crescendに恋をして





秋の夜風に乗ってどこからともなく聞こえてきたウィンナーワルツに衛藤桐也は足を止めた。

文化祭の後という独特の空気感の中に流れるワルツはなんともミスマッチなようでいて、どこか合っている気もするから不思議だ。

(後夜祭でウィンナーワルツ、ね。)

ついさっき仕入れたばかりの情報をリピートする。

ちなみに情報源はきっと今頃はこの音楽の流れている講堂にいるのだろう。

男子校の文化際の後などとは比べものにならないぐらい優雅な後夜祭だが、生徒達は楽しみにしているのか招待客も帰った後の校門前にはほとんど人の姿が見えなかった。

祭の後の寂しさが漂う校門の前で何とはなしに帰ろうとしていた足を止めて桐也は近くにあった学院のシンボルの像の足下に寄りかかる。

そして、自分の手に目を落とした。

幼い頃から楽器をやっているせいか他の男子よりも気持ち長めに感じられる指を持ったその手にことさら感想をもったことなどなかった。

強いて言えばヴァイオリンを弾くのに有利なぐらい大きくて助かった、と言う程度。

なのに、今は妙に大きく見える。

理由は簡単・・・・ついさっきまで、この手に一回り小さな手が乗っていたからだ。

「・・・・あいつ、意外と手小さいんだな。」

無意識にそう呟いて桐也は何とも言えない表情を浮かべた。

あいつ ―― こと、日野香穂子。

秋の初めにこの校舎で出会った未熟なヴァイオリン弾き。

最初に会った時は一生懸命に弾く姿は悪くないと思ったが、如何せん音が酷くて顔をしかめた覚えがある。

それなのに、気がつけば休日にヴァイオリンを教えるまで親しくなっているのは一体なんの偶然なのか。

いや、それはいい。

たまにはそんな縁もあるかもしれないと桐也は少し面白く思っていた。

よくきついと言われる自分の態度にもまったくめげずに、時にはくってかかってきたりしながら、でも次に会う時にはけろりと忘れてヴァイオリンについて色々聞いてくる香穂子を嫌いではなかったし。

会えば面白い奴だと思っていた。

・・・・ただそれだけだったはずなのに。

(・・・・なんで俺、ワルツを教えてくれなんて言ったんだろうな。)

ほんの数十分前、文化際の舞台でアンサンブルの演奏を終えた香穂子に会いに行った。

出会った時が嘘のような演奏に素直に褒めてやろうと思って行ったはずだった。

その目的自体はあっさり達成出来たのだけれど、その時香穂子に妙にせわしない様子で「後夜祭はワルツがあるから」と言われて。

―― 何かが、引っかかった。

それが何かと問われても多分答えられないけれど、ただなんとなくそのまま香穂子を行かせたくなくて。

気がつけばワルツを教えて欲しいと言っていた。

意外なセリフだったのだろう、くりっと驚いた香穂子の目は危うく吹き出しそうなほど面白かった。

でもそんな面白さも香穂子の手が自分の手を取った途端に消えて。

―― トクンッ

「っ!」

不意に跳ね上がった鼓動に桐也は息を呑んだ。

(別にあんな事、なんでもないだろ。)

ヴァイオリンを教えているのだから香穂子の手をとったのだってこれが初めてというわけじゃない。

ついでにいうと桐也は女の子の手に触れたぐらいで慌てるような初心さは持ち合わせていないはずだ。

なのに、トクン、トクンと意識してしまった鼓動は段々大きくなっていく。

ヴァイオリンを持っている時は全然思わなかったのに、自分の手の中に収まった途端、やけに小さく見えた手や、いつもより近づいた距離。

足下で触れあうジーンズとサテンの不協和音。

・・・・トクン、トクン。

いつもよりずっとずっと近い距離で初めて感じた香穂子の匂い。

トクンッ。

「っ!何考えてんだ、俺。」

一際大きく聞こえた鼓動を振り切るように首を振って桐也は勢いよく像から背を離した。

歩き出すと本格的な冬を前にした冷たい風が桐也の頬を掠めた。

その風を切るようにして歩きながら、ぎゅっと手を握る。

もうとっくに冷えたはずの掌が熱い気がするのは、気のせいだと言い聞かせて。





―― ちょうどその時、遠いウィンナーワルツが終幕に向かってクレッシェンドした。











                                           〜 Fin 〜






(後夜祭のワルツを聞きながらそろそろ自覚しそうな桐也でした)