cadenza
「ねえ、月森君に勝負を挑みに来たって本当?」 会話が途切れた時、香穂子がそう言ったのは寒さも厳しい2月も末、コンサートの練習の合間を縫って会う事ができた時だった。 「何、今頃聞いたの?」 「うーんと、聞いたのは結構前なんだけど聞いてる暇がなくて。」 ま、そうだろうな、と桐也は頷いてそろそろ冷めかけているコーヒーを一口飲んだ。 桐也が月森に挑みに行ったのは星奏学院の受験の日で、3週間前ぐらいになる。 「正門前で勝負しろーって叫んでたって?」 「なんか誤解を招く言い方だな、それ・・・・まあ、間違ってないけど。」 「道場破りみたいだったって友だちが言ってたよ。」 ココアのカップを温めるように両手で包み込みながら香穂子はクスクスと笑った。 「道場破りね。別にそんなに乱暴なつもりでもなかったんだけど。」 「でも校門で「逃げるのか!?」とか叫んだんでしょ?」 マンガとかで出てくる道場破りそのものだよねえ、と相変わらずおかしそうな香穂子をちらっと見て桐也はこっそりとため息をついた。 確かにムキになった覚えはある。 最初はただ月森と同じ曲を弾いた時、自分の音はどう聴こえるのか、どんな風に人に聴こえるを知りたかった。 それは香穂子と違って月森の音が自分と似ているせいもあるだろう。 目指す先も実際に聞こえる音も。 けれど、後で冷静になってみればあれほど粘った理由の一部には多分別の感情もあった。 (・・・・どうせそこまで深読みしないんだろうけど。) 安堵半分、落胆半分でそんな事を考えている桐也の様子に気がつかず香穂子は言った。 「その時の月森君を見たかった〜。・・・・いや、怖くて見たくないかも?絶対呆れまくってたでしょ?」 「呆れてたっていうの、あれ。あー、でも暁彦さんが怒った時に似てたな。」 「うわ、それは・・・・。確かに理事長と月森君は怒り方似てそうだよね。」 「別に怖くはないけどな。暁彦さんもそうだけど、ああいうタイプって冷たいようで意外と押しに弱かったりするからさ。」 「ああ、それはそうかも。」 何となく自分の経験と照らし合わせて香穂子は頷いた。 確かに冷たく見えて仲良くなってみると月森は結構面倒見がいい。 それに天羽や加地に押し切られてあんまり参加しないようなイベントに参加させられたりしているのを見ていると桐也の言う通りなのかもしれない。 (でも・・・・) と、香穂子は大分減ったココアを口元に引き寄せてカップ越しに桐也に視線を向けた。 「私だったら考えられないな。」 「何が?」 「月森君と同じ曲を弾いてどっちが上手いか、なんて。」 「そりゃまあ、あんたと俺じゃ考え方も実力も違うから。」 すぱっと言い切るあたりが桐也節だなあ、と香穂子は苦笑した。 出会った頃からこの歯に衣着せぬ物言いは変わらない。 でも、近頃では。 「それにあんたと俺達じゃ音の質が違うよ。俺や蓮さんの音はあんたみたいな愛しまれた音じゃない。もっと鋭利で強い音だ。」 なんて一言がついたりするようになったから。 クスッと笑ったことがばれないようにココアを一口飲んで香穂子は「ありがと」と答えた。 「あ〜、でもその対決私も聴きたかったな。」 気分を変えるように香穂子がそう言うと、桐也はあっさりと頷いた。 「絶対そう言うだろうなとは思った。」 「え?じゃあなんで呼んでくれなかったの?審判でわざわざ王崎先輩に来てもらわなくても私がやったのに。」 「それは無理だな。」 「ええ?なんで?私の耳ってそんなに駄目?」 「そう言う意味じゃないって。だってさ。」 ついつい恨みがましい目を向けてしまうと桐也は小さく肩をすくめた。 そして真正面から香穂子の瞳を射貫いて口角を上げる。 「香穂子、蓮さんの音が好きだろ?」 「え?うん。」 迷うことなく頷いた香穂子に気持ち複雑そうな顔をしつつも桐也は前の言葉の続きのように言った。 「で、俺の事、好きだろ?」 「うん・・・・・・・って、は!?」 前からの流れで同じ形式で問いかけられ、反射敵に頷いた香穂子は次の瞬間、ぎょっと目を見開いた。 「ちょっと待って!今の流れだと「俺の音」じゃないの!?」 「何言ってんの。香穂子が俺の音が好きな事ぐらい十分知ってるって。」 「そ、それは・・・・そうだけど。」 (な、なんか頷くのがやたら悔しいんですけど!?) 間違ってはいないはずなのに、こうも堂々と言い切られるとちょっと悔しい・・・・という複雑な感情に香穂子が苛まれていると気づいているのかいないのか、桐也はさらにたたみかけてくる。 「だよな、そうじゃなきゃ、わざわざ休みの日に俺の音聴きにきたりしないしな?」 「・・・・ぅぐ」 「ぷっ、なんだよその顔。」 「う、うるさーい!で、それとさっきの質問と何の関係があるの!?」 「ああ、俺の事が好きってやつ?」 「〜〜〜、月森君の音も好きだし桐也君の音も好きだからどっちも選べなくて審判にならなっていうならわかるけど。」 「それは、さ」 言葉を切って桐也が笑う。 その笑みたるや、実に自信に満ちた桐也らしいそれで。 「俺の音も好きで俺の事も好きなら、音が好きな蓮さんに前提で勝っちゃうじゃん。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 言葉を失うというのはこういう事か、と香穂子は身をもって知った。 しかも相手に呆れてならまだしも、呆れたのは自分にだ。 (・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんで嬉しいとかカッコイイとか思っちゃうかな、私。) 言い切られた瞬間、あまりの彼らしさに思わず見惚れ、ついでにドキドキしてしまっている自分に呆れる。 あからさまに赤くなったであろう顔を今更隠すようにテーブルに突っ伏すと、楽しげな桐也の笑い声が聞こえてますます悔しい。 「う〜〜〜・・・・」 思わず呻く香穂子の頭のてっぺんをテーブルの向いから手を伸ばして桐也がちょいちょいとつついて。 「な?図星だろ?」 ―― 勝ち誇ったようにそう言うこの生意気な彼氏になんと反撃すべきか、真剣に悩み始めた香穂子だった。 〜 Fin 〜 |