コーダの花とフェルマータの君
真夏の青い空にヴァイオリンの音色が柔らかく溶けた。 滑らかで吹き抜けていく風のような音色は、ここのところこのあたりではよく聴く音だ。 その素直で明るい音色のファンも最近は増えているらしい。 けれど、その弾き手である小日向かなでの表情はなんとも冴えないものだった。 曲を弾き終わると、拍手と応援をもらってそこは嬉しそうにお礼を言うものの、少しするとふっとため息をついて考え込んでしまう。 ここのところ・・・・というか、正確には地方大会を終えて以来、練習をするたびかなではこんな調子だった。 原因はかなでの心に突き刺さった一言。 『お前の演奏には花がない』 絶対王者の風格を持った神南の部長が断じたセリフが蘇って、かなでは弾き始めようとしていた手を止めた。 「花・・・・」 (花かあ・・・・。) あの言葉を東金に言われて以来、演奏をするたびに考えているのだけれど、未だに掴めた気がしない。 しばし考えて、かなでは手に持っていたヴァイオリンをケースにしまった。 時計を見ればもうこの元町公園に来てから1時間以上たっていた。 「悩んでてもしかたないし、少し休憩にしよ!」 あんまり同じ場所で同じ曲ばっかり弾いていても周りの人に迷惑だから、かなでは時々演奏場所を変える。 それと一緒に休憩も取ろうと決めて、かなでは煮詰まった考えを振り切るように片付けを始めた。 でも音楽のこととなると周りが見えなくなるぐらい没頭してしまうかなでである。 振り切ったつもりが結局思考は元の場所へ戻ってしまって。 (花・・・・) 楽譜をケースに入れて譜面台をたたみながら、かなでは小さくため息をついた。 (花ってなんなんだろう。) 「だからといって、花屋の目の前にいては営業妨害です。」 「!?ハルくん?」 考えに没頭していたかなでは、不意に頭の上から降ってきた知り合いの声にぎょっとした。 見上げればチェロケースを背負った水嶋悠人がもの凄く呆れた様な顔で立っていた。 「なんでハルくんがここにいるの?」 「・・・・先輩、白昼堂々お店の前で寝ていたんですか?ここは元町通りで人通りもあるんですから、僕がいてもおかしくないでしょう。」 「あれ?」 悠人にそう言われて見回してみれば、確かにそこはさっきまで練習していた元町公園のすぐ近く、元町通りの花屋さんの前だった。 水分補給に菩提樹寮まで帰っている途中のつもりだったのに、これはビックリだ。 「あれ??」 「あれ、じゃありません。自分のいる場所ぐらい把握しておいて下さい。」 はあ、とため息をつかれてかなではバツが悪くなって小さく笑った。 これはちょっと反論しようにもできない。 「僕が見つけた時、先輩はしゃがみ込んで食い入るようにそこの花を見ていたんですよ?」 「あ、ははは。」 今もしゃがみ込んだ自分の状態を見れば、悠人の言っている事がけして誇張ではないとわかるだけにもうかなでは笑うしかなかった。 (楽器片付けながら考えてたら無意識にお花屋さんの前でしゃがみ込んじゃってたって事?・・・・うわあ、恥ずかしい・・・・) 思わず赤くなった頬をかなでは両手で押さえた。 と、すっと横で影が動いた。 「?」 なんだろう、とかなでが横に目をやるといつの間にか悠人がかなでに目線を合わせるようにしゃがみ込んでいて。 「ハルくん?」 「・・・・まあ、先輩が何を考えていたのかは大体わかりましたけど。」 ちらっとかなでを見た青い瞳に、気遣うような色を見て取ってかなでは苦笑した。 「ばれちゃった。」 「さっきから花を見ながら首を捻っていれば大体は想像がつきますからね。」 「そうだよね。」 頷いてかなでは、うーん、と体を伸ばした。 「どうしてもよくわからなくて。」 「花、ですか。」 「うん。花。」 東金が言ったそれが比喩表現であることぐらいはかなでだってわかっている。 しかし心のどこかに引っかかるのだ。 「・・・・昔はね、知ってた様な気がするの。」 「昔?」 怪訝そうに聞いてくる悠人にかなでは頷いた。 「昔・・・・ヴァイオリンを弾くたびにキラキラしててとっても綺麗な何かが見えた気がする。それが楽しくて嬉しくて何度も何度も弾いてた。」 言葉にするのが難しくて首をかしげながらかなではなんとか言った。 そう、いつからか見えなくなってしまった、感じなくなってしまった何か。 それがきっと東金の言う「花」なのではないか、と。 けれど、それは同時にかなでが星奏に来て得ようとしているものそのものだ。 そのせいなのか、奏でても奏でてもそう簡単には教えないというようにすり抜けていってしまう。 「地方大会の時の先輩の音色は違ったんですか?」 悠人にそう言われてかなでは大きく頷いた。 「そう、地方大会の時はいつも弾いてるのと違ったの。弾くのがすごく楽しくて、いつまでも弾いていたいぐらいで・・・・でもそれはハルくんやみんなの音があったからって気もする。」 勢い込んで言いかけたものの、最後は尻すぼみになってしまった。 確かに地方大会の時はこれまでのステージで感じたような怖さも空しさも感じなかった。 けれどそれはアンサンブルの持つ力のような気がする。 結局行き詰まってかなでははあ、とため息をついた。 解けない疑問と焦りをはき出しても目の前で色とりどりに揺れる花たちが、少々憎らしい気さえしてしまう。 眉間に似合わない皺を寄せてかなでが考え込んでいると、横から何故か小さな笑い声が聞こえて、かなでは驚いて悠人の報を見た。 「?」 「小日向先輩はぼんやりしているように見えて、意外とややっこしく考えるんですね。」 「え?」 少し悪戯っぽいような微笑みを浮かべてそう言われて、かなでは一瞬ぽかんっとした。 ややあって。 「・・・・もしかして、バカにしてない?」 「いえ?」 しれっとそっぽを向いてみせる悠人をかなではむ〜っと睨み付ける。 「もう!人がすごく悩んでるのに!」 「だから、先輩は悩みすぎなんです。」 「だって!もうすぐセミファイナルなんだよ?」 星奏の柱である律は弾けない、そのステージを背負わなくてはいけない・・・・そんな不安も「花」を探す焦りの中に混ざっている事にかなでは気が付いていた。 だからこそこんなに悩んでいるのに、という抗議を込めた言葉に悠人はさっきまでの表情を真剣なものにかえてかなでと向き合った。 「言ったでしょ?今、力が足りないなら一緒に努力するのがメンバーだって。僕はそれを理想論にするつもりはないんです。」 真っ直ぐな青い瞳に見つめられてかなでは思わず目をしばたいた。 「だから、悩んで行き詰まるぐらいなら相談して下さい。地方大会の時、その「何か」が見えた気がしたのなら、いくらだって一緒に弾きますから。そうすれば掴めるかも知れないでしょう?」 「ハルくん・・・・」 優しい言葉がカチカチに固まった心に染みこんでいくような気がした。 そう感じて、初めてかなでは今まで自分が酷く狭い箱の中に閉じこもるように、思考に縛り付けられていた事に気が付く。 (「花」を探さなくちゃって思ってた。) それがなくては自分の奏でたい音を取り戻すことができないから、神南に勝つ事もできない、と。 でもその「花」が、感覚的な事であるのを忘れていた。 頭で考えても言葉になどできない。 (心で、音色を感じなくちゃいけなかったんだ。) 心が柔らかくなくては、音色を聞くことなどできない。 誰かの言葉を聞いて、音色を聞いて、そうしていかなくてはきっと「答え」なんて得られないのだ。 「そっか・・・・ありがとう、ハルくん。」 自然と零れ落ちた言葉と笑顔に、何故か悠人は一瞬面食らったような顔をして、それから慌ててそっぽを向いた。 「いえ、アンサンブルメンバーとして当然のことです。」 その四角張った言い方がいかにも悠人らしい照れ隠しで、かなでは思わず吹き出した。 「ちょっ!なんで笑うんですか!」 「ごめっ。ちょっとね、ふふっ。」 「まったく・・・・」 憮然としたようにそう言って、けれど悠人はすぐに小さく微笑んだ。 「それと、これは言っておかなくてはと思うんですが」 「何?」 首をかしげるかなでに、悠人は目を細めて言った。 「花があるとかないとかはよくわかりませんが、僕は先輩の音が好きです。暖かくて優しい音が。」 ・・・・その言葉が、あんまりにも優しい響きをもっていたから。 目を見開いたまま固まってしまうかなでを他所に、悠人はいきなり立ち上がった。 そしてかなでの前にあった花瓶の中から、オレンジ色の花を一輪抜いて。 「どうし」 「ちょっと待っていて下さい。」 慌てて自分も立ち上がるかなでにそう言い残して、悠人は店の中に消えてしまった。 そして待つこと数分。 店の中から出てきた悠人は、綺麗にラッピングしたさっきの花を一輪持っていて。 かなでと目が合うなり、やたら勢いよくそれを差し出して言った。 「さっきのこと、忘れないようにしてください!それとこれは、その・・・・お、おまけです!先輩はしかめっ面で花を見てるよりきっと・・・・・・・・笑顔で見てるほうが似合ってますから。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・ありがと。」 勢いに呆気にとられるようにかなでが花を受け取ると、悠人はさっさと背を向けて歩き出してしまう。 その背中と手の中の花を、かなでは交互に見比べて・・・・。 「・・・・・〜〜〜〜〜ハルくんっ!」 「は、はい!?」 数歩距離の空いてしまった悠人に届くようにと叫んだ声は、予想外に道に響いてしまったけれど、かなでにはそれを気にする余裕はなかった。 ただ胸の中に溢れた気持ちを欠片でもいいから伝えたくて。 「ありがとう!大好き!!」 「なっっっっ!?」 ―― ぎょっとしたように真っ赤になる悠人の顔をからかうように、かなでの手の中の花が小さく揺れた。 〜 Fin 〜 |