その時、その姿を見たのはほんの偶然・・・・ Subito Ver.月森 放課後、月森蓮は練習場所を求めて校内を歩いていた。 というのも第三セレクションも近いというのに、珍しく練習室に空きがなかったせいだ。 今までであれば常時どこかは空いていたので予約は放課後でいいと思っていたのに当てがあてが外れた。 なんでこんなに急に練習好きが増えたんだ・・・・と悪態を付きかけて思い当たる。 (コンクールのせいか。) このコンクールには普通科の生徒が2人も参加している。 最初は素人だとバカにしていた音楽科の生徒達も第一、第二セレクションの演奏を聴いて音楽科魂に火をつけられたのだろう。 コンクールに今から参加はできないが、せめて負けじと練習しようという気になったというなら頷ける。 頷けるが、少し複雑な気分でもあった。 普通科の2人は月森にとって複雑な存在だから。 特に、同じヴァイオリンを弾く日野香穂子は。 考え事をしているうちに普通科のエントランス近くまで来てしまった事に気が付いて月森は行く先を決めた。 (屋上に行こう。) 屋上なら天気もよかったしいいだろう、と思いながら歩き出す。 別にエントランスで練習しても構わないとは言われているのだが、基本的に人がザワザワしているところで弾くのはあまり好きではなかったし・・・・香穂子に会ってしまうかもしれないから。 (別に・・・・嫌いなわけじゃないんだ。) 頑張っているのは認める。 セレクションの順位は良くないが、かろうじて楽譜が読める程度から始めたにしては上達が早い。 授業が終わるとすぐに教室を飛び出してきて空いている場所さえあれば下校時間まで夢中になって練習している姿は評価できるものだと思う。 音質も悪くない。 香穂子は冷静沈着で正確な月森の弾き方や硬質な音質とは対照的に、明るくて表情に富んだ音を奏でる。 まるで彼女の性格をそのまま音にしたように。 技術的に未熟にもかかわらずあれほど表情を出せるのはリリからもらった魔法のヴァイオリンの力もかなりあると思うが、その分を差し引いても良い音には違いない。 最近では音楽科、普通科問わず彼女の音が一番好きだという者も増えてきているらしい。 だから彼女が練習を始めると必ず聴衆が集まってくるようになった。 楽しそうにヴァイオリンを弾く彼女の周りに、彼女の音が好きで集まってくる聴衆・・・・そんな光景を見て最初は別に何の感慨もなく「よかったんじゃないか」ぐらいにしか思っていなかったのに、いつからかどことなく複雑な思いを抱くようになった。 (嫌いな訳じゃない・・・・ただ、苦手だ。) 香穂子を見ていると妙に落ち着かない。 彼女は他の参加者達と同じように月森にも気軽に話しかけてくるけれど、どういう訳か上手く答えることができない。 だから苦手なのだ、と思っていた。 と、そこまで考えたところで屋上までの階段を上りきった月森は屋上へのドアを開けようとドアノブに手をかけたところで、ふっと動きを止めた。 (・・・・ヴァイオリン?) 微かに、ヴァイオリンの音が耳を掠めたのだ。 少し考えてから月森は音を立てないようにゆっくりとドアを押した。 ―― 知らない音色だと思ったのだ。 酷く繊細な音色だった。 ヴィブラートが悲しく歌うように震え、飾り気のないロングトーンが切なさを訴える・・・・そんな感じの。 曲はすぐにわかった。 『感傷的なワルツ』だ。 本当に奏でている本人が泣いているような、そんな切ないワルツの旋律・・・・ 頭のどこかで立ち去った方がきっといいとわかっていながら、反面どうしてもその音色を奏でているのがどんな人間なのか見てみたくなった。 だから、ドアを開けたのだ。 知らない音色、聞いたことのない解釈・・・・だから、弾いているのが知っている人間のはずがないと思って。 ドアを開けてすぐに演奏者の姿は見えなかった。 (ベンチの方だな。) 音を探って、なるべく演奏者の気を散らさないようにそっとドアのある建物の陰からのぞき込んだ月森は、こちらに半身だけ背を向けるような格好でヴァイオリンを奏でている人物を見て思わず息を飲んだ。 (日野!?) そう、知らない音色を奏でていたのはよく知っている人物、それどころかさっきまで考えていた人物、日野香穂子だった。 驚いて引っ込めた上半身を再びそっと伸ばして覗き込んでかろうじて見える横顔を確認してみるが、やっぱり香穂子に間違い無かった。 間違いは無かったが ―― ただ、いつもとはまるで違う表情だった。 きゅっと口元を真一文字に結び、ただ夢中で弾き続けているその様子は何かに苛立っているようにも、何かを酷く悲しんでいるようでもある。 どちらにしても月森が今まで見ていた香穂子のどの表情とも違う、見ている方が切なくなるような痛々しい表情で、泣いているような音を奏でている。 ―― ふいに、月森は踵を返した 来た時と同じように細心の注意を払ってドアを開け、閉める。 (・・・・どうして、君はそんな表情で弾く・・・・?) 早足に、まるで香穂子の弾く感傷的なワルツから逃げるように月森は歩き続けた。 でも、いくら遠ざかっても音が追ってくるような気がした。 ・・・・あの切ない香穂子の面影と一緒に。 ただ、明るく楽しげなだけが取り柄だと思っていた彼女の演奏は、一体何時あんな風に変わったのだろう。 感情が零れ出したように、震えるような切ない旋律に。 一体・・・・ ―― ダレヲオモッテ、カナデテイル? ―― 「っ・・・・」 過ぎった疑問と同時に刺すような痛みを胸に感じて、月森は唇を噛んだ。 そしてその痛みの意外さに眉を顰める。 (・・・・別に彼女が誰を想おうが構わないじゃないか・・・・) そう、むしろ以前の自分が言ったように『タナボタ』で楽器を弾いている彼女の音が深みのあるものになるのは喜ばしいぐらいのはずだ。 ―― でも、実際に音を目の当たりにして、この痛みは何なのだろう。 気に入っているはずのメロディーが酷く気に入らないのは 聞いていたくないと逃げるようにあの場所を去ったのは 苦手なはずの香穂子の切なそうな表情に、胸をかき乱されるような苛立ちを覚えたのは 何故? (――・・・・ああ・・・・そうか) 唐突に足を止めて月森はため息をついた。 苦手だと思っていたのは、どんどん自分の中に入ってくるからだ。 人と一定の距離を置いて、正確なリズムを刻んでいた心の中に不協和音を初めて生み出したのが香穂子だったから。 だからその不協和音がどんな意味を持つかも考えずに、苦手だと判断した。 でも違う、不協和音は考えないようにしているうちに1つの旋律になっていた。 誰かを想っている彼女の表情に、音色に、覚えた苛立ちは ―― 嫉妬だ。 ふいに、笑いたくなって月森は口元を覆った。 実際に零れたのは苦笑だったけれど。 (俺は馬鹿だな。何で気付かずにいられたんだろう。) こんなに、香穂子が好きなのに。 あんな顔をさせる彼女の想っている相手に狂おしいほどの嫉妬をするほどに。 あまりに強い感情に、気づかなかった方が良かったかもしれないと、一瞬だけ思った。 でも、それでも気が付いてしまったから、もう気が付いていなかった時にもどることはできない。 それなら、と月森は髪を掻き上げて顔を上げた。 その瞳にはもう、一瞬前までの迷いはない。 まっすぐな目で振り返る。 無視できななら、気づいてしまったなら ―― 手に入れる努力をするまでだ。 (ずっと避けていたから出遅れているだろうし・・・・) 香穂子と仲が良くて、よく一緒に合奏したり話したりしているコンクール参加者の顔を思い浮かべてライバルに分類する。 そして、月森蓮は前途多難な恋に向かって歩き出した・・・・ ―― 彼女がもたらした不協和音は、いつの間にか 「恋」という名の旋律になっていた・・・・ ―― ―― 実は香穂子が『感傷的なワルツ』を弾きながら想っていたのは月森で、自分に対して嫉妬していたことを月森が知るのはコンクールが終わった後の事だったりする 〜END〜 |