fuocoso ― キスと年下の恋人 ―
いつものように、いつもの公園で、いつもの練習・・・のはずだったのに。 (な、なんでこんな事になっちゃってるの!?) 香穂子の上げた悲鳴は幸か不幸か声にはならなかった。 それもそのはず。 今まさに香穂子の口は完全に口封じされているからだ。 目の前にいる衛藤桐也の、唇で。 (こ、こ、ここ、公園だよ!?) ついでに言うなら、香穂子と桐也のいる場所は一応木立の影に隠れているとはいえ、公園のベンチがおいてある小道のすぐ脇だ。 荷物や楽器が置いてあるのが物陰越しに確認できるのはいいとしても、逆に言えばうっかりすれば小道を散歩してきた人に見えてしまうような位置なわけで。 「〜〜〜〜!」 慌ててジタバタしてみるものの、桐也は二つも年下とは思えないぐらいガッチリと香穂子の肩を捕まえていて逃げるに逃げられない。 (こんなことになる理由がわからないんだけど・・・・) もしこの展開が何か、そう、恋人同士に相応しいシチュエーションの元訪れたものだったなら香穂子だってこんなに混乱したりしなかっただろう。 けれどそんな覚えが香穂子には皆無なのだ。 何分、この公園でいつものように練習をし始めたのはたった数十分前の事だ。 その間たいした会話もしていた覚えはない。 した話と言えば先日桐也が星奏学院に入学し、その後の生活の話なんかをちらっと話したぐらい。 で、いつもと変わらずまずは桐也が香穂子の技術面にアドバイスをくれると言うのでヴァイオリンを弾き始めて・・・・それから数分でこの状況だ。 「〜〜〜、き、桐也君っ!」 ただ合わせていただけの唇が息を継ぐように離れたタイミングを見計らって香穂子は今がチャンスと叫んだ。 「何」 「何、じゃなくて!いきなり何するの!?」 「見てわかんない?」 「わ、わかんないって・・・・」 突然驚かされて、強引にキスされたのは香穂子の方だというのにやけに堂々とした桐也の態度に香穂子の方が俄にひるんでしまう。 けれど同時に何か違和感を覚えた。 確かに桐也は基本的に俺様体質なところがあるので、強引な態度にでて香穂子を驚かせる事も少なくはない。 (でも、なんか・・・・違う?) キスだって「したかったから」とかいう理由でいきなりしてくる桐也だけれど、ちゃんと香穂子は知っている。 そんな時でも桐也は香穂子が嫌がるような事はしない事を。 だからこそなんだかこのキスは変な気がして、香穂子は戸惑ったように桐也を見つめた。 その視線に晒されてふっと桐也の表情が揺れる。 微かに眉間に皺が寄って、悔しそうに。 「きり・・・・・んっ!」 その表情が気になって声を出しかかった香穂子の唇を再び桐也のそれが塞ぐ。 今度はさっきのように合わせるだけの軽いものではなくて、噛みつくように。 「・・ぅ・・ん・・・・・・んんっ・・・」 小さく鼻にかかるような甘い声だけが漏れて、滑り込んできた舌の愛撫に思考が溶かされていく。 元々そんなに経験などない香穂子を、抵抗しても無駄だと言わんばかりに桐也は翻弄していく。 引き寄せられた腰と後頭部を押さえる桐也の手の感触だけが何故かやけにはっきりと感じられて。 「・・・っは・・!」 思うさまキスをしてやっと離れたところで香穂子は大きく息を吐いた。 が、次の瞬間、キスの余韻で霞がかかったような頭が冷水浴びせられたようにはっきりした。 というのも、キスの名残を拭う間も惜しいとでも言うかのように桐也が頬を傾けてきたから。 「ちょっと待ってっ!!」 最初は不意打ち、二度目は強引に、でもさすがに三度目まで流されるわけにはいかない、と香穂子は実力行使にでた。 すなわち・・・・片手で桐也の唇をブロックしたのだ。 唇到達まであと二十センチほどでブロックされた桐也はあからさまに顔をしかめる。 この段になって香穂子は悟った。 さっき香穂子がキスに感じた違和感、それは。 「・・・・何、怒ってるの?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 気まずげに流れた無言の間。 それはまさにイコール肯定の沈黙だった。 となると香穂子だって黙っていられない。 キスをするのが嫌というわけではないけれど、苛立ち紛れだとするなら話は別だ。 「桐也君?私何か怒らせるような事した?」 これで頷かれたらここまでの行動の中で思いつくことがないな、と内心びくびくしながら聞いてみたが答えは無言。 ただ何とも釈然としない不満そうな顔は肯定とも否定ともとれない。 「えーっと・・・・待ち合わせは遅刻してないよね?バイオリンもちゃんと持ってきたし、譜面もさらってきたし・・・・格好が気に入らなかったとか?」 どれも可能性は低そうだけれどとりあえず片っ端から言ってみる香穂子を桐也はしばし見つめて。 唐突にふいっと顔をそらすと言った。 「・・・・あんたは愛想良すぎ。」 「へ?」 これには世にも間抜けな声が出た。 が、桐也の方はそこには突っ込む気にならなかったのか相変わらずそっぽを向いている。 「愛想?」 「・・・・あのピアノの奴とコンサート行ったんだろ。」 「え?土浦君?」 そう言えば練習を始める前にそんな話をしてた気がする、と朧気ながら香穂子は思い出した。 結局普通科に残った香穂子の事を土浦は色々気にかけてくれていてこないだもコンサートに連れて行ってくれた・・・・と、話した気もする。 とはいえ。 「あれは冬海ちゃんとか他の子もいたよ?」 「・・・・チェロの奴とよく合奏してるよな。」 「ああ、志水君はどうしてか練習してるとよく会うんだよね。合奏好きだからなかな。」 「葵さんとしょちゅうエントランスでしゃべってる。」 「今年も同じクラスだったからね。」 「暁彦さんには呼び出されてるし。」 「・・・・未だにあの人と話してると怒られてるのか褒められてるのかわかんないんだよね。」 「他の音楽科の奴ともあっちこっちで声かけられたりしてる。」 「コンサートとコンクールで知り合い増えちゃったから。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 沈黙とともに、なんとも重い空気が落ちる。 ・・・・が。 香穂子は緩みそうになる口元を一生懸命堪えていた。 ここまで来てわからないほどさすがの香穂子も鈍感ではない。 おまけにそっぽを向いた桐也の顔が、さっきまでの不機嫌そうなものから何ともバツが悪そうなものに変わっていれば、まさにそれは答えそのもので。 「・・・・ね、」 「・・・・なんだよ。」 「それって、やきもちってことでいいのかな?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 沈黙はイコール肯定。 堪えきれずに香穂子はクスクスと笑い出した。 途端にじろっと睨まれたけれど、残念ながらうっすらと赤くなった顔では効果は半減どころか全減だ。 (どうしよう、可愛いなんて言ったら絶対怒るよね。) でも可愛い。 ものすごく可愛い。 いつも年よりもかなり大人びている桐也が今はちゃんと年下に見えて。 わき上がった衝動のままに、香穂子は桐也に抱きついた。 「わっ!」 「ふふん、お返し〜。」 「・・・・くっそ、ほんとにあんたは・・・・・・あー、もう」 半ばやけになったような桐也の呟きも香穂子を嬉しくドキドキさせるばかりだ。 と、思っていたらぐいっと体をはがされた。 「?」 つられて顔を上げれば、キスが出来そうなほど近くに桐也の焦げ茶色の瞳があって。 一瞬さっきのキスを思い出したけれど、触れたのは唇ではなくて額だった。 こつん、と額が触れる距離だから、焦げ茶色の瞳がもの凄く照れくさそうに揺れるのが間近に見えて。 「俺以外の奴に良い顔する必要なんてないじゃん。・・・・あんたが好きなのは俺だろ?」 ―― 口だけは相変わらず強気な可愛い年下の恋人の唇目指して、香穂子は肯定代わりに背伸びをしたのだった。 〜 Fin 〜 |