Duo



「ごめん!」

横須賀のとあるファーストフード店の一角で、ぱしんっと拝むように手を合わせた香穂子に、衛藤桐也は胡乱な目を向けた。

「何?練習不足に対する反省ってわけ?まさか俺としてもあそこで落ちられるとは思わなかったけど。」

「うっ。」

香穂子が苦しそうに呻いたのはさっきの失敗を思い出したせいだろう。

―― 今日、ここへ来る前、桐也と香穂子はストリートでヴァイオリンを弾いていた。

もともと桐也はよくストリートで弾いていたのだが、昨年のクリスマスの後、めでたく恋人になった香穂子も最近では一緒に弾く事が多くなっていた。

特にこの春、桐也が星奏に入学して以降は、休みや余暇時間も合うことが多くなったので、デートがてら街でストリートライブのような事をするのも定番といえば定番だ。

というわけで、本日も二人で最近さらっていたヴァイオリンの二重奏曲を弾いていたのだが・・・・珍しく、第一ヴァイオリンのソロから第二ヴァイオリンが入るところで、香穂子が落ちたのだ。

オーケストラ曲ならまだしも、二重奏曲で相手が落ちてしまってはどうしようもない。

大慌ての香穂子に、桐也がストップをかけて、お客さんの苦笑と共に数小節前からやりなおし、という事件があった。

故に、香穂子が謝っているのはそのことだろうとあっさり推測はついたわけだが。

「やけに、気にしてるんだな。」

「え?」

「さっきの失敗。」

飲みかけのジュースのストローをくわえながら、桐也はそう言った。

確かに桐也はやるからにはトップをと言ってはばからないぐらいには演奏には厳しい自覚はある。

けれど、さっきの場合はストリートだったし、どのみち本番に向けての練習の一環のようなものだった。

二重奏で落ちるというのはかなりの大失態であることは確かだけれど、それほど桐也は気にしていなかった。

それなのに、何故か演奏を終えて片付けをしている時から、香穂子はことあるごとに謝りっぱなしなのだ。

(いつもはやけに前向きなくせに。)

どちらかというと完璧主義な桐也に対し、香穂子はおおらかな方でちょっとの失敗でいつまでも考え込んだりするタイプではないはずだ。

という疑問をこめての問いかけに、何故か香穂子は口元を引きつらせた。

「う・・・・それは、その・・・・」

「何かあんの?」

口ごもるほど特別な失敗だったのか、と目線で問うと香穂子はものすごく言いにくそうに目を彷徨わせる。

(もう一息。かな。)

気になるし、この調子で言わせてやろうと桐也がさらに言葉を重ねようとした時、ぼそっと香穂子が言った。

「・・・・たから。」

「え?」

「だからっ!」










「桐也くんに見惚れてたから落ちたのっっ!!」











「・・・・は?」

半ばやけくそというように香穂子が叫んだ言葉に、さすがに桐也も絶句した。

その沈黙が激しくいたたまれなかったのだろう。

こうなればいっそ言ってしまえ、というように香穂子は重ねて言った。

「大分あの曲に慣れてきてたってせいもあるんだけど、桐也くんのソロのところで何となく桐也くんを見てて、そしたら、その・・・・かっこいいなあって。」

「・・・・・」

「桐也くんのボーイングっていつも迷いがないし、音も伸びやかで凛としてるし、あのソロと合ってると思うんだよね。それでいつもあのソロのところ聴くの楽しみにしてたんだけど、今日は弾いてる姿も合わせてすごく、かっこよかった。」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「すごいな、かっこいいなあって見てるうちに・・・・その、入るの忘れてました。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「そんな不純な動機での失敗だから、本当にごめんね!」

そこまで言って、言い切った!というように香穂子はぺこんっと頭を下げる。

その紅茶色の頭のてっぺんに目をやって・・・・桐也は、前髪をくしゃっとつかむようにして頭を抱えた。

香穂子の失敗の原因は ―― 自分に見惚れていたから。

そんなことを好きな子に言われて、平静でいられる男がいるなら教えてもらいたい。

ちなみに、桐也は全く持って、無理だった。

やたらと熱くなった顔を覆うように口元に手をやって、ゆるみそうなそれを一緒に隠す。

そして早くなった鼓動を納めるように溜息をついたら、香穂子が「桐也くん?」と不安そうに顔をあげるから。

少しだけ身を乗り出して、狭いファーストフード店の机を飛び越えて触れるだけのキスをした。

「っっっっ!?」

途端に、ぎょっとしたように口を押さえてとびすさる香穂子の顔が一気に赤くなっていく。

「な、な、何!?」

ここお店!!と声にならない悲鳴を上げる香穂子に、してやったりとぺろりと舌を出して、桐也は言った。

「本番。」

「へ?」

「あの曲をやる本番にそんな理由で落ちたりしたら」

そう言って何を言い出すのかと、目を丸くしている香穂子の唇に意味ありげに触れて、桐也は言ったのだった。

「この、数倍はお返しするから、覚悟して挑めよな?」

「っっっ!?」










                                        〜 Fin 〜
















― あとがき ―
オケ内なので片思いなどしている際によく起きる現象「好きな人に見とれて落ちる」(笑)
楽器弾いてる男性はに割り増しカッコイイのだ!