのだ。 夏の全国コンクールをともに過ごす中で想いを通わせた、恋人である悠人と。 (普段学院で会える時って部活とか、お昼とかだけだし。) 部活で顔は毎日のように合わせているし、それこそ登下校はともにしているのだから合わない日は無いと言ってもいいぐらいだ。 けれど、もともと面倒見も良くて人に頼られやすいハルと、全国コンクールからこちら一躍時の人になったかなでの周りには誰かしらいることが多くて、なかなか二人きりの時間というのは貴重だったりする。 「だから返って得しちゃったかも。」 「そ、うですか・・・・。」 かなでの飾り気のない言葉に、悠人が微妙に目をそらす。 その頬がうっすらと赤くなっているのを見て、かなではくすぐったい気持ちで頬をゆるませた。 と、そんな温まった気持ちに水を差すように、またひゅうっと冷たい風が吹いて。 「・・くしゅんっ!」 こらえきれずに飛び出したくしゃみに、悠人がぱっと振り返る。 そして。 「・・・・先輩。ずっと気になっていたんですが、なんでマフラーしていないんですか?」 訝しげに悠人に聞かれてかなでは誤魔化すように空笑いをする。 常日頃、ドジやうっかりで悠人に心配をかけている身としては、あまり言いたくは無かったのだが。 「かなで先輩?」 「・・・・ごめんなさい。忘れました。」 有無を言わせぬ悠人の威圧感にあえなくかなでは白旗を上げた。 そんなかなでに悠人はやっぱりというようにため息をつく。 「昨日は巻いていたはずなのに、おかしいなとは思っていたんですが、朝、またばたばたしていたんですか?」 「えーっと・・・・そのー・・・・はい。」 こういう時の自分は生活態度を注意されている小学生みたいだなあ、なんて思いながらうなだれていると、悠人のため息がもう一つ聞こえる。 (呆れられちゃった?) 嫌な想像に心臓が僅かに軋んだが、その直後、ふわりと首に感じた暖かさにかなでは驚いて顔を上げた。 と、そこにはさっっきよりずっと近い位置に悠人がいて、酷く生真面目な顔でかなでの首に。 「これ・・・・ハルくんのマフラー。」 かなでのむき出しだった首をすっぽりとくるんだのは、深緑の学校指定のマフラー。 ついさっきまで悠人の首に巻かれていたそれには、彼の体温がまだ残っていて、かなでの心臓がとくんと弾む。 「僕はそれほど必要じゃないので、巻いていてください。」 いつもよりぶっきらぼうにそう言われたけれど、それが照れ隠しだということはとっくにわかっているから。 「ありがとう、ハルくん。」 嬉しくて素直にその気持ちを乗せて礼を言えば、悠人はやっぱりかなり照れくさそうに微笑んだ。 「でも大丈夫?ハルくんが寒くない?」 「いえ・・・・今はちょっと暑いぐらいなので。」 「?」 暑い要素はどこにも見付けられずにかなでは首をかしげたが、それ以上は悠人が聞いて欲しくなさそうだったので、大人しくかなでは口をつぐんでおいた。 そのまま静かに沈黙が落ちる。 山手に近い星奏学院の通学路は、もう街灯が必要な時間のせいか人通りもまばらで静かだ。 相変わらず時折寒い風が吹くけれど、さっきとは違って首を守ってくれる悠人のマフラーがあるから、ちっとも寒くない。 楽器ケースを持っていない方の手でそっとマフラーに触れると思わずにやけそうになって、かなでは慌てて表情を引き締めるとそっと悠人に目を移した。 そして目に映る姿に、かなではわずかな違和感を覚え、それからそんな自分に苦笑した。 「?」 そんなかなでの変化に気がついたのか、前を見ていた悠人がこちらを見たので、かなではますます苦笑を深めて言った。 「たいした事じゃないんだけど、冬服だなーって思ったの。」 「は?」 かなでの言葉に悠人がきょとんとしたのも無理はないだろう。 なんせ衣替えはとっくに済んでいて、冬服に替わって大分たつ。 それはそうなのだけれど。 「初めて会った時からずっと夏服だったせいか、私の中でハルくんって夏服のイメージが強くて。なんだか冬服がまだ新鮮なの。」 かなでと同じくこの前の衣替えで初めて星奏学院の冬服に袖を通した響也などは「こんな気取ったタイなんかできるか!」と早々に夏服にジャケットを羽織っただけのようなスタイルに切り替えてしまったからあまり違和感はないのだが、真面目な悠人はきっちりと指定通りの制服を着用している。 半袖のシャツにベストスタイルから、白いジャケットと赤のアスコットタイ。 「星奏の男子制服って凝ってるよねえ。」 県立のたいして面白味もない制服を見慣れていたかなでにとっては、制服そのものだけとってみてもかなり新鮮だ。 (それに・・・・) 「あまりじっと見ないでください。」 不意に困ったようにそう言われて、かなでは目をぱちくりさせる。 「え?じっと見てた?」 「・・・・はい。」 「ごめん。」 居心地悪そうな様子に思わずかなでが謝ると、悠人は苦笑して言った。 「まあ・・・・慣れないのは僕自身も同じですが。」 「え?」 「中学まではいわゆる普通の制服でしたし、この制服は入学後から2ヶ月ほどしか着てませんから。」 悠人の言葉にああ、とかなでも頷く。 3年の律とは違い、悠人は1年だから入学式から最初の衣替えまでの間しか冬服は着用していないのだ。 でも、とかなでは衣替え以来ずっと思っていた事を口に出す。 「でも、かっこいいよ。」 「え?」 意外な事でも言われたように悠人は足を止めてかなでを見返した。 けれど、かなでは自分の言葉に満足しながらうんうんと頷いて立ち止まったのを良いことに、しっかりと悠人を眺める。 白いジャケットも僅かに覗くベストも赤いアスコットタイも、姿勢が良くて凛とした雰囲気のある悠人がきっちり着ていると、かちっとはまって見える。 制服を上手く着崩して個性を出している生徒もいるが、きっちりと着ている事が返って悠人の清廉とした雰囲気を際だたせているように感じて。 「夏服に比べると大分フォーマルっぽいけど、ハルくんに似合っててかっこいい。」 重ねるように言った言葉に若干誇らしげな響きが混じったのは、多分、この人が自分の彼氏なんだという嬉しさが心を浮き立たせた結果だと思う。 そうして満足げに頷くかなでを、悠人はしばし見つめて・・・・。 「・・・・・・・〜〜〜〜〜っ!」 たっぷり数十秒の間の後、みるみるうちに赤くなった悠人は顔を覆って呻いた。 「先輩は・・・・」 「え?え?だめ?何かだめだった?」 思わぬ反応にかなでがおろおろとしていると覆った手の下から空色の瞳で見据えられてしまった。 その視線があまりにも真っ直ぐで、かなでの鼓動がどきどきと早鐘を打ち出す。 さっきじっくりと冬服姿の恋人の素敵さ加減を確認してしまった後だけに、それは余計に早まるばかりで。 「え、えっと、ハルくん?」 せめて何か言って欲しくて投げかけた言葉に、返ってきたのは小さなため息とどこか開き直ったような表情。 そうして。 「・・・・先輩が悪いんですからね。」 「え?」 ぽつりと呟かれた言葉に首をかしげていると、あっという間に楽器を持っていない方の手を絡め取られた。 ぎゅっと繋がれた手のぬくもりに、また速くなる鼓動に戸惑っているかなでなどおかまいなしに、悠人は歩き出す。 たった今まで向かっていた菩提樹荘への帰路ではない方向へ。 「??ハルくん?」 引っ張られるように方向を変えながら、声を掛けると、前を向いたままの悠人が答える。 「・・・・寒いし遅くなるので送って帰ろうかと思っていましたが、すみません、気が変わりました。」 「え?」 その言葉に思わず聞き返したかなでを、再び足を止めた悠人が肩越しに振り返って言った言葉は ―― 「あなたが・・・・あまり可愛い事を言うから、まだこうしてあなたの温度を感じながら一緒に歩いていたくなりました!」 「!」 夕暮れの時間も終わり、空に残った僅かな光と街灯の明かりの下で見る悠人の顔は赤く染まっていて。 ―― でも、とびきり素敵で。 「わ、私も・・・・マフラーなしでも良いぐらい暖かくなったから、もう少し一緒にいたい!」 そう言い返してぎゅっと握った悠人の手は、少しぐらい冷たい風が吹いてももう大丈夫だと思えるぐらい、暖かかった。 〜 Fin 〜 |