delicamente
(日野の態度がおかしい・・・・) 月森蓮がそう気がついたのは第3セレクションが終わって直ぐの事だった。 音楽への取り組み方は別に変わった様子もない。 むしろ第3セレクションでそこそこの成績を収めて以来熱が入ったと言っても良いぐらいだ。 最近は一緒に練習する事も多くなったので、そういう所は変わらないと断言できる。 他の人間への接し方も変わっていない。 ただ、そう。 (・・・・俺の前だけ挙動不審な気がする。) 月森の前だけ、最近の香穂子は妙だった。 顔を見れば何かを言いたそうに二、三言発して結局「なんでもない」と首をふったり、一緒に練習する時も集中力がとぎれがちに見えた。 そしていつも鞄の中かケースの中を探ってはため息をついている。 (何か隠しているようにも見えるんだが。) 無意識にむっと月森の眉間に皺が寄った。 と、その時。 「相変わらず不機嫌そうな顔ねえ。」 頭の上から降ってきた声に、月森ははっとした。 その声を聞いてはじめて自分がエントランスを歩いていたことを思い出したのだ。 ため息をついて月森は頭の上、つまりエントランスのバルコニーを見上げる。 「天羽さん。」 「や。」 覗き込む形で月森を見下ろしていた天羽奈美はこの学院では珍しく気さくに月森に挨拶をした。 いつも天羽には報道部の取材やなにやらで追い回されている月森としてはあまりこの出会いを歓迎する気になれず、一瞬挨拶だけして立ち去ろうかと思ったが、上から降ってきた第二弾の言葉に思わず足を止めた。 「その不機嫌顔の原因は、Vnの彼女のせいだね?」 「!?」 「お、あたった。」 「・・・・天羽さん。」 クイズ感覚の反応に月森がつめたい視線を向けると天羽は引きつった笑みを浮かべた。 「や、やだな〜。遊んでないってば。ただ最近ちょっと香穂の様子がおかしかったから言ってみただけだって。」 「!やっぱりおかしいと思うんだな?」 思わず食い付いてしまった月森に天羽は一瞬驚いた顔をしたものの、すぐに頷いた。 「そうね。私達の前では変じゃないけど、月森君と居る時はね。」 「やっぱり・・・・」 そう呟いて月森は眉間に皺を寄せて考え込む。 香穂子のバイオリンの秘密を知った時や、コンクール当初は結構きついことを彼女に言った自覚はある。 けれど、最近はそんな事を言った覚えはなかった。 もちろん、それは香穂子自身が成長したというのもあるし月森の気持ちの変化もある。 しかし考え込んだ月森に天羽は笑いながら言った。 「あのね〜、そんなたいそうなことじゃないと思うよ。」 「?」 「香穂、月森君になにか言われたんならもっと別の反応だと思うから。多分、しょーもない事で考えてるだけよ。気になるなら直接聞いてみれば?」 「それができれば悩んでいない。」 「だーいじょぶだって。大したことじゃないから。案ずるより生むが易し。どーんと行ってきなよ!」 「・・・・相変わらずポジティブ思考だな。」 「まかせなさい!」 「・・・・褒めてはいないが。」 「うるさい。そんなこと言うと香穂の居場所、教えてあげないよ?」 「!」 「さっき屋上に行くって走っていた。」 「ありがとう、天羽さん。」 くるりと踵を返して屋上に向かって歩き出した月森の背中を半ば呆気にとられたように見送って、天羽はくすっと笑った。 「そっか、クールビューティーも好きな女の子の些細な変化に戸惑うわけだ。」 月森本人が聞いたら絶対零度の視線で睨まれそうなその呟きは、幸いな事にエントランスのざわめきに紛れて月森の耳には届かなかった。 何処かたどたどしく、それでも軽やかで楽しそうな音。 屋上に近づくにつれ耳に届くようになった音に月森は知らず知らずのうちに口の端に笑みを浮かべた。 技術は未熟、けれど百面相のようにクルクルと変わる音は奏でている彼女自身のように目が離せなくて魅力的だ。 その音が途切れるのと、月森が屋上のドアを開けるのはほぼ同時だった。 「日野」 「!?」 あまりにタイミングが良かったせいだろうか。 大げさなぐらい驚いて振り返った香穂子に、月森の方が驚いてしまった。 「すまない、邪魔をしたか?」 「え!?ううん!そんなんじゃなくって、今丁度考えてた・・・じゃなくって、えっと!」 「落ち着け。」 ワタワタと慌てる香穂子に弱冠呆れつつ、月森は香穂子をベンチに座らせると、自分も隣に座る。 「えーっと、ど、どうしたの?」 「どうした、は俺のセリフだと思うんだが。」 「えっ」 びくっと動いた香穂子を見て月森は確信する。 (何か俺に隠しているのか?) 面白くないという気持ちが先に立って余計に仏頂面に磨きがかかってしまう。 さっきまでどうやって聞いたらいいかと考えていた気持ちが急速に理不尽な苛立ちに変換されて、気がつけば月森の口から言葉が飛び出していた。 「何か俺に言いたい事でもあるのか?」 「!え・・・・っと・・・・・大したことじゃないから・・・・」 いつも物怖じしない香穂子にしては珍しく歯切れが悪い言葉に余計にイライラする。 「大したことでないなら言えばいい。」 「だからそれは・・・・って、なんで月森君怒ってるの?」 「君が俺だけに隠し事をするのが悪い!」 思わずきつい口調で言い切ってしまって ―― 「え?」 「あ」 瞬間、月森は弾かれたように香穂子から目線をそらした。 (今、俺は何を・・・・!) 『君が俺だけに隠し事をするのが悪い!』 (まるで嫉妬してるみたいじゃないか。) みたい、どころか嫉妬そのものだ、とは幸か不幸か突っ込む人間はいなかったが、自覚しただけでも月森は急に早くなった鼓動を持て余した。 そっぽを向いた自分の顔が耳まで熱い。 香穂子に気づかれないといい、と密かに願っていると、隣で少し動く気配がして。 「・・・・あのね、月森君。」 「なんだ?」 「これ、あげる。」 ぽんっと投げ込まれるようにして自分の手の中に落とされた小さな袋に、月森は首を捻った。 持ち上げてみればそれは楽器屋街にあるお店の袋で。 「開けても良いか?」 「どうぞ。」 何故か神妙に頷かれて、月森は不思議に思いながらも包みを開ける。 そして中から出てきたのは、小さなヴァイオリンのキーホルダーだった。 楽器屋で売っていたものだけあってキャラクター化されたバイオリンでなく、ちゃんとしたバイオリンの形が可愛らしい。 「これを、俺に?」 「うん・・・・でも、それ実はね。」 そう言って香穂子はバツが悪そうな顔で自分のバイオリンケースを持ち上げた。 そして指し示した先に揺れているのは。 「同じキーホルダーか?」 「そう、おそろいなの。」 まるで罪でも告白するかのように俯いて香穂子は、ため息と共に言った。 「ちょっと前にね、冬海ちゃんと楽器屋さんに行った時に見つけて、可愛かったから買ったんだ。自分の分だけでもよかったんだけど、月森君にはお世話になってるし、このぐらいならいいかなと思って月森君の分も買って。 でも、その後報道部のコンクール参加者アンケート読んだから。」 「報道部のアンケート?」 何のことだかわからなくて首を捻った月森に、香穂子は申し訳なさそうに言う。 「そう。月森君、おそろいって嫌いなんでしょ?」 「!それは・・・・」 かなりどうでもいい質問をされて適当に個人の自由だとか答えた事を思い出した。 まさか、あの質問がこんなところでこんな形で返ってくるとは思わなかった。 (ということは、最近日野の様子がおかしかったのは・・・・) 「おそろいになってしまうから、このキーホルダーを渡せずにいて、それで挙動不審だったのか?」 「きょ!挙動不審はないでしょーー!結構真面目に悩んだんだからね!」 むうっと顔をしかめる香穂子を前に、呆れたように月森は額に手を当てる。 その手でこっそりと緩む頬を隠しながら。 「早とちりだな。」 「なっ!」 「きちんと記事を読まなかっただろう?俺は個人の自由だと言ったが、使いやすい物を使えばいいとも言ったはずだ。」 「?それが」 どうして早とちりになるの?と言いかけた香穂子を遮って月森はキーホルダーを手の中で転がす。 「君はキーホルダーに使いやすいも使いにくいもあると思うのか?」 「あ、そういえば・・・・」 ぽかんっとする香穂子に内心月森は苦笑した。 そしてぽつっと呟く。 「それに、これは俺にとっては『使いやすいモノ』になりそうだから。」 「え?」 「なんでもない。俺もバイオリンケースにつけさせてもらおう。ありがとう、日野。」 「?別にいいけど、それじゃ本当におそろいになっちゃうよ?」 「ああ、構わない。」 不思議そうに首を傾げる香穂子に、月森は珍しく笑ってみせる。 おそろいのバイオリンケースに揺れるキーホルダー。 仮に香穂子が何の他意もなく買ってくれたものだとしても、それは間違いなく多いに牽制になるに違いない。 コンクール参加者という名の恋敵達に。 「・・・・悪くないな。」 「何が?」 「いや。」 「?・・ま、いっか。あーすっきりした!ね、月森君、よかったら一緒に練習しない?」 「ああ。」 数日ぶりにみた晴れやかな香穂子の笑顔につられたように月森も頷いて笑った。 ―― 数日後、香穂子と月森のバイオリンケースに揺れる同じキーホルダーのおかげで いらぬ憶測と混乱を巻き起こすことになったりする・・・・ 〜 Fine 〜 |