最近、ちょっと外で練習してたりすると音楽課の友達だけじゃなく、耳のいい普通課の奴まで必ず言うんだ。 『最近、音が変ったな。』 そうかな?って聞き返すと必ずみん1回は驚いた顔をして、それから深々溜息をついていう。 『無自覚かよ・・・』 だから、なにが?って言えば、なんでかみんな俺の肩を叩いて 『ま、とられないようにガンバレ』 だって。 一体、なんなんだよ・・・・? Subito 「うあ〜・・・・」 普通課のエントランスにある購買の前で火原和樹は思わず呻いた。 その顔は悲しそうとすら思えるほどのがっかりしたモノで、通りすがりの生徒が思わず慰めたくなってしまうほどだ。 元々ストレートに感情の出やすい性格の火原がそんな表情で見つめる先には購買のパン用のガラスケースに貼られた一枚の紙。 『本日、カツサンドは売り切れました』 「出遅れた〜!」 この購買のカツサンドは火原の大好物であると同時に、一般的にとても人気がある。 ということは人気商品というわけで、当然それを手に入れるにはそれなりの競争率を勝ち抜かなければいけない。 高校生の食欲をなめてはいけない。 昼休みに入ってほんの10分程の友達との立ち話がこの結果を招いたのである。 「おばちゃーん。カツサンド、もうないの?」 「あら、残念だったわねえ。」 最後の望みをかけて顔なじみのおばちゃんに聞いてみるがあっさり希望は断たれた。 「俺今日は絶対カツサンドって決めてたのに〜。」 ガラスケースに残ったパンで妥協する気になれずに、火原がどうしようか迷ったその時 「あれ?火原先輩?」 背中側からかかった声に火原はぴくっと反応して振り返った。 そこには思ったとおりの人物が立っていた。 ストレートの少し茶色い髪に、好奇心の強そうな瞳、おまけに黒い角形のヴァイオリンケースを背負った女の子 ―― コンクールに一緒に出ている日野香穂子が。 手に購買のビニール袋を持っているところを見るに、お昼の買い物に来たのだろう。 「日野ちゃん!」 「こんにちわ。どうかしたんですか?」 聞かれて、再びカツサンドの事を思い出した火原は思わず溜息をついた。 途端に香穂子がぎょっとしたように聞いていた。 「ほ、本当にどうしたんですか?火原先輩が溜息つくなんて。」 「日野ちゃんって俺を何だと思ってるわけ。俺だって憂鬱な時もあるんだよ。」 「憂鬱って何があったんですか?私で良ければ相談に乗りますよ?」 心底心配そうに覗き込まれて、何故だか急に落ち着かなくなって火原は視線を逸らしてしまった。 ・・・・心配してくれる香穂子をカワイイと思ったのだけれど。 しかしその態度に香穂子の方はますます驚いてちょっと離れて立っていた場所から近寄ってきた。 「何か具合が悪いとか、音楽の事とかですか?あ・・・・聞いちゃいけない事なら別に無理に聞きませんけど・・・・」 急に小さくなった香穂子の声に焦ったのは火原の方だった。 「あ、いや!べ、別にたいしたことじゃないんだよ!ただカツサンドがね!・・・あ」 「は?カツサンド?」 思いっきり首を傾げる香穂子に火原は慌てる。 一瞬とはいえ悩ませてしまったのに、原因がカツサンドだなんて言ったら彼女に呆れられてしまうかもしれない。 とはいえ、とっさに嘘がつけるほど器用な性格でもなく。 「そ、その・・・・カツサンドが売り切れちゃってて・・・」 結局、そのまま真相を語ってしまった。 (日野ちゃん、呆れるかな・・・・?) ちょっとドキドキしながら、そっと香穂子を見ようとした途端 「あははははっ!!」 香穂子の弾けるような笑い声がエントランスに響いた。 それはもう爽快な笑い声で一頻り笑うと、香穂子は驚いている火原ににっこり笑いかけた。 「ごめんなさい、笑ったりして。」 「え?別にいいけど。」 「ところで、火原先輩。お昼って誰かと食べる約束とかしてます?」 「??いや、してないけど・・・・」 「じゃあ、お昼ご一緒しませんか?そしたら万事解決!」 そう言うと、香穂子は持っていたビニール袋を軽く持ち上げて笑った。 「だって、私が買ったんですもん。最後のカツサンド。」 良いお天気だからと森の広場まで出てきてベンチに座った火原は、香穂子が袋から取り出したカツサンドを見て目を輝かせた。 「やった!今日お目にかかれると思わなかったよ。日野ちゃんサンキュー!」 「いえいえ、お役に立ててよかったです。はい、どうぞ。」 購買のカツサンドは普通の三角サンドイッチではなくて手作りらしい長方形で5切パックに入っているものだ。 その1つを取り出して香穂子が渡してくれる。 ぱくっと食べれば本日のお昼に予定していた味で、なんだか嬉しくなる。 カツサンドは食べられたし、天気はいいし、隣に座っているのは香穂子だし。 と、その時、ふっと視界に見覚えのある姿が映った。 「あ!」 「どうしたんですか?」 「あそこに、柚木が。おーーい!柚木ーーーー!」 威勢良く叫べば、目的の人が振り返った。 ・・・・目的外の人間もかなり振り返ったけど。 「まったく、相変わらず元気だね。」 苦笑しながらコンクールの参加者の一人、柚木が近寄ってきた。 そしてすぐ近くに来たところで香穂子の姿を見つけて驚いたように足を止めた。 「あれ、日野さん。一緒にお昼だったの?」 「はい。柚木先輩はもう食べ終わったんですか?」 「うん、僕はね。それにしても・・・・」 そう言って柚木はすっと目を細めると面白そうに火原と香穂子を見比べた。 そして火原の方に目を向けて言う。 「驚いたね。自覚できたの?」 「は?何を?」 何がなにやら分からず首を傾げると、柚木は呆れたように言った。 「じゃあ無自覚のまま?・・・・天然というのは恐ろしいな。」 「???何の事だよ?」 ?マークを飛ばしまくっている火原に、柚木は苦笑で答えた。 「そうだ。前に僕が言っていた事の意味、彼女に聞いてみると良いよ。そうしたら僕やみんなが言っている事もわかるかもしれないしね。」 「?」 「じゃあ、僕は練習があるからこれで。またね、日野さん。」 香穂子には完璧な笑みを向けて去っていく友人の背中を、相変わらず『?』で見送っていると、香穂子が聞いてきた。 「前に言っていた事ってなんですか?」 「え?ああ、柚木が言ってたの?うーん、なんだろ・・・・あ!あれかも。」 そういえば最近やたらとみんなに言われる台詞を思い出して頷くと香穂子が興味津々、と言った感じで乗り出してくる。 「なんですか?」 「うん、最近俺さ誰かに聞いてもらって練習すると必ず言われるんだよ。『音が変った』って。」 「『音が変った』?褒め言葉じゃないですか。」 「うーん、それがどうも微妙でさあ。なんかみんな含みがあるんだよね。」 「含みがある?・・・・ああ!それってもしかして!」 ぱっと顔を輝かせた香穂子に、今度は火原が乗り出す番になる。 「なになに?わかったの?」 (俺には全然わからなかったのに。) クイズの答えをやっと教えてもらえるような気持ちで待っていると、香穂子はちょっと困ったようにカツサンドを1つ手に取って考え込む。 「でも私が言っていいのかなあ。」 「いいって!日野ちゃんなら俺が許すから。」 「何言ってるんですか。でも先輩は全然心当たりがないんでしょ?だったら違うかも知れないし・・・・」 「それでもいい。日野ちゃんの思いついた答えを教えてよ。」 何とかつかみかけた答えを聞きたくて食いつくように言い募ると、さすがに教えないわけにいかないと思ったのか、香穂子はカツサンドを一口食べて丁寧に飲み込んでから言った。 「それって、『恋をしてるから音が変ったんだね』っていう意味なんじゃないかと思うんですけど・・・・」 「・・・・え」 きょとんっとしてしまった。 (恋?) 誰かを好きになったから、その気持ちが音に出て音が変った? (俺が??) 音に出てしまうほど誰かを? 一体 (誰を・・・・?) ―― 瞬間 『火原先輩』 「火原先輩!」 脳裏に響いた声と、現実に響いた声が完璧にダブってはっとした。 気が付けば目の前に困ったように笑っている香穂子の顔があった。 「先輩、大丈夫ですか?」 「・・・・あ、うん。」 「そんなに衝撃的な事、言ったつもりはなかったんですけど。よく言うでしょ?恋をすると音に深みが出るとか。」 「そう、なんだ。」 「知らなかったんですか?」 冗談のように音楽科なのに、と言って笑いながらいつの間にか最後の1つになったカツサンドを拾い上げると火原の方に差し出した。 「最後、よかったらどうぞ。」 「え?いいの?」 「私は先輩のくれたメロンパンもありますし。」 そう言って火原にカツサンドを渡して自分はメロンパンの袋を開ける。 何となくぼーっとしながらカツサンドを口に運んだものの、さっきまでのいつものカツサンドとは違う気がした。 嬉しそうに自分のあげたメロンパンを頬張る香穂子を見ながら食べていると、なんだかトクベツな味がするような気がして。 最後の一口を放り込んだ時に、無意識に口元がゆるんだのに気が付いたのか香穂子が可笑しそうに言った。 「本当に先輩はカツサンド、好きなんですね。」 「うん、」 躊躇いなく頷いた時、香穂子と正面から視線がぶつかる。 「好きだよ・・・・」 出かけた言葉の続きを言ってしまってその響きに自分で驚く。 『好きだよ』 カツサンドを? それとも・・・・ それとも・・・・? (・・・・俺・・・・) 香穂子と知り合ってからまだ1ヶ月もすぎてない。 コンクールが始まって、普通科からの参加者なんて珍しいから興味を持って、話していると楽しいから話していて。 でも (俺は・・・・) 最近、他の参加者と香穂子がしゃべっているのを見るとちょっと面白くない。 誰かと合奏しているのを見るのもあんまり気分がよくない。 誰かが香穂子を褒めると嬉しいけど、同時になんだか悔しくなる。 (俺、日野ちゃんが・・・・) 香穂子と一番仲がいいのは自分じゃないと嫌だと思う。 合奏しているとどんな難しい曲でも弾けそうな気がした。 ―― 香穂子と楽しく話せた日は、いつもより柔らかい音が出せた。 (香穂子ちゃんが・・・・好きだ。) 「先輩?」 「!?」 結論が出た瞬間、額にちょっと温もりを感じて火原はぎょっとした。 香穂子が手を伸ばして自分の額に触れていたから。 「か、か、か、香穂子ちゃん!?」 「あ、よかったです。熱があるのかと思っちゃって。」 「べ、べ、べ、べ、別に大丈夫だよ!!」 飛び退きながらドキドキ鳴り響く心臓の音に焦った。 きっとどんどん顔だって赤くなってるに違いない。 自覚した途端に香穂子に気持ちがバレてしまったら格好悪いことこの上ない。 鼓動だけで頭に血が上ってしまったみたいに何も考えられなくなった火原はいきなりガバッと立ち上がった。 そして置いてあった鞄をひっつかむなり香穂子にばっと手を合わす。 「ご、ごめん!俺、昼バスの約束わすれてた。カツサンドありがと。じゃあね!!」 「え?あ?先輩???」 戸惑ったような香穂子の声が後から追いかけてきたものの、その声から高速で逃げるように火原は走った。 そりゃあもう、全力で。 途中で驚いた友人やらコンクールの参加者やら「廊下は走るな!」という先生の声やらが聞こえた気がしたが、そんなものには構ってられない。 とにかく、走って走って、たまたま空いていた音楽科の練習室に駆け込んだところで、ズルズルと座り込んでしまう。 はっきり言って、食べたばっかりで全力疾走したので脇腹は痛いし、心臓は壊れそうだし、息はゼイゼイいうし・・・・ でもそんなになっていても、座り込んだ火原が考えられたのは1つだけ。 さっき香穂子の指が触れていった額がひどく熱い気がして、そこから焼き付けられたように何度も何度も香穂子の表情ばかりがリピートされる。 出会って1ヶ月しかたってない間の記憶しかないなんて信じられないぐらいの量の表情の記憶に、自分がどんな前から彼女に惹かれていたか思い知って頭を抱える。 『音が変ったな』 なんで? 前は本当にわからなかった。 (でも、今ならわかるよ。俺は香穂子ちゃんを想って吹いてたんだ。) ああ、それからみんなはなんて言ってたっけ? そうだ。 『ま、とられないようにガンバレ』 (うん、そうだ。俺、頑張らないと。でもさあ、それ以前に〜〜〜〜) 「〜〜〜〜〜俺、さっき思わず『香穂子ちゃん』なんて言っちゃったよ。次会った時になんて言えばいいんだ〜〜〜〜〜〜〜」 ―― まだまだ、火原の苦悩は続く。 〜 終 〜 ― おまけ ― 「あれ、香穂子先輩。お一人なんですか?」 「あ、冬海ちゃん。うん、さっきまでは一人じゃなかったんだけど。よかったら座らない?」 「いいんですか?」 「うん。一人で食べてるのも寂しいし。よかったら好きなの食べて。」 「?随分たくさん買ったんですね?」 「うーん、本当は私のお腹に入るはずじゃないもので・・・・だから好きなのどうぞ。」 「そうですか?じゃあ、このアップルパイを・・・・」 「あ、ごめん。それは駄目。」 「ご、ごめんなさい!」 「ううん、別に冬海ちゃんが悪いんじゃなくて・・・・ちょっと買ってもらったやつだから。」 「?さっきまで一緒にいらした方にですか?」 「うん。」 「香穂子先輩。」 「ん?」 「嬉しそうですね。」 「うん、大事にゆっくり食べようかなあと思ってるの。」 そう言って冬海の目から見ても可愛いと思ってしまうぐらい笑った香穂子は、食べかけのメロンパンを一口囓って自分の右手に目を落としてぽつっと呟いた。 「甘い。」 「?そういえば、先輩。」 「何?」 「昨日先輩の練習を近くで聞かせて頂いていて思ったんですけど・・・・先輩、音が変ったんですね。」 そう言われてちょっと驚いた顔をした香穂子はすぐに笑って言った。 「好きな人がいるからね。」 |